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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 ウィーン その16

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ウィーン観光の三日目、午前中は予備日、午後はマイヤーリンクへのオプショナルツアー、夜はフォルクスオパーでのオペラ見物を予定していました。これまでに予定はほぼ終えていたので、午前中はリンク一周とシュテファン教会の見学を行うことにしました。

自然史博物館脇の駅から路面電車に乗りました。

三度目の今回も自然史博物館を見ることはできませんでした。



国会議事堂



市庁舎

クリスマスマーケットの閉まっている朝は、静かな雰囲気です。



ヴォティーフ教会

ヴォティーフ教会は、1853年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がハンガリー人による暗殺テロから無事であったことに感謝して、事件現場に造らせたネオゴシック様式の教会です。

この教会は、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの銀婚式の記念日である1879年4月24日に献堂されたといいます。エリザベートは、ハンガリーの自治権を認める陰の推進者であったし、この頃には夫婦の愛もすっかり冷めて旅に明け暮れていたはずなので、微妙な日を選んだということになりますね。

Schottentor-Universitaetにて一旦下車しました。夜にフォルクスオーパーに行く際には、この駅で乗り換えをすることになります。マイヤーリンクから戻ってからの移動に時間が無くなっていた時に迷わないように、偵察を行っておくことにしました。路面電車の乗り換えですが、地下一階部に出発ホームがあります。



現在、路面電車でリンクを一周するには、一回乗換が必要になります。

Julius-Raab-Platzで乗換を行いました。

ドナウ運河に架かる橋に進んでみました。



遠くにプラーターの大観覧車が見えていました。



橋詰にはウラニア天文台がありました。

ウラニア天文台は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の命によって建設され、天文台及び教育センターとして使用されていました。



ドウナウ運河には、多くの川船が停泊していました。



Julius-Raab-Platz駅近くには旧陸軍省があります。



海軍省の前に立つのはラデツキー元帥の像です。

1785年にオーストリア軍に従軍し、対トルコ戦争やナポレオン戦争など多くのオーストリアの戦争に参加しました。

ウィーンのニューイヤーコンサートの最後に演奏されるヨハン・シュトラウス1世作曲の「ラデツキー行進曲」で名前が知られていますが、この曲は1848年に北イタリアの独立運動の鎮圧に向かうラデツキー元帥を称えて作曲されたものです。また、ウィーン料理の代表料理になっているウィーナーシュニッツェルは、ラデツキー元帥がミラノから持ち帰ったカツレツが元になったと言われています。



再び路面電車に乗って、市民公園に移動しました。



ここでのお目当ては、ワルツ王とも呼ばれるヨハン・シュトラウス(2世)像です。



金色に塗られて輝いていますが、30年前に訪れた時は、黒いままの像でした。



市民公園は、散策を楽しむ憩いの場になっています。



公園内には、池が設けられていて、カモが遊んでいました。



公園内には、幾つもの銅像が置かれていますが、ヨハン・シュトラウス(2世)像の他にも音楽家の像が幾つかあります。

これはシューベルト。



ブルックナー



レハール



市民公園脇には、観光客向けのウィンナーワツルのコンサートやバレー上演が行われるクアハウスがあります。



市民公園内にはクアハウスと向かい合ってステージが設けてあって、夏の時期にはウィンナーワルツの演奏が行われます。最初の訪問時には、偶然に演奏に遭遇して、しばらく立ち聞きすることになりました。

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