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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 ペルセポリス その1

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旅の四日目は、イラン観光の最大の見どころであるペトラ遺跡の見学になります。

シラーズの街を出ると、茶色に染まった岩山が広がるようになりました。



ペルセポリスの到着直前になると、直線道路の先に遺跡が見えてきました。この直線道路は、王の道と呼ばれ、ダレイオス一世が支配地にめぐらせた道路の一部になっています。



バスを下りて、しばらく参道を歩きます。



観光客の団体は我々だけだったのですが、戸外学習なのか、子供たちの集団が見学に訪れていました。



ペルセポリスの入り口が良く見えるようになってきました。遺跡は、岩山の麓を削った高さ12〜14mの基壇の上に広がっており、入り口には大階段が設けられています。

ペルセポリスは、遺跡ファンの間では、ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡とともに、中東の3Pと呼ばれています。このうち、シリアのパルミラ遺跡をしばらく訪れることはできそうにないのは、残念なことです。

ペルセポリスは、紀元前520年、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世が建築に着手し、その子のクセルクス1世によって、宮殿や広場が築かれ、即位式や宗教的儀式の都になりました。

日本がまだ縄文時代の古代です。

しかし、紀元前331年に、ペルセポリスはアレクサンダー大王の攻略によって陥落し、出火によって廃墟になってしまいました。

ペルセポリスは、古代ギリシャの歴史家の著した「アレクサンドロス伝」によって広く知られるようになり、名前の由来は、「ペルシアの都」と、「都市を破壊する」を掛けた一種の言葉遊びであったとも言われています。



基壇の上には、クセルクセス門(万国の門)が聳えています。



入り口の左右に大階段が設けられています。



111段の階段は、馬でも通れるように、各ステップは低く造られています。



保護のために木製の階段が上に被せられていますが、脇にオリジナルの階段が見えています。



基壇の上から王の道を見下ろしたところ。



基壇の上に出ると、クセルクセス門(万国の門)が現れました。



クセルクセス門(万国の門)は、クセルクセス1世によって造られ、控えの間として使われていたといいます。



門の両脇には、巨大な牡牛の像が置かれています。残念ながら偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって顔が破壊されています。



円柱の高さは10mあります。



門の中の壁には落書きが見られますが、発掘に携わった歴史学者のものもあるようで、これはこれで歴史的遺物になってしまっています。



クセルクセス門の出口には、人面有翼獣神像が置かれています。



顔の部分は破壊されていますが、その他の部分は良く残されています。





この巨大な像を見ていると、当時の威容がどのようなものであったのだろうと、想像が膨らみます。



遺跡見学の途中、アバダーナ(謁見の間)から見たクセルクセス門。



クセルクセス門の先には、儀仗兵の通路が延びています。道の両脇の窪みそれぞれに、儀仗兵が立っていたようです。



儀仗兵の通路の脇に、ペルシアではホマと呼ばれているライオンの胴にワシの頭と翼を持つグリフィンの頭像が置かれています。これは、柱の頭に置かれて、中央部に横柱を載せて支えていたようです。別な場所で発掘されたものが、この場所に展示されているようです。



このホマ像は、テヘラン空港で見ましたが、イラン航空のロゴマークに用いられています。

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