旅の第6日目は、カラコルからイシク・クル湖の南岸を通ってソン・クル湖への移動になりましたが、その途中、バルスクーン峡谷や鷹匠の見学を行っていくことになります。
車窓からは、テルスケイ・アラトーの雪山が、姿を変えながら見え続けました。
途中、羊の群れに出会って、バスが徐行する場面も現れました。
菜の花畑も現れて、春のような眺めです。
イシク・クル湖の南岸に近いことから、標高はさほど高くはないと思いますが、それでも3000mは軽く超えていると思います。日本だったら、なんとか名山といってもてはやされるところですが、ここでは名も無いピークとなっています。
イシク・クル湖の向こうに広がるクンゲイ・アラトーの峰々は、この日は少し霞んでいました。
バルスクーン(バルスコーン)の町から南に分かれる道に進みました。この道は、未舗装ですが、奥に金山もあって路面は平坦になっていました。中国との国境近くの高原部を通ってカラコルへと続く幹線道路になっています。
美しい渓谷が延びていますが、この奥にはクムトール鉱山という金鉱山があります。クムトール鉱山は、世界屈指の露天掘り金鉱山で、キルギス経済を支えています。キルギス政府とカナダの合弁会社が採掘を行っていますが、キルギスにとって不利な契約になっていることもあって、民族主義者が国有化を主張して政治的緊張が生じています。また、1998年にはクムトール鉱山に向かうトラックが横転して1,700Kgものシアンソーダが川に流れだし、下流に住む住民が川の水をのんで死亡するなど、多くの村民が健康被害を受けた事故も起きています。
未舗装の道から立ち上る砂埃をしずめるため、散水車が通っていましたが、それなら舗装道路に変えればと思ってしまいます。
渓谷の両脇には、高い山が聳えていました。
三段の滝も現れましたが、ユキヒョウの滝と呼ばれているようです。
道路脇の草原にはソ連の宇宙飛行士ガガーリンの像があり、バスを降りて見学しました。
バルスコーン渓谷の入口にあるタムガには、ソビエト時代に国防軍の高級将校の保養所として開設されたサナトリウムがあり、ガガーリンなども利用していました。ガガリーンは、このバルスコーン渓谷を気に入って訪れていたことから、ここに彼の像が置かれました。
なお、サナトリウムの中にある泥治療の診療所は、日本人抑留者が建設に関わっていたといいます。
1961年4月12日、ガガーリンは、世界初の有人宇宙飛行に成功しました。無事帰還するとガガーリンは一躍「時の人」となり、ソ連の宇宙計画の広告塔として世界を旅して回りました。ガガーリンは激変した自分の環境によって徐々に精神的に弱り、酒におぼれ、自傷行為を起こしもしました。ここを訪れたのは、その治療期間であったのでしょうか。
その後立ち直ったガガーリンは、飛行指揮官になるために訓練を再開しましたが、1968年に飛行中墜落し、34歳で亡くなりました。
ガガーリンの死亡事故の原因については、陰謀説も含めて不明な点が多く残されているようです。
子供の頃のことになりますが、有人宇宙飛行に成功したガガーリンは英雄になりました。それと同時に、ガガーリンの成功した宇宙飛行の前には、死刑囚が乗せられて失敗したという都市伝説に近い暗い噂が流れていたことも思い出しました。
ガガーリンは、この美しい風景に心を癒されたのでしょうね。
川沿いには、もうひとつのガガーリン像が置かれていました。この顔は怖いですね。新しい像が作られたのも納得がいきます。
ガガリン像の近くには、観光客の食事のためらしいユルタも置かれていました。
谷奥には、雪山の美しい眺めが広がっていました。
しばらく周辺を散策しました。
放牧地帯になっているので花は少なかったですが、何種類かは見られました。
バルスコーン渓谷のもう一つの興味点は、玄奘三蔵のキルギス入りのルートであったということです。
シルクロードの一般的なルートの一つである天山南路は、敦煌から天山の南麓に沿って進み、カシュガルからパミール高原に至るルートでした。しかし、玄奘三蔵は、西域の高昌国と西突厥の庇護を受けるため、その途中から天山の山岳を超える道を選んでキルギスタンに向かいました。
玄奘三蔵は、タクラマカン砂漠北縁中間部のアクスーで雪解けをまって、3月にいよいよ山越えに挑みました。中国の西域から西トルキスタンへ入るには、標高4284mのベデル峠を超える必要があります。従者の3、4割が凍死するという多大の犠牲者を出したすえに、ようやく峠越えに成功しました。ベデル峠からは、このバルスコーン渓谷を下ってきて、大清池(イシク・クル湖)に出ました。
玄奘三蔵は、峠越をした後にバルスコーン渓谷に出た時には、どのような思いをしたでしょうか。
玄奘三蔵の通った道としてベデル峠を訪れたいと思いますが、中国とキルギスの国境地点として閉鎖されており、一般人が訪れることはできません。中国側は峠近くまで道路が通じているようですが、キルギス側は人馬が通れるほどの道しかないといいます。パキスタンから中国に入るクンジュラブ峠(4733m)は、警備が厳重といっても一般観光客も通過することができるので、ベデル峠も開放して欲しいものです。
この道の果てにはどのような眺めが広がっているのだろうという思いを胸に、バルスコーン渓谷を後にしました。
車窓からは、テルスケイ・アラトーの雪山が、姿を変えながら見え続けました。
途中、羊の群れに出会って、バスが徐行する場面も現れました。
菜の花畑も現れて、春のような眺めです。
イシク・クル湖の南岸に近いことから、標高はさほど高くはないと思いますが、それでも3000mは軽く超えていると思います。日本だったら、なんとか名山といってもてはやされるところですが、ここでは名も無いピークとなっています。
イシク・クル湖の向こうに広がるクンゲイ・アラトーの峰々は、この日は少し霞んでいました。
バルスクーン(バルスコーン)の町から南に分かれる道に進みました。この道は、未舗装ですが、奥に金山もあって路面は平坦になっていました。中国との国境近くの高原部を通ってカラコルへと続く幹線道路になっています。
美しい渓谷が延びていますが、この奥にはクムトール鉱山という金鉱山があります。クムトール鉱山は、世界屈指の露天掘り金鉱山で、キルギス経済を支えています。キルギス政府とカナダの合弁会社が採掘を行っていますが、キルギスにとって不利な契約になっていることもあって、民族主義者が国有化を主張して政治的緊張が生じています。また、1998年にはクムトール鉱山に向かうトラックが横転して1,700Kgものシアンソーダが川に流れだし、下流に住む住民が川の水をのんで死亡するなど、多くの村民が健康被害を受けた事故も起きています。
未舗装の道から立ち上る砂埃をしずめるため、散水車が通っていましたが、それなら舗装道路に変えればと思ってしまいます。
渓谷の両脇には、高い山が聳えていました。
三段の滝も現れましたが、ユキヒョウの滝と呼ばれているようです。
道路脇の草原にはソ連の宇宙飛行士ガガーリンの像があり、バスを降りて見学しました。
バルスコーン渓谷の入口にあるタムガには、ソビエト時代に国防軍の高級将校の保養所として開設されたサナトリウムがあり、ガガーリンなども利用していました。ガガリーンは、このバルスコーン渓谷を気に入って訪れていたことから、ここに彼の像が置かれました。
なお、サナトリウムの中にある泥治療の診療所は、日本人抑留者が建設に関わっていたといいます。
1961年4月12日、ガガーリンは、世界初の有人宇宙飛行に成功しました。無事帰還するとガガーリンは一躍「時の人」となり、ソ連の宇宙計画の広告塔として世界を旅して回りました。ガガーリンは激変した自分の環境によって徐々に精神的に弱り、酒におぼれ、自傷行為を起こしもしました。ここを訪れたのは、その治療期間であったのでしょうか。
その後立ち直ったガガーリンは、飛行指揮官になるために訓練を再開しましたが、1968年に飛行中墜落し、34歳で亡くなりました。
ガガーリンの死亡事故の原因については、陰謀説も含めて不明な点が多く残されているようです。
子供の頃のことになりますが、有人宇宙飛行に成功したガガーリンは英雄になりました。それと同時に、ガガーリンの成功した宇宙飛行の前には、死刑囚が乗せられて失敗したという都市伝説に近い暗い噂が流れていたことも思い出しました。
ガガーリンは、この美しい風景に心を癒されたのでしょうね。
川沿いには、もうひとつのガガーリン像が置かれていました。この顔は怖いですね。新しい像が作られたのも納得がいきます。
ガガリン像の近くには、観光客の食事のためらしいユルタも置かれていました。
谷奥には、雪山の美しい眺めが広がっていました。
しばらく周辺を散策しました。
放牧地帯になっているので花は少なかったですが、何種類かは見られました。
バルスコーン渓谷のもう一つの興味点は、玄奘三蔵のキルギス入りのルートであったということです。
シルクロードの一般的なルートの一つである天山南路は、敦煌から天山の南麓に沿って進み、カシュガルからパミール高原に至るルートでした。しかし、玄奘三蔵は、西域の高昌国と西突厥の庇護を受けるため、その途中から天山の山岳を超える道を選んでキルギスタンに向かいました。
玄奘三蔵は、タクラマカン砂漠北縁中間部のアクスーで雪解けをまって、3月にいよいよ山越えに挑みました。中国の西域から西トルキスタンへ入るには、標高4284mのベデル峠を超える必要があります。従者の3、4割が凍死するという多大の犠牲者を出したすえに、ようやく峠越えに成功しました。ベデル峠からは、このバルスコーン渓谷を下ってきて、大清池(イシク・クル湖)に出ました。
玄奘三蔵は、峠越をした後にバルスコーン渓谷に出た時には、どのような思いをしたでしょうか。
玄奘三蔵の通った道としてベデル峠を訪れたいと思いますが、中国とキルギスの国境地点として閉鎖されており、一般人が訪れることはできません。中国側は峠近くまで道路が通じているようですが、キルギス側は人馬が通れるほどの道しかないといいます。パキスタンから中国に入るクンジュラブ峠(4733m)は、警備が厳重といっても一般観光客も通過することができるので、ベデル峠も開放して欲しいものです。
この道の果てにはどのような眺めが広がっているのだろうという思いを胸に、バルスコーン渓谷を後にしました。