モロッコにはカサブランカから入国しましたが、カサブランカ観光は最後に行うことにしてラバトに向かいました。
カサブランカが商業の中心地であるのに対し、ラバトは行政上の中心地でモロッコの首都になっています。カサブランカからラバトへは100kmほどの距離ですが、高速道路も設けられており、1時間30分程の移動になりました。
車窓からは、時折海を眺めることができました。モロッコの北には、ジブラルタル海峡を境にして西に大西洋、東に地中海が広がっていますが、今回の行程では、カサブランカとラバト付近で大西洋を望むことができるだけでした。
ラバトの街に到着しましたが、近代的な街並みが広がっていました。ラバトは、「近代的首都と歴史的都市が共存する遺産」ということで世界遺産に認定されており、近代の街並みは1912年から1930年のフランス統治時代に築かれたもののようです。
目にとまったビルの壁画。かわいいけど、世界遺産の街並みとは関係ないですね。
長く続く壁が現れましたが、内部には現ムハンマド6世とその家族が住む王宮があるようです。
ムハンマド6世は、国の産業の振興に力を注いで国民の信望も厚いことから、アラブ諸国での政治的混乱の中でもモロッコは安定した状態が続いています。
またムハンマド6世の結婚相手のラーラ・サルマ王妃の存在も大きいようです。サルマ王妃は、王家初の一般女性との結婚で、モロッコ史上初めて顔写真と名前を公に紹介された王妃になりました。王のプロポーズに対し、「王室の一夫多妻制を止め、自分一人だけを妻として娶ること」という条件を出したといいます。ムハンマド6世は、現在も一夫一妻制を維持しています。また、王妃は、家族法の改正など、女性の権利を向上のための活動も行っています。
ムハンマド5世の霊廟の入り口でバスを降りました。見えているのは、ハッサンの塔です。
霊廟の敷地の入り口の両脇には、衛兵が白馬に乗ってガードしていました。
本来の目的のガードよりも、観光客が脇に立っての自撮りの被写体になっていました。
敷地内に入ると、まずハッサンの塔が目に入ってきました。1195年に、ムワッヒド朝の君主ヤークブ・マンスールによって世界最大のモスクを目指して着工されたものの、王の死によって未完のままに終わりました。
高さ44mで、予定の高さ88mの半分しかありませんが、それでも当時は世界最大級の高さを誇っていました。周囲に残された大理石の列柱を見ても、完成時の壮麗さを想像できます。
ムハンマド5世の霊廟。ムハンマド5世は、フランスからモロッコの独立を勝ち取ったアラウィー朝第13代国王です。1961年の没後、1973年に完成しました。地震によって被害を受けていたハッサンの塔や周辺の列柱も、その際に合わせて修復されたようです。
この日は、国王が霊廟を訪れていたことで、閉鎖されていて内部には入れませんでした。ラバト市内も警官が多く出ており、通行制限によって道路が混雑していました。霊廟には、ムハンマド5世とともに、全国王ハッサン2世と彼の弟ムーレイ・アブドゥーラ王子の石棺も安置されています。
内部は煌びやかな装飾が施されているということで、入場見学できなかったのは残念でした。
霊廟は閉鎖されていましたが、衛兵が立っていました。
霊廟脇の噴水。
霊廟脇の東屋風の建物。
ムハンマド5世の霊廟に入場できなかったことから、予定になかったウダイヤのカスバを訪れることになりました。
ムハンマド5世の霊廟から出てウダイヤのカスバに向かうと、城壁で囲まれたメディナの下を通過しました。
ウダイヤのカスバは、ムハッヒド朝時代に築かれた城壁を利用して、17世紀にムーレイ・ラシッドによって築かれた要塞です。
18世紀に気性の荒いウダイヤアフブ族をここに駐屯させたことから、この名前が付けられています。
ブレグレブ川の川岸から長々と城壁が続いていました。城壁の高さは約10m、厚さ2.5mあります。左下に見えている門は、ウダイヤ庭園への入り口です。
丘の上に見えているウダイヤ門は、1195年にムワッヒド朝のヤクーブ・マンスールによって建造されました。
ウダイヤ門には、アラビア文字でコーランの字句が刻まれています。
ウダイヤ庭園に入場しました。
スペイン・グラナダのアルハンブラ庭園にも似たアンダルシア庭園の傑作と言われています。
庭園からは、建物付属の塔も見られました。
門が閉ざされていた建物の中をのぞくと、中庭の中央に噴水が置かれていました。
庭園は、市民とネコの憩いの場になっていました。
モロッコでは、ほとんどの訪問地でネコを見ることができました。ネコについては、最後にまとめページで載せることにします。
ウダイヤのカスバの見学を終えて、シャウエンに向かうことになりました。
ブレグレブ川に向かって坂を下っていきました。
ブレグレブ川を見下ろすウダイヤのカスバ。
ブレグレブ川の対岸に見えるのは、建築中の劇場のようです。
調べてみると、ラバト・グランド・シアターという名前で、新国立競技場の旧デザイン案に選ばれて名前が知られるようになったザハ・ハディド氏の設計によるもののようです。ただ、2010年からプロジェクトはストップしている状態のようです。
メディナの奥にハッサンの塔が見えていました。
ラバトの街は大西洋に面しており、ブレグレブ川にも漁船が走っていました。
建築中のオペラハウスの脇を通ってシャウエンに向かいました。
郊外にも王宮関係の建物がありました。
ラバトの郊外にはコルクの林が広がっていました。
カサブランカが商業の中心地であるのに対し、ラバトは行政上の中心地でモロッコの首都になっています。カサブランカからラバトへは100kmほどの距離ですが、高速道路も設けられており、1時間30分程の移動になりました。
車窓からは、時折海を眺めることができました。モロッコの北には、ジブラルタル海峡を境にして西に大西洋、東に地中海が広がっていますが、今回の行程では、カサブランカとラバト付近で大西洋を望むことができるだけでした。
ラバトの街に到着しましたが、近代的な街並みが広がっていました。ラバトは、「近代的首都と歴史的都市が共存する遺産」ということで世界遺産に認定されており、近代の街並みは1912年から1930年のフランス統治時代に築かれたもののようです。
目にとまったビルの壁画。かわいいけど、世界遺産の街並みとは関係ないですね。
長く続く壁が現れましたが、内部には現ムハンマド6世とその家族が住む王宮があるようです。
ムハンマド6世は、国の産業の振興に力を注いで国民の信望も厚いことから、アラブ諸国での政治的混乱の中でもモロッコは安定した状態が続いています。
またムハンマド6世の結婚相手のラーラ・サルマ王妃の存在も大きいようです。サルマ王妃は、王家初の一般女性との結婚で、モロッコ史上初めて顔写真と名前を公に紹介された王妃になりました。王のプロポーズに対し、「王室の一夫多妻制を止め、自分一人だけを妻として娶ること」という条件を出したといいます。ムハンマド6世は、現在も一夫一妻制を維持しています。また、王妃は、家族法の改正など、女性の権利を向上のための活動も行っています。
ムハンマド5世の霊廟の入り口でバスを降りました。見えているのは、ハッサンの塔です。
霊廟の敷地の入り口の両脇には、衛兵が白馬に乗ってガードしていました。
本来の目的のガードよりも、観光客が脇に立っての自撮りの被写体になっていました。
敷地内に入ると、まずハッサンの塔が目に入ってきました。1195年に、ムワッヒド朝の君主ヤークブ・マンスールによって世界最大のモスクを目指して着工されたものの、王の死によって未完のままに終わりました。
高さ44mで、予定の高さ88mの半分しかありませんが、それでも当時は世界最大級の高さを誇っていました。周囲に残された大理石の列柱を見ても、完成時の壮麗さを想像できます。
ムハンマド5世の霊廟。ムハンマド5世は、フランスからモロッコの独立を勝ち取ったアラウィー朝第13代国王です。1961年の没後、1973年に完成しました。地震によって被害を受けていたハッサンの塔や周辺の列柱も、その際に合わせて修復されたようです。
この日は、国王が霊廟を訪れていたことで、閉鎖されていて内部には入れませんでした。ラバト市内も警官が多く出ており、通行制限によって道路が混雑していました。霊廟には、ムハンマド5世とともに、全国王ハッサン2世と彼の弟ムーレイ・アブドゥーラ王子の石棺も安置されています。
内部は煌びやかな装飾が施されているということで、入場見学できなかったのは残念でした。
霊廟は閉鎖されていましたが、衛兵が立っていました。
霊廟脇の噴水。
霊廟脇の東屋風の建物。
ムハンマド5世の霊廟に入場できなかったことから、予定になかったウダイヤのカスバを訪れることになりました。
ムハンマド5世の霊廟から出てウダイヤのカスバに向かうと、城壁で囲まれたメディナの下を通過しました。
ウダイヤのカスバは、ムハッヒド朝時代に築かれた城壁を利用して、17世紀にムーレイ・ラシッドによって築かれた要塞です。
18世紀に気性の荒いウダイヤアフブ族をここに駐屯させたことから、この名前が付けられています。
ブレグレブ川の川岸から長々と城壁が続いていました。城壁の高さは約10m、厚さ2.5mあります。左下に見えている門は、ウダイヤ庭園への入り口です。
丘の上に見えているウダイヤ門は、1195年にムワッヒド朝のヤクーブ・マンスールによって建造されました。
ウダイヤ門には、アラビア文字でコーランの字句が刻まれています。
ウダイヤ庭園に入場しました。
スペイン・グラナダのアルハンブラ庭園にも似たアンダルシア庭園の傑作と言われています。
庭園からは、建物付属の塔も見られました。
門が閉ざされていた建物の中をのぞくと、中庭の中央に噴水が置かれていました。
庭園は、市民とネコの憩いの場になっていました。
モロッコでは、ほとんどの訪問地でネコを見ることができました。ネコについては、最後にまとめページで載せることにします。
ウダイヤのカスバの見学を終えて、シャウエンに向かうことになりました。
ブレグレブ川に向かって坂を下っていきました。
ブレグレブ川を見下ろすウダイヤのカスバ。
ブレグレブ川の対岸に見えるのは、建築中の劇場のようです。
調べてみると、ラバト・グランド・シアターという名前で、新国立競技場の旧デザイン案に選ばれて名前が知られるようになったザハ・ハディド氏の設計によるもののようです。ただ、2010年からプロジェクトはストップしている状態のようです。
メディナの奥にハッサンの塔が見えていました。
ラバトの街は大西洋に面しており、ブレグレブ川にも漁船が走っていました。
建築中のオペラハウスの脇を通ってシャウエンに向かいました。
郊外にも王宮関係の建物がありました。
ラバトの郊外にはコルクの林が広がっていました。