ヘイダル・アリエフ空港からバクー市内に向かいました。立派な道路が整備されていました。
アゼルバイジャンは、バクー油田など豊富な天然資源を持つことから、急速な経済成長を果たしています。バクーは、シルクロード沿いの古都ですが、現在では石油景気のおかげで、第二のドバイを目指すような建設ラッシュが起きています。
道路沿いに、バクー・オリンピックスタジアムが現れました。この競技場は、2015年のヨーロッパ競技大会(ユーロリンピック)に合わせて建設されたものです。バクー市内では、この競技会に合わせて、多くの施設が建築されたようです。
ヨーロッパ競技大会(ユーロリンピック)は、オリンピック並みの規模だったようですが、日本では報道されなかったと思います。19年の第2回大会開催地はオランダに決定したものの辞退されてしまったため、開催地未定になってしまっています。この先はどうなるのやら。
これも何かの競技場。
ソ連邦時代を思わせる建物もありました。
ヘイダル・アリエフ文化センター。
この奇妙な目をひく建物は、東京の新国立競技場の設計で日本にも名前が知られるようになったザハ・ハディド氏の設計によるものです。翌日、立ち寄ることになりましたので、その際に詳しく。
トフィク・バフラモフ・スタジアム。アゼルバイジャン最大のサッカー用スタジアムです。
中心部に入ってくると、バクーの近代建築の代表になっているフレームタワーが見えてきました。
殉教者の小路のある丘の下でバスを降りました。背後には、フレームタワーがそそり立っていました。フレームタワーは、3つのビル群からなり、高さは約190mあります。フレームの名の通り炎をイメージして建てられ、夜になるとLEDによって赤くライトアップされます。残念ながら、ホテルが町外れにあったため、夜景は見学できませんでした。
入口の脇には、Shahidlar Khiyabani(殉教者の小路)モスクがありました。今回のコーカサス三国のうち、イスラム教国はアゼルバイジャンのみで、他の二国はキリスト教国です。
階段を上っていくと殉教者の小路に出ます。
道の脇には、ソ連末期のバクーにおける騒乱やアルメニアとの戦争での犠牲者の追悼碑が置かれています。
追悼碑には花が置かれていました。
殉教者の小路の突き当りには、ドーム状のモニュメントが置かれていました。
ドームの下には、花輪が奉げられていました。
中には火が燃えていました。
ドーム周辺のテラスからは、見たいと思っていたカスピ海の展望が広がっていました。海のように見える広大さです。
カスピ海は、世界最大の湖で、流出する川がないため、海水の三分の一の濃度の塩湖になっています。
ソ連の時代には、カスピ海に面している国は、ソ連とイランのみでしたが、ソ連崩壊後に沿岸諸国が2か国から5か国に増えると、カスピ海を海ととらえるか湖ととらえるかで異なってくる領海確定問題が起きてしまいました。カスピ海が海であれば外国船の通過を許す国際条約が有効となり、湖であればその義務がなくなり、鉱物資源(石油・天然ガス)、漁業そして国際水域としてのアクセス、とくに黒海やバルト海へ抜けるヴォルガ川とのリンクが問題になってくるようです。
旧市街地方面の眺め。
巨大な国旗。掲揚台の高さは高さ162mで、タジキスタン(165m)に抜かれるまでは世界最大の国旗でした。ちなみにバクーの前は、北朝鮮の160mが世界一だったようです。数メートル刻みで、無駄な競争をしているように思います。
バクーのテレビ塔。
フレームタワーも。鏡のような外壁にうつって、四本のように見えます。
丘の上はテラスになっており、展望を求めて少し移動しました。
新市街地を良く眺めることができました。左にシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿、右端に乙女の塔が見えています。
乙女の塔のスームアップ像(水色の屋根の右後ろ)。
海岸部には、新しい建物が建設されていました。
バクーは、カスピ海に面して「風が吹きつける街」という意味を持っていますが、この日は快晴で、風もほとんどありませんでした。
テラスを進んでいくと、フレームタワーの眺めも少し違ってきました。
テラスに置かれていた像。場違いな気もします。
ドラゴンボールに出てくる破壊神ビルスに似ているなと思いました。
テラスの端に行くと、シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿を良く眺めることができるようになりました。
カスピ海に沿って、プロムナードになっている海岸通りが延びています。湖なら湖畔道路が正しいのではと思いますが、現地表記はどうなっているのでしょう。
新旧の世界が入り混じるバクー。旅の期待が高まりました。
殉教者の小路の見学を終えて、階段を下り、続いシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿に向かいました。
アゼルバイジャンは、バクー油田など豊富な天然資源を持つことから、急速な経済成長を果たしています。バクーは、シルクロード沿いの古都ですが、現在では石油景気のおかげで、第二のドバイを目指すような建設ラッシュが起きています。
道路沿いに、バクー・オリンピックスタジアムが現れました。この競技場は、2015年のヨーロッパ競技大会(ユーロリンピック)に合わせて建設されたものです。バクー市内では、この競技会に合わせて、多くの施設が建築されたようです。
ヨーロッパ競技大会(ユーロリンピック)は、オリンピック並みの規模だったようですが、日本では報道されなかったと思います。19年の第2回大会開催地はオランダに決定したものの辞退されてしまったため、開催地未定になってしまっています。この先はどうなるのやら。
これも何かの競技場。
ソ連邦時代を思わせる建物もありました。
ヘイダル・アリエフ文化センター。
この奇妙な目をひく建物は、東京の新国立競技場の設計で日本にも名前が知られるようになったザハ・ハディド氏の設計によるものです。翌日、立ち寄ることになりましたので、その際に詳しく。
トフィク・バフラモフ・スタジアム。アゼルバイジャン最大のサッカー用スタジアムです。
中心部に入ってくると、バクーの近代建築の代表になっているフレームタワーが見えてきました。
殉教者の小路のある丘の下でバスを降りました。背後には、フレームタワーがそそり立っていました。フレームタワーは、3つのビル群からなり、高さは約190mあります。フレームの名の通り炎をイメージして建てられ、夜になるとLEDによって赤くライトアップされます。残念ながら、ホテルが町外れにあったため、夜景は見学できませんでした。
入口の脇には、Shahidlar Khiyabani(殉教者の小路)モスクがありました。今回のコーカサス三国のうち、イスラム教国はアゼルバイジャンのみで、他の二国はキリスト教国です。
階段を上っていくと殉教者の小路に出ます。
道の脇には、ソ連末期のバクーにおける騒乱やアルメニアとの戦争での犠牲者の追悼碑が置かれています。
追悼碑には花が置かれていました。
殉教者の小路の突き当りには、ドーム状のモニュメントが置かれていました。
ドームの下には、花輪が奉げられていました。
中には火が燃えていました。
ドーム周辺のテラスからは、見たいと思っていたカスピ海の展望が広がっていました。海のように見える広大さです。
カスピ海は、世界最大の湖で、流出する川がないため、海水の三分の一の濃度の塩湖になっています。
ソ連の時代には、カスピ海に面している国は、ソ連とイランのみでしたが、ソ連崩壊後に沿岸諸国が2か国から5か国に増えると、カスピ海を海ととらえるか湖ととらえるかで異なってくる領海確定問題が起きてしまいました。カスピ海が海であれば外国船の通過を許す国際条約が有効となり、湖であればその義務がなくなり、鉱物資源(石油・天然ガス)、漁業そして国際水域としてのアクセス、とくに黒海やバルト海へ抜けるヴォルガ川とのリンクが問題になってくるようです。
旧市街地方面の眺め。
巨大な国旗。掲揚台の高さは高さ162mで、タジキスタン(165m)に抜かれるまでは世界最大の国旗でした。ちなみにバクーの前は、北朝鮮の160mが世界一だったようです。数メートル刻みで、無駄な競争をしているように思います。
バクーのテレビ塔。
フレームタワーも。鏡のような外壁にうつって、四本のように見えます。
丘の上はテラスになっており、展望を求めて少し移動しました。
新市街地を良く眺めることができました。左にシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿、右端に乙女の塔が見えています。
乙女の塔のスームアップ像(水色の屋根の右後ろ)。
海岸部には、新しい建物が建設されていました。
バクーは、カスピ海に面して「風が吹きつける街」という意味を持っていますが、この日は快晴で、風もほとんどありませんでした。
テラスを進んでいくと、フレームタワーの眺めも少し違ってきました。
テラスに置かれていた像。場違いな気もします。
ドラゴンボールに出てくる破壊神ビルスに似ているなと思いました。
テラスの端に行くと、シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿を良く眺めることができるようになりました。
カスピ海に沿って、プロムナードになっている海岸通りが延びています。湖なら湖畔道路が正しいのではと思いますが、現地表記はどうなっているのでしょう。
新旧の世界が入り混じるバクー。旅の期待が高まりました。
殉教者の小路の見学を終えて、階段を下り、続いシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿に向かいました。