さすらいの風景 チュニス その4
ダール・エッサラヤでの夕食を終えて外に出ると、すっかり暗くなっていました。 メディナ内の人通りも少なくなっていました。 チュニスでも凝ったドアを見ることができました。 来た道を戻るのではなく、西のカスパ広場に抜けてからバスに乗ってホテルに戻りました。 ホテルに戻ったところで、ハビブ・ブルギバ通りはまだ人が多かったので、夜の街をもうひと歩きしました。 まずは、東の時計台方向へ。...
View Articleさすらいの風景 ブラ・レジア遺跡 その1
第七日目は、チュニジア北部のブラ・レジア遺跡とドゥガ遺跡の見学を行いました。まず、ブラ・レジア遺跡目指して西に向かって高速道を走りました。 チュニジア北部は、地中海気候で年間を通じて穏やかな気候のため、ローマ時代は帝国の重要な食料庫になっていました。 緩やかに起伏する丘陵を黄色の花が埋め尽くしていました。 ブラ・レジア遺跡に到着。...
View Articleさすらいの風景 ブラ・レジア遺跡 その2
浴場の見学に続いて、遺跡の北側に進みました。 野原の中に穴が開いていました。 これは、7世紀のビザンチン時代が大量に見つかったことから宝物の家と呼ばれます。 ブラ・レジアでは、暑い季節に涼しい環境を求めるため地下に居住空間を設けました。宝物の家では、三つの部屋と廊下が設けられています。 宝物の家は、地下には下りられないので、上からのぞき込むことになりました。 床にはモザイクが敷かれていました。...
View Articleさすらいの風景 ブラ・レジア遺跡 その3
新狩猟の家の隣にもモザイクが残されていました。ガイドの説明はありませんでしたが、漁業の家のようです。 船が描かれています。 魚も描かれています。 続けてアンフィトリテの家へ。 地下の部屋へと下ります。 このモザイク画が女主人のアンフィトリテとのこと。目とイヤリングに使われた貴石は盗まれてしまったようです。 そして、プラレジ一の美しさを誇る「トリトンとアフロディーテ」のモザイク。...
View Articleさすらいの風景 ドゥッガ遺跡 その1
ブラ・レジア遺跡に続いてドゥッガ遺跡に向かいました。ドゥッガ遺跡からは、南の内陸部に進むことになります。 車窓からは、一面に広がる小麦畑を眺めることになりました。ヨ^ロッパの田園風景を見るような雰囲気です。 丘に上がって展望が広がった所で、写真ストップになりました。斜面一面にオリーブ畑が広がっていました。 道路脇の草地には、一面のお花畑になっていました。 見知らぬ野の花に目が引き付けられます。...
View Articleさすらいの風景 ドゥッガ遺跡 その2
劇場から出て中心地のキャピタルに向かいました。 遺跡の広がっている原は、野の花で飾られていました。 お花畑の見学だけでも訪れる価値がありました。 都市の中心地であるキャピタルが近づいてきました。 キャピタル手前には、風の広場があります。 この広場の名前は、西寄りの舗石に円陣に囲まれて12種類の風の名前が記されていることに由来します。 このような名前が記されています。...
View Articleさすらいの風景 ドゥッガ遺跡 その3
奴隷市場の東側には、ローマ人の住居跡が広がっていました。 メイン・ス・トリート沿いには多くの建物が並んでいました。 リキニアの浴場に向かいます。 壁の隙間から見たリビコ・プュニック廟。 リキニアの大浴場。冬季の浴場として使われて、温浴室や熱浴室が整備されていました。 リキニアの浴場では、壁や柱が良く残されていました。 床のモザイクも残されていました。 残されていた彫刻。...
View Articleさすらいの風景 チュニス その5
チュニジア滞在の最終日、チュニスのメディナの案内が済んでいたことで、昼前まで自由時間となりました。 まず、中央市場の見学に向かいました。市民劇場の脇からカルタゴ通りに入りました。ここには路面電車が通っています。 カルタゴ通りはバルセロナ広場に突き当たります。広場の向こうに見えるのはチュニス鉄道駅。 西に向かいます。 中央市場の入口。ちょっと地味な造りです。...
View Articleさすらいの風景 チュニス その6
中央市場を出てメディナに向かいました。入口のバーブ・ブハル(フランス門)に到着。 入口のビクトワール広場からは幾つかの通りが始まっています。 まずは、カスバ通りへ。土産物屋が並んでいました。 土産物屋は店開きの準備中であったので、広場に引き返しました。 南のRoe Sidi Bou Mendjiに進んでみました。 この通りは、地元民向けの雑貨や靴などの生活用品が売られていました。...
View Articleチュニジアのネコ その1
一般にイスラム教の国ではネコは大事にされているようですが、その中でもチュニジアは最高密度でいたる所でネコに出会いました。 チュニスの水道橋下の緑地にて。 カイラワーンの夜のメディナにて。人は少なくなっていましたが、ネコが悠々と歩いていました。 カイラワーンのホテルの前庭にて。 カイラワーンの朝のメディナにて。 カイラワーンのシディ・サハブ霊廟にて。 奥から子猫が出てきました。 若干の模様違い。...
View Articleチュニジアのネコ その2
ネコ写真の続きです。 エルジェム円形闘技場にて。 スースにて。 人通りの多い土産物屋の軒下で休むネコ。 おねだりネコ。この後、食べ物をもらうことができました。 スースのホテルの中庭。 朝食が始まると、エサをもらえるかと出口で待機していました。 スースにて。 スースのリバトの中庭で出会ったネコ家族。 ビスケットをあげると子供たちは食べました。 奥からもう一匹が現れて、子猫は4四匹になりました。...
View Articleさすらいの風景 チュニジアの食
チュニジアの食のまとめです。 カイラワーン ラ・カスパでの朝食。 まず朝食。いつものことではありますが、ビュッフェスタイルでは自分の好きなものだけをとるため、あまり変わりばえはありません。 スース ディアル・エル・アナダルースでの朝食。 イスラム教の国では豚肉を食べないので、ソーセージは他の肉を使っていてあまり美味しくないのは残念です。 チュニス...
View Articleさすらいの風景 チュニジア土産
チュニジア土産のまとめです。 砂漠のバラ。各所の土産物屋で売っており、これはネフタとショット・エル・ジェリドで買いました。重さを考えて、あまり大きいものは買えませんでした。小さいのはおまけにもらったもの。 モザイク。エル・ジェムの円形闘技場脇の売店にて。 玄関マット用に小さな絨毯。カイラワーンにて。 砂絵。マトマタ にて。 アラブ風のポットとお盆。チュニスのメディナにて。...
View Articleさすらいの風景 成田からウランバートル
モンゴルは日本から近いにもかかわらず、観光で訪れる人は少ないと思います。モンゴル観光では、ウランバートルでのホテル泊を除いて、数人でのゲル泊になるのが普通で、これはできたら避けたい。6月中は一人部屋として泊まれるツアーがあったので、これに参加しました。...
View Articleさすらいの風景 ウランバートル その1
日本の出発が昼過ぎであったため、フライト時間はそう長くはないにもかかわらず、空港を出てウランバートル市内に向かう時には薄暗くなり始めていました。 団地風の味気ない建物の間に歴史を感じさせる建物が点在していました。 道路は渋滞していました。...
View Articleさすらいの風景 ウランバートル その2
スフバートル広場に続いて、日本人墓地跡に向かいました。 日本人墓地跡は、ウアンバートル中心部から北東約15kmの距離にあります。民家が郊外にまで広がってきていました。遊牧民の伝統を今でも残しているようで、庭にゲルが設けられているのを良く見かけました。 日本人墓地跡は丘の上にあり、現在は慰霊碑が設けられています。 慰霊碑へと階段が続いていました。 階段下の脇に小さな資料室が設けられていました。...
View Articleさすらいの風景 バヤンノール
昼食後、野鳥観察のためにウランバートルを離れて西に位置するバヤンノールに向かいました。 郊外に出ると長い貨物列車が走っていました。鉄道はウランバートルを中心に南北に延びており、北に向かえばロシア、南に向かえば中国に通じており、国際列車も運行されているようです。ただ、軌道幅はロシアとは同じですが、中国とは違っているためゲージ変更が必要になります。...
View Articleさすらいの風景 ホスタイ国立公園
ウギー湖の立ち入り禁止に伴って宿泊地も大幅な変更になり、当初予定にはなかったホスタイのモルツォグエルスツーリストキャンプに泊まることになりました。 まずは、チェックインし、割り当てのゲルに入りました。荷物を放り込んだだけで、ホスタイ国立公園に出かけました。...
View Articleさすらいの風景 カラコルム(ハラホリン) その1
三日目は、ホスタイを出発して、カラコルムを経てツェンケル温泉に向かうことになりました。 再び西に向かって移動することになりました。途中で、ブルドを通過すると、観光用のラクダが現れました。 ブルド付近には、エルスト・タサルハイ(砂の飛び地)と呼ばれる、ここだけに限局した砂丘が広がっています。 観光客がラクダに乗っていました。 特徴的な岩山の下にツーリストキャンプが設けられていました。...
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