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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 ベイルート その2

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第七日目は帰国日となり、ベイルートへ戻ることになりました。途中まではダル・エル・カマル村からやってきた道と同じで、霧に包まれた峠を越えるとじきにベイルートの街が見えてきました。



ベイルートの街に戻って、まず国立博物館の見学を行いました。



入館すると、石棺やモザイクが目に飛び込んできました。1919年に開館された2階建て、
地下1階の中東屈指の博物館です。



国立博物館は、レバノン内戦では市街戦の行われたダウンタウンの中心にあります。いかにして収蔵物を守ったかの苦難の歴史のビデオの上映をまず見ることになりました。

大きな石棺は移動できないため、コンクリートで固めてしまって守ったといいます。土煙を上げているのは、博物館の再開のために被せたコンクリートをはがしている場面です。



ビデオの撮影はあまりうまくできなかったので、博物館で買った解説書の写真を載せておきます。



入り口に展示されていたギリシャ賢人のモザイク。保存状態も良く見事です。



モザイク中央部。7賢人とソクラテスという説もあるようです。



展示物としては、浮彫の施された石棺が目立っています。



ギリシャ神話のトロイヤ戦争あたりを描いたものでしょうか。



この石棺には、トロイア戦争の場面が描かれています。



左には、アカイアの英雄アキレウスが、一騎打ちによってトロイアの勇将ヘクトールを打ち倒し、殺害後も馬で引きずり廻して遺体を辱め続けるといった場面が描かれています。



右には、父であるプリアモス王が嘆き哀しんでいる場面が描かれています。この後にアキレウスの陣まで出向いてヘクトールの遺体を引き取ることになり、ホメーロスの作った「イーリアス」は、ヘクトールの葬儀の記述で終わっています。

浮彫もすばらしく、題材もいかにもヨーロッパ人が好みそうで、よくぞフランスに持ち去られなかったと思います。場合によっては、ルーブル美術館に展示されていたかもしれませんね。



この石棺にも戦いの場面が描かれています。



階段の両脇に置かれていた女性像。





ビザンチン時代のモザイクで、嫉妬に関する格言が刻まれているようです。



遺跡から出てきたレバノン杉。



ティール遺跡のネクロポリスから発掘された石棺。子供の像が刻まれています。



ビブロスのアヒラム王の石棺(紀元前10世紀)



横からの眺め。



グリフォンのような神獣にお供え物をしている像が描かれています。



石棺の蓋にはフェニキア文字の碑文が彫り込まれています。この碑文はアヒラムの墓碑銘と呼ばれ最古のフェニキア文字として知られています。

フェニキア文字は、最古の文字の一つで、アラム文字を経て現代のアラビア文字とヘブライ文字、ギリシア文字を経てアルファベットが生まれました。



エシュムーン神殿から出土の石棺(紀元前350年)上段には芸術、治療の神アポロンを中心にオリンポス12神、下段にはダンサーや楽士が描かれています。







「エウロペの誘拐」のモザイク。白い牡牛に変身したゼウスが、エウロペを背に乗せてさらってしまうという場面です。



エシュムーン神殿から出土した子供の像。子供の癒しの神エシュムーンへの供え物と考えられています。







ペルシャ時代の柱頭飾り。



内戦時に受けたと思われる焦げた跡が見られます。





アレキサンダー大王のモザイク。



子供の像にアレキサンダーと書かれています。

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