さすらいの風景 バンゴン・ツォ その4
昼食後、別の展望地へと河畔の道を東に向かいました。雪をまとった山も良く見えるようになってきました。 手の届くような高さですが、バンゴン・ツォの標高が4250mなので、5000m級の山でしょうか。登ってみたくなりますね。ただ、ヒマラヤでは、5000m級の山ではわざわざ名前が付けられないことが多いようです。 バンゴン・ツォは、東に向かって長く広がっていました。...
View Articleさすらいの風景 ヘミス僧院 その1
6日目は、上ラダック方面の見学を行うことになり、まずヘミス僧院に向かいました。 昨日もパンゴン・ツォに向かうために走ったインダス川沿いの道ですが、昨日は薄暗い中の早朝出発のために見えなかったストック・カンリ(6153m)が朝日に輝く美しい姿を見せていました。 崖に書かれているのは、おそらくチベット文字でしょう。...
View Articleさすらいの風景 ヘミス僧院 その2
博物館の見学の後、中庭に面した建物に設けられたドゥカン(勤行堂)を見学しました。ドゥカンは二つあるのですが、一方は撮影禁止でした。撮影できたドゥカンは、最近修復されたようで、新しい絵が飾られていました。 入り口には、恒例の四天王の絵。持ち物によって、名前を判断できます。武器を持っているので増長天。 琵琶を持っているので持国天。 マングースを持っているので多聞天。 仏塔と蛇を持っているので広目天。...
View Articleさすらいの風景 ティクセ僧院 その1
ヘミス僧院の見学を終えて、インダス川に向かって丘を下っていきました。 インダス川沿いにでて、来た道を戻りました。 イナダス川の河畔に見えてきたのはスタクナ僧院。昨日もバンゴン・ツォから戻ってきた時に夕闇迫る中で見ました。 岩山の上に建てられ、小さいながら印象的な姿をした僧院です。 ティクセ僧院に到着。白壁と青空が強烈なコントラッストを作っています。...
View Articleさすらいの風景 ティクセ僧院 その2
弥勒菩薩の像が納められたお堂に続いて、中庭の挟んで向かい合うドゥカン(勤行堂)を見学しました。 中庭を囲む回廊も絵で飾られていましたが、まずはドゥカン(勤行堂)へ。 ドゥカン(勤行堂)の入り口。 ここでも入り口の脇には四天王像が描かれていました。 六道曼荼羅図も。 ドゥカン(勤行堂)の中に入りました。...
View Articleさすらいの風景 ティクセ僧院 その3
ドゥカン(勤行堂)に続いてゴンカン(護法堂)を見学しました。 入り口の脇には、恒例の四天王像が描かれていました。 内部に収められた像には布が被されて顔が隠されていました。この像は顔を出していますが。 顔を隠しているのは、強すぎる力を隠すためと言われています。 脇の像は完全に顔が隠されていました。 像の顔を隠している代わりなのか、顔を描いた絵が置かれていました。...
View Articleさすらいの風景 レー その2
レーに戻り、丘の上に建てられて街を見下しているナムギャル・ツェモに向かいました。 街の入り口の交差点には大きなマニ車が置かれていました。 街中にも大きな仏塔が置かれていました。 丘の上にナムギャル・ツェモが見えてきました。 次第にレーの街を見下ろすようになってきました。 ナムギャル・ツェモも近づいてきました。...
View Articleさすらいの風景 レー その3
レー王宮は、1640年頃にセンゲ・ナムギャル王によって建設されました。9層の建物は、ポタラ宮のモデルになったという話もあります。ラダック王国が滅びた後は、住む人もない廃墟になってしまいました。 王宮内に進みます。 お堂があり、ここは王族が祈りを捧げた場所とのこと。お堂の入り口には、木の彫刻が施されていました。 入り口上部に飾られているのは何の像でしょうか。 堂内には仏像が祀られていました。...
View Articleさすらいの風景 ティクセ僧院 その4
7日目は、帰国日になります。当初のスケジュールには入っていませんでしたが、希望者のみティクセ僧院での朝の勤行を見学することになりました。 車窓からは、朝日に輝くストック・カンリを望むことができました。 ティクセ僧院に到着。 坂道の途中、昨日は見かけなかった小坊主に出会いました。 中庭に到着。奥に入り口が見えるうドゥカンで勤行が行われます。 勤行が始まるまで、テラスから周辺の風景を楽しみました。...
View Articleさすらいの風景 レーから成田
帰国は往路と同じで、デリー経由で日本に戻ることになります。レーの空港は、小規模なものでした。 復路も満員の状態でした。谷間にあるレーの空港から飛び出しました。 飛行機が大きく傾くと、インダス川が目に飛び込んできました。 雪山を眺めながらのフライトが続きました。 短時間のフライトですが、機内食としてサンドイッチが出てきました。...
View Articleさすらいの風景 ラダックの食
ラダック旅行の食事のまとめです。 デリー・プライドプラザエアロシテイでの夕食。空港近くのホテルで、乗り継ぎの観光客向けのためにインド的なものではありませんでした。 デザートのスウィート類が充実していました。 デリー・プライドプラザエアロシテイでの朝食。...
View Articleさすらいの風景 ラダック土産
ラダック旅行の土産物品のまとめです。 カシミアのマフラー。カシミール地方の特産品で、レーの街では観光客向けのカシミア製品の店が並んでいました。 干しアンズとリンゴ。アルチからラマユルへ行く途中のカルギルという街は、アンズの里として知られています。 タルチョ。経文が書かれた五色の祈祷旗です。 マニ車のキーホルダー。 太陽光で動くマニ車。車のフロントに置いてあるのを見ることがあります。...
View Articleさすらいの風景 成田からカサブランカ
マグレブと総称されるリビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコなど北西アフリカ諸国では、モロッコが最も一般的な観光国になっており、次いでチュニジア、アルジェリアの順になります。リビアは、カダフィ政権崩壊後の混乱によって、現在のところ観光の対象外。先にチュニジアに行ってしまい、モロッコが重点目標の国になっていました。...
View Articleさすらいの風景 ラバト
モロッコにはカサブランカから入国しましたが、カサブランカ観光は最後に行うことにしてラバトに向かいました。 カサブランカが商業の中心地であるのに対し、ラバトは行政上の中心地でモロッコの首都になっています。カサブランカからラバトへは100kmほどの距離ですが、高速道路も設けられており、1時間30分程の移動になりました。...
View Articleさすらいの風景 シェウエン その1
ラバトから5時間の移動で、夜の11時前にようやく2日目の宿泊地になるシャウエンに到着しました。日本を出発してからは長時間の移動になりました。 宿泊ホテルのアトラス・シャウエンは丘の上にありました。 ホテルの入り口は、アラブ風の造りで、照明の色が次々に変わっていきました。 この色はちょっと派手すぎますかね。 泊まった部屋。アラブ風の装飾が施されていました。...
View Articleさすらいの風景 ティトゥアン
3日目は、シャウエンの観光は後回しにして、まずティトゥアンを見学することになりました。シャウエンからティトゥアンへは、北に向かって車で1時間半ほどの距離にあります。丘陵地を越していくことになりました。 丘陵地の南にはダム湖が広がっていました。 丘陵地の上は高原上になっており、民家が点在していました。 北に向かって丘陵地を下り始めると、ここにもダム湖が広がっていました。...
View Articleさすらいの風景 シャウエン その2
ティトゥアンから戻ってシャウエン観光を行うことになりました。 シャウエンは、街の壁が青く塗られて独特の景観を造っていることから観光客の人気が高くなっています。街が青く塗られた理由は、ユダヤ人がユダヤ教徒であることを示すために神聖な青に塗ったとか、虫よけに塗ったとか言われています。 メディナ内には、東のアイン門から入りました。...
View Articleさすらいの風景 シャウエン その3
迷路状の道の歩きが続きました。一人歩きなら迷うことは必至で、コンピューターゲームのダンジョン探検と同じで、それも楽しそうです。ただ、その時は方位を示すコンパス代わりになる道具を持っていることは必要でしょう。 シャウエンならではの青の世界を楽しみながらの歩きが続きました。 この後は、特に有名なモスクといったようなものはありませんが、迷路歩きの途中で出会った風景をを載せていきます。...
View Articleさすらいの風景 フェズ その1
シャウエンの見学を終えて、一路南下してフェズへ向かいました。 途中、小さな町を通過していきました。 丘陵地には広大な農地が広がっていました。モロッコというとサハラ砂漠をまず思い浮かべますが、かなり内陸部まで緑地帯が広がっていました。 途中、コウノトリの巣を見かけました。 途中、トイレ休憩一回を含め、4時間ほどのドライブでフェズに到着しました。暗い中、城壁が続いているのが目に入ってきました。...
View Articleさすらいの風景 フェズ その2
王宮からバスに乗ってメディナの入り口のブー・ジュルード門に移動しました。1913年に建造されたメディナ最大の門です。 ブー・ジュルード門の内側。 フェズは、イドリース朝、マリーン朝などのモロッコに存在した過去のイスラム王朝の多くによって首都に定められてきました。...
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