チュニスを出発して、この日の宿のカイラワーンに向かいました。カイラワーンは、チュニスの南165kmの位置にあります。
なお、カイラワーンの日本語表記は、ケロアン、カイルアン、ケルアンなどと定まっていません。
チュニスの郊外に出て高速道路に乗ると、放牧地が広がるようになりました。
一般道に入ると道路脇の店も良く見えるようになりました。オレンジやイチゴなどが売られていました。
レストランの前に血のついた毛皮が吊るされていました。
ここでは、肉が吊る下げられていました。この後の旅行中には、羊の頭が吊るされていることもありました。
これらは、屠殺したての新鮮な肉があるという印とのことです。
チュニスからは2時間強のドライブでカイラワーンに到着しました。
街の入口を示すモニュメントのようです。
カイラワーンのメディナ(旧市街地)は、高さ8m、厚さ2mの城壁で囲まれています。チュニジア第4の都市ということですが、規模は東西1.3km、南北1.7kmの小さな街です。
塔はグランド・モスクのもの。翌日見学することになります。
カイラワーンでは、ラ・カスパに泊まりました。旧メディナの一角にあり、城壁から張り出した城塞部を利用したホテルです。日本からのツアーでも良く利用するホテルのようです。
中庭には、プールが設けられていました。壁の奥にはメディナ内の建物が見えていました。
泊まった部屋。壁がタイルで飾られておりイスラム的です。
バスルームもタイルで飾られていました。
部屋からの中庭の眺め。
イスラムの国のホテルなら有るはずのメッカの方向を示すキプラシールを探しました。天井や壁を探したのですが、結局、枕もとの電話を置いたテーブルに張ってありました。今までで初めての場所でした。
キプラシールの拡大。
夕食後にホテル内の夜景を撮影しました。ホテル入口。
夜のプール。
入口のホール方向。
中庭の片隅に、判り難いのですが、建設当時の建物を使ったカフェがありました。
石造りの建物で、少し薄暗く穴倉といった感じです。
脇道に進むと、小さな中庭がありました。噴水もあって、イスラムムード満点です。
客用に小さな小部屋が設けられています。
ここからメディナへへ出ることができるのかと思ったのですが、出口は無いので引き返しました。
なお、カイラワーンの日本語表記は、ケロアン、カイルアン、ケルアンなどと定まっていません。
チュニスの郊外に出て高速道路に乗ると、放牧地が広がるようになりました。
一般道に入ると道路脇の店も良く見えるようになりました。オレンジやイチゴなどが売られていました。
レストランの前に血のついた毛皮が吊るされていました。
ここでは、肉が吊る下げられていました。この後の旅行中には、羊の頭が吊るされていることもありました。
これらは、屠殺したての新鮮な肉があるという印とのことです。
チュニスからは2時間強のドライブでカイラワーンに到着しました。
街の入口を示すモニュメントのようです。
カイラワーンのメディナ(旧市街地)は、高さ8m、厚さ2mの城壁で囲まれています。チュニジア第4の都市ということですが、規模は東西1.3km、南北1.7kmの小さな街です。
塔はグランド・モスクのもの。翌日見学することになります。
カイラワーンでは、ラ・カスパに泊まりました。旧メディナの一角にあり、城壁から張り出した城塞部を利用したホテルです。日本からのツアーでも良く利用するホテルのようです。
中庭には、プールが設けられていました。壁の奥にはメディナ内の建物が見えていました。
泊まった部屋。壁がタイルで飾られておりイスラム的です。
バスルームもタイルで飾られていました。
部屋からの中庭の眺め。
イスラムの国のホテルなら有るはずのメッカの方向を示すキプラシールを探しました。天井や壁を探したのですが、結局、枕もとの電話を置いたテーブルに張ってありました。今までで初めての場所でした。
キプラシールの拡大。
夕食後にホテル内の夜景を撮影しました。ホテル入口。
夜のプール。
入口のホール方向。
中庭の片隅に、判り難いのですが、建設当時の建物を使ったカフェがありました。
石造りの建物で、少し薄暗く穴倉といった感じです。
脇道に進むと、小さな中庭がありました。噴水もあって、イスラムムード満点です。
客用に小さな小部屋が設けられています。
ここからメディナへへ出ることができるのかと思ったのですが、出口は無いので引き返しました。