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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 ロロジョングラン寺院 その4

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シヴァ聖堂の見学を終えて、向かいあうナンディ堂を見学しました。最初に外見を見ていたので、内部に入りました。

内部には、シヴァ神の乗り物の聖牛ナンディの像が置かれていました。お堂いっぱいの大きさで堂々たる姿をしています。ナンディーあるいがナンディンとも呼ばれ、全ての四足動物の守護神とされています。シヴァ神ファミリーとして、ガネーシャと並んで一般大衆の人気を集めています。

ブラフマー神とビシュヌ神の乗り物は、ハンサ(鵞鳥)とガルダで、そのお堂が設けられていますが、中に収められていたはずの像は失われています。



ナンディ堂には、他にも像が飾られていました。



ヒンドゥー教の神様なのでしょうが、仏像といっても通りそうです。



続いて、ブラフマー聖堂を見学しました。



聖堂内部には、ブラフマー像が祀られていました。ブラフマー像は、4つの顔と4本の腕を持つ姿で現されます。



ブラフマー像の足元が気になって見ると、シヴァ聖堂と同じに、男性器のシンボルであるリンガと対をなす女性器のシンボルであるヨーニの形をしていました。



ブラフマー聖堂の回廊側壁では、シヴァ聖堂に飾られたラーマーヤナ物語のレリーフの続きが見られますが、これは先にまとめて掲示しました。

ブラフマー聖堂の外壁にも神々の像が飾られていました。



カーラ像でしょうか。カーラは、入口の門の上に飾られて平面的であることが多いですが、これは立体的になっています。



排水の樋の役目をしているマカラ像。



最後にヴィシュヌ聖堂。



ヴィシュヌ神は、一般には、4本の腕を持ち、右にはチャクラムと棍棒を、左にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持つ男性の姿で表されます。そのためチャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)という称号も持っています。



この像の足元は、同様に、ヨーニの形をしています。リンガとヨーニは、シヴァ神のものと思っていましたが、もう少し一般的なものなのですかね。



マカラがいっぱい。



カーラ像も飾られていました。



北の出口の脇に立つ小堂ですが、先端が欠けています。



ブランバナン遺跡は、2006年5月27日に起きたジャワ島中部地震によって大きな被害をこうむり、この小堂の先端部もその際に落ちてしまったもののようです。



ロロジョングラン寺院の見学を終えて、北側の出口から出ました。



ロロジョングラン寺院を立ち去りがたく、振り返りつつ、ガイドの後をついていきました。



ロロジョングラン寺院は、見る方向によってお堂が重なるため、眺めも変わってきます。



ロロジョングラン寺院では、聖堂の内部やレリーフをしっかり見ることができて満足しました。他のツアーの旅行記を見ると、これだけたっぷりとは見学できないようです。

ただ、訪問一ヶ所目で早くも暑さが堪えて、体力的に厳しく感ずるようになってきました。

さすらいの風景 ロロジョングラン寺院 その5

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ロロジョングラン寺院に続いてセウ寺院の見学を行うことになりましたが、史跡公園内の観覧バスが出発してしまっていたので、戻ってくるまで博物館を見学することになりました。



博物館の庭には、多くの石像が並べられていました。



守護神クベーラ。財宝の守護神であり、またローカパーラの一人として北方の守護神とされています。



ガネーシャ。



デーヴァ(天人)



頭が失われた像もありました。



館内に入ると、リンガが置かれていました。





ガネーシャ。



完全に仏像に見えます。





ロロジョングラン寺院は、ヒンドゥー教の遺跡ですが、周囲の遺跡の多くは仏教寺院であるため、ここに収められている像もどちらの宗教のものか判りにくくなっています。



聖仙の長のアガスティヤでしょうか。



鵞鳥のような鳥に乗っているので、ブラフマー神。



ライオン像。



女神ドゥルガーのようです。





古い写真が飾られていましたが、よくぞ現在の姿まで修復できたものです。



聖牛ナンディー。



これは仏像ですね。

頃合いを見計らって通りに出ると、観覧バスが戻ってきていたので、走って乗り込みました。

さすらいの風景 セウ寺院

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博物館を出ると、観覧バスが戻ってきていたので、走っていき乗り込みました。

列車型のバスの写真は、戻ってきた時に撮影したものです。



目指すセウ寺院までは1.5kmほどあるようです。ロロジョングラン寺院の前から北に向かいました。



ロロジョングラン寺院周辺には他の遺跡が点在していますが、これはルンブン寺院。



続いて、ブブラ寺院。修復工事の足場が組まれていました。



セウ寺院が近づいてきました。



セウ寺院に到着。現地ガイドが交渉して、見学の間、バスに待っていてもらうことになりました。他に乗客はいるのですが、バスに乗って一周するのが目的なのか、のんびりと待っていました。その間、運転手は、露店の食べ物屋で弁当を買って食べていました。



セウ寺院は、仏教寺院の遺跡で、ボロブドールと同じころの8世紀終わりから9世紀初めに建てられたと考えられています。広大な境内には240もの仏堂が並んでいたことから、千を意味するセウより、千仏寺(チャンディ・セウ)と呼ばれました。だた残念なことに、現在では、中央祠堂をのぞいてガレキの山になっています。



入口に置かれたひときわ印象的な石像はクベラ神で、ゴドと呼ばれる武器を持っています。



地元の人は、巨人を意味するラクササと呼んでいます。



ガレキとなっている仏堂の間を歩いて中央祠堂に向かいました。



中央祠堂は、良く修復されていました。



ガレキの中でも、多くのレリーフや像が残されていました。



近づくと、中央祠堂はかなりの高さがあります。



入口の上には、他の遺跡と同じく、カーラ像が置かれていました。



階段部に置かれたマカラ像も同じく置かれています。



小塔が並んでいました。



壁面に置かれた仏の像。



壁面に置かれたカーラ像。



残念なことに、中央祠堂の内部は、大仏の台座だけが残されているだけでした。



時間も限られているので、外に出て外壁を眺めました。





仏堂が立ち並んだ当時の姿はさぞ壮観であったと想像できます。ただ、崩れた姿も時の経過を思わせて趣があります。

観覧バスに乗って駐車場に戻り、ロロジョングラン寺院を後にしました。

さすらいの風景 カラサン寺院

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ロロジョングラン寺院を後にして、ジョグジャカルタ方面に少し戻った所にあるカラサン寺院を見学しました。

カラサン寺院は、出土した碑文によれば、778年にこの地を支配していたサンジャヤ王朝と隣接するシャイレンドラ王朝の王家同士の結婚を祝して建設されたものです。



カラサン寺院は、現在では一つのお堂しか残されていませんが、仏教寺院として建立されたものが、9世紀頃から改装を重ね、現存するヒンドゥー教的な装飾が加えられました。



入口には、スリランカのムーンストンを思わせる踏み石が置かれていました。



階段脇には、マカラ像。



口には、獅子のような像が置かれています。



壁に設けられた壁龕の上にはカーラ像が置かれています。

お堂の入口は閉まっていて入れませんでしたが、中にあった仏像は失われていて、台座だけが残されているようです。



ここに飾られた守門神「ドヴァラパーラ」の像は、「トリヴァンガ」と呼ばれるインドの神像の特徴である体を三つに曲げる姿勢をとっています。



ここでの見どころは、壁面に飾られた像やレリーフなので、回廊を一周しました。





壁龕に置かれた像は失われていますが、その周りのレリーフは精緻で見事です。









壁面を良く見ると、天人なのか、小さな像が飾られています。





お堂を一周して見学は終了。ここには、他の観光客は訪れていませんでした。



入口脇の民家の庭に、ランブータンの実がなっていました。南国の市場では良く見かける果物ですが、木になっているのは初めてみました。

これでプランバナン関係の遺跡見学は終わりで、ジョグザカルタの北西部にあるボロブドール遺跡群へと移動しました。

ここまでの見学で、すでに頭のメモリーは満杯状態ですが、観光のハイライトはこれからです。

さすらいの風景 ムンドゥ寺院

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ブランバナン遺跡群の見学を終えてボロブドゥール遺跡に向かいました。

途中の車窓からは、イスラム教のモスクを見ることができました。ブランバナンはヒンドゥー教、ボロブドゥールは仏教に基づく寺院ですが、現在のインドネシアではイスラム教徒がほとんどを占めています。



途中の集落では、石の彫刻を売っている店が並んでいました。セウ寺院で見た太鼓原のクベラ神も置かれていました。



この店では、仏像とガネーシャ像が並んでいました。違う宗教の神なのですがね。



街の市場。



ボロブドゥールの前に、ムンドゥッ寺院を見学しました。

ジョグジャカルタからボロブドゥールへはかつて直線的な参道が設けられていて、その途中にはムンドゥッ寺院とパウォン寺院が設けられました。



ムンドゥッ寺院は八世紀終わりから九世紀始まり頃に造られました。



ここでの見どころは、仏塔内部に安置された三体の仏像です。



正面に置かれているのは、釈迦牟尼仏。高さは3mで、結んでいるのは、初転法輪印。ジャワ芸術の最高傑作と言われています。



左の脇侍は、観世音菩薩で、高さは2.5m。



右の脇侍は、金剛手菩薩で、高さは2.5m。

これらは、インドのグプタ美術の影響を受けているといいます。スリランカで見た上座仏教の像はいくつあっても釈迦如来ということで、いささか単調に思ってしまうのですが、ジャワ島で見る大乗仏教の像は変化があって親しみを持って見ることができます。



ムンドゥッ寺院の壁にも、見事なレリーフが飾られています。これは鬼子母神図。子供と安産の守り神として日本でも信仰されていますね。



毘沙門天図。インド神話のクベーラを前身として、財宝神とされています。



天人のレリーフ。





入口の階段にはジャワ島の他の遺跡と同様にマカラ像が置かれていますが、その脇の壁に置かれているジャータカのレリーフも見どころになっています。



ジャータカは、本生譚とも呼ばれ、主には釈迦仏の前世による因縁をあらわした説話です。紀元前3世紀ごろの古代インドで伝承されていた説話などが元になっており、そこに仏教的な内容が付加されて成立したものと考えられています。日本の今昔物語集やイソップ寓話と同じ構成を持っています。

これは、「亀と白鳥」の話。

山奥の池に一匹のカメが住んでいました。そこへ、遠くの高原から、二羽の白鳥が飛んできました。おしゃべりが大好きなカメは、白鳥たちと晦日しゃべって、すっかり仲良くなりました。高原に帰る日、白鳥は言いました。「高原はすてきだよ。いっしょに来ないかい?」「行きたいなあ。でも、無理だよ。ぼくは飛べないもの」「連れていってあげるよ。この木の枝の真ん中をきみが咥え、両端をぼくたちが咥えて、飛んでいくんだ。途中で口を開けたら、絶対にだめだよ」「そんなバカなことするもんか」カメは自信まんまんで答えると、枝を咥えました。白鳥たちが枝の両端を咥えて、大きくはばたきました。カメの体は、ふわーっと空たかく、うきあがりました。それを見た村の子供たちが、おお騒ぎをはじめました。「へんなものが飛んでるよ!」「白鳥が枝にカメをぶらさげて、運んでるんだ!」「どこへ行くんだろう?」おしゃべりなカメは黙っていられなくなって「高原へ行くんだよ」と言おうとしました。そして、地面に落ちてまっぷたつに割れてしまったのです。

昔むかし、お釈迦様が王様の教育係の大臣に生まれてきた時、王様はとてもおしゃべりで、いつも自分のおしゃべりに夢中で人の話を聞こうとしないので、それをいさめようとこの話をしました。



「オウムとマンゴーの実」の話。

少々長くなりますが、ジャータカの例としてあらすじを載せておきます。

釈迦が王子であった時の妻であったヤソーダラーは、愛する夫のもとにいたいと思い出家していた。ある時、息子のラーフラがヤソーダラーのもとを訪れると、病に臥せっていた。容体を聞くと、「この腹痛はマンゴーの果汁を飲んだら治るはずだが、今は托鉢で食を得る身、どうして手に入れられよう。」という。ラーフラが師のサーリブッダに相談すると、翌日二人で王のもとを訪れることになった。王はサーリブッダの顔を見ると、大いに喜んでマンゴーの実を出してもてなし、これをヤソーダラーに持ち帰ることになった。マンゴーによってヤソーダラーの腹痛を直すことができた。

祇園精舎で修行僧がこの事件を話題にしていると、釈尊がやってきて、「これは不思議なことではありません。前世でもサーリブッダがラーフラの母のヤソーダラーにマンゴーを与えたことがあるのです。」といい、前世の物語を始めた。

釈尊が出家して修行し仙人になってバラーナシの果樹園にとどまると、その名声を聞きつけて多くの弟子が集まってきた。すると、釈尊の威徳のために天界の帝釈天の宮殿が振動した。驚いた帝釈天は、仙人を都から追い出すために、王の心の平安を乱そうとして王妃の夢枕に立って「天の果実に値する甘いマンゴーを食べたなら。きっと聖王生むだろう。王にねだって求めなさい」と吹き込んだ。翌日、王妃から話を聞いた王は、家臣を果樹園に向かわせたが、たわわに実っていたマンゴーは全て無くなっていた。帝釈天は、さらにマンゴーが無くなったのは、果樹園にいる仙人の仕業であるという噂を流した。

仙人らは都から追い出されたが、その後も王妃は寝込んだままになってしまった。王がバラモンに「天界の果実のようなマンゴーはどこにあるのか」尋ねると、「ヒマラヤの奥地の黄金の洞窟にあり、オウムならそこに行くことができる」という返事であった。

そこで宮殿で飼われていたオウムが天界のマンゴーを持ち帰る旅に出かけることになった。ヒマラヤの洞窟に住むオウムによって黄金の洞窟の場所は判ったものの、そこに実るマンゴーは毘沙門天の食べ物で、鬼が番をしているという。オウムは黄金の洞窟に忍び込むが、あと一歩ということで鬼に捕まってしまう。なんとか説得して、殺されるのは免れたものの、マンゴーにはすべて番号がふってあるという。ここ以外にマンゴーを手に入れられる場所として、黄金の山にいる苦行僧のジョーティラサは毘沙門天のお気に入りで、彼のもとには四個のマンゴーが届けられる。彼に頼んでみてはと教えてもらった。

オウムが苦行僧を訪れて事情を離すと、オウムの真心に感動し、二つは自分が食べ、一つをオウムに食べさせ、一つをオウムの首に括り付けてくれた。オウムが持ち帰ったマンゴーを王妃に食べさせると欲望は満たされて病は治ったが、結局子供は生まれなかった。

「その時の王妃はヤソーダラーで、オウムはラーフラ、苦行僧はサーリブッダで、仙人は私の前世の姿であった」と釈尊は話を締めくくった。

レリーフの右半分は、オウムが苦行僧に会う場面。左手は、オウムがマンゴーを持ち帰った場面です。



残念ながら、他のレリーフの物語は判りませんでした。















外壁にも仏のレリーフが飾られていました。



回廊を一周して、外壁のレリーフを眺めました。















ムンドゥ寺院の入口脇には僧院が設けられていたので、中をのぞいてみました。



ここの庭にも、サラの木があり、花が咲いていました。

釈迦が生まれた所にあった無憂樹、釈迦が悟りを開いた所にあった菩提樹、釈迦が亡くなった所にあった沙羅双樹は、仏教三大聖樹とされています。インドネシアの仏教寺院にサラの木があって不思議はないのですが、本家のインドでは、白い花を咲かせるフタバガキ科のサラの木が沙羅の木とされ、スリランカではホウガンボクが沙羅とされています。木の種類に関しては、スリランカ経由で伝わったものと思われますが、ボロブドゥール遺跡はスリランカと異なる大乗仏教なので、疑問が残ります。



ホウガンボクの名前の由来の大きな実もなっていました。

続いてパウォン寺院へ。なかなかボロブドゥールへたどり着けません。

さすらいの風景 パウォン寺院

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パウォン寺院は、ムンドゥッ寺院と同じく、ジョグジャカルタからボロブドゥールへの参道上に設けられた寺院です。



高さ12mのこじんまりした本堂だけが残されています。



入口の階段脇には、マカラ像が置かれています。



階段脇に飾られたレリーフ。



入口の上にはお馴染みのカーラ像が置かれていました。ヒンドゥー教ではなく、仏教寺院なのですがね。



お堂の中は、残念ながらからっぽでした。



お堂の天井。



側壁には菩薩像が飾られていました。











この寺院で有名なのは、この吉祥の樹木カルバタールを描いたレリーフです。聖樹の下には金を入れた袋が置かれ、その左右に半人半鳥のキンナラとキンナリーを伴っています。さらに空中を飛ぶ天人も描かれています。



同じ絵柄のレリーフが取り付けられていましたが、細部は微妙に異なっていました。



ここまでの見学で記憶のメモリーも満杯状態になってきましたが、いよいよ大本命のボロブドゥールに向かいました。

さすらいの風景 ボロブドゥール その1

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ボロブドゥールに到着して、まずは遺跡内にあるマノハラ・ホテルにチェックインしました。



レセプションでは、ガムラン音楽がものうげに演奏されていました。



マノハラ・ホテルではコテージタイプの部屋が並んでいました。





マノハラ・ホテルは、もともとは遺跡の研修施設として始まったため、設備は期待できないといわれましたが、寝るには充分なレベルでした。

なによりも、このホテルは遺跡内にあり、ボロブドゥール遺跡のサンセット及びサンライズツアーに参加するには、このホテルに泊まるのが望ましいことになります。ツアーのためホテル料金は判らないものの、宿泊料金には、遺跡の入場料が含まれており、かなり高額なサンライズツアー料金も割引になるようです。



部屋には、テラスもついていましたが、外は通路のため使いづらい状態でした。



荷物を部屋に置いてすぐに再集合して、ボロブドゥール遺跡の見学に向かいました。

ホテルの敷地から出ると、ボロブドゥール遺跡がさっそく姿を現しました。ホテルへの近道があるのですが、正規の通路に向かいました。



入場ゲートからの通路に出ました。入場ゲートには一度も通過することがなかったのですが、結構離れたところにあるようです。大勢の観光客が遺跡に向かって歩いていました。



ボロブドゥール遺跡は、自然の丘の上に丸く土を盛って、そこに安山岩のブロックを積み上げて聖堂を作っています。



ボロブドゥール遺跡は、多数のレリーフが飾られているため、この本が理解の助けになります。現在は絶版になっていますが、アマゾンにて中古本を600円で手に入れることができました。今後、ボロブドゥールを訪れようと思うのなら、手に入れておくことをお勧めします。



まずは基部にたどり着くため、階段上りを行う必要があります。気温も高く、階段上りは体にこたえます。



階段上から振り返ったところ。マノハラ・ホテルは、通路の右奥にあります。



基壇にたどり着いて見上げたボロブドゥール遺跡。



写真だけでは全体像が把握しづらいので、地球の歩き方の図を載せておきます。

全体の高さは42m、最下層の一辺は約120mあります。全体で五層からなる方形の基壇で構成されており、その上部にさらに三層からなる円壇がのり、その最上部に釣鐘状の仏塔が安置されています。

ボロブドゥールは、8世紀後半から9世紀前半にかけて、およそ75年の歳月をかけて造られました。単純な霊廟ではなく、参拝者に精神的な救いが得られるよう、仏教の世界観を現す曼荼羅を再現しています。

旧基壇は「欲界」、第一から第四方形層は「色界」、第五方形層から中心ストゥーパまでは「無色界」と4されています。

階段は四方に設けられていますが、東の入口から入り、各階層の回廊のレリーフを時計周り見ながら、次第に上がっていくのが正しい参拝の方法になります。回廊の両脇、さらに上下二段にレリーフが飾られていたりするため、同じ回廊を複数回回る必要があり、合計では10回も回廊を回った末に最上部に辿りつくことになります。

ただ、レリーフをひとつずつ見ならがらすべての回廊を回るのは、ツアーでは時間的に無理なため、一般的には、各基壇で階段脇のレリーフを少し見て上がっていくことになります。



まずは、基壇の南西の角に移動しました。南西の角からは、ホテルへの近道が初まっているため、自由見学になった後の帰り方を知っておく必要がありました。

南西の角のロープで囲まれた部分は、旧基壇と呼ばれる部分です。



旧基壇は、現在の基壇の下になって隠されていますが、この部分だけは露出されています。建設後に補強が必要になって、旧基壇を覆うように現在の基壇が造られたといいます。



旧基壇のレリーフは、160面あったようです。

これは、「飲酒の戒」を現したレリーフ。

右半分には酒のために病気になった男が九人の人々から看病されています。



左半分では、家族が座る床下に大きな酒壺が二つ描かれています。



「飲酒の戒」の左にあるレリーフの右半分。旧基壇のレリーフは、何かの仏典に基づいており、欲界を現しているようですが、現在では詳細は判らなくなっています。



その左半分。



南面に回り込むと、「悪い顔」のレリーフが飾られています。

怒りや憂いは悪い顔になって現れるという教えです。











このレリーフの題が判ったのは、古代ジャワのカウイ文字で悪い顔(Virupa)と書かれていたことによります。配置を間違わないように書き込まれたようです。



基壇から見上げると、多くの仏像が飾られいました。



マカラ風の排水溝。



基壇部の壁も仏のレリーフで飾られていました。

基壇部の見学を終え、第一回廊に進みました。

さすらいの風景 ボロブドゥール その2

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階段を上がって第一回廊に進みました。回廊の両脇の壁には、それぞれ上下二段のレリーフが飾られています。



内側の壁の上段は、釈迦の誕生から初転法輪までの物語が、120面に渡って描かれています。下部は、ジャータカなどの説話が描かれています。



外壁にもジャータカが描かれています。

全体では1000にも及ぶレリーフがあるため、一般的には第一回廊の仏伝図を中心に見ることになります。

現地ガイドが、初めの部分だけ説明して上に移動してしまったため、後の自由時間に見学を続けました。一部が抜けてしまってはいますが、おおよその流れはつかむことはできました。

撮影したすべてを載せるわけにもいかないので、おおよその流れに沿って掲載します。

以下のレリーフの解説は、とんぼの本 田枝幹宏、伊藤照司著「ボロブドール遺跡めぐり」に元基づくものです。この本では、仏伝図すべての写真と説明が掲載されているので、ボロブドゥール見学の際には必読です。



第1面 天界の兜率天にいるころの釈迦。

中央の宮殿の中に天女四人を伴って座るのが釈迦。釈迦はこの世に出現する前に天界におり、その様子を示す。左右に太鼓や笛を持って音楽を奏でる天界の天人たちが見られる。



第5面 兜率天で説法する釈迦。

天界の天人たちに最後の説法をなしている場面。中央の宮殿内の人物が釈迦で、右手を上にあげて、今や説法印をなす。その左右に座る人々が天人たちで、中には両手をあわせて合掌している者もいる。



第6面 兜率天で宝冠を弥勒菩薩に渡す。

中央の宮殿の中で、台の上に座るのが弥勒菩薩で、立って宝冠を今やわたすのが、釈迦にあたる。その左右には多くの天人たちがいる。弥勒は釈迦の次に降下することになっている。



第8面 地上にある迦毘羅城の宮殿にて、話し合う浄飯王と麻耶夫人。

この二人は後の釈迦の父と母になる。天界での降下が語られる時、地上ではさまざまなめでたい奇跡が生じた。宮殿の外、左右に家臣やバラモン僧たちが集まっている。



第9面 地上の宮殿の中に座る麻耶夫人。

めでたい奇跡によって香り高い花々が咲き乱れ、麻耶夫人のもとに、宮殿の女官たちが水さしなどをもってよりそう。また画面の左上には二人の天女が飛んで、婦人のもとにやってきている。



第12面 釈迦の兜率天から地上への降下。

中央の聖堂の中にて、座禅をくみ瞑想をしているのが釈迦で、その聖堂は今やあきらかに宙に浮いている。聖堂の左右にはそれを手でささえる天人たちの姿が見られる。



第13面 麻耶夫人の霊夢。

麻耶夫人は夜、白い象がが降りてきて自身のお腹に入るという夢を見た。白象とは天界から降下してきた釈迦のことで、画面の左上にその姿が見られ、右手に麻耶夫人が横たわる。



第15面 アショーカ園を散歩する麻耶夫人。

麻耶夫人は女官の一人に命じて、浄飯王もこの園に来てくれるように伝える。画面の左側、日傘の下に立つのが麻耶夫人で、その左下に女官がひざまずいている。右側には聖堂が描写されている。



第17面 麻耶夫人が不思議な夢について語る。

アショーカ園の家の中で麻耶夫人(向かって右)は、浄飯王(左)に昨夜見た夢について語る。左右に多くの従者たちが見られる。右側にならぶのが女官たちで、左側は臣下たちである。



第22面 麻耶夫人が病人たちに薬草を施される。

画面のほぼ中央で、野外の台の上にのって右手でさしずするのが麻耶夫人。左側に立って薬を施す



第25面 出産前の奇跡。

麻耶夫人の出産が近づき、さまざまな奇跡が生じる。ここでは象やライオンが不思議なことに夫人のもとへやってきた。中央に四頭の象が、その右にライオンが二頭あらわされている。夫人は左側の建物にすわる。



第27面 麻耶夫人が馬車にてルンビニー園へ向かう。

中央の馬車の上にのるのが夫人で、二頭の馬車がそれを引いている。その一頭の上にはうしろ姿で人物があらわされ、そのデッサンはたくみである。また馬車の後からは女官たちがついてくる。



第28面 釈迦の誕生と釈迦による七歩。

画面の中央に無憂樹を配し、その右に麻耶夫人が右脇腹から釈迦を生み出す場面を示す。無憂樹の左側には誕生した釈迦が七本の蓮華の上を歩く光景が描かれている。天人たちが合掌し、たたえている。



第30面 赤ん坊(釈迦)を抱く養母マハプラジャーパティー。

釈迦の母、麻耶夫人は釈迦を生みたもうた後、七日後に他界し、夫人の妹によって釈迦は育てられる。宮殿の中央に赤ん坊を膝の上にのせてだく養母の姿が見られる。



第32面 天界の大自在天は地上に下りてきて、赤ん坊に敬意を表す。

画面左側の家の中で合掌するのが大自在天(左)で、むかいあって義母の膝の上にのる赤ん坊が釈迦である。右側には楯をもつなどした城の臣下たちが見られる。



第33面 太子(釈迦)が寺院に参拝するよう王宮のバラモン僧の長老からすすめられる。

画面の右半分家があり、その中に太子が浄飯王の膝にのったかたちで描かれている。その前には、ひげをはやしたバラモン僧の長老が見られる。
 


第35面 太子は寺院の前に到着する。

寺院へは大きく長い馬車で向かい、馬車には五人もの人が乗っているが、御者のうしろ、前から二人目が太子にあたる。かなり大きくなった太子の姿が見られ、馬の前を進むのは臣下である。



第36面 大きくなった太子に、太子としての宝冠や装身具を献上する。

左側の家の中には浄飯王がすわり、右側の家の中には今や堂々とした姿ですわっている太子がいる。太子の前には宝冠や装身具を献上する臣下たちが並んでいる。



第56面 太子は城の東門にて老人にであう。

画面中央に馬車があり、日傘がそえられて、その馬車の上に乗るのが太子である。左端には腰のややまがった老人の姿を見る。馬車のまわりには多くの臣下たちが太子につきそっている。



第57面 太子は城の南門にて病人にであう。

同じく馬車に乗り、日傘がそえられているのが太子である。左端にあばら骨のでた、あわれで悲しい病人の姿を樹下に見る。前場面の労苦につづいて病苦を知り、おどろいている太子の姿である。



第58面 太子は城の西門にて死人にであう。

同じく馬車の上に乗っているのが太子である。左側に家があって、その中で横たわる死人の姿を見る。死者をかなしむ人々の姿も見える。太子は老病死の三苦を知り、いよいよ出家の心をかためる。



第93面 菩提樹の下に座って禅定に入った太子。

中央の菩提樹の宝座の上に禅定印をくんで瞑想する太子がすわっている。禅定とは座禅によって心を集中し、真理について考えること。太子の左右には天人や天女が合掌礼拝している。



第94面 禅定に入った太子は、右手で地をさし、悪魔を追い払う。

中央、菩提樹の下にすわるのが太子で、その左右にはさまざまな様相をしたおそろしい悪魔たちの姿が示しだされている。仏伝図のうちでも、きわめてよく知られた一場面である。



第95面 悪魔は美女となり禅定中の太子を誘惑する。

中央に太子がすわり、左右に肉感的な美女に扮した悪魔たちが誘惑の攻撃をしかけ、太子の悟りを妨げようとしている。太子は悪魔をおいはらう。前図より、太子は触地印(降魔印)を結んでいる。



第96面 太子は悟りを開く。

中央に菩提樹があり、その下に太子がすわる。太子は右手で地をさし、触地印をなし、悪魔をはらいのけ、悟りを開き、釈迦となられた。左右の天人たちが太子を讃え、また合掌礼拝しているさまが、そのよろこびを伝えている。



第99面 釈迦の成道を讃えるためにやってきた天人たち。

中央に樹下に座る釈迦を配しているが、今やその右手を上にあげて説法しようとする印相をなしている。また、左右にはすわっている天人たちの姿があり、日傘も二本みられる。



第100面 悟りを開かれて第二週目、釈迦は菩提樹の下の宝座を立って歩きまわる。

画面中央に菩提樹下の宝座があり、その右に釈迦が立つ。その後ろには日傘をもつなどの天人たちの姿が見られる。また左側にはかわいらしい鹿の姿がみえる。



第104面 天界からの四人、四天王が釈迦に鉢をさしあげる。

四天王はそれぞれ、金、銀、水晶、緑玉の四つの鉢を献上したが、釈迦はそれらの鉢を受けとらず、石鉢を取られた。画面中央にすわる釈迦の左右に二人ずつのかたちで四天王が立っている。



第106面 梵天をはじめとする天人達が釈迦のもとにやってきて、説法されるように勧める。

中央に禅定印をむすんで瞑想する釈迦がすわっている。その左右に並んでいるのが、説法を懇願にきている梵天を含めた天人たちである。



第107面 天人や地神や菩提樹の神も釈迦のもとにやってきて、説法くださるよう懇願する。

中央に釈迦が右手を上げて説法印をなしてすわっている。その左右には天人等が現されている。また、空には天人が飛んでいるのがみえる。



第109面 釈迦はマガダ国の王と王妃に出会う。

画面右端に鹿野苑に向かう途中、マガタ国のラージャグリハ(王舎城)にたちよった釈迦が示され、その左に釈迦に布施をなしているマガダ国のビンビサーラ王と王妃が描かれている。



第113面 ウルヴィルヴァーカルバの町の人々が釈迦に美しい宝冠をさしあげる。

画面右端に釈迦が蓮華の上に立ち、その後ろで龍王が日傘をかかげている。左側に美しく飾られた立派な宝座があり、それを献じる人々がいる。



第114面 釈迦はサーラティの町の善男善女から多くの供物を受けて説法する。

中央に釈迦がすわり、右手をあげて説法している。その左右には町の善男善女がさまざまな供物をもって釈迦の近くによりそってきている。



第118面 釈迦は五人のバラモン僧に最初の説法(初転法輪)をなす。

中央に釈迦がすわり、右側に三人、左側に二人の合計五人の比丘たちが現されている。この五人は、釈迦の教えによって改宗してしまったバラモン僧たちである。



第120面 釈迦による本格的な教えの伝道が開始される。

中央に釈迦がすわり、右側に菩薩たち、左側に比丘たち、さらに上部には空を飛んで釈迦のもとへやってきている天人たちが現されている。この仏伝図は涅槃まで描かれることなく、ここで終わる。

今回のツアーは比較的時間の余裕がありましたが、それでも仏伝図のすべてをひとつずつ見て回ることはできませんでした。

さすらいの風景 ボロブドゥール その3

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第一回廊内側壁の下段は、全120面のパネルからなり、全部で13の物語が現されています。このうち内容の判っているものは、「マノハラ物語」、「シビ王本生話」、「サンブラー妃本生話」、「四門本生話」の四つほどです。

見ていくとレリーフがどの物語を現しているのか判らなくなるのですが、回廊を回り始めて最初に現れる「マノハラ物語」について載せておきます。

まず、「マノハラ物語」の粗筋です。

昔々、インドに二つの国があって、その一つの国の王子をスダナといい、その国の地下には蛇の王が住んでいた。この蛇王のおかげで、王子の国はお米がたくさんみのり、国は栄えた。ところがもう一つの国はおとろえるばかりで非常に困り、貧しい国の王はバラモン僧をスダナ王字の国に派遣し、お米をたくさんみのらせてくれる蛇王をとらえるように命じる。バラモン僧はスダナ王子の国に行き、聖火をともし呪文をとなえ、地中の蛇王を地上にすいあげる。それを見た猟師が大切な蛇王の危機を知って、そのバラモン僧を殺し、蛇王を救う。猟師は蛇王の命を救ったお礼として、蛇王の住む龍宮城へとまねかれ、蛇王から褒美をいただく。

再び地上に戻った猟師はある日、ヒマラヤ山中におもむき、一人の仙人にであう。仙人から彼は、満月の晩に天女がまいおりてきて、池にて水浴びをすることを聞く。猟師は満月の夜をまつと七人の天女がまいおりてきて、その一人をつかまえる。この天女がマノハラで、非常に美しかった。猟師は、その天女を王子スダナのもとにつれていく。王子は人目みて恋におち、ついに二人は結婚することになる。

その後、王子は父親の命令で国境に行かなければならなくなる。スダナ王子は愛する妻マノハラを宮殿に残していく。その留守中に、マノハラの身に危険がおしよせる。マノハラは、ヒマラヤ山中の故国へと飛んで帰ってしまう。やがて国境から帰ったスダナ王子はマノハラがいないのを知り、マノハラの住む遠いヒマラヤ山中へと旅だつ。この旅の途中で、王子はある日、仙人に出あい、天女の住む国への道をきく。

実は、王子がこの仙人の所に来る前に、天女マノハラもこの地に来て、仙人にあって、指輪を手わたし、後で主人のスダナ王子がおいかけてきたら、指輪をわたしてくれるように頼んであった。結局、七年七ヶ月と七日目に、長い旅のすえ、スダナ王子は愛する天女マノハラのもとにつき、二人はめでたく再会する。

とんぼの本 田枝幹宏、伊藤照司著「ボロブドール遺跡めぐり」を参考にしていますが、この本でもマノハラ物語については二つのレリーフの説明しか載っていません。

最初のレリーフは、スダナ王子と天女マノハラの姿でしょうか。





「蛇王を地上にすいあげる」

画面中央の頭上に蛇をつけた人間の姿で上半身を見せているのが蛇王。その左側でひげをはやしたバラモン僧が火を燃やしている。右端では助けられた蛇王がすわって合掌し、猟師にお礼をいっている。



猟師は、仙人に教えられて月の晩に晩に天女に出会う。中央に立つのがマノハラで、左に六人の天女が飛んで逃げていく、といった場面のようです。















「仙人に出会うスダナ王子」

中央に座る仙人からマノハラの指輪がスダナ王子に手渡される。

マノハラ物語はここまでで、以降は別な物語のようです。

























精緻なレリーフが飾られており、かつては参拝者にその解説をする者がいたようです。もっとも、一枚ずつレリーフを見て話を聞いてたら、時間がいくらあってもたりませんがね。

さすらいの風景 ボロブドゥール その4

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第一回廊の外壁には、ジャータカと呼ばれる説話が描かれています。



物語は判らないのですが、仏や人、動物が生き生きと描かれています。







これは、「兎の話」ではないかなと思います。

釈迦の前世、兎として生まれ変わっていた時の話です。兎は、猿、キツネ、カワウソという三匹の友達と森の中に住んでいました。兎は、自分だけ良ければいいという生き方ではなくて、他人のことも心配するべきですよと布施の話をしました。兎は、 「えさをひとりで食べるのではなく、誰かに一部をあげてから食べなさい」 と注意しました。 そこで、カワウソが川で人が魚を釣ったものを見つけました。キツネは畑仕事の人々が食べ残した肉とチーズのようなものを見つけました。猿は木からマンゴーを取って来ました。兎は草を食べればよいので、食べ物を貯蔵する必要はありませんでした。

天界の王・サッカ天は、試してやろうと思い乞食に変身して一匹ずつ訪れると、猿、キツネ、カワウソは喜んで自分のえさを全部施しました。



兎は、三匹の友達の食べ物は人間も食べるので、簡単に施しをできるけれども、草を乞うてくる人はまずいないでしょうと思って、ある決心をしていました。

サッカ天が訪ねてきて施しを乞うと、兎は「薪を拾って火をおこして下さい」と言いました。 そして自らの体を与えるため、火の中に飛び込みましたが、この火は熱いどころか異常に涼しかったのでした。

サッカ天は、兎の修行にかかる気持ちが正しいか確かめるためにやってきたことを打ち明け、、善行を行うことが、どれほど大事かと後世の人々に知らせるため、山を絞り、液体を出して、月に兎の形を描き遺しました。



このパネルは、マノハラ・ホテルで上映されたビデオにも登場しました。

ある時、ライオンは獲物の骨を喉に刺してしまいました。苦しんでいるライオンを見て、小鳥は助けて上げることにしました。大きく開いたライオンの口の中に入って骨をとって上げました。小鳥が「お礼はなに?」というと、ライオンは、「口の中に入っている時に喰われなかっただけで良かったと思え」と言いました。

現代社会にも通じるところのある説話ですね。



他のレリーフも面白そうな話を持っていそうなのですが、判らないのは残念です。























参拝者の順路としては、これを見終わって、ようやく第二回廊に進むことになります。

さすらいの風景 ボロブドゥール その5

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第二回廊と第三回廊のレリーフの主題は「善財童子の巡礼物語」、第四回廊の主題は「普賢行願賛」となりますが、第一回廊を一通りみるのが精いっぱいでこれらはざっと見て通り過ぎることになりました。

「善財童子の巡礼物語」は、善財童子(スダーナ)と呼ばれる青年が悟りを得ようとして、次から次に善良な聖者を訪れて、良い知恵を頂いていくという旅の物語です。



回廊の外壁にもレリーフが置かれていますが、内壁に置かれたレリーフがメインになっています。



第一回廊とは違って、一段で大きなレリーフが置かれています。



回廊の上には仏像も置かれています。





「象に乗って進む善財童子」



善財童子が膝まづいて教えを受けているという図が多く見られます。



この仏は、仏龕が無くなって、露出していました。



















なお、回廊上に置かれた仏像の結ぶ印は、方位によって異なっています。これは、西側の阿弥陀仏で、禅定印を結んでいます。



これは北側の不空成就仏で、施無畏印を結んでいます。

レリーフは膨大な数があることから、とうてい全部を見ることはできません。、

さすらいの風景 ボロブドゥール その6

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第四回廊から円壇への上り口の両脇にはライオン像が置かれていました。



階段の上にはゲートが設けられ、いよいよ最上段に足を踏み入れるという気分が高まりました。このゲートにもカーラとマカラ像が飾られており、仏教遺跡ですがヒンドゥー教の影響も見られます。



円壇部分には、72体に及ぶ小さな仏塔が並んでおり、その中には仏像が収められています。以前は、中に収められている仏像に触れると幸運がもたらされるということで触る者が多かったようですが、現在では禁止されています。最頂部には、大きな仏塔が置かれています。





中には、仏塔の覆いが無くなって、仏像が現れているものもあります。



この仏塔の中から現れている仏像は、記念写真の定番スポットになっており、人を写しこまないようにするのに苦労しました。



遺跡の頂上部分は、大混雑になっていました。



露出している別の仏像。円壇部に置かれている像は、釈迦牟尼仏で転法輪印を結んでいます。





円壇部まで登ったところで後は自由行動となり、各自でホテルに戻ることになりました。サンセット・ツアーに申し込んであったため、一般見学終了後も遺跡内に留まることができることから、一旦第一回廊に戻ってレリーフの見学を続け、後で円壇部に戻ってくることにしました。ただ、この後、雨が本降りになってしまったため、一旦ホテルの部屋に戻ってひと休みし、時間を見計らって遺跡に戻ってくることになりました。これも、遺跡内にあるマノハラ・ホテルに泊まったおかげです。

さすらいの風景 ボロブドゥール その7

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雨のために当初の予定が狂いましたが、一旦ホテルに戻って休憩し、ザックの中身をビニール袋にしまいこみ雨合羽を着込んだりし、雨対策も充分にしてから、再度ボロブドゥールのサンセット・ツアーに出かけました。

サンセット・ツアーといっても、入場券と懐中電灯を渡されて夕暮れ時の遺跡内で自由行動で夕日を見学できるというものです。料金もドル払いでは20ドルと高価なため、ツアーメンバーのうちでも数人が申し込んだだけでした。同じようなサンライズ・ツアーは、今回のツアーには含まれていました。

事前申し込みだったので、雨で夕日は期待できなくとも行くしかないということで、少々後悔しながらの出発でした。

入場が終わる5時に合わせてホテルの部屋を出ました。



見学終了の時間も迫っているにもかかわらず、観光客が続々と上がっていっていました。



この階段は一方通行ですが、上がる人の傘で埋まっていました。



上段部の小塔を見ながら日没の時間を待ちました。6時過ぎになってようやく一般観光客も監視員に促されて退出していき、遺跡に静寂が訪れました。、



最初は本降りの雨のためにサブカメラとして使っている防水カメラで撮影していましたが、そのうちに雨は止んでくれました。



昼間は絶対に撮影できない、人の入っていないボロブドゥールの写真です。



結局、夕日は全く見られませんでしたが、遺跡を貸し切りと思えば、安い料金でした。



仏像の周囲にも。記念写真のために集まっていた観光客はいなくなっていました。





東の正門からの参道にも、人は見当たりません。





静寂の中、仏像は瞑想にふけっているように見えます。



遺跡の説明で書き残していましたが、円壇部の小塔に開いた窓は、下部では菱型ですが、上段のものは正方形になっています。



立ち去りがたい気持ちで遺跡の上部を歩きまわっていましたが、薄暗くなってきたので、下ることにしました。



ボロブドゥールは、曼荼羅の世界を現したものだといいますが、静かな遺跡で、その雰囲気の一端を味わうことができました。



東の通路はすでに閉鎖されていたので、別な通路から下りることになりました。



基壇部に戻って、再度遺跡を見上げました。



暗くなって、遺跡がライトアップされるのをベンチに腰掛けて待ちました。ライトは遺跡の四隅に置かれているのですが、光が弱いので、明々と照らされることはありませんでした。

暗闇が広がり始めると、周囲からはイスラム教のアザーンの声が広がるようになりました。これだけの盛隆を極めた仏教も、現在ではイスラム教に置き換わっているというのも、世の無情感を思い起こさずにはいられません。

「時よ止まれ お前は美しい(ゲーテのファウストのせりふ)」が相応しい時を過ごすことができました。



ホテルに戻って、ボロブドゥール遺跡の紹介ビデオを見てから夕食を取りました。

旅の二日目は、旅の目的をすべて見終わったような気分になる充実した日になりました。



なお、これはサンセットツ・アーでもらえる懐中電灯です。翌日のサンライズ・ツアーでも同じものがもらえるます。必要ないという人は布製の記念品に交換してもらえます。

さすらいの風景 ボロブドゥール その8

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第三日目は、サンライズ・ツアーのために4時半にモーニングコールで、5時出発。ハードなスケジュールですが、楽しみにしていた見学なのでしかたがありません。

懐中電灯の明かりを頼りに階段を上っていきます。



ボロブドゥール遺跡の最上部は、すでに大勢の観光客が集まっていました。マノハラ・ホテルの宿泊客以外にも早起きをしてやってきているようです。

混み合っていましたが、良さそうな場所に陣取って日の出を待ちました。東の空が赤く染まってきました。



ムラピ山の南の山麓部の空が赤く染まっています。



平野部には霧が広がり、仏塔がシルエットになっていました。



期待が高まったのですが、太陽が上ってくると雲に隠されて、茜空は消えてしまいました。



ムラピ山がシルエットになって見えてきました。標高2930mのムラピ山は「火の山」とも呼ばれ、度々噴火を繰り返し、甚大な被害を起こしています。



仏さまもご来光を待っているように見えます。



朝の光に少し赤く染まっていました。



太陽が現れ始めましたが、すでに高く登っていて、茜色は失われていました。





周囲も良く眺められるようになってきました。



6時を過ぎると、一般観光客も続々と上ってきました。

日の出の見学もここまでとして、朝食のためにホテルに戻りました。



朝食後、出発まで時間があったので、再度遺跡に出かけました。早朝から大勢の観光客が訪れていました。四回目の訪問になりますが、これもマノハラホテルに泊まったおかげです。





基壇部から遺跡を眺めました。







仏さまも朝日に照らされていました。





通常のツアーよりも時間をかけることができましたが、見どころの多いボロブドゥールのため、まだ見きれていないなという思いも残りながら遺跡を後にしました。



サンライズ・ツアーとサンセット・ツアーでは、懐中電灯をもらうことができますが、いらないということで返すとこの布製の記念品をもらうことができました。

さすらいの風景 ジョグジャカルタ その2

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ボロブドゥール遺跡の早朝からの見学を終え、ジョグジャカルタに戻ってきました。ジョグジャカルタ市内ではクラトン(王宮)と水の宮殿(タマン・サリ)を見学した後、夕方の飛行機でバリ島に向かいます。

ジョグジャカルタの市内はバスでは回れないことから、マイクロバスに分乗して移動することになりました。

まずは、クラトン(王宮)に向かいました。



市内の道は、細くバイクや自転車タクシーのベチャが行き交って大混雑になっていました。



クラトン(王宮)の入口付近は、地元の人たちで縁日並みの賑わいでした。



クラトン(王宮)の入口。

クラトン(王宮)は、ジョグジャカルタ王朝の初代スルタン・ハムンクブウォノ1世の居城として、王朝の誕生した翌年の1756年に造られました。現在でも、第10代スルタン・ハムンクブウォノ10世が王宮の奥で住んでいます。



クラトン(王宮)の入口はに、民族服を着た護衛兵が立っています。無給のボランティアで、かつての家臣の子孫とのこと。



腰の後ろには、クリスと呼ばれる伝統的な刀をさしています。

警備が目的というよりは、宮殿の景観の一部になっており、観光客の求めに応じて写真を撮らせていました。



門の上の飾り。カーラ像が変化したもののようです。



謁見の間。



儀式の間。ここで演じられる伝統舞踊を後で見学することになりました。



ガムラン音楽の展示場。



さまざまな伝統楽器や割礼式に使う道具が展示されていました。





タイル張りの床。これはイスラム模様風です。



庭に置かれた東屋。



楽器を現したステンドグラスが飾られていました。



鳥かご。

これらの建造物を見ると、西洋の様式がかなり混じっていることが判ります。



庭に植えられていたスターフルーツの花。



地面に落ちていたスターフルーツの実。日本ではあまりなじみのない果物ですが、食べごろのものは緑色です。

さすらいの風景 ジョグジャカルタ その3

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王宮(クラトン)の王様の居住区に進みました。現在も、ここではスルタン・ハメンクブノオ10世が住んでいます。



コロニアル・スタイルの建物です。



儀式殿。南国とあって吹き抜けになっています。



建この飾りは、ジャワ風です。





壁にはステンドグラスで飾られていました。



中には、街灯も置かれていました。



建物を見学していると、宮殿スタッフが行進していきました。お茶をさしあげてきたようです。



食器などを展示している建物に入っていきました。



入口には、王宮で使われていたこしが展示してありました。





内部には食器類が展示してありました。



この他に衣装の展示場も見学しましたが、撮影禁止だったので写真はありません。



時間を見計らって儀式の間で行われる宮廷舞踊を見学しました。ここでの演目は日替わりで変わるようで、他にもジャワ影絵が上演されるようです。



ガムラン音楽に合わせて、ゆっくりとした動作の踊りが続きました。手足のポーズに細かい神経を使っていることが判ります。



背景になる物語が判らないのは残念なことです。









20分ほど見学して去ることになりましたが、踊りはさらに続いていたようです。

この後は、水の宮殿(タマンサリ)の見学に向かいました。

さすらいの風景 ジョグジャカルタ その4

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再びマイクロバスに乗って、水の宮殿(タマンサリ)に移動しました。

水の宮殿(タマンサリ)は、初代スルタンいよって、1765年に西洋建築とジャワ建築を融合して造られました。第2代スルタン時代に地震によって崩壊しましたが、第8代スルタンによって現在の建物が造られました。

入口の門は上がることができました。



車を降りた入口を振り返ったところ。



宮殿の奥方面の眺め。



入口を通してプールが見えていました。



宮殿の奥へと進みます。



通路脇に設けられた東屋。



一段下がったところにプールが設けられていました。



猛暑にばて気味であったので、余計にプールが気持ちよさそうに見えました。



このプールでは、宮殿の女性が水浴びをして、それをスルタンが覗き見て夜を過ごす女性を選んだといいます。南国のハーレムならではの仕掛けですね。



プールサイドの建物には着替えの部屋も設けられていました。



奥には、王妃や娘のプールが別に設けてありました。



こちらのプールはやや小ぶりです。





脇の建物内には王のベッドが置かれていました。



別な入口から出ました。



王宮の周囲は民家が広がって、軒先をかすめる細い道が続いていました。



宮殿の外壁。修復が充分でなく、荒れた感じでした。

これでジョグジャカルタの見学は終わりになって、昼食後、バリ島に移動するため空港に向かいました。



ジャカルタとは違って、ジョグジャカルタの空港は、出発の待合室も一室だけの小さなものでした。



観光客用の土産物屋も小さなものがあるだけでした。



出発ゲートの表示も無く、行き先が掲示されて、その下の出口に集まるといったものでした。



歩いて飛行機に向かいました。



ジョグジャカルタからバリ島へは1時間10分ほどのフライトですが、軽食が出てきました。といっても中身のないパンなので、少しかじって味見をするだけになりました。



バリ島の空港に到着すると、夕焼けで空が真っ赤に染まっていました。前日のボロブドゥール遺跡のサンセットツアーでこのような状態であったなら良かったのにと思いましたが、充分楽しんだので良しとしましょう。

ジェットストリーム

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夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは
遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別がつかなくなります
お送りしております、この音楽も 美しく、あなたの夢に、溶け込んでいきますように

旅してきます。

さすらいの風景 コーヒー園

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タマン・アユン寺院を出発し、ジャティルウィの棚田に向かいましたが、車をそれほど走らせないうちにLUWAK COFFEEという看板が目立つようになり、その一つのコーヒー園に立ち寄りました。

コピ・ルアク(インドネシア語 Kopi Luwak)とはジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆のことで、独特の香りを持ち、なかなか手に入らない幻のコーヒーとして、最高級品の一つに数えられるといます。



園内にはコーヒーの木も植えられていましたが、本格的な収穫ができるほどの規模ではなく、タマン・アユン寺院を訪れる観光客用の販売店でした。



ジャコウネコが檻に入れられていました。

ジャコウネコは、タヌキやイタチに似た体形で、ネコには似ていません。



あられもない姿で寝ていました。



ジャコウネコは、ペットとしてはそれほど飼いたいと思いませんね。



インドネシアのコーヒー農園では、野生のマレージャコウネコが、コーヒーの果肉を餌として食べてしまいますが、種子にあたるコーヒー豆は消化されずにそのまま排泄されるので、現地の農民はその糞を探して、中からコーヒー豆を取り出し、きれいに洗浄し、よく乾燥させて焙煎して飲んでいました。ジャコウネコ腸内の消化酵素の働きや腸内細菌による発酵によって、コーヒーに独特の香味が加わるということで、幻のコーヒーとして知られるようになってきました。

現在では、ジャコウネコの飼育所が設けられて、コピ・ルアクの生産を行うようになっているようです。



販売所では、普通のコーヒーと並んでコピ・ルアクが売られていました。コピ・ルアクは、高価なため、試飲はさせてもらえませんでした。



小さな袋のものを買いましたが、100gで340000ルピア(3500円ほど)。確かに高価なコヒー豆です。

以下は、コピ・ルアクの飲み方です。



ティースプーン二杯ほどをカップに入れます。コピ・ルアクの粉は、インスタントコーヒーと区別できないほど細かく挽いてあります。



お湯を注ぎます。初めは粉が浮いていますが、少し待つと沈んでいきます。



粉が沈みきったら飲み時となります。

飲んだ印象は、香りはそれほど強くはなく、飲むと最初に苦みを感じますが、その後にまろやかな甘みが来るといったものです。



カップの底には豆が沈殿していますが、上澄みを飲んだらおしまいです。

美味しいけれども、これが俗に言われる1杯8000円の味かというと、私には判らないといったところです。

ちなみに、コピ・ルアクは、「ジャコウネコの排泄物から集めた世界一高価なコーヒー」として、1995年度にイグノーベル栄養学賞を授与されました。

バリ島に行きましたら、話のタネに土産に是非どうぞ。空港の売店でも売っていました。

さすらいの風景 ジャティルウィの棚田

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コーヒー園での見学を終えて、ジャティルウィの棚田見学に向かいました。

途中に通過した集落では、必ず寺院が置かれていました。



規模は小さいものの、メル(塔)も置かれていました。



バリ・ヒンドゥー独特の割れ門も見られました。



ある集落では、お祭りなのか、のぼり旗が道路沿いに飾られていました。

これは、ペンジョールと呼ばれ、宗教的な儀式を祝う式典での祭具で、安全と幸福を与えてくれる「山の象徴」とのこと。



ジャティルウィの集落の手前で、駐車スペースがあり、棚田見物を行いました。



この棚田は、「トリ・ヒタ・カラナというバリ・ヒンドゥー教の哲学を元に独自の水利システム・スバックによって維持される水田地域の文化的景観」ということで、世界遺産に登録されています。

スバックは単なる水利組合ではなく、「神と人間、自然と人間、人間と人間の3つの調和が取れた時に真の幸福が訪れる」というヒンドゥー教の哲学・トリ・ヒタ・カルナを具現化した、灌漑事業、神事、農耕事業、土木事業などいろいろな活動を行う組合とのこと。



世界遺産の意味は良く判らないところがありますが、目に見えるのは良く整備された棚田風景です。



少し移動して、整備されたハイキングコースの一部を歩きました。入口には、コース案内も置かれていました。なお、このハイキングコースの入口の手前の車道には、料金徴収所も置かれていました。



農道を歩きました。気温が高く、結構辛い歩きになりました。



緩やかな丘陵地に棚田が広がっていました。



田の周りに椰子の木が植えられているのは、南国ならではの風景です。



農道脇には、祠も置かれていました。



屋根の上には、万字(右卍)マークが描かれていました。卍は、日本では仏教を象徴するマークですが、ヒンドゥー教でも吉祥の印になっています。



棚田を見ながら歩いていきます。



小さな祠も置かれていましたが、割れ門も造られていました。



石灯篭のような祠も置かれていました。





幾重にも重なった棚田が美しい姿を見せていました。





棚田は良い被写体ですが、普通の観光客は楽しめたのだろうか。



適当な所で引き返して、レストランで昼食をとりました。



レストランはテラス席になっていて棚田を見下ろすことができましたが、眺めよりは、日陰を選んで座ることになりました。



棚田を観光客が歩いていましたが、農家の人の姿は見られませんでした。農作業は、朝の涼しいうちに行うようです。



昼食後、バトゥカル寺院に向かいましたが、少し移動した所に、世界遺産の記念碑が置かれていました。

世界遺産を訪れると立派な記念碑が置かれていて、遺産本体よりも目立ってどうなんだという気がします。



ここも棚田の展望地になっていました。



ハイキングコースに進んでいく人も見えました。



車窓からドリアンがなっているのが見えました。ドリアンは、生ゴミ風の匂いがして食べる気になれませんが、ジャワ島では良く採れるようで、道端の露店で売られていました。
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