ペルセポリスの中心部を一周して、アパダーナ(謁見の間)の南東ににある中央宮殿(会議の間)にやってきました。
ここにも、日傘をさしかけられた貴人のレリーフが飾られていました。
ゾロアスター教のシンボル。
王座かつぎのレリーフ。
28の属州の臣民がダレイオス1世の王座を支え、王の背後にクセルクセス1世が控えています。
アパダーナ(謁見の間)の東側には、百柱の間があります。
百の柱が並ぶペルセポリス最大の広間でした。当時は、財宝が飾られていたといいます。
牡牛の像が飾られていました。
牡牛の像が飾られた未完成の門
建設中にアレクサンダー大王に破壊されて未完成に終わりました。
柱頭であったと思われる牡牛の像が、地面に置かれていました。
これで、ペルセポリスの中心部を一周して自由時間となり、山の中腹にあるアルタクセルクセス2世王墓を目指しました。
アルタクセルクセス2世王墓への道は、踏み跡状態で、急な登りに息を切らして墓の前にたどり着きました。
ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダの前に王が立ち、その下には28人の人物像が描かれています。28の属州の臣民がかつぐ「王座かつぎのレリーフ」と共通しています。
墓は閉鎖されており、中には入ることができませんでした。
柱の上に牡牛像が置かれていました。遺跡に転がっていた双頭鷲像や牡牛像がこのように使われていたことが判ります。
墓に描かれた像には、ライオン像も見られました。
アルタクセルクセス2世王墓の前は、ペルセポリスの全景を眺めることのできる展望台になっていました。
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写真の右奥がクセルクセス門。そこから儀仗兵の通路が続き、その脇に未完成の門があります。中央の屋根が設けられているのが、アバダーナ(謁見の間)。その手前に百柱の間。アバダーナの左の奥にタチャラ(ダレイオス1世の部屋)。アバダーナの左隣に中央宮殿。左奥にハディーシュ(クセルクセス1世の宮殿)、その手前の建物は博物館。その前の山側には宝庫がありました。
宝庫にはダレイオス1世以来の王朝の財宝が保管されており、アレクサンダー大王が征服して運び出す時には、1万頭のロバと5000頭のラクダが必要だったといいます。
アルタクセルクセス2世王墓から見たクセルクセス門
未完成の門
少し下った所から見た百柱の間。
見学を終えて入り口の休憩所に戻ると、楔形文字とペルシャ文字の対応表が掲示されていました。記念の土産に、名前を皮のブレスレットに彫るというもののようです。英語のアルファベットとの対応があれば面白かったのですがね。
ペルセポリスは、期待通りの大規模な遺跡でしたが、観光バスは我々のものだけでした。ゆっくり見学できたことはうれしかったものの、イランの観光産業のためには残念なことに思いました。
ここにも、日傘をさしかけられた貴人のレリーフが飾られていました。
ゾロアスター教のシンボル。
王座かつぎのレリーフ。
28の属州の臣民がダレイオス1世の王座を支え、王の背後にクセルクセス1世が控えています。
アパダーナ(謁見の間)の東側には、百柱の間があります。
百の柱が並ぶペルセポリス最大の広間でした。当時は、財宝が飾られていたといいます。
牡牛の像が飾られていました。
牡牛の像が飾られた未完成の門
建設中にアレクサンダー大王に破壊されて未完成に終わりました。
柱頭であったと思われる牡牛の像が、地面に置かれていました。
これで、ペルセポリスの中心部を一周して自由時間となり、山の中腹にあるアルタクセルクセス2世王墓を目指しました。
アルタクセルクセス2世王墓への道は、踏み跡状態で、急な登りに息を切らして墓の前にたどり着きました。
ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダの前に王が立ち、その下には28人の人物像が描かれています。28の属州の臣民がかつぐ「王座かつぎのレリーフ」と共通しています。
墓は閉鎖されており、中には入ることができませんでした。
柱の上に牡牛像が置かれていました。遺跡に転がっていた双頭鷲像や牡牛像がこのように使われていたことが判ります。
墓に描かれた像には、ライオン像も見られました。
アルタクセルクセス2世王墓の前は、ペルセポリスの全景を眺めることのできる展望台になっていました。
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写真の右奥がクセルクセス門。そこから儀仗兵の通路が続き、その脇に未完成の門があります。中央の屋根が設けられているのが、アバダーナ(謁見の間)。その手前に百柱の間。アバダーナの左の奥にタチャラ(ダレイオス1世の部屋)。アバダーナの左隣に中央宮殿。左奥にハディーシュ(クセルクセス1世の宮殿)、その手前の建物は博物館。その前の山側には宝庫がありました。
宝庫にはダレイオス1世以来の王朝の財宝が保管されており、アレクサンダー大王が征服して運び出す時には、1万頭のロバと5000頭のラクダが必要だったといいます。
アルタクセルクセス2世王墓から見たクセルクセス門
未完成の門
少し下った所から見た百柱の間。
見学を終えて入り口の休憩所に戻ると、楔形文字とペルシャ文字の対応表が掲示されていました。記念の土産に、名前を皮のブレスレットに彫るというもののようです。英語のアルファベットとの対応があれば面白かったのですがね。
ペルセポリスは、期待通りの大規模な遺跡でしたが、観光バスは我々のものだけでした。ゆっくり見学できたことはうれしかったものの、イランの観光産業のためには残念なことに思いました。