さすらいの風景 ヒヴァ その7
ヒヴァのイチャン・カラ(内城)の見学を終え、夕食をとりに郊外のクブラ・トザ・ボグ宮殿で訪れました。 クブラ・トザ・ボグ宮殿は、19世紀後半から20世紀前半に建てられた、最後のハンまで使用された夏の宮殿です。厚い城壁に囲まれています。 入場の時は結婚式の宴会が行われており、裏口から入りましたが、退場の際の写真を並べなおします。 ブドウ棚の奥に入り口があります。 中庭には池が設けられていました。...
View Articleさすらいの風景 ブハラ その1
ヒヴァの観光を終えてウルゲンチからブハラへ飛行機で移動しました。ツアーによっては、ヒヴァからブハラへ、キジルムク砂漠をバスで移動するものもありますが、8時間ほどかかります。飛行機ならば、1時間40分のフライトですみます。 ブハラのホテルは、「ブハラパレス」でした。建物は結構立派ですが、室内など老朽化しているところもあります。...
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バラハウズ・モスクを見下ろすようにアルク城が広がっています。 アルク城は、ブハラ発祥の地で、最初に造られたのは2000年以上前になります。モンゴル来襲の際には、立てこもった多くの住民が虐殺され城も破壊されましたが、後に再建されました。その後も破壊と再建を繰り返し、現在のものは18世紀に建てられたものです。1920年にソ連に攻略されて滅亡するまで、歴代のブハラ・ハンの居城でした。...
View Articleさすらいの風景 ブハラ その3
アルク城の下に広がるレギスタン広場に立つと、青いドームやミナレットが見えてきました。 旧市街の中心地に向かって歩いてきます。 通りに面して、屋根つきの通路が設けてあります。雪国新潟の街では、雪が積もっても店の前の屋根付き通路を自由に歩けるようにするため、雁木造りと呼ばれる建築形式が発達しましたが、ここは日除けが目的でしょうか。 青いドームは、文字の模様で飾られています。...
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カラーン・モスクの見学を終えて旧市街地を東に向かうと、タキ・ザルガロンが現れました。 タキとは、大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールです。 kara-nn 16世紀当初のタキは専門色が強く、宝石商市場、帽子市場、両替屋のバザールが発達しました。 このタキ・ザルガロンは、宝石商市場でした。 現在では、タキ内には土産物屋が並んでいます。これは、スザニの店。...
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アブドゥールアジス・ハン・メドレセの見学を終えて通りを歩いていくと、タキ・テルパクフルパクシャンに出ました。 タキ・テルパクフルパクシャンは、かつては帽子市場でしたが、ここも土産物屋が並んでいます。 アゴキ・アッタリ・モスク。...
View Articleさすらいの風景 ブハラ その6
ラビハウズ周辺の見学を終えてバスに戻り、チョル・ミナルに向かいました。 旧市街地の路地を歩いていくと、チョル・ミナルが現れました。 チョル・ミナルとは、四本のミナレットという意味です。 1807年にトルクメニスタン人の大富豪によって、メドレセの門番小屋として建てられました。メドレセは無くなっていますが、この建物だけが残されています。...
View Articleさすらいの風景 ブハラ その7
ブハラの夕食は、民族舞踊ショーを見ながらのものになりました。会場は、宿泊ホテルの隣のグランド・ブハラでした。 食事の間にショーが続いたので、いそがしい撮影になりました。 まずは、民族服を着た女性の踊り。 一曲終わると、創作民族衣装のモデルが登場しました。 この後は、踊りとファッションショーが交互に繰り返されることになりました。 ちなみに、この夕食のメインは、焼きうどん風のラグマンでした。...
View Articleさすらいの風景 シャフリサーブス その1
旅の五日目は、ブハラからシャフリサーブス経由でサマルカンドへ移動することになりました。今回の旅では、一番長時間の移動になりました。まずは、シャフリサーブスまで4時間の移動。 道は、「ステップ」と呼ばれる乾燥した原野の中に続いていました。...
View Articleミュシャ展
東京と違って、展覧会開催状況には不満足なところもある新潟ですが、それでも時々は興味深いものが開催されます。 ミュシャ展が2013年6月1日から8月11日の期間、新潟県立万代島美術館で開催されているので、見学してきました。 東京、新潟、松山、仙台、札幌で開催されるとのことですが、金曜の午後の新潟会場では、絵に向き合うのに不自由しない空いた状態でした。...
View Articleさすらいの風景 サマルカンド その4
ジョブ・バザールに続いて、シャーヒズィング廟群を訪れました。 ティムール縁りの人々の霊廟が、丘の上に向かって一直線に並んでいます。...
View Articleさすらいの風景 サマルカンド その5
シャーヒズィング廟群の参道の最奥部です。正面はフッジャ・アフマッド廟で、1350年に造られた二番目に古い廟です。他の廟の原型になっています。 奥に向かって右にあるのは、クサム・イブン・アッバース廟です。11世紀に造られ、モンゴル来襲の際にも壊されず、サマルカンドで最も古い建造物になっています。 クサム・イブン・アッバース廟内部の天井装飾。 美しい装飾が施されていました。...
View Articleさすらいの風景 サマルカンド その7
サマルカンドの観光の締めくくりは、真打登場よろしくレギスタン広場になりました。 ウズベキスタンというと馴染みのない国ですが、このレギスタン広場の写真に魅せられて旅に出ることになりました。...
View Articleさすらいの風景 サマルカンド その8
レギスタン広場のシェルドル・メドレセに続いて、ティラカリ・メドレセを見学しました。ティムール帝国の跡を継いだウズベク族のシャイバニ朝の時代の1660年に建てられました こちらの壁模様は、アラベスクやアラビア文字からなって、イスラムの伝統に従ったものになっています。 このメドレセは、ドームが左寄りにあって、左右対称性が崩れていますが、全体としての均整はとれています。...
View Articleさすらいの風景 シルクロード・エクスプレス
ウズベキスタン滞在の最終日は、サマルカンドからタシケントへ列車で移動し、夜の飛行機で日本へ戻ることになりました。 サマルカンド駅は、ホテルからそう遠くない、新市街地の北西のはずれにありました。 駅構内は撮影禁止のため、写真は外観のみ。 駅の中は、タシケント行きの同じ列車を待つ観光客がいるだけでガランとしていました。カオス状態の中国の駅とは大違いです。地元民は、主にバスを利用しているようです。...
View Articleさすらいの風景 タシケント その6
ウズベキスタンの旅の始まりのタシケントに戻ってきました。 タシケントは、さすがに首都だけあって、他の街よりは開けていました。久しぶりにキリスト教の教会を見ました。ソ連邦時代に造られたロシア正教の教会でしょう。結構立派な建物です。 最後に、タシケント観光で残されたバラク・ハン・メドレセを見学しました。 公園のような緑地の中に、メドレセの建物が並んでいました。...
View Articleさすらいの風景 ウズベキスタンの食 その1
ウズベキスタン旅行中の食事です。 まずは朝食。ビュッフェスタイルがほとんどでしたが、自分でとるとなると変わり映えがしませんね。 これは、サマルカンドのホテルの朝食。ここでは、人数分だけテーブルセットされました。チーズやハムが出されていました。 それに加えて、ソーセージと目玉焼きが出てきました。タコ・ウィンナーのように切れ目を入れて焼いてあるものは、海外では初めての経験です。...
View Articleさすらいの風景 ウズベキスタンの食 その2
ウズベキスタンの食事の続きです。 シャフリサーブスでの昼食。テーブルクロスはウズベキスタン伝統のアトラス模様で、青い食器はウズベキスタンで一般的に使われていました。 豆スープ。 肉ジャガ風のディムラマ。 サマルカンドの昼食。 ウズベキスタン料理を代表するブロフ。戸外で、大鍋で作っていました。...
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