ディオクレティアヌス宮殿の中心地のペリスティルには、宮殿前庭の他に大聖堂が建っていますが、ここの見学の前に、まずは宮殿内をひと回りしました。
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まずは、北にある金の門に向かいました。細い路地が続いています。
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脇道の先には、由緒ありげな小広場がありましたが、洗濯ものが干してあるのも、生活の場になっていることが判ります。
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金の門に到着し、城外にでました。
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金の門の前の広場には、グルグール・ニンスキーの像が置かれています。この像は、クロアチアを代表する20世紀の彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチの作です。グルグール・ニンスキーの左足の親指に触ると幸運が訪れるというので、皆が触って金色に光っています。
なお、グルグール・ニンスキー司教は、10世紀頃の宗教会議においてクロアチアのラテン語化に抵抗し「クロアチア語の父」と呼ばれ、英雄扱いされています。
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城外から見た金の門。
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金の門の内側にも門が設けられて、防御が固められています。
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城壁の内側に沿って延びる小路を通って西側に向かいました。
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細い道ですが、大勢が行き交って、メインの通りになっています。
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西にある鉄の門を抜けると、ナロドニィ広場に出ました。
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ナロドニィ広場には、古い建物が並んでいますが、左は旧市庁舎です。
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15世紀のゴシック様式の建物で、1階部分の三連アーチは建築当時の姿を留めており、二階部は19世紀前半に大幅に改築されたものです。
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鉄の門をくぐって城内に戻ります。門の脇には鐘楼と時計が置かれています。
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鐘楼はゴシック様式で時計はルネサンス様式とのこと。
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鉄の門周辺は住居が密集でして、道幅も狭くなっています。
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現在では洗礼室になっているユピテルの神殿の前を通り過ぎました。
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ペリスティルに戻り、今度は東の銀の門に進みました。
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銀の門を出た先には、露天が並んでいました。
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城壁に沿っても露店が並んでいました。
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銀の門を外から眺めたところ。
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門の間から鐘楼の先端が見えていました。
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大聖堂の背後にも遺跡がありました。
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モザイクの床が残されていました。
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ペリスティルの広場に面してクロアタの店がありました。
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クロアタは、ネクタイの専門店です。
17世紀に起こった30年戦争の時代、クロアチアの地方では、兵士が戦場に出る時、妻や恋人が愛する人の無事を祈るために首にスカーフを巻いて送り出すという習慣がありました。この傭兵として雇ったクロアチア人のスカーフ姿がルイ14世の目にとまり、おしゃれに敏感であったルイ14世は、これを参考にして現在のネクタイに繋がるものを作らせたといいます。
ドイツ語でネクタイのことをKrawatte、フランス語でもcravate、イタリア語でもcravattaといい、これは「クロアチア人」を意味する「クロアタ(Croata)」が元になっています。
店に入ってみましたが、ネクタイを選ぶとなるとあれこれ迷うことになって、時間も無く買わずに終わりました。

まずは、北にある金の門に向かいました。細い路地が続いています。

脇道の先には、由緒ありげな小広場がありましたが、洗濯ものが干してあるのも、生活の場になっていることが判ります。

金の門に到着し、城外にでました。

金の門の前の広場には、グルグール・ニンスキーの像が置かれています。この像は、クロアチアを代表する20世紀の彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチの作です。グルグール・ニンスキーの左足の親指に触ると幸運が訪れるというので、皆が触って金色に光っています。
なお、グルグール・ニンスキー司教は、10世紀頃の宗教会議においてクロアチアのラテン語化に抵抗し「クロアチア語の父」と呼ばれ、英雄扱いされています。

城外から見た金の門。

金の門の内側にも門が設けられて、防御が固められています。

城壁の内側に沿って延びる小路を通って西側に向かいました。

細い道ですが、大勢が行き交って、メインの通りになっています。


西にある鉄の門を抜けると、ナロドニィ広場に出ました。

ナロドニィ広場には、古い建物が並んでいますが、左は旧市庁舎です。

15世紀のゴシック様式の建物で、1階部分の三連アーチは建築当時の姿を留めており、二階部は19世紀前半に大幅に改築されたものです。


鉄の門をくぐって城内に戻ります。門の脇には鐘楼と時計が置かれています。

鐘楼はゴシック様式で時計はルネサンス様式とのこと。

鉄の門周辺は住居が密集でして、道幅も狭くなっています。

現在では洗礼室になっているユピテルの神殿の前を通り過ぎました。

ペリスティルに戻り、今度は東の銀の門に進みました。

銀の門を出た先には、露天が並んでいました。

城壁に沿っても露店が並んでいました。

銀の門を外から眺めたところ。

門の間から鐘楼の先端が見えていました。

大聖堂の背後にも遺跡がありました。

モザイクの床が残されていました。

ペリスティルの広場に面してクロアタの店がありました。

クロアタは、ネクタイの専門店です。
17世紀に起こった30年戦争の時代、クロアチアの地方では、兵士が戦場に出る時、妻や恋人が愛する人の無事を祈るために首にスカーフを巻いて送り出すという習慣がありました。この傭兵として雇ったクロアチア人のスカーフ姿がルイ14世の目にとまり、おしゃれに敏感であったルイ14世は、これを参考にして現在のネクタイに繋がるものを作らせたといいます。
ドイツ語でネクタイのことをKrawatte、フランス語でもcravate、イタリア語でもcravattaといい、これは「クロアチア人」を意味する「クロアタ(Croata)」が元になっています。
店に入ってみましたが、ネクタイを選ぶとなるとあれこれ迷うことになって、時間も無く買わずに終わりました。