テヘランの観光では、まずゴレスターン宮殿を見学しました。
ゴレスターン宮殿は、ガージャール朝(1779〜1925年)の王宮として建てられました。パフラヴィー朝の時代(1925-1979)まで少しずつ建て増しされ、戴冠式など王家のレセプションの場として使用されていました。
このガージャール朝の歴史は、日本の明治時代に重なりますが、西欧列強とロシアへの従属の時代でした。トルコもそうでしたが、イラン人も日本好きが多いようで、その理由の一つに日露戦争でロシアを負かしたことが挙げられるといいます。平和教育のもとで日本人自身が忘れ去ろうとしている日露戦争の勝利が、思わぬ実を結んでいます。
入り口を入ると、噴水の設けられた水路の向こうに宮殿の建物が広がっていました。ゴレスターン宮殿は世界遺産に選ばれていますが、後ろのビルがせっかくの景観を損なっています。
ズームアップして宮殿だけを写しこみましょう。
ゴレスターン宮殿の前庭には、ペルシャ式庭園がもうけられています。ゴレスターンは「花のある場所」という意味があります。
庭にいるのは、カラスとのこと。日本の真っ黒カラスと違って可愛く見えます。
宮殿内には多くの建物が設けられていました。これは民俗学博物館のようですが、残念ながら入場しませんでした。
建物の壁には、装飾タイルで美しく飾られていました。
アーチの上はしっくいのレリーフでしょうか。
装飾タイルに覆われた壁が続いていました。
ペルシャブルータイルと呼ばれることもありますが、青の美しいタイルが張られていました。
イスラムでは、写実的な絵は避けられるのが通常ですが、狩や鳥が描かれています。
ゴレスターン「花のある場所」の名前に相応しい花の絵も飾られています。
熊狩りの絵。
パターン化した模様。
バラを用いたパターン模様。
タイル模様も見学していると女学生の一団がやってきました。日本の年頃の女学生と同じようにうるさいほどに明るく、写真を撮らせてくれました。イスラムの女性というと、髪は隠さなければならないとか、体のラインを隠す服を着る必要があるなどと、閉鎖的な感じがしますが、イランで出会った女性は予想に反して親しみやすい人ばかりでした。
謁見室のある宮殿本館に向かいました。
宮殿の入り口。
謁見室や客室などを見学しましたが、残念ながら宮殿内は撮影禁止でした。
開いたドアの隙間から入り口ホールを撮影したこの写真から判るように、細かいガラスを壁や天井に張り詰めて、キラキラに輝く内装が施されていました。天井から吊るされたシャンデリアはフランスのバカラ製で、趣味はともかく豪華絢爛でした。
入り口のドアの両脇にはライオン像が置かれていました。丸い玉を踏みしめているのは、唐獅子と同じですね。
壁には、ライオンと太陽神を組み合わせた像が、数多く取り付けられていました。
ウズベキスタンでも、同様の図案が描かれていましたが、ペルシャから伝わったのでしょうね。
庭に向かって開放された部屋。
王の謁見用ホールとして使われていたのか、王座も置かれていました。
宮殿内部と同じように、このホールも小さな鏡が一面に張られていました。
天井もキラキラ。
ガラスを組み合わせて、細かい装飾も施されていましたが、ガラスの反射に目が眩むばかりでした。
宮殿脇の通りで見かけた喜捨のためのポスト。
この後、徒歩で近くのバーザールに向かいました。
ゴレスターン宮殿は、ガージャール朝(1779〜1925年)の王宮として建てられました。パフラヴィー朝の時代(1925-1979)まで少しずつ建て増しされ、戴冠式など王家のレセプションの場として使用されていました。
このガージャール朝の歴史は、日本の明治時代に重なりますが、西欧列強とロシアへの従属の時代でした。トルコもそうでしたが、イラン人も日本好きが多いようで、その理由の一つに日露戦争でロシアを負かしたことが挙げられるといいます。平和教育のもとで日本人自身が忘れ去ろうとしている日露戦争の勝利が、思わぬ実を結んでいます。
入り口を入ると、噴水の設けられた水路の向こうに宮殿の建物が広がっていました。ゴレスターン宮殿は世界遺産に選ばれていますが、後ろのビルがせっかくの景観を損なっています。
ズームアップして宮殿だけを写しこみましょう。
ゴレスターン宮殿の前庭には、ペルシャ式庭園がもうけられています。ゴレスターンは「花のある場所」という意味があります。
庭にいるのは、カラスとのこと。日本の真っ黒カラスと違って可愛く見えます。
宮殿内には多くの建物が設けられていました。これは民俗学博物館のようですが、残念ながら入場しませんでした。
建物の壁には、装飾タイルで美しく飾られていました。
アーチの上はしっくいのレリーフでしょうか。
装飾タイルに覆われた壁が続いていました。
ペルシャブルータイルと呼ばれることもありますが、青の美しいタイルが張られていました。
イスラムでは、写実的な絵は避けられるのが通常ですが、狩や鳥が描かれています。
ゴレスターン「花のある場所」の名前に相応しい花の絵も飾られています。
熊狩りの絵。
パターン化した模様。
バラを用いたパターン模様。
タイル模様も見学していると女学生の一団がやってきました。日本の年頃の女学生と同じようにうるさいほどに明るく、写真を撮らせてくれました。イスラムの女性というと、髪は隠さなければならないとか、体のラインを隠す服を着る必要があるなどと、閉鎖的な感じがしますが、イランで出会った女性は予想に反して親しみやすい人ばかりでした。
謁見室のある宮殿本館に向かいました。
宮殿の入り口。
謁見室や客室などを見学しましたが、残念ながら宮殿内は撮影禁止でした。
開いたドアの隙間から入り口ホールを撮影したこの写真から判るように、細かいガラスを壁や天井に張り詰めて、キラキラに輝く内装が施されていました。天井から吊るされたシャンデリアはフランスのバカラ製で、趣味はともかく豪華絢爛でした。
入り口のドアの両脇にはライオン像が置かれていました。丸い玉を踏みしめているのは、唐獅子と同じですね。
壁には、ライオンと太陽神を組み合わせた像が、数多く取り付けられていました。
ウズベキスタンでも、同様の図案が描かれていましたが、ペルシャから伝わったのでしょうね。
庭に向かって開放された部屋。
王の謁見用ホールとして使われていたのか、王座も置かれていました。
宮殿内部と同じように、このホールも小さな鏡が一面に張られていました。
天井もキラキラ。
ガラスを組み合わせて、細かい装飾も施されていましたが、ガラスの反射に目が眩むばかりでした。
宮殿脇の通りで見かけた喜捨のためのポスト。
この後、徒歩で近くのバーザールに向かいました。