行ってきましたイラン
今回は、イランを見てきました。 出かける前は気安く観光ができのかと不安を覚えましたが、実際には親日的で、見所も満載で、一級品の観光対象国でした。イスラム文化に興味があるのなら、まず見学するべき国だと思いました。 この報告はこれから開始いたしますので、お楽しみに。 (写真は、エスファファーン・イマーム広場)
View Articleさすらいの風景 成田からテヘラン
パキスタンに続いてイランに出かけてきました。イランというよりもペルシャという響きに憧れを感じての旅立ちでした。 イラン8日間の旅でしたが、帰国時にドバイでの乗り継ぎができずに、1日遅れでの帰国になりました。ドバイでのホテル及び食事代はエミレーツ航空持ちであったので、そのおかげで簡単なドバイ観光もできました。 旅行日程は、以下のようなものでした。(航空機の時間は、予定のものです。)...
View Articleさすらいの風景 テヘラン その1
テヘランの観光では、まずゴレスターン宮殿を見学しました。 ゴレスターン宮殿は、ガージャール朝(1779〜1925年)の王宮として建てられました。パフラヴィー朝の時代(1925-1979)まで少しずつ建て増しされ、戴冠式など王家のレセプションの場として使用されていました。...
View Articleさすらいの風景 テヘラン その2
ゴレスターン宮殿見学の後、バザールにやってきました。入り口前の広場には、大勢の人が集まっていました。立っているだけのようで、何をしているのでしょうね。 バザールの入り口には、イスラム風のアーチが設けられていました。 中に入ると、上野アメ横並みの混雑でした。ここでは買い物はせずに見て回るだけとの説明がされましたが、ガイドについていくのでやっとでした。...
View Articleさすらいの風景 テヘラン その3
バザール見学後に昼食をとり、午後の観光としてまず宝石博物館を訪れました。 宝石博物館は、イラン国立銀行の地下にあり、人が集まっている所が入り口になります。見た感じはここが博物館かと思う地味な入り口です。チェックは厳重で、カメラやバックなどの持ち込みは禁止されており、手ぶらで入場する必要があります。...
View Article賀正
謹賀新年 明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。 今年も山と海外旅行を楽しみたいと思っています。 (パキスタン・フンザ ラカポシ7788mの夜明け)
View Articleさすらいの風景 テヘラン その4
宝石博物館に続いてイラン考古学博物館を訪れました。 イラン考古学博物館は、パフレヴィー朝時代の1935年に、ササン朝時代をイメージさせる建築様式で建てられました。紀元前6000年から19世紀に到るまでのイランの考古学的、美術的に重要な美術品が収蔵されています。 館内では時代順に展示されており、最初は紀元前6〜4世紀の土器、陶磁器、青銅器が並んでいます。 紀元前3000年頃の土器。...
View Articleさすらいの風景 テヘラン その5
テヘランの市内観光を終えてホテルに向かいました。 思っていたよりも近代的な街並みが広がっていました。 車窓から見たウェディングドレスのお店。体の線の露出度も高く、日本と変わりませんね。 テヘランの宿は、TEHERAN ENGHELAB HOTELでした。 部屋は、ところどころガタがきている所もありましたが、きれいでアメニティーグッズも揃っていました。...
View Articleさすらいの風景 シラーズ その2
エラム庭園に向かう途中、街中に大きなスイセンの飾りが置かれていました。香の強いスイセンが、シラーズの特産品になっています。 エラム庭園に入場しました。 エラム庭園は、ガージャール朝時代の1800年代に造られた庭園で、「ペルシャ式庭園」として世界遺産の構成物の一つに選ばれています。 バラ園も設けられていました。エラムとは、ペルシャ語で天国という意味です。...
View Articleさすらいの風景 シラーズ その3
エラム庭園に続いて、アリー・エブネ・ハムゼ聖廟を訪れました。 外からは、タイルで装飾されたドームの頭が見えていました。 アリー・エブネ・ハムゼ聖廟に入場すると、中庭に出ます。この聖廟では、女性は頭から全身を覆う布のチャドルを着用することが決まっています。チャドルは無料で借りることができ、女性群は、チョドルを着た姿での記念写真に興じていました。 ここのドームは、たまねぎ型の美しい姿をしています。...
View Articleさすらいの風景 シラーズ その4
アリー・エブネ・ハムゼ聖廟に続いて、サアディー廟を訪れました。 サアディーは、1290年に亡くなった抒情詩人で、70歳を過ぎてからシラーズに戻り、代表作「ゴレスターン(薔薇園)」を書き上げました。 サアディー廟は、1864年に建てられました。 廟の中には墓石が置かれていました。...
View Articleさすらいの風景 シラーズ その5
夕方近くなって、シラーズ観光の最後として街の中心地を訪れました。 キャリーム・ハーン城塞の脇でバスを下りました。キャリーム・ハーン城塞は、ザンド朝時代にキャリーム・ハーンの居城として使われていました。四隅に円塔を備えています。 この円塔は傾いてしまっています。 バザーレ・ヴァルキールに向かいましたが、古本屋なのか壁に本が並べられていました。なかなかユニークな展示です。...
View Articleさすらいの風景 ペルセポリス その1
旅の四日目は、イラン観光の最大の見どころであるペトラ遺跡の見学になります。 シラーズの街を出ると、茶色に染まった岩山が広がるようになりました。 ペルセポリスの到着直前になると、直線道路の先に遺跡が見えてきました。この直線道路は、王の道と呼ばれ、ダレイオス一世が支配地にめぐらせた道路の一部になっています。 バスを下りて、しばらく参道を歩きます。...
View Articleさすらいの風景 ペルセポリス その2
続けてアパダーナ(謁見の間)に向かいました。アパダーナ(謁見の間)は、ダレイオス1世の命によって建てられた宮殿で、属国からの使者との謁見、ノウルーズ(新年)の祭儀のために用いられました。 ここでの見どころはレリーフが良く残されている東階段で、保護のために屋根が設けられています。遺跡の景観としては違和感がありますが、保護のためとあっては仕方がありませんね。...
View Articleさすらいの風景 ペルセポリス その3
アバダーナ(謁見の間)は、屋根は失われて、12本の柱だけが残されています。かつては高さ19mの屋根を36本の柱で支えていたようです。 高い柱で、当時の壮麗さがうかがわれます。 遠くに見えている崖をめぐらせた岩山で、この遺跡の石が切り出されたようです。 アバダーナ(謁見の間)の中に巨大な双頭鷲像が見えています。 アバダーナ(謁見の間)の西側に回り込みながら見学を続けました。...
View Articleさすらいの風景 ペルセポリス その4
ペルセポリスの中心部を一周して、アパダーナ(謁見の間)の南東ににある中央宮殿(会議の間)にやってきました。 ここにも、日傘をさしかけられた貴人のレリーフが飾られていました。 ゾロアスター教のシンボル。 王座かつぎのレリーフ。 28の属州の臣民がダレイオス1世の王座を支え、王の背後にクセルクセス1世が控えています。 アパダーナ(謁見の間)の東側には、百柱の間があります。...
View Articleさすらいの風景 ナグシェ・ロスタム
ペルセポリス見学の後、ナグシェ・ロスタムに向かいました。ナグシェ・ロスタムは、ペルセポリスの北東6kmの所にある岩山に造られたアケメネス朝の王墓です。 車窓から、岩山の尾根の末端部に造られた王墓が見えてきました。 ナグシェ・ロスタムの入り口。 入ってすぐの所に高台があり、ナグシェ・ロスタムの全景を眺めることができました。 右端に、角度が少し違えてクセルクセス1世の墓。...
View Articleさすらいの風景 ヤズド その1
ヤズドでは、街外れにあるSAFAYIEH YAZDに泊まりました。長時間のバス移動で、すっかり暗くなった7時過ぎに到着し、ホテルのレストランで夕食をとって後は寝るだけになりました。 新しくできたホテルのようで、部屋もきれいでした。 朝になってから見たホテルの外観。アラブ的な造りになっていました。...
View Articleさすらいの風景 ヤズド その2
沈黙の塔の見学を終え、ヤズド市内に移動してゾロアスター寺院のアーテシュキャデを見学しました。アーテシュキャデとは「火の家」という意味で、ヤズドにいくつかあるゾロアスター神殿の中でも最も重要なものになっています。 神殿自体は、インドのゾロアスター教信徒の寄付によって賄われ1934年に建てられた新しいものです。...
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