さすらいの風景 パトゥカル寺院
ジャティルウィでの棚田見学と昼食の後は、パトゥカル寺院に向かいました。ジャティルウィまでの道も細かったのですが、この先はでこぼこの悪路が続くようになりました。大型バスは無理で、中型バスでないと走れない状態でした。 パトゥカル寺院は、バリ島第二の高峰であるパトゥカル山 2276m)の中腹の標高650m地点にあります。 バリ島6大寺院の一つとのことですが、山中にあって、静かな佇まいでした。...
View Articleさすらいの風景 ケチャ その1
パトゥカル寺院からウブドに戻ってきて夕食をとった後は、ケチャの見学になりました。 ウブドでは、レゴンやバロンなどの様々な伝統舞踊が演じられていますが、その中でもケチャは特に見たいものでした。...
View Articleさすらいの風景 ケチャ その2
侵攻してくるラーマ一軍に対し、ラーヴァナの息子のメガナダ(別名インドラジット)が出陣してきます。 メガナダが矢を放つと、矢はナーガに変わり、ラーマとラクシュマナに絡みついて身動きできなくさせてしまいます。 ケチャの男性たちは、ラーマとラクシュマナの周りに仰向けになって横たわり、ナーガを現します。 ナーガに束縛されて絶体絶命のピンチ。 そこにガルーダが登場し、ナーガを殺して、二人を開放します。...
View Articleさすらいの風景 ランブヤン寺院
第五日目は帰国日となり、午前中はランブヤン寺院見学、午後はウブドでの自由行動で、深夜の飛行機でインドネシアを離れることになります。 ルンブヤン寺院は、バリ島の東部にあり、2時間20分程の少し長いバス移動になりました。 道端の露店で野菜を売っていました。 途中、海岸線を走りました。バリ島というと、海辺のリゾートの人気が高いですが、今回は海に接する機会が無かったのは残念でした。...
View Articleさすらいの風景 ウブド その3
ランブヤン寺院から戻ってホテルで昼食をとり、午後は自由時間になりました。 自由時間をどのように過ごすのか迷うことになりました。「ウブド王宮と市場」にも気が魅かれましたが、「モンキー・フォレスト」を選びました。頑張れば両方見学することもできたのですが、暑さが厳しく、早めにホテルに戻ってアルマミュージアムを見学し、シャワーを浴びてひと休みしたいという気分になっていました。...
View Articleさすらいの風景 ウブドから成田
モンキー・フォレストの見学を終えてモンキー・フォレスト通りに出ると、土産物屋が並んでいました。 のぞいてみましたが、いかにも観光客向けの国籍不明の土産物が並んでいて、買う気も起きませんでした。ルルブなどでは、王宮周辺の雑貨や衣類の店などが紹介されていますが、女性向きのようで、興味がわいてきません。 仮面の店がありましたが、土産向きの物は無さそうです。...
View Articleさすらいの風景 インドネシアのネコ
世界ネコ歩き、インドネシア編です。 ジャワ島のロロジョングラン寺院脇の博物館にて。 カメラに気づいて身構えました。 バリ島のタマン・アユン寺院にて。 ここには、沢山のネコがいました。 縞模様の毛並みが石垣の模様に融け込んでいます。 日陰でお昼寝。熱帯地方では、ネコでも日向は辛いようです。 草の間に虫を探しているのかな。 石垣の外を気にしながら歩いていました。...
View Articleさすらいの風景 インドネシアの食 その1
今回の旅行は、6日間という比較的短いものだったので、食事の回数も少なくなりました。 まずは、朝食をまとめて載せておきます。 ジョグジャカルタ・ハイアットリージェンシーホテルは、充実した食事内容でした。麺もオーダーすることができました。時間に余裕があれば、庭を眺めながらゆっくり食事をしていたかったところです。...
View Articleさすらいの風景 インドネシアの食 その2
第三日目、バリ島に到着し、レストランでの夕食。 日本の焼き鳥に似た料理は、サテといい、インドネシアでの定番料理になっています。 スープ。 主食は焼きそば、ミーゴレン。 多くの惣菜が出てきます。 果物のデザートで終わり。 第四日目、バリ島・ジャティルイの棚田脇のレストランでの昼食。ビュッフェスタイルの食事。暑くて、ビールが美味しく感じました。 デザートにフルーツ。...
View Articleさすらいの風景 インドネシア土産
ツアーで迷惑なことに土産物屋への連れ込みがあります。ただ、今回利用した旅行会社は、そのようなことが無く、それはありがたいことなのですが、土産物を買うのが空港の売店だけになってしまいました。 インドネシア雑貨として有名な、ネコの置物。 バティックのスカーフ。素材はシルク。...
View Articleさすらいの風景 エディンバラ その1
エディンバラは、独立運動でなにかと話題になることの多いスコットランドの首都です。スコットランドは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国を構成する4つの国のひとつで、1707年にグレートブリテン王国が成立するまでは独立したスコットランド王国でした。 エディンバラを訪れてからかなりの年月が経ちましたが、街の風景はそれほど変わらないことでしょう。...
View Articleさすらいの風景 エディンバラ その2
エディンバラの一番の見どころは、エディンバラ城です。カッスル・ロックと呼ばれる標高130mの岩山の上に建てられた古城です。7世紀以前に砦が築かれており、7世紀にサクソン人のエドウィンが初めて本格的な城を築きました。エディンバラという名前は、このエドウィンに由来するという説もあります。 エスプラナード広場から入場します。 入口には衛兵が立っています。...
View Articleさすらいの風景 エディンバラ その3
エディンバラ城の入口のエスプラナード広場からは、東に向かってロイヤル・マイルが延びており、その突き当りにホリールード宮殿があります。ロイヤル・マイルは、観光客が必ず歩かなければならない通りです。 ロイヤル・マイルは、19世紀に新市街地ができるまでエディンバラの中心地となっていました。通り沿いには歴史を感じさせる建物が並んでいます。...
View Articleさすらいの風景 成田からバクー
ここのところアジアの国が続いていたので、今回はヨーロッパ方面へと思い、コーカサスに行くことにしました。今回訪れたアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアは、ソ連邦の一部でしたが、ソ連邦崩壊後は独立国になっています。...
View Articleさすらいの風景 バクー その1
ヘイダル・アリエフ空港からバクー市内に向かいました。立派な道路が整備されていました。 アゼルバイジャンは、バクー油田など豊富な天然資源を持つことから、急速な経済成長を果たしています。バクーは、シルクロード沿いの古都ですが、現在では石油景気のおかげで、第二のドバイを目指すような建設ラッシュが起きています。...
View Articleさすらいの風景 バクー その2
殉教者の小路に続いて、バクーの旧市街地にやってきました。 バクーは、カスピ海のバクー湾に面した港町で、「内城」と呼ばれる城壁に囲まれた旧市街と、帝政ロシア時代にその周囲に築かれた新市街とに分かれます。 バスを降りて歩いていくと城壁が見えてきましたが、右のガラス張りの建物はメトロ駅です。ここでも、新旧の建物が並んでいました。...
View Articleさすらいの風景 バクー その3
シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿の入口にやってきました。 シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿は、13世紀から16世紀にかけて栄えたシルヴァンシャー朝によって築かれました。当初の首都は内陸部のシェマハにあり、夏の離宮として用いられていましたが、シェハマの首都が地震で破壊されバクーに遷都された後は、宮殿の役目を果たしてきました。...
View Articleさすらいの風景 バクー その4
シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿を出て、バクーの城壁沿いに旧市街地を歩きました。 城壁に投石器が置かれていました。 城壁が長く続いています。 ここには大砲。でも、外側に向いていなくてはならないのでは。 一瞬、ギョットして見てしまった木に書かれた女性の顔。 反対側にも。こちらは男性の顔なのかな。日本人には、このようには書けませんね。 城壁沿いにはレストランが並んでいました。...
View Articleさすらいの風景 バクー その5
キャラバン・サライを見学してから少し歩くと乙女の塔の下に出ました。 乙女の塔は、高さ28.5m、4~5mの厚さの壁で囲まれています。要塞も兼ねた拝火教寺院として紀元前5世紀に造られ、現在の塔は12世紀に建て直されたものです。 塔の名前の由来には、望まない結婚を強要された少女がこの塔からカスピ海に身を投げたため、など諸説があります。 昔は、カスピ海はこの塔の下まで広がっていたといいます。...
View Articleさすらいの風景 バクー その6
乙女の塔の見学を終えてカスピ海の海辺に向かいました。 乙女の塔の脇にあるのは、ハジンスキー邸。1912年に建設されたゴシック様式のマンションです。1944年、仏レジスタンス運動のリーダーであるドゴールが、スターリンとの会談のためモスクワへ向かう途中、この邸宅に滞在したという話も残されています。...
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