ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクールの見学を終えてからは、カリマバードの上に聳えるバルティック・フォートの見学を行いました。
バザールに戻り、坂道を登っていきます。
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息を切らして急坂を登っていくと、バルティック・フォートが見えてきました。
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バルティック・フォートは、フンザのミール(藩主)の居城として長年にわたって用いられてきたものです。近年は荒廃していましたが、イスマイール派の最高指導者のアーガー・ハーンの援助によって1990年から6年の歳月を経て修復されました。
チベット王国の一部であったバルティスタンから嫁いだ王女が、大工や石職人を従えてきて改築・装飾を行ったので、チベット建築の影響が見られます。
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バルティック・フォートの基部には石垣がめぐらされて要塞化されています。
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背後にはウルタルの山が聳えています。
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髭が特徴的な警備員。この人は、ガイドブックにも写真が載っています。
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狭い階段を上がって内部に入りました。なお、バルティック・フォートは入場料が必要ですが、その他に内部の写真撮影には別料金を支払う必要があります。
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薄暗い牢獄を見下ろすことができました。
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薄暗い廊下が階段上のホールの周りに続いていました。
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ミール(藩主)の衣装が展示されていました。
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絨緞が敷き詰められており、寝室のようです。
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食堂。
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明かり取りと排煙のための天窓。板をずらして何枚も重ねて造った天窓は、中央アジア西部が発祥といわれており、フンザの建築の特徴になっています。
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階上のテラスに出ました。ベンチの置かれた東屋が設けられていました。
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壁には、アイベックスの頭蓋骨が飾られていました。
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テラスからは、フンザの谷を見渡すことができました。フンザは、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」のモデルになったといいます。この眺めを見ると、風と共に飛びたくなりますね。
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テラスの背後には、ウルタルを見上げることができます。
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ウルタルの谷を見下ろすことができます。この谷は、カラコルム山系の20万分の1地図には、Death Valleyと併記されます。これは、長年にわたる水道工事中に、落石や雪崩によって何十人もの死者が出たため、そのような名前が付けられたようです。現在は、カリマバードの水源として、生命の谷になっています。
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長谷川恒夫が亡くなったウルタル?峰を見上げることができました。7000m峰をあまりに近くから見上げているため、スケール感が失われています。
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屋上にも部屋が設けられていました。ミール(藩主)の写真が飾られていました。
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居間。
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階下の部屋とは違い、ガラス窓が設けられて開放的な造りです。
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飾りが設けられた柱が、風景にアクセントを付けています。
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窓に色ガラスがはめられた小部屋が設けられていました。
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調理器具の他に、赤ん坊の揺り籠が置かれていました。
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客間として用いられていたらしい大広間。
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楽器が飾られていました。
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内部の見学を終えて外に出て、フンザの谷の眺めを楽しみました。
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最後にバルティック・フォートを見上げて別れを告げ、坂を下りました。
バザールに戻り、坂道を登っていきます。

息を切らして急坂を登っていくと、バルティック・フォートが見えてきました。

バルティック・フォートは、フンザのミール(藩主)の居城として長年にわたって用いられてきたものです。近年は荒廃していましたが、イスマイール派の最高指導者のアーガー・ハーンの援助によって1990年から6年の歳月を経て修復されました。
チベット王国の一部であったバルティスタンから嫁いだ王女が、大工や石職人を従えてきて改築・装飾を行ったので、チベット建築の影響が見られます。

バルティック・フォートの基部には石垣がめぐらされて要塞化されています。

背後にはウルタルの山が聳えています。

髭が特徴的な警備員。この人は、ガイドブックにも写真が載っています。

狭い階段を上がって内部に入りました。なお、バルティック・フォートは入場料が必要ですが、その他に内部の写真撮影には別料金を支払う必要があります。

薄暗い牢獄を見下ろすことができました。

薄暗い廊下が階段上のホールの周りに続いていました。

ミール(藩主)の衣装が展示されていました。

絨緞が敷き詰められており、寝室のようです。

食堂。

明かり取りと排煙のための天窓。板をずらして何枚も重ねて造った天窓は、中央アジア西部が発祥といわれており、フンザの建築の特徴になっています。

階上のテラスに出ました。ベンチの置かれた東屋が設けられていました。

壁には、アイベックスの頭蓋骨が飾られていました。

テラスからは、フンザの谷を見渡すことができました。フンザは、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」のモデルになったといいます。この眺めを見ると、風と共に飛びたくなりますね。

テラスの背後には、ウルタルを見上げることができます。

ウルタルの谷を見下ろすことができます。この谷は、カラコルム山系の20万分の1地図には、Death Valleyと併記されます。これは、長年にわたる水道工事中に、落石や雪崩によって何十人もの死者が出たため、そのような名前が付けられたようです。現在は、カリマバードの水源として、生命の谷になっています。

長谷川恒夫が亡くなったウルタル?峰を見上げることができました。7000m峰をあまりに近くから見上げているため、スケール感が失われています。

屋上にも部屋が設けられていました。ミール(藩主)の写真が飾られていました。

居間。

階下の部屋とは違い、ガラス窓が設けられて開放的な造りです。

飾りが設けられた柱が、風景にアクセントを付けています。


窓に色ガラスがはめられた小部屋が設けられていました。


調理器具の他に、赤ん坊の揺り籠が置かれていました。


客間として用いられていたらしい大広間。

楽器が飾られていました。

内部の見学を終えて外に出て、フンザの谷の眺めを楽しみました。

最後にバルティック・フォートを見上げて別れを告げ、坂を下りました。