旅の第7日目、フンザでの滞在を終え、再びカラコルム・ハイウェイのバス移動を再開しました。
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ウルタル?峰(左)とウルタル?峰が見送るように紺色の空に聳えていました。
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移動するうちにフンザピークやレディースフィンガーも姿を見せて、車窓から目を離せなくなりました。
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フンザピークを背景に、岩山のアルティット・フォートが姿を現しました。
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それほど走らないうちに、バスストップになって、岩絵の見学になりました。
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ここの岩絵は、アイベックスなどの動物が主です。
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岩絵よりも、山の姿に目が引かれます。
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フンザから先のカラコルム・ハイウェイは、途中土砂崩れで迂回路が設けられている場所は別にして、良く整備された舗装道路が続きました。中国からの資金や建設業者が入っているためのようですが、労働者のパキスタン人をこき使うため、評判は悪いようです。
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再びバスに乗って走り出すと、レディースフィンガーの全容を眺められるようになりました。
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カラコルム・ハイウェイの行方にも、新しい山が現れてきました。
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おそらく トリボール7733m(右)とモミヒル・サール7343m(左)だろうと思います。
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モミヒル・サール7343mの鋭鋒。
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レディースフィンガーともお別れ。
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カリマバードの山として、最後にウルタル?峰が、険しい山頂を表してきました。
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ウルタル?峰の姿は、カリマバードからでは下から見上げることになってしまうため、少し離れた所から見る必要があるようです。山頂は、垂直の大岩壁に囲まれています。
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ウルタル?峰は、長谷川恒夫が亡くなった山として知られています。佐瀬稔著 「長谷川恒男虚空の登攀者」に著されていますが、今回この本が手に入らなかったため、同じ著者による「残された山靴:志なかばで逝った8人の登山家の最期」を参照しました。この本には、長谷川恒夫が亡くなった後のウルタル?峰の初登頂を目指した者の敗退と成功が描かれています。
長谷川恒夫は、アルプス三大北壁の冬期単独登攀に世界で初めて成功し、栄光の人になります。しかし、ヒマラヤに転身してからは、運に見放されて敗退の連続になります。
長谷川恒夫は、1990年にウルタル?峰へのアタックを行うも失敗。翌1991年の再挑戦で、雪崩によって亡くなってしまいます。
当時、8000m峰は全て繰り返し登られ、未踏の高峰は、第一位ナムチャバルワ(7782m 1992年に初登頂)、第二位ブータンのガンケール・ブンズム(?峰7541m)、ウルタル?峰(73388m)は第三位の高さを持っていました。ブータンのガンケール・ブンズムは、政府によって登山が禁止されていたため、ナムチャバルワが登られた後は、ウルタル?峰は事実上登山家に残された地上最高の未踏峰になりました。
長谷川恒夫亡き後も、この未踏峰をめざして、日本人隊も含む各国の登山隊が挑戦しましたが、死者を出すも登頂はかないませんでした。ウルタル?峰の初登頂は、1996年の松岡・山崎(下山後に死亡)隊によってようやく成し遂げられました。
このウルタル?峰の初登頂によって、登山家の関心は「最も高い未踏峰」から「無酸素・バリエーション・単独」へ移っていくことになりました。その点からも、ウルタル?峰は、興味深い山ということになります。
晴天に恵まれてフンザの山の眺めを堪能することに満足し、カラコルム・ハイウェイを先に進みました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/78/8d5af8a09d504c57e24091b78d47864f.jpg)
ウルタル?峰(左)とウルタル?峰が見送るように紺色の空に聳えていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ca/772b4ef98a98d16962d95a2b6dcdde84.jpg)
移動するうちにフンザピークやレディースフィンガーも姿を見せて、車窓から目を離せなくなりました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/78/8a21fa24cdce97095070f6223bdbda1e.jpg)
フンザピークを背景に、岩山のアルティット・フォートが姿を現しました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/08/4adef45077789ec2bb1b52b4acbf6675.jpg)
それほど走らないうちに、バスストップになって、岩絵の見学になりました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/dc/70551b5b8793875406419b00991a5ee3.jpg)
ここの岩絵は、アイベックスなどの動物が主です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/27/3229d943447e6fc03e1f4241463abaea.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/3c/91003f1ab0f0ee2541db64c0f9c63d35.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/25/d797627f0f6cfdce5b282dcb4e3e3745.jpg)
岩絵よりも、山の姿に目が引かれます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/af/e554a48ed1c5afd69dd1549bff9034db.jpg)
フンザから先のカラコルム・ハイウェイは、途中土砂崩れで迂回路が設けられている場所は別にして、良く整備された舗装道路が続きました。中国からの資金や建設業者が入っているためのようですが、労働者のパキスタン人をこき使うため、評判は悪いようです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/03/33c3b59c9720e0243c547507b246c40d.jpg)
再びバスに乗って走り出すと、レディースフィンガーの全容を眺められるようになりました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/5b/d37d2d93ff0361c908369a1ff15877aa.jpg)
カラコルム・ハイウェイの行方にも、新しい山が現れてきました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/88/305e9d8d72359ed8a38a16b7163ab430.jpg)
おそらく トリボール7733m(右)とモミヒル・サール7343m(左)だろうと思います。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/dc/0dd26373beb8980be94b69c6bb5dad21.jpg)
モミヒル・サール7343mの鋭鋒。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/c7/412487042d95e011e1eef784b835afb3.jpg)
レディースフィンガーともお別れ。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/62/275caf058a3fee1b138bf6544ef4d6fa.jpg)
カリマバードの山として、最後にウルタル?峰が、険しい山頂を表してきました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a8/0fc9b1e2642fa38cca552d0a2d50e35e.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a0/6b76c79b129bd34cbfe1418952bad815.jpg)
ウルタル?峰の姿は、カリマバードからでは下から見上げることになってしまうため、少し離れた所から見る必要があるようです。山頂は、垂直の大岩壁に囲まれています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f3/acf685d7e43c00741f925903ea270a4c.jpg)
ウルタル?峰は、長谷川恒夫が亡くなった山として知られています。佐瀬稔著 「長谷川恒男虚空の登攀者」に著されていますが、今回この本が手に入らなかったため、同じ著者による「残された山靴:志なかばで逝った8人の登山家の最期」を参照しました。この本には、長谷川恒夫が亡くなった後のウルタル?峰の初登頂を目指した者の敗退と成功が描かれています。
長谷川恒夫は、アルプス三大北壁の冬期単独登攀に世界で初めて成功し、栄光の人になります。しかし、ヒマラヤに転身してからは、運に見放されて敗退の連続になります。
長谷川恒夫は、1990年にウルタル?峰へのアタックを行うも失敗。翌1991年の再挑戦で、雪崩によって亡くなってしまいます。
当時、8000m峰は全て繰り返し登られ、未踏の高峰は、第一位ナムチャバルワ(7782m 1992年に初登頂)、第二位ブータンのガンケール・ブンズム(?峰7541m)、ウルタル?峰(73388m)は第三位の高さを持っていました。ブータンのガンケール・ブンズムは、政府によって登山が禁止されていたため、ナムチャバルワが登られた後は、ウルタル?峰は事実上登山家に残された地上最高の未踏峰になりました。
長谷川恒夫亡き後も、この未踏峰をめざして、日本人隊も含む各国の登山隊が挑戦しましたが、死者を出すも登頂はかないませんでした。ウルタル?峰の初登頂は、1996年の松岡・山崎(下山後に死亡)隊によってようやく成し遂げられました。
このウルタル?峰の初登頂によって、登山家の関心は「最も高い未踏峰」から「無酸素・バリエーション・単独」へ移っていくことになりました。その点からも、ウルタル?峰は、興味深い山ということになります。
晴天に恵まれてフンザの山の眺めを堪能することに満足し、カラコルム・ハイウェイを先に進みました。