ここのところアジアの国が続いていたので、今回はヨーロッパ方面へと思い、コーカサスに行くことにしました。今回訪れたアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアは、ソ連邦の一部でしたが、ソ連邦崩壊後は独立国になっています。
これら三国のある南コーカサス地方は、コーカサス山脈、黒海、カスピ海、イラン、トルコに囲まれた地域にあり、中央アジアと東ヨーロッパの境になります。異なる宗教を持った人種が入り混じって、紛争の火種が潜んでいます。
コーカサス三国のガイドブックといっても、地球の歩き方の「ロシア」の後ろの方に付け足し的に載せてあるだけで、旅の前に読んでも詳しいことは判りませんでした。最近では、海外といっても情報過多のきらいがあるので、現地でしっかり見ればいいやという気持ちで出かけることになりました。
選んだツアーは、以下のものでした。実は申し込んでいた10日間コースが不催行になってしまったため、少し短いコースになってしまいました。
【アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア コーカサス3ヵ国8日間】(クラブツーリズム)
2016年
6月13日(月)
成田発 22:20(QR0807)
6月14日(火)
ドーハ着 03:40
ドーハ発 06:40(QR0251)バクー着 10:25
バクー市内観光(殉教者の小路、シルバン・シャフ・ハーン宮殿、旧市街、乙女の塔
(バクー カフカズ・バクー・シティーホテル 泊)
6月15日(水)
コブスタン遺跡見学、ヘイエル・アリエフ・文化センター、拝火教寺院
バクー発 18:50(QR0253)トビリシ着 20:05
(トビリシ ホテル・アストリア・トリビシ泊)
6月16日(木)
自由広場朝の散策、ジョワリ聖堂、ムツヘタ・スヴェティツホヴェリ大聖堂
ジョージア軍用道路(アナヌリ教会、十字架峠、ツミング・サメバ教会)
(トビリシ ホテル・アストリア・トリビシ泊)
6月17日(金)
トビリシ市内観光(メテヒ教会、シナゴーグ、シオニ教会)
ジョージアからアルメニアへ
ハフパト修道院、エレバン・夜の散策(共和国広場噴水ショー)
(エレバン メトロポール・ホテル)
6月18日(土)
ホルビラップ修道院、エチミアジン大聖堂、ガルニ神殿、ゲガルト洞窟修道院、 エレバン市内観光(共和国広場、カスケード)
(エレバン メトロポール・ホテル)
6月19日(日)
セバン湖・セバン教会
アルメニアからジョージアへ
トビリシ発 21:05(QR0254)
6月20日(月)
ドーハ着 01:10
ドーハ発 02:40(QR0806)成田着 18:40
(行程表と若干異なっています。)
カタール航空のドーハ行きは、成田空港の最終便のため、家を昼に出ました。
カタール航空を利用するのは、今回が初めてです。中東、アフリカ、南ヨーロッパ方面へは、カタール航空の他にトルコ航空、エディバ航空があり、ツアー選びの際に使用航空会社も選択上の要素になります。
カタール航空のシンボルマークは、アラビアオリックスです。
出発時間は、20分早まっていました。最近は、どの航空菟会社でも1時間前に搭乗ゲート集合ということが多いので、早いにこしたことはありません。
通路側の席をとりましたが、空いていて、窓側三席を独り占めできました。
ボーイング777を利用していましたが、ひじ掛けが背もたれ側に収めきれないので横になれない、ライトがずれていてテーブルの端しか照らさないという不満がありました。一番の問題はトイレで、右側では中央と後部の二つ。左側は中央二つ後部一つの三か所の変則的な配置でした。反対側のトイレが空いていても、最後部から回り込まないと行くことができず、トイレにはいつも列ができている状態でした。、
配られたアメニティーグッズには、靴下、アイマスク、耳栓、ハズラシが入っていました。
飛び立って1時間ほど経過したところで、夕食相当の第一回目の食事。メインはチキンのソティーで、これは美味しく頂きました。ただ、食事と飲み物の選択に時間がかかって、食事が配られるのに、えらく待たされました。
また、ビールは、なぜかコープについだ一杯しかもらえませんでした。帰りの飛行機では、コップにつぐのに時間がかかっているので、缶ごともらおうとしたら拒否されて、コップ二杯をわたされました。なぜ、ビールの缶を渡そうとしないのでしょうかね。おかげで、ビールの商品名は不明のままに終わりました。
夜間飛行が続き、上海を通過してアジア大陸に入っていきました。眼下には町灯りが広がっていました。
成田からドーハへは、11時間ほどかかります。到着後すぐにはじまる観光に備えてできるだけ寝ておくことにしました。フライトマップでどこまでやってきたかを確認しながら、うつらうつらしました。
ドーハ到着1時間前に朝食。ワッフルとストロベリーのコンポートをもらいました。他には、ソーセージ、和食のお粥があったようです。早朝で食欲も無かったので、これで充分でした。
明るく輝くドバイ上空通過しました。オイルマネーによって出来上がったこの街は、砂上の楼閣という言葉が浮かんできます。
定刻にドーハに到着しました。この空港でのトランジットでは、荷物検査と空港内の移動に結構時間がかかり、乗り換えには時間の余裕をもたせる必要があります。4時前にもかかわらず、空港内は大勢の乗客で熱気を帯びていました。
この巨大な熊のぬいぐるみのある所が中央広場で、ここから各ゲートに向かうことになります。記念写真スポットになっていますが、あまり可愛くはないですね。
ブランドショップの店も並んでいました。買い物は帰りにするのが普通ですが、今回の日程では帰りの際の乗り継ぎに時間的余裕がなく、ここでの買い物はできませんでした。
空港内には、変わった形のオブジエが置かれていました。
これは子供の遊び場。この色は、石油を現しているのでしょうかね。
出発ゲートに行くのには、長い移動が必要になります。余裕があるというよりは、無駄に広いという感じです。
ドーハからアゼルバイジャンの首都のバクーに向かいます。
丁度朝日が昇ってきました。
バス移動し、地上から機内に入りました。
ドーハからバクーへは、北上してイランを横断します。
再度、朝食が出ました。ソーセージ・エッグ。そろそろお腹も空いてきたのでおいしく食べました。
イランを横断する途中、雪を頂いた山が見えていました。おそらくザクロス山脈でしょう。
バクーのヘイダル・アリエフ空港には、10時半に到着。青い塗装のアゼルバイジャン航空の飛行機が並んでいました。アゼルバイジャンからジョージアへの移動もカタール空港だったので、アゼルバイジャン航空は乗らず仕舞いでした。アゼルバイジャンのフラッグキャリアですが、今後とも乗る機会はないでしょう。
このヘイダル・アリエフ空港は改装されたばかりの新しい空港です。名前は、アゼルバイジャン前大統領のヘイダル・アリエフに由来しています。
アゼルバイジャンの入国にはビザが必要ですが、事前に旅行会社を通して申請してありました。最近、空港でとれるようになっており、他の日本人ツアーが入管手続き所で書類を書いていましたが、かなりの時間がかかったようでした。
空港を出ると30度越えの熱気が襲ってきました。6月の旅行ということで体が暑さに慣れておらず辛い状態になりました。ただ、暑さが気になったのはアゼルバイジャンだけで、後のジョージアとアルメニではむしろ寒さ対策の方が必要になりました。
バスがやってくるまで、空港のガラス窓に映る姿を見て楽しんでいました。自分を探せ。
これも、この空港のシンボル的建物のようです。
バスに乗って、バクーの市内観光に向かいました。
これら三国のある南コーカサス地方は、コーカサス山脈、黒海、カスピ海、イラン、トルコに囲まれた地域にあり、中央アジアと東ヨーロッパの境になります。異なる宗教を持った人種が入り混じって、紛争の火種が潜んでいます。
コーカサス三国のガイドブックといっても、地球の歩き方の「ロシア」の後ろの方に付け足し的に載せてあるだけで、旅の前に読んでも詳しいことは判りませんでした。最近では、海外といっても情報過多のきらいがあるので、現地でしっかり見ればいいやという気持ちで出かけることになりました。
選んだツアーは、以下のものでした。実は申し込んでいた10日間コースが不催行になってしまったため、少し短いコースになってしまいました。
【アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア コーカサス3ヵ国8日間】(クラブツーリズム)
2016年
6月13日(月)
成田発 22:20(QR0807)
6月14日(火)
ドーハ着 03:40
ドーハ発 06:40(QR0251)バクー着 10:25
バクー市内観光(殉教者の小路、シルバン・シャフ・ハーン宮殿、旧市街、乙女の塔
(バクー カフカズ・バクー・シティーホテル 泊)
6月15日(水)
コブスタン遺跡見学、ヘイエル・アリエフ・文化センター、拝火教寺院
バクー発 18:50(QR0253)トビリシ着 20:05
(トビリシ ホテル・アストリア・トリビシ泊)
6月16日(木)
自由広場朝の散策、ジョワリ聖堂、ムツヘタ・スヴェティツホヴェリ大聖堂
ジョージア軍用道路(アナヌリ教会、十字架峠、ツミング・サメバ教会)
(トビリシ ホテル・アストリア・トリビシ泊)
6月17日(金)
トビリシ市内観光(メテヒ教会、シナゴーグ、シオニ教会)
ジョージアからアルメニアへ
ハフパト修道院、エレバン・夜の散策(共和国広場噴水ショー)
(エレバン メトロポール・ホテル)
6月18日(土)
ホルビラップ修道院、エチミアジン大聖堂、ガルニ神殿、ゲガルト洞窟修道院、 エレバン市内観光(共和国広場、カスケード)
(エレバン メトロポール・ホテル)
6月19日(日)
セバン湖・セバン教会
アルメニアからジョージアへ
トビリシ発 21:05(QR0254)
6月20日(月)
ドーハ着 01:10
ドーハ発 02:40(QR0806)成田着 18:40
(行程表と若干異なっています。)
カタール航空のドーハ行きは、成田空港の最終便のため、家を昼に出ました。
カタール航空を利用するのは、今回が初めてです。中東、アフリカ、南ヨーロッパ方面へは、カタール航空の他にトルコ航空、エディバ航空があり、ツアー選びの際に使用航空会社も選択上の要素になります。
カタール航空のシンボルマークは、アラビアオリックスです。
出発時間は、20分早まっていました。最近は、どの航空菟会社でも1時間前に搭乗ゲート集合ということが多いので、早いにこしたことはありません。
通路側の席をとりましたが、空いていて、窓側三席を独り占めできました。
ボーイング777を利用していましたが、ひじ掛けが背もたれ側に収めきれないので横になれない、ライトがずれていてテーブルの端しか照らさないという不満がありました。一番の問題はトイレで、右側では中央と後部の二つ。左側は中央二つ後部一つの三か所の変則的な配置でした。反対側のトイレが空いていても、最後部から回り込まないと行くことができず、トイレにはいつも列ができている状態でした。、
配られたアメニティーグッズには、靴下、アイマスク、耳栓、ハズラシが入っていました。
飛び立って1時間ほど経過したところで、夕食相当の第一回目の食事。メインはチキンのソティーで、これは美味しく頂きました。ただ、食事と飲み物の選択に時間がかかって、食事が配られるのに、えらく待たされました。
また、ビールは、なぜかコープについだ一杯しかもらえませんでした。帰りの飛行機では、コップにつぐのに時間がかかっているので、缶ごともらおうとしたら拒否されて、コップ二杯をわたされました。なぜ、ビールの缶を渡そうとしないのでしょうかね。おかげで、ビールの商品名は不明のままに終わりました。
夜間飛行が続き、上海を通過してアジア大陸に入っていきました。眼下には町灯りが広がっていました。
成田からドーハへは、11時間ほどかかります。到着後すぐにはじまる観光に備えてできるだけ寝ておくことにしました。フライトマップでどこまでやってきたかを確認しながら、うつらうつらしました。
ドーハ到着1時間前に朝食。ワッフルとストロベリーのコンポートをもらいました。他には、ソーセージ、和食のお粥があったようです。早朝で食欲も無かったので、これで充分でした。
明るく輝くドバイ上空通過しました。オイルマネーによって出来上がったこの街は、砂上の楼閣という言葉が浮かんできます。
定刻にドーハに到着しました。この空港でのトランジットでは、荷物検査と空港内の移動に結構時間がかかり、乗り換えには時間の余裕をもたせる必要があります。4時前にもかかわらず、空港内は大勢の乗客で熱気を帯びていました。
この巨大な熊のぬいぐるみのある所が中央広場で、ここから各ゲートに向かうことになります。記念写真スポットになっていますが、あまり可愛くはないですね。
ブランドショップの店も並んでいました。買い物は帰りにするのが普通ですが、今回の日程では帰りの際の乗り継ぎに時間的余裕がなく、ここでの買い物はできませんでした。
空港内には、変わった形のオブジエが置かれていました。
これは子供の遊び場。この色は、石油を現しているのでしょうかね。
出発ゲートに行くのには、長い移動が必要になります。余裕があるというよりは、無駄に広いという感じです。
ドーハからアゼルバイジャンの首都のバクーに向かいます。
丁度朝日が昇ってきました。
バス移動し、地上から機内に入りました。
ドーハからバクーへは、北上してイランを横断します。
再度、朝食が出ました。ソーセージ・エッグ。そろそろお腹も空いてきたのでおいしく食べました。
イランを横断する途中、雪を頂いた山が見えていました。おそらくザクロス山脈でしょう。
バクーのヘイダル・アリエフ空港には、10時半に到着。青い塗装のアゼルバイジャン航空の飛行機が並んでいました。アゼルバイジャンからジョージアへの移動もカタール空港だったので、アゼルバイジャン航空は乗らず仕舞いでした。アゼルバイジャンのフラッグキャリアですが、今後とも乗る機会はないでしょう。
このヘイダル・アリエフ空港は改装されたばかりの新しい空港です。名前は、アゼルバイジャン前大統領のヘイダル・アリエフに由来しています。
アゼルバイジャンの入国にはビザが必要ですが、事前に旅行会社を通して申請してありました。最近、空港でとれるようになっており、他の日本人ツアーが入管手続き所で書類を書いていましたが、かなりの時間がかかったようでした。
空港を出ると30度越えの熱気が襲ってきました。6月の旅行ということで体が暑さに慣れておらず辛い状態になりました。ただ、暑さが気になったのはアゼルバイジャンだけで、後のジョージアとアルメニではむしろ寒さ対策の方が必要になりました。
バスがやってくるまで、空港のガラス窓に映る姿を見て楽しんでいました。自分を探せ。
これも、この空港のシンボル的建物のようです。
バスに乗って、バクーの市内観光に向かいました。