さすらいの風景 クサラ
バールベック遺跡の見学後昼食をとり、クサラのワイナリーに向かいました。雪山や緑豊かな畑の眺めは、中東というイメージからは外れています。 モスクを見て、やはり中東であることを思い出しました。 クサラのワイナリーの前庭。 シャトー・クサラというワイナリーは、1974年まではイエズス会が管理していました。 このワイナリーは、観光客向けの見学コースが設けられています。...
View Articleさすらいの風景 ベイルート その2
第七日目は帰国日となり、ベイルートへ戻ることになりました。途中まではダル・エル・カマル村からやってきた道と同じで、霧に包まれた峠を越えるとじきにベイルートの街が見えてきました。 ベイルートの街に戻って、まず国立博物館の見学を行いました。 入館すると、石棺やモザイクが目に飛び込んできました。1919年に開館された2階建て、 地下1階の中東屈指の博物館です。...
View Articleさすらいの風景 ベイルート その3
国立博物館の1階展示物の続きです。素性の判らないものの方が多いですが。 ビブロス遺跡にあった守護神エシュムンの娘イザヤの像 そのアップ。 モザイクも多く展示されていました。 ニハ遺跡やバールベック遺跡でもゲートの要石部に似た鷲の彫刻が施されていました。 中央はアスタルテ神の玉座。 エジプト関係の出土品のようです。 円形劇場のミニチュア。 建築時にミニチュアを造って検討したのでしょうか。...
View Articleさすらいの風景 ベイルート その4
国立博物館の地階を見学しました。各時代の葬儀関係の遺物が展示されていました。 帆船とライオンの像が描かれた石棺。貿易の栄えたフェニキア時代のものでしょうか。 副葬品の土器類が展示されていました。 遺体を納めた瓶。 ネックレス。 チュニジアのカルタゴにおけるトフェ(タニト神の聖域)で見た丸と三角を組み合わせたタニトの印に似た感じがします。 フェニキア文字の描かれた石棺。 フェニキア文字のアップ。...
View Articleさすらいの風景 ベイルート その5
国立博物館の二階の展示物を見学しました。 左上は、ビブロス出土の陶器製牡牛の頭部。 この博物館での代表的展示物のひとつであるビブロスのオベリスク神殿地下から出土したブロンズ製の兵士像。 30センチに満たない小型の像ですが、たくさん並んでいるのは壮観です。 これは一回り大きな像。 1階部入り口の眺め。 小さな陶器製の像。 カバのようです。 猿かな。 ブタの頭の形のリュトン(酒器)...
View Articleさすらいの風景 ベイルート その6
国立博物館の見学を終えて外の壁を見ると、レバノン内戦の銃痕を修理した跡がみられました。 最近耳にするようになった「ダークツーリズム」の範疇に含まれるレバノン内戦の痕跡を、今回の旅でも多く見ることができました。レバノン内戦は、複雑な経過をたどりますが、以下のように要約できるかと思います。...
View Articleさすらいの風景 レバノンのネコ
世界ネコ歩き・レバノン編です。 ジェイタ洞窟入口にて。 ここには、多くのネコがいました。 レバノン杉の森にて。 聖アントニウオス修道院にて。 ベイルート・海岸遊歩道にて。 シドンの旧市街地にて。 アンジャール遺跡にて。 ニハ遺跡にて。 バールベック遺跡にて。 ベイルートにて。 やはりイスラム圏の国はネコが多いですね。
View Articleさすらいの風景 レバノンの食 その1
レバノンの食事のまとめです。 朝食はホテルでのビュッフェなので、自分の好みもあってかわり映えしないので、代表例として、シュトゥーラ・シュトゥーラパークでの朝食を載せておきます。 フランス統治時代の影響なのか、クロワッサン等のパンが美味しかったです。また、キリスト教徒の多い国のため、豚肉のハムも出されました。 以下は、昼食と夕食を載せていきます。 ジェイダ洞窟での昼食。...
View Articleさすらいの風景 レバノンの食 その2
レバノンの食のまとめの続きです。 ティール・アブディーブのホテルでの夕食。前菜。 メインの魚とエビ。 デザート。 ダル・エル・カマル村での昼食。 前菜。 前菜の揚げ物三種は定番のようですが、日本人の口にもあって、昼食にはこの前菜だけでも充分な気がします。 メインの焼肉。 デザート。アラブ世界ならでは激甘スウィーツです。 シュトゥーラ・シュトゥーラパークのホテルでの夕食。 まずはスープ。 サラダ。...
View Articleさすらいの風景 レバノン土産
レバノン土産のまとめです。 レバノン杉の森で購入したマグネット。レバノン杉の小片にレバノン国旗とフェニキアの交易船が描かれています。 国立博物館で購入した青銅製兵士のキーホルダー。 パッチのチョコレート。中東のゴディバとも呼ばれる高級チョコ。空港の売店にて。 Douaihyのアラブ菓子。これも有名なメーカーで、空港売店にて。 アラブ菓子。シュトゥーラのスーパー内の菓子店にて。...
View Articleさすらいの風景 羽田から銀川へ、蘭州からの帰国
アラブ諸国の旅が続いたため、久しぶりに中国に出かけたくなりました。シルクロードに関係した所はできるだけ訪れたいと思っており、西安と敦煌の間の空白地になっている河西回廊方面に出かけることにしました。選んだツアーは以下のものです。 「西夏王国の故地銀川と幻の黒水城、世界遺産嘉峪関と張掖丹霞 9日間」(クラブツーリズム) 2019年 第1日目 6月15日(土) 羽田発...
View Articleさすらいの風景 銀川 その1
銀川では、寧夏海天酒店に泊りました。 銀川は、イスラム教を信仰する回族の多い寧夏回族自治区の首都になっています。地方都市かと思っていましたが、かなり大きな街でした。 客室の整備は整っていました。ただ、サービスのためか、ベッドの上には飾りの紙が置かれていましたが、寝るときは片付けが必要でかえって邪魔でした。 朝になって外を眺めると、高層ビル群と再開発地区の街並みが広がっていました。 朝のホテル。...
View Articleさすらいの風景 西夏王墓 その1
旅の二日目、まず西夏王墓の見学に向かいました。西夏王墓は、銀川市内から西に25kmほどの郊外にあります。銀川の東には黄河が流れており、灌漑用水が張り巡らされています。 中国の地方都市では、一歩郊外に出ると新築された団地が並んでいます。経済発展著しいことは判りますが、一気に建てたビルが一定期間の後に老朽化して全て建て替えになることを考えると、恐ろしく感じます。...
View Articleさすらいの風景 西夏王墓 その2
歴史パノラマを展示した建物のあるエリアの庭には、西夏文字と漢字との相対表が置かれていました。 西夏文字は、漢字よりも画数が多くて、書くのも覚えるのも難しいですね。 庭には仏塔も置かれていました。 仏塔には細かい装飾が施されていました。 旗に書かれている「大白高国」とは、西夏の別名です。 漢字や西夏文字が記された碑が並ぶ中、王墓に向かいました。...
View Articleさすらいの風景 西夏王墓 その3
李元昊の三号稜を見学した後、入り口に戻って博物館を見学しました。 入口のホール。 西夏の歴史や文化がテーマごとに分かれて展示されています。 西夏を建国したタングート(党項)は、中国西南部の四川省北部・青海省などに存在したチベット系民族で、吐蕃帝国が勢力を伸ばしてきたことによって東に移住してきました。...
View Articleさすらいの風景 賀蘭山岩絵
西夏王墓の見学の後、賀蘭山岩絵の見学のために、賀蘭山脈の山裾に沿って北に向かいました。 道路脇に騎馬像が並んでいるのが見えました。 城壁の門には鎮北堡と書かれており、明代長城要塞跡のようです。この内部は、鎮北堡華夏西部影視城として、映画の撮影村になっています。...
View Articleさすらいの風景 銀川 その2
賀蘭山岩絵の見学を終えて銀川に戻ってきました。 郊外に立ち並ぶビル群の眺めに目が引き付けられました。 新興住宅地には、新しいモスクが建てられていました。 近未来的な橋。場所を無駄にとっている感じもしますが。 街中に入ると北塔清真大寺と書かれたモスクがありました。 ホテルに戻って近くのレストランでしゃぶしゃぶ(火鍋)の夕食をとり、その後は街の散策に出かけました。まずは南門へ向かいました。...
View Articleさすらいの風景 銀川 その3
三日目は、銀川で残った承天寺塔と海宝塔を見学した後に阿拉善左旗(アラシャンサキ)に移動することになりました。 まずは、承天寺塔へ。近くでバスを降りると、家並みの上に塔が見えていました。 承天寺塔は、初代皇帝李元昊が息子によって殺害された後、即位した1歳の第二代皇帝李諒祚の長寿や西夏王国の安寧ために、母親の没蔵太后によって建てられました。 承天寺塔の入り口には、獅子の像が置かれていました。...
View Articleトルクメニスタンに行ってきました
今回は中央アジアのトルクメニスタンに行ってきました。 写真は、ヤンギ・カラ 太古のカスピ海が後退してできた台地が、長い時間風雨にさらされて壮絶な浸食地形が形造られました。 旅行の報告は、中国旅行の後に。
View Articleさすらいの風景 銀川から阿拉善(アルシャー)左旗
銀川観光を終えて、阿拉善(アルシャー)左旗に向かいました。今回のツアー参加者は6名と少ないのは良かったのですが、小型バスの利用となって、いささか窮屈な思いをしました。10名ほどの参加者なら、普通の観光バスになって楽な思いができるのですが。 前日に西夏王陵や賀蘭岩絵見学のために通った道を再びたどった後に、高速道路に乗りました。 阿拉善(アルシャー)左旗へは賀蘭山脈を越えることになります。...
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