王立家具博物館の見学後、国立歌劇場前まで地下鉄で移動し、そこで路面電車に乗り換えてベルヴェデーレ宮に移動しました。乗り込んだ路面電車の関係で、ベルヴェデーレ宮の下宮から入場しました。
ベルヴェデーレ宮の下宮から見た上宮。
ベルヴェデーレ宮は三回目になりますが、いつも上宮だけだったので、下宮も見学することにしました。
ベルヴェデーレ宮は、トルコ軍からウィーンを救ったサヴォイ家のオイゲン公の離宮として建てられました。1714年から1716年にかけて下宮、1720から1723年にかけて上宮が建設され、
その後ハプスブルク家のマリア・テレジアが所有していました。
下宮は、オイゲン公の住まいとして使われていたようです。
絢爛豪華な鏡の間。
鏡を使っているので、奥行きが増しています。
また下宮に設けられた展示室には、モネの作品の特別展が行われていました。クリムトの風景画が一緒に並べられていたので、モネとクリムトの風景画の比較がテーマであったようです。
下宮を出て上宮に向かいました。坂を登っていくので足にも負担がかかり、上宮から下宮に向かうべきであったと少々後悔しました。
冬のため、噴水が停められているのは残念です。
庭園の縁には、何体ものスフィンクスが置かれています。これはうずくまった像。
こちらは、前足で立ったスフィンクス。
振り返ると、残照の中に下宮が輝いていました。
上宮に入ると、クリスマスツリーが置かれていました。
上宮は、オーストリア絵画を展示した美術館になっており、クリムトやシーレの作品を見学することができます。撮影禁止のため、写真はここまで。
ガイドブックなどからまとめたオーストリア絵画館の記録は以下を見てください。
2011年のベルヴェデーレ宮の記録
ベルヴェデーレ宮殿を出てクリスマスマーケットを見学すると、時間も遅くなって薄暗くなっていました。
歩き疲れたので、一旦ホテルに戻り、ひと休みしてから夕食に出かけることにしました。
ベルヴェデーレ宮の下宮から見た上宮。
ベルヴェデーレ宮は三回目になりますが、いつも上宮だけだったので、下宮も見学することにしました。
ベルヴェデーレ宮は、トルコ軍からウィーンを救ったサヴォイ家のオイゲン公の離宮として建てられました。1714年から1716年にかけて下宮、1720から1723年にかけて上宮が建設され、
その後ハプスブルク家のマリア・テレジアが所有していました。
下宮は、オイゲン公の住まいとして使われていたようです。
絢爛豪華な鏡の間。
鏡を使っているので、奥行きが増しています。
また下宮に設けられた展示室には、モネの作品の特別展が行われていました。クリムトの風景画が一緒に並べられていたので、モネとクリムトの風景画の比較がテーマであったようです。
下宮を出て上宮に向かいました。坂を登っていくので足にも負担がかかり、上宮から下宮に向かうべきであったと少々後悔しました。
冬のため、噴水が停められているのは残念です。
庭園の縁には、何体ものスフィンクスが置かれています。これはうずくまった像。
こちらは、前足で立ったスフィンクス。
振り返ると、残照の中に下宮が輝いていました。
上宮に入ると、クリスマスツリーが置かれていました。
上宮は、オーストリア絵画を展示した美術館になっており、クリムトやシーレの作品を見学することができます。撮影禁止のため、写真はここまで。
ガイドブックなどからまとめたオーストリア絵画館の記録は以下を見てください。
2011年のベルヴェデーレ宮の記録
ベルヴェデーレ宮殿を出てクリスマスマーケットを見学すると、時間も遅くなって薄暗くなっていました。
歩き疲れたので、一旦ホテルに戻り、ひと休みしてから夕食に出かけることにしました。