ファサード通りにある休憩所から先に進むと、ローマ円形劇場が見えてきました。
ローマ円形劇場は、グレコ・ローマン様式で、紀元前1世紀頃、ナバタイ王国最盛期のアレタス4世によって造られました。その後に改装が加えられ、ローマ支配時には8500人収容可能になりました。
この劇場は、磨崖仏のように石を削って造られており、そのタイプとしては世界最大であるといいます。
この劇場は娯楽のために造られたものではなく、アレタス4世が自身の葬祭用に造ったといいます。劇場の背後の崖に開けられた洞窟では、遺体を保存する場所になっていたといいます。
ローマ円形劇場の通りを挟んだ向かいには、洞穴住居群が広がっています。
穴や柱が面白い姿を見せています。
行きは団体行動で素通りしてしまったため、帰りに中をのぞいたりして良く眺めました。
中からローマ円形劇場を眺められる洞窟もありました。
この一帯の岩は縞模様が特にはっきりしており、洞窟の壁が美しい模様を見せていました。
通りの右手の高台に、王家の墓が見えてきました。
岩窟建築群がずらりと並んでいます。かならずしも墓ばかりではなく、神殿や宮殿であったとも言われています。
これも遠くから眺めただけで通り過ぎて行きましたが、午後の自由時間の際に近くから眺めることができました。
さらに進むと、右手の丘の上に白い屋根が被せられた遺跡が見えてきますが、これはペトラ教会(ビザンチン教会とも呼ばれる)です。これも午後の自由時間に見学しました。
遺跡はさらに奥へと続きました。
道端で、子供がペトラ遺跡で見られる縞模様の石を売っていました。
値切るのも悪そうで、言い値の1ドルで買ったのがこの石。原価はただでしょうけど。
ローマ円形劇場は、グレコ・ローマン様式で、紀元前1世紀頃、ナバタイ王国最盛期のアレタス4世によって造られました。その後に改装が加えられ、ローマ支配時には8500人収容可能になりました。
この劇場は、磨崖仏のように石を削って造られており、そのタイプとしては世界最大であるといいます。
この劇場は娯楽のために造られたものではなく、アレタス4世が自身の葬祭用に造ったといいます。劇場の背後の崖に開けられた洞窟では、遺体を保存する場所になっていたといいます。
ローマ円形劇場の通りを挟んだ向かいには、洞穴住居群が広がっています。
穴や柱が面白い姿を見せています。
行きは団体行動で素通りしてしまったため、帰りに中をのぞいたりして良く眺めました。
中からローマ円形劇場を眺められる洞窟もありました。
この一帯の岩は縞模様が特にはっきりしており、洞窟の壁が美しい模様を見せていました。
通りの右手の高台に、王家の墓が見えてきました。
岩窟建築群がずらりと並んでいます。かならずしも墓ばかりではなく、神殿や宮殿であったとも言われています。
これも遠くから眺めただけで通り過ぎて行きましたが、午後の自由時間の際に近くから眺めることができました。
さらに進むと、右手の丘の上に白い屋根が被せられた遺跡が見えてきますが、これはペトラ教会(ビザンチン教会とも呼ばれる)です。これも午後の自由時間に見学しました。
遺跡はさらに奥へと続きました。
道端で、子供がペトラ遺跡で見られる縞模様の石を売っていました。
値切るのも悪そうで、言い値の1ドルで買ったのがこの石。原価はただでしょうけど。