マヤパン遺跡に続いてカパー遺跡にやってきました。
カバーは600年から1000年頃にかけて栄えたと言われ、約20km北西に位置する大都市ウシュマルの姉妹都市だったとされています。カパー遺跡は、ウシュマル遺跡と並ぶ古典期終末期の代表的なプーク様式の遺跡です。
アヤパン遺跡と同じく、観光客はほとんどおらずに閑散としていました。
正面は宮殿で、右手のコズ・ポープ(巻いた敷物)と呼ばれる神殿が最大の見どころになっています。
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「コズ・ポープ(巻いた敷物)」は、「仮面の宮殿」とも呼ばれ、祭事を司った場所のようです。
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コズ・ポープへの基壇下の広場にも、男根のシンボルの石柱が置かれていました。
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基壇を登ると、コズ・ポープの全容が現れます。壁一面に石組の装飾が施されています。
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広場にある円形の石組はチュルトゥンと呼ばれ、地下の瓶に水を溜めました。マヤ文明は、大河とは無関係に発展した文明であることを思い出しましょう。
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広場に整然と置かれている石は、建物から外れてしまった未修復のパーツです。
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細かい彫刻がほどこされています。
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コズ・ポープの壁一面に飾られているのは、チャーク(雨の神)です。全体では、250体ほどの像があるようで、1体は30程のパーツから構成されているといいます。往時には、これらの像に彩色が施されて、さらに異彩をはなっていたようです。
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チャークは、多くの像で折れてしまってはいますが、カギ鼻を持っています。カギ鼻には、上向きと下向きがあり、上向きは雨乞い、下向きは雨に感謝という意味を持つといいます。
上向きのカギ鼻は数が少なく、写真を撮りそこなってしまいましたが、ウシュマル遺跡で撮影することができました。
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チャーク(雨の神)の一体分。
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コズ・ポープの裏手へ回り込んでいくと、壁一面に細かい装飾が施されていました。
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菊の御紋のような彫刻も見られます。
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ここでもイグアナ。
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何かのシンボルのように見えます。
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コズ・ホープの北側に回り込むと、二体の人物像が置かれていました。マヤ語でカバーは「強い手の男」という意味で、その由来となった像です。
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この像は、金属的なものを身にまとっており、手の先は特殊な装置を動かしているように見えて、宇宙飛行士の姿を現しているという説があります。マヤ遺跡では、このようなオーパーツ(それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品)に度々遭遇します。
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祭壇跡のようです。
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その入口脇柱には彫刻が施されていました。
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宮殿跡。前庭には、男根を現す石柱と貯水槽であるチュルトゥンの入口が見られます。
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屋根飾りも一部残されています。
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この円柱はプーク様式の特徴になっています。
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宮殿跡から入口方面を見下ろしたところ。密林の奥にピラミッドが見えます。
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ピラミッドが未修復なのは残念なことです。せめて周囲の密林だけでも除いてくれればよいのですが。
カバーは600年から1000年頃にかけて栄えたと言われ、約20km北西に位置する大都市ウシュマルの姉妹都市だったとされています。カパー遺跡は、ウシュマル遺跡と並ぶ古典期終末期の代表的なプーク様式の遺跡です。
アヤパン遺跡と同じく、観光客はほとんどおらずに閑散としていました。
正面は宮殿で、右手のコズ・ポープ(巻いた敷物)と呼ばれる神殿が最大の見どころになっています。

「コズ・ポープ(巻いた敷物)」は、「仮面の宮殿」とも呼ばれ、祭事を司った場所のようです。

コズ・ポープへの基壇下の広場にも、男根のシンボルの石柱が置かれていました。

基壇を登ると、コズ・ポープの全容が現れます。壁一面に石組の装飾が施されています。

広場にある円形の石組はチュルトゥンと呼ばれ、地下の瓶に水を溜めました。マヤ文明は、大河とは無関係に発展した文明であることを思い出しましょう。

広場に整然と置かれている石は、建物から外れてしまった未修復のパーツです。

細かい彫刻がほどこされています。

コズ・ポープの壁一面に飾られているのは、チャーク(雨の神)です。全体では、250体ほどの像があるようで、1体は30程のパーツから構成されているといいます。往時には、これらの像に彩色が施されて、さらに異彩をはなっていたようです。

チャークは、多くの像で折れてしまってはいますが、カギ鼻を持っています。カギ鼻には、上向きと下向きがあり、上向きは雨乞い、下向きは雨に感謝という意味を持つといいます。
上向きのカギ鼻は数が少なく、写真を撮りそこなってしまいましたが、ウシュマル遺跡で撮影することができました。

チャーク(雨の神)の一体分。

コズ・ポープの裏手へ回り込んでいくと、壁一面に細かい装飾が施されていました。

菊の御紋のような彫刻も見られます。

ここでもイグアナ。

何かのシンボルのように見えます。


コズ・ホープの北側に回り込むと、二体の人物像が置かれていました。マヤ語でカバーは「強い手の男」という意味で、その由来となった像です。


この像は、金属的なものを身にまとっており、手の先は特殊な装置を動かしているように見えて、宇宙飛行士の姿を現しているという説があります。マヤ遺跡では、このようなオーパーツ(それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品)に度々遭遇します。


祭壇跡のようです。

その入口脇柱には彫刻が施されていました。

宮殿跡。前庭には、男根を現す石柱と貯水槽であるチュルトゥンの入口が見られます。

屋根飾りも一部残されています。

この円柱はプーク様式の特徴になっています。


宮殿跡から入口方面を見下ろしたところ。密林の奥にピラミッドが見えます。

ピラミッドが未修復なのは残念なことです。せめて周囲の密林だけでも除いてくれればよいのですが。