第七日目のタリン観光は、午前中は案内されての団体観光で、午後は自由行動ということになります。市街地の観光ならホテルから徒歩圏内なのですが、バスに乗らされたので不思議に思ったら、郊外のカドリオルク宮殿と歌の広場に案内してくれるとのことでした。
うれしい予定変更ですが、事前の日程に含まれていなかったことが不思議です。旅行日程に含まれていると、省いた場合に裁判ざたになるため、日程が狂う可能性がある時はわざと書いておかない場合もあるようですが、この日の日程は時間的余裕があるので理由は判りません。
タリンの旧市街地の東端から西へ2kmほどの距離にカドリオルク公園があり、ここにカドリオルク宮殿があります。
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カドリオルク宮殿は、北方戦争でバルト海東岸を獲得したロシア皇帝ピョートル1世が妃エカチェリーナのために造らせた夏の離宮です。地元の人々は、ロシアの名前で呼ぶことを嫌って、エカテリーナに相当するエストニア語の女性名のカドリオルクと呼んでいます。
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カドリオルク宮殿は、1718年にイタリアの建築家によって、ピョートル1世が好んだ後期バロック様式(ピョートルバロック様式)で建てられました。
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美しい宮殿と庭ですが、ロシアのピョートル大帝夏の離宮と比べると小ぶりですね。
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宮殿に向かい合うように、ネプチューンの噴水が設けられていました。
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目から水が噴き出す噴水。
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案内されたのは、宮殿裏手の庭園側だったので、最後に正面側に回ってみました。カドリオルク宮殿は、現在は、カドリオルク美術館として用いられています。レーピン他の展示作品にも興味がありますが、宮殿内部も見てみたかったので、外観の見学だけで終わったのは残念でした。
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続いて歌の広場に向かいましたが、その途中で見た像。1893年にフィンランド湾で沈んだロシアの軍艦「ルサルカ」の慰霊碑です。
しかし、ルサルカというと、ドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」をまず思い浮かべます。
人間の王子に恋をした水の精のルサルカは、魔法使いイェジババに人間の姿に変えてもらいます。ただし、人間の姿の間はしゃべれないこと、恋人が裏切った時にはその男とともに水底に沈む、というのがその条件でした。美しい娘になったルサルカを見た王子は彼女を城に連れて帰り結婚しますが、その祝宴でも口をきかないルサルカを冷たい女だと不満に思った王子は、祝宴にやってきた外国の王女に心を移してしまいます。
逃げ去ったルサルカを探して王子が湖にやってくると、そこで彼は妖精達から理由を聞かされ、絶望的にルサルカを呼びます。王子はルサルカに抱擁と口づけを求め、それは王子に死をもたらすのだとルサルカは拒みますが、王子のさらなる求めに応じ。王子を抱いて口づけをし、暗い水底へと沈んでいきました。
第1幕中に出てくる「月に寄せる歌」のアリアは名曲ですね。
この粗筋からも判るように、ルサルカは、どう考えても船の名前にはふさわしいとは思えません。ただ、歌劇「ルサルカ」の初演は事件後の1901年なので、船の名前を付けた人は、このオペラのことは知りようがありませんね。
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続いて、歌の原を訪れました。
この野外ステージは、5年ごとに行われる歌と踊りの祭典の舞台となります。第1回「歌の祭典」は1869年に行われ、その後踊りの祭典が加えられました。
現在では、民族衣装に身を包んだ3万人以上の歌い手と、エストニア各地から聴衆が集い、その数は10万人にも及ぶといいます。2003年には、この伝統ある「歌と踊りの祭典」はユネスコの無形文化遺産に登録されました。
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会場の入り口に置かれていた説明板にあった写真です。
1988年に、ソ連統治下の中で開催された祭典では、30万人が集まり、禁じられていたエストニアの民族音楽をエストニア語で合唱しました。それが国民の機運を高め、エストニアを独立へと導きました。1991年8月20日、独立を達成。流血なしに独立を達成したこのイベントは、「歌う革命」とも呼ばれています。
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ステージを見下ろすように、エストニア第2の国歌「わが祖国、わが愛」の作曲家・指揮者グスタフ・エルネサクスの像が置かれていました。
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最初に開催された1869年から100年後の1969年に建立された記念碑が置かれていました。
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丘の上からは、タリン市街地の眺めも広がっていました。
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入り口から右側の木立の中に、開催年と参加者を記した記念碑が置かれていました。
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歌の祭典は、1869年には845人の小規模で始まったようです。
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第二次世界大戦後のソ連占領後の1947年には、25760人に膨れ上がっています。
「歌と踊りの祭典」については、YouTubeで検索すると、多くの動画が見つかります。
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歌の原の見学後、フィンランド湾の海岸線をドライブしました。
クルーズ船が入港しているのが見えました。
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バルト海クルーズも最近では人気のようです。
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ヨットハーバーもありました。モスクワオリンピーックのヨット競技は、タリンで行われたようです。
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市内観光の前に、トイレを済ますためにフェリーターミナルに寄りました。
駐車場の脇では、展望用の気球が浮かんでいました。
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この気球は、膨らんだままのものをロープで上げ下げするもののようです。時間が許せば乗ってみたかったですね。
うれしい予定変更ですが、事前の日程に含まれていなかったことが不思議です。旅行日程に含まれていると、省いた場合に裁判ざたになるため、日程が狂う可能性がある時はわざと書いておかない場合もあるようですが、この日の日程は時間的余裕があるので理由は判りません。
タリンの旧市街地の東端から西へ2kmほどの距離にカドリオルク公園があり、ここにカドリオルク宮殿があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/0d/ca7fc45c08bed08198b7c4b122507f13.jpg)
カドリオルク宮殿は、北方戦争でバルト海東岸を獲得したロシア皇帝ピョートル1世が妃エカチェリーナのために造らせた夏の離宮です。地元の人々は、ロシアの名前で呼ぶことを嫌って、エカテリーナに相当するエストニア語の女性名のカドリオルクと呼んでいます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/28/8a878a57ee393e895eaccc7f4f92bf84.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/95/8bdb22586f39570457064b071919a221.jpg)
カドリオルク宮殿は、1718年にイタリアの建築家によって、ピョートル1世が好んだ後期バロック様式(ピョートルバロック様式)で建てられました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/51/eade0c9f222b79db1245c177741bb49b.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/d4/106db0e2da78c062a6780f6913d5b000.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/40/088c82a510dc67b584e3b24fb6ba2bad.jpg)
美しい宮殿と庭ですが、ロシアのピョートル大帝夏の離宮と比べると小ぶりですね。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/cd/696b59b93321885a3448214ef5887356.jpg)
宮殿に向かい合うように、ネプチューンの噴水が設けられていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/7c/be11a1b8975eb1d646f480438f126570.jpg)
目から水が噴き出す噴水。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/e3/36950f0a9b130545c645a2e486e2f986.jpg)
案内されたのは、宮殿裏手の庭園側だったので、最後に正面側に回ってみました。カドリオルク宮殿は、現在は、カドリオルク美術館として用いられています。レーピン他の展示作品にも興味がありますが、宮殿内部も見てみたかったので、外観の見学だけで終わったのは残念でした。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/6b/5c9846b200f33c49c2439194a1c90681.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/34/65643ab258e26f1c28c05f2fb682a56a.jpg)
続いて歌の広場に向かいましたが、その途中で見た像。1893年にフィンランド湾で沈んだロシアの軍艦「ルサルカ」の慰霊碑です。
しかし、ルサルカというと、ドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」をまず思い浮かべます。
人間の王子に恋をした水の精のルサルカは、魔法使いイェジババに人間の姿に変えてもらいます。ただし、人間の姿の間はしゃべれないこと、恋人が裏切った時にはその男とともに水底に沈む、というのがその条件でした。美しい娘になったルサルカを見た王子は彼女を城に連れて帰り結婚しますが、その祝宴でも口をきかないルサルカを冷たい女だと不満に思った王子は、祝宴にやってきた外国の王女に心を移してしまいます。
逃げ去ったルサルカを探して王子が湖にやってくると、そこで彼は妖精達から理由を聞かされ、絶望的にルサルカを呼びます。王子はルサルカに抱擁と口づけを求め、それは王子に死をもたらすのだとルサルカは拒みますが、王子のさらなる求めに応じ。王子を抱いて口づけをし、暗い水底へと沈んでいきました。
第1幕中に出てくる「月に寄せる歌」のアリアは名曲ですね。
この粗筋からも判るように、ルサルカは、どう考えても船の名前にはふさわしいとは思えません。ただ、歌劇「ルサルカ」の初演は事件後の1901年なので、船の名前を付けた人は、このオペラのことは知りようがありませんね。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/62/0b0069621bc9778096e205a6dad86b68.jpg)
続いて、歌の原を訪れました。
この野外ステージは、5年ごとに行われる歌と踊りの祭典の舞台となります。第1回「歌の祭典」は1869年に行われ、その後踊りの祭典が加えられました。
現在では、民族衣装に身を包んだ3万人以上の歌い手と、エストニア各地から聴衆が集い、その数は10万人にも及ぶといいます。2003年には、この伝統ある「歌と踊りの祭典」はユネスコの無形文化遺産に登録されました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/82/97c02bb4230728479e0075231abd90c7.jpg)
会場の入り口に置かれていた説明板にあった写真です。
1988年に、ソ連統治下の中で開催された祭典では、30万人が集まり、禁じられていたエストニアの民族音楽をエストニア語で合唱しました。それが国民の機運を高め、エストニアを独立へと導きました。1991年8月20日、独立を達成。流血なしに独立を達成したこのイベントは、「歌う革命」とも呼ばれています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/fb/ca604b9b31c4bab177d5bb35db42f3e8.jpg)
ステージを見下ろすように、エストニア第2の国歌「わが祖国、わが愛」の作曲家・指揮者グスタフ・エルネサクスの像が置かれていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/49/b3f82d7ab2d2b1bf34e4691d43e75ca9.jpg)
最初に開催された1869年から100年後の1969年に建立された記念碑が置かれていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/fb/69dfb4e28752cd1f217a73ff46012955.jpg)
丘の上からは、タリン市街地の眺めも広がっていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/82/1e0b1fb62d534effc9e361e5dadc42e3.jpg)
入り口から右側の木立の中に、開催年と参加者を記した記念碑が置かれていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a6/902a04182bd822e3059528f42619416d.jpg)
歌の祭典は、1869年には845人の小規模で始まったようです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/75/83da05eb35b8107c767c239cf145813c.jpg)
第二次世界大戦後のソ連占領後の1947年には、25760人に膨れ上がっています。
「歌と踊りの祭典」については、YouTubeで検索すると、多くの動画が見つかります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/4d/b798a6703aeb435d44be20aa732ed887.jpg)
歌の原の見学後、フィンランド湾の海岸線をドライブしました。
クルーズ船が入港しているのが見えました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/85/36c3b14208d4f063c5edfcac4e6f8c3e.jpg)
バルト海クルーズも最近では人気のようです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/09/de912a96985a3c559de12d69e57a3bd2.jpg)
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ヨットハーバーもありました。モスクワオリンピーックのヨット競技は、タリンで行われたようです。
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市内観光の前に、トイレを済ますためにフェリーターミナルに寄りました。
駐車場の脇では、展望用の気球が浮かんでいました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/fc/4bf93131d0945bae32a044342b886177.jpg)
この気球は、膨らんだままのものをロープで上げ下げするもののようです。時間が許せば乗ってみたかったですね。