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さすらいの風景 トゥラカイ城

ヴィリニュス市街地を午前中観光した後、午後はトゥラカイ城を訪れました。ヴィリニウスからトラカイへは約30km程の近い距離にあります。

バスを降りると、湖の中にたたずむトゥラカイ城の眺めが広がりました。城内部の見学は自由行動で行うことになりましたが。この方がゆっくり見学できるので歓迎です。

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人気の観光地とあって、湖畔には足こぎボートも並んでいました。

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美しい城ですが、複雑な歴史を持っているので振り返ってみましょう。

リトアニア大公国の創始者といわれるゲディミナスは、ロシアまで広がる広大な領土を相続しましたが、ドイツ騎士団とリヴォニア騎士団の進攻が脅威になっていました。ゲディミナスはドイツ騎士団との戦いの際にローマ教皇や他のカトリック諸国からの援助や好意的な立場を得るためにキリスト教に興味があるように装い、軍事力の向上や国内統治を進め、国内に多くの城を建設しました。トゥラカイには最初の首都が置かれ、次いでヴィリュニスに首都が移されましたが、彼の息子であるケーストゥティス公が相続してトラカイ公国が発展すると、街は繁栄を迎えました。

ケーストゥティス公によって現在の場所へ街を移されると、ガルヴェ湖上に浮かぶ小島の上にトゥラカイ城の建設が開始されました。

ゲディミナスの死後、7人の息子のうち最年少のヤヴーヌティスは首都のヴィリニュスを相続しましたが、兄によって廃位され、アルギルダスは東方、弟のケーストゥティは西方を分割統治することになりました。アルギルダスの息子のヨガイラは若き女王ヤドヴィガ・アンジューと結婚することによってポーランド国王を戴冠し、後にポーランド・リトアニア連合が誕生します。一方、ケーストゥティスはトラカイ公として君臨しますが、ヨガイラとの覇権争いの末に殺害されてしまいました。

1377年に行われたドイツ騎士団による攻撃で、城は大きな損傷に見舞われました。ケーストゥティの暗殺の後、リトアニア大公の地位をめぐってヨガイラとケーストゥティの息子のヴィータウタスの間で権力闘争が始まり、トゥラカイ城も双方からの包囲を受けましたが、和平成立後はキープ(あるいはドンジョン、天守閣)が加えられるなどさらなる建設が進められることになりました。

さらに15世紀に入ると、入り口の城壁に塔が加えられるなどの増強が施されましたが、17世紀に起きたモスクワ大公国との戦争で、城は損壊され、荒廃の一途を辿ってしまいました。

19世紀中に城の再建計画が立てられましたが、再建工事の大部分が終了したのは1961年になってのことでした。

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入城のためには、橋を渡る必要があります。

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入り口の防御塔は、15世紀に付け加えられました。

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入場口。落とし格子が設けられていたのでしょう。

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門を抜けると入場口となり料金を払うことになりますが、シニア料金があって少し節約ができました。

入場口の先には、中庭が広がっていました。

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中庭の周りには、城壁を兼ねた建物が取りまいていました。

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中庭を囲む建物にも塔が設けてありました。

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広場の真ん中には、処刑に使われたかもしれない首かせも置かれていました。

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城は二重構造になっており、奥に内陣が設けてありました。内陣には高いキープが設けてあります。キープ(あるいはドンジョン)は、外壁が占領された後、守備兵達が立てこもる最後の砦であり、城の塔の中でもっとも堅固に造られました。

天守閣と訳されることもありますが、日本の天守閣は、防戦と指揮という軍事機能よりも,城主の権威の象徴という政治機能が強くなっています。

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内陣の周りには堀が巡らされていました。昔は湖の水が引き入れられていたものと思われます。

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堀に掛けられた橋も引き上げられるようになっていました。

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内陣の中は建物に囲まれた広場になっていました。

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建物内部にも狭い階段が設けてありましたが、外壁には木製の回廊や階段が取り付けられていました。戦いの際にここまで追い込まれた場合には、防御のために木製の回廊や階段は落としてしまうのでしょう。

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城の内部は武具などの展示場になっていました。

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ケーストゥティスあたりの城主でしょうか。

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中庭を見下ろしたところ。

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衣装は東方の雰囲気があります。

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時間も限られており、内部はざっと見て終わりになりました。

内陣から入り口の広場を見下ろしたところ。

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青空も広がってきたので、城の写真を撮影しながら戻ることにしました。

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バス降り場近くの湖畔には土産物屋が並んでいました。

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改めてトゥラカイ城の写真撮影。天気はめまぐるしく変わりました。

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トゥラカイ城は、見ても美しい城でしたが、実践的な防御機構として興味深い仕掛けが数多く施されていました。

さすらいの風景 ヴィリニウス その5

ツアーで案内されたヴィリニュス観光は、市街地中心部を訪れておらず、少しものたりなさを感じました。幸い、トゥラカイ城からは4時にホテルに戻ってきたため、7時の夕食の間に市街地中心部へと歩きに出かけました。他のツアー参加者は、ホテル近くのショッピングセンターに出かけたようです。

まずはネリス川の河畔道路に出ました。ゲディミナス塔が近づいてきました。

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橋を渡ると、リトアニア国立博物館の前に出ました。

リトアニア国立博物館は、ヴィリニュス城(ケディミナス城)の一部であったかつての武器庫を改装した博物館です。正面に置かれているのは、ヴィータウタス大公像のようです。

ヴィータウタスは、リトアニア大公ケーストゥティスの子で、父が従兄弟のヨガイラと大公の地位をめぐって敗れて殺されると、プロイセンに亡命しましたが、その後、1383年にヨガイラと和睦して帰国しました。1385年にヨガイラがポーランド王として即位すると、実質的にリトアニアの統治を任され、1401年、正式にリトアニア大公の位を譲られて即位しました。その後はポーランド・リトアニア連合としてドイツ騎士団に対抗し、1410年にはタンネンベルクの戦いで勝利を収め、ポーランド・リトアニアはさらに勢力を拡大、ヨーロッパで最大の版図をもつ強国として最盛期を迎えることになりました。

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カテドゥロス広場に進むと、激しい雨になってしまいました。ツアー中の見学中には雨に合わなかったので、参加者の中に晴れ運の強い者がいたようです。大聖堂の下でしばらく雨宿りをすると止んでくれたので、観光再開。

午前中も見たヴィリニュス創設神話の主人公であるゲディミナス大公の像。

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ゲディミナス大公の像を良く見ると、他の王の像が描かれていました。

ヴィータウタス 1392~1430年
ケーストゥティス 1345~1382年

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アルギルダス 1345~1377年
ヨガイラ 1377~1392年

ゲディミナスの死後、息子のアルギルダスとケーストゥティによってリトアニアは分割統治されました。アルギルダスの息子のヨガイラとの争いによってケーストゥティは暗殺されてしまいます。その息子のヴィータウタスは一時亡命しますが、帰国後はヨガイラと和睦して、ポーランド・リトアニアの最盛期を迎えました。

石碑には、親子ごとに描かれているのですね。

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ケディミナスを導いた「大きく吠える鉄の鎧を来た狼」のアップ。

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ピリエス通りに進みました。

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土産物屋

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ネコの看板。ラトヴィアのリガでは猫の家がありましたが、リトアニアでもネコの看板が好きなようです。

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ピリエス通りをさらに進んでいきました。

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通りでは、琥珀を売る店がめだっていました。

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聖ミカエル教会の塔。

午前中の観光では、ここから脇道に進んでしまいました。

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聖ミカエル教会の塔。

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さらに進んでいくと、ロシア正教教会が現れました。

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ロシア正教会の周りには土産物屋が並んでいました。この木製製品の店で、鍋敷きを買いました。

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土産物屋の飾り。ここにもネコが。

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市庁舎広場に出てきました。

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市庁舎広場の入り口脇にあるのは、ロシア正教教会とのこと。

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旧市庁舎。

旧市庁舎はゴシック様式の建物でしたが、18世紀の終わりにクラシックな建物に改装されました。かつては裁判所、財務室や武器弾薬庫などが置かれ、地下には刑務所もありました。現在は様々なイベントの会場として用いられています。

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旧市庁舎の建物に掲げられている市章は、「世界をこの手にもつ子供のキリストを抱く聖クリストファー」です。

ここがビリニュス市街地の中心部で、あと半分も歩いてみましょう。

さすらいの風景 ヴィリニウス その6

ヴィリニュスの旧市庁舎の脇にあるのは、聖カジミエル教会。

1604年にイエズス会によって建てられた、リトアニアの守護聖人であるカジミエルを祀った教会です。

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奥にあるタマネギ型の塔が建物のバランスを崩していますが、これは帝政ロシアの時代に正教教会にされて付け加えられたものです。

第一次世界大戦のドイツ占領時にはプロテスタント教会にされ、ソ連時代には「無神論」博物館にさえなったという、時代に翻弄された教会でもあります。

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まだ開いていましたので中に入りました。堂内は高い天井を持っています。

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主祭壇には大理石の柱が並んで荘厳な雰囲気です。

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中央に飾られているのは、聖カジミエルでしょう。大聖堂にも聖カジミエル礼拝堂がありましたが、リトアニアの人々の聖カジミエルに対する信仰心は大きいようですね。

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他にも聖人の絵が飾られていました。

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聖カジミエル教会を出て、夜明けの門通りを南に向かうと、右手に聖三位一体教会の入り口が現れました。

とりあえず通過しましたが、戻ってきた時に中に入りました。

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さらにその先で、聖テレサ教会(左)と夜明けの門(右)が見えてきました。

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聖テレサ教会の手前に精霊教会の入り口がありました。

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精霊教会は、リトアニアにおけるロシア正教の中心的教会です。

内部は撮影禁止でしたが、祭壇前には1347年に殉教した三人の聖人の遺体が安置されており、大勢の信者が訪れていました。

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聖テレサ教会の脇を抜けると午前に訪れた夜明けの門に到着しました。

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光線の具合も良くなっており、階上の礼拝堂に置かれた聖母のイコンも眺めることができました。

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とりあえず夜明けの門をくぐって、ヴィリニュスの旧市街地の縦断の成功。ヴィリニュスの旧市街地は、歩いて回れる距離にあることが判りました。

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少し戻って聖三位一体教会に入りました。

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大きな建物ですが、建物の老朽化が目立っていました。

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脇には鐘楼も設けられていました。

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中に入りました。手入れが行き届かないのか、薄暗い感じでした。

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祭壇は、変わった形式のものでした。

聖三位一体教会は、東方正教(ビザンチン)の儀礼を残しながらローマ法王に使えるという、ウクライナ・カトリックと呼ばれる珍しい宗派です。16世紀のポーランド・リトアニアが正教徒の多いウクライナ・ベラルーシに進出した結果、宗教的妥協のために興った宗派ということです。

教会が荒れた感じなのも、信者が少なく、お金も充分集まっていないということでしょう。

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ロシア正教とも違った祭壇です。ウクライナに行けば、このような祭壇が見られるのかもしれませんが、今の政治状況では当分無理ですね。

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脇の小部屋は信者の礼拝室になっていました。

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信者は数名でしたが、熱心に祈りをささげていました。この教会では、ウクライナ語で礼拝が行われています。

残念ながら、効いていて、ウクライナ語なのかリトアニア語なのかの判断はつきませんでした。

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再び市庁舎広場に戻ってきました。

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夕食の時間も気になって急ぎ足で歩きました。

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民家の屋根の上に面白い飾りを発見。大天使ミカエルでしょうか。

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ビリエス通りもあと僅か。夕暮れ時になって、人も多くなってきていました。

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ビリエス通りの町並みの上に、ゲディミナス塔が見えていました。

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最後にゲディミナス塔を眺めてホテルへと急ぎました。

ツアーでの案内と夕方の個人的歩きで、ヴィリニュスの市街地をかなり見て回ることができました。

さすらいの風景 ヴィリニウス その7

夕食後ひと休みした後、夜景見物のために再度出かけました。

夜の9時半を過ぎていましたが、ようやく暗くなり始めたところで、街灯りがきらめく夜景見物のためにはもう少し待つ必要があるようです。

とりあえず、大聖堂付近まで行ってみることにしました。

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リトアニア国立博物館の前までやってくると、ヴィータウタス大公像がぼんやりと光に照らされていました。

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大聖堂と王宮の間の小路を抜けてカテドゥロス広場へ。

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大聖堂の灯りも輝き始めました。

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大聖堂と鐘楼。

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そろそろ夜景見学にも良い状態になってきました。広場には、他にも夜景撮影目当てのカメラマンも数名いました。

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王宮。

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ビリエス通りへ。

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聖ヨハネ教会。

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レストランは、戸外にも席を出していました。

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聖ヨハネ教会の塔。

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正教教会。周囲の露店は店じまいしていました。

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旧市庁舎。

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聖カジミエル教会。

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聖カジミエル教会のネギボウズ型の塔。

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さらに夜明けの門通りへ。

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深夜の「夜明けの門」。

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結局、またビリニュスの街を縦断してしまいました。

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10時半過ぎになって、レストランなども店じまいをはじめ、通りを歩く人も少なくなってきました。少々やばくなってきて、急いで戻ることにしました。

リトアニアの首都のビリニュスですが、街の規模は小さく、夜遅くまで遊んでいる人は少ないようです。

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ライトアップされたゲディミナス塔も眺めることができました。

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ネリス川に架かる橋の上から眺めたゲディミナス塔。

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街灯りがネリス川に筋を描く向こうに、ゲディミナス塔が聳えていました。

11時過ぎまで歩き回り、この日の足の疲労度は限界近くになっていましたが、ビリユスでの街歩きを堪能することができました。

さすらいの風景 カウナス その1

タリン到着後、ヴィリニュスまでは南下を続けてきましたが、第五日目からは折り返して北上を開始することになりました。まずはヴィリニュスから北西に110kmほどの距離にあるカウナスを訪れました。

カウナスは、15世紀にはハンザ同盟年として栄えたリトアニア第二の都市です。第二次世界大戦直前の1920年、ヴィリニュスがポーランドに併合されると、カウナスは臨時に首都になりました。

カウナスは長い歴史を持つ古都ですが、この街を訪れる日本人観光客が目的とするのは、この杉原記念館です。

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旧市街地から少し離れた山の手の住宅街に、かつては旧日本領事館であった杉原記念館があります。

杉原千畝は、ユダヤ人に日本の通過ビザを発行して多くの命を救い、「日本のシンドラー」とも呼ばれていますが、そのいきさつを理解するには、第二次世界大戦直前のリトアニの置かれた政治状況も合わせて振り返る必要があります。

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杉原千畝氏のとった行動については、実際にヨーロッパへの赴任に同行していた妻・杉原幸子氏と長男・杉原広樹氏によって著された「杉原千畝物語 命のビザをありがとう」(フォア文庫)によって知ることができます。この本は、子供も対象にしているようで、漢字には全てルビが降られていますが、内容は重たいものです。

第一次大戦後、リトアニア共和国が誕生しますが、ポーランドとの領土問題を抱えることになって、1920年にヴィリニュスがポーランドに併合されると、カウナスが臨時首都にされました。

1939年8月23日に独ソ不可侵条約が締結されましたが、これはポーランド分割とバルト三国のソ連への帰属という秘密条項を持ったものでした。1939年9月1日、ドイツがポーランドに進攻し、英仏がドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まりました。9月17日には、ソ連もポーランドに進攻しましたが、これに対しては英仏は宣戦布告を行いませんでした。

1939年11月、ヘルシンキで公使代理になっていた杉原氏は、カウナスの日本領事館の領事代理に赴任しました。

ロシア語に堪能であった杉原氏の任務は、間近と思われた独ソ開戦の時期の情報を収集することでした。

そのために杉原氏は、亡命ポーランド政府の情報将校と関係を持ち、状況悪化後はポーランドの情報将校とその家族を安全地域に逃すために600名分ほどのビザを発給するという計画をたて、これは本省の了解も得ていたようです。しかし、ナチスに追われたポーランドからの大量の難民のリトアニアへの流入とカウナスの日本領事館への殺到という想定外の事態になって、運命は大きく変わってしまうことになります。

1940年5~6月、ドイツがオランダ、フランスを占領。
7月 バルト三国がソ連加盟を決める。

オランダ領事ズヴァルテンディクは、祖国を蹂躙したナチスを強く憎んでおり、ユダヤ人の国外脱出のため、オランダ領であったキュラソーへの入国許可書の発行を思いつきます。スタンプまで作って、その「偽キュラソー・ビザ」を大量発行しますが、次の問題は、日本の通過ビザでした。ドイツ軍が追撃してくる西方に退路を探すのは問題外で、逃げ道としては、シベリア鉄道を経て極東に向かうルートしか難民たちには残されていませんでした。

7月27日、突如大勢のユダヤ人難民が、カウナスの日本領事館を取り囲みました。これらのユダヤ人は、ドイツ支配地での迫害から逃れるため、シベリア鉄道経由で極東に到り、日本を経由して米大陸へと渡るため、日本の通過ビザを求めるために集まってきたものです。

領事代理として、杉原氏はビザ発給の許可を本国の外務省に問い合わせますが、日独同盟の関係で、許可は得られませんでした。

7月31日、悩んだ末、杉原氏は、職を失う覚悟の個人的判断で、ビザの発給を開始しました。それからは、毎日、朝から夜遅くまで手書きでビザを書き続けました。

8月3日にリトアニアはソ連に併合されることが決まり、ソ連からも退去通告が出されるようになりました。8月28日、ついにカウナスの領事館を閉鎖してベルリンへ移動せよという命令が届いてしまいました。領事館閉鎖の作業を終えてホテルへ移動しますが、期限ぎりぎりの8月31日までホテルに滞在し、ビザに代わる許可書を発行し続けました。9月1日、ベルリン行きの国際列車に乗り込みますが、発車まで許可書を書き続けました。

ヴィリニュスからの出発の様子は、本から引用しましょう。

それでも、とうとう出発の時間になりました。
パパの顔が、くるしそうにゆがんでいます。
「ゆるしてください、みなさん。わたしには、もうこれ以上、書くことはできません。みなさんのご無事を、祈っています。」
パパは、そういいながら、窓の外の人たちに、ふかぶかとおじぎをしました。
汽車はゆっくりと走りだします。
「ありがとう、スギハラ!」
だれかが、さけびました。
「バンザイ、ニッポン!」
といって、両手を上げる人もいます。
「スギハラ!わたしたちは、あなたを忘れない。もう一度、あなたにお会いしますよ!」
汽車とならんで、泣きながら走っていた人が。わたしたちが走りさるまで、何度も、そうさけびつづけていました。

杉原氏一家は、ベルリン、プラハと移動を繰り返し、東プロイセンのケーニヒスベルグに赴任していた時の1941年12月8日に真珠湾攻撃が起きて、日本とアメリカの戦争が始まってしまいました。次いでルーマニアのブカレストに赴いた時の1945年4月30日にヒトラーが自殺してドイツは戦争に敗れました。日本は、まだ戦いを続けていましたが、8月8日にソ連が日本に宣戦布告。8月15日に日本はボツダム宣言を受け入れて降伏しました。敗戦国の外交員は収容所に集められ、杉原氏一家が開放されてシベリア経由で日本に戻れたのは1947年2月のことになりました。

外務省に赴いた杉原氏ですが、「例の一件のこともあって」外務省の人員削減の対象になり、民間人として貿易の仕事につくことになりました。外務省の杉原氏への冷遇は、それ以降も続くことになります。

杉原氏は、カウナスにおいて発行したビザの結果については、知らないままにいましたが、1968年8月になってからイスラエル大使館からの呼び出しがありました。そこで出会ったのは、カウナスでビザを発行してもらい、現在ではイスラエル大使館の参事官になっているニシュリ氏でした。ニシュリ氏がまず見せたのは、ボロボロになっているビザでした。ビザを受け取って無事にアメリカい渡ったユダヤ人は、戦後、杉原氏を探していたとのことです。ただ、杉原氏は、チウネという名が外人には発音しにくいので、いつもセンポ・スギハラと名のっており、そのために探せませんでした。

「わたしたちは、あなたを忘れない。もう一度、あなたにお会いしますよ!」の言葉は果たされ、後に、ユダヤ人を助け、イスラエルの建国につくした外国人与えられる「諸国民の中の正義の人賞」を日本人として初めて授与されました。

杉原氏の「命のビザ」によって救われたユダヤ人は、6000人を超えるといいます。また、カウナスに残されたユダヤ人は、すべてドイツあるいはソ連の収容所で命を落としたとも言われています。

ちなみに、「日本のシンドラー」と呼ばれることから付け加えますが、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」は、ナチスドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を、自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描いています。

救った人数で優劣はつけられませんが、杉原氏の救った6000人という数は、称賛してもしきれないものだと思います。

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記念館に入ると、まずは出身地の岐阜県加茂郡八百津町が作った命のビザについてのビデオを見ることになりました。20名ほどで一杯になる部屋のため、私たちのグループは二つに分かれての視聴になりました。

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執務室。

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机の上に、杉原千畝氏の写真が置かれていました。

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カウナスにおける杉原一家の写真。

右から幸子、弘樹(長男)、千暁(次男)、千畝、節子(幸子の妹)

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机の上には、関係書類が乗っています。

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パスポート。

当時の緊迫した状態を想像することになります。

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壁には、日本の本省とのビザ発行についてのやりとりの書類が掲示されていました。

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執務室の窓辺。訪問記念の記帳ノートが置かれていました。

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もう一室は、写真が掲示されていました。

お土産としてチョコレートが売られていました。

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売り上げが少しは助けになるかなと思って、チョコレートを買いました。

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中身はトリュフチョコレートでした。

カードの裏には、募金への感謝のメーセージが書かれていました。チョコレートが食べて無くなっても、カードが記念品として残るので、訪れたら買ってあげましょうね。

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一階の仕事場は、後は事務室になっている部屋があるだけで、4室のこじんまりしたものでした。

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内部の見学を終えて、外から建物を見てみました。

建物は斜面に建っており、車道は上にあり、一階部が仕事場になっています。二階は、家族の居住スペースで、三階の屋根裏部屋に従業員が入ったいました。

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車道側からの眺め。

塀の向こうは二階への入り口になります。

現在、二階部分は、東アジア地域(日本、北朝鮮、大韓民国、台湾、中国)を研究対象とするアジア研究センターになっており、一般観光客には非公開になっています。

二階部分まで含めて杉原記念館としてもらいたいものです。杉原記念館は、一階部分を維持するのが資金的にやっとという感じで、このようなところからも日本の外交部の杉原氏への冷淡さがうかがわれます。

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門柱には、「希望の門 命のヴィザ」と書かれていました。この門の周囲を大勢のユダヤ人が取り巻いたことになります。

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杉原記念館の前の通りは、住宅地になっていました。

現在、「杉原千畝 スギハラチウネ」と題して映画が撮影中で。2015年12月5日に公開される予定です。映画の完成を楽しみにしています。この映画がきっかけでリトアニアを訪れる人が多くなっても欲しいです。

さすらいの風景 カウナス その2

杉原千畝記念館の見学の後、旧市街地に移動し、カウナス城の前から歩き出しました。

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カウナス城は、13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために築かれた城です。リトアニアと騎士団の国境になっていたネムナス川の畔にあるため、ここで戦闘が繰り返されました。15世紀にヴィタウタス大公の時代に再建されましたが、騎士団との戦いにも勝利で終わったため、城としての重要性は失われ、外賓の接客に用いられるようになりました。

カウナス城は、もともとは4つの塔を持っていましたが、現在残っているのは修復された一つの塔と城壁の一部だけです。

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城の前の広場では、女性の一団が集まっていました。花祭りの参加者ということで、この一団とは、後に市役所広場で出会うことになりました。

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石像。ヴィタウタス大公でしょうか。

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城を取り巻く空堀に沿ってあるきました。昔は水を引き入れていたのでしょう。

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小さい城ですが絵になる風景です。

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リトアニアの国章であるヴィーティスと呼ばれる乗馬した騎士の絵の旗が飾られていました。この国章は、15世紀にリトアニア大公国の紋章になりました。

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聖ゲオルギ教会の脇を抜けていきます。

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ベルナルディン修道院。

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古い十字架が飾られていました。

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旧市庁舎の裏手に出てきました。

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旧市庁舎は、1542年に建設が開始され、18世紀半ばに現在の姿に立て直されました。バロック式の白く美しい建物で、その姿から白鳥と例えられることもあるようです。高さ58メートルの塔が印象的です。

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帝政ロシア時代には政治犯の牢獄として、その後は皇帝の別宅としても使用され、現在は市の結婚登記所になっており、館内の一部は陶器博物館になっています。

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市庁舎広場に面して、二つの塔を持つイエズス教会があります。

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広場から始まるヴィリニアウス通りに面して聖ペテロ&パウロ大聖堂があります。この後、入場見学することになりました。

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市庁舎広場は、古い建物が取りましていました。

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市庁舎広場には、自転車を吊るしたモニュメントが置かれていました。これはハンザ同盟を記念したもので、カウナスは、1441年にハンザ同盟の都市となり、同盟の商業事務所が置かれました。

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探していくと、カウナスの市旗も見つかりました。

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その一部拡大。

カウナスの市章は、頭に十字架を生やした牡牛が描かれています。

さすらいの風景 カウナス その3

市庁舎広場に隣接する聖ペテロ&パウロ大聖堂に入場しました。

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15世紀に建てられた教会で、内部はフレスコ画や彫刻で豪華に飾られています。

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主祭壇には、何体もの彫刻が並べられていました。

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キリストの磔刑像。

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主祭壇の上にも像が飾られています。

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壁には、15世紀にこの街を発展させたヴィタウタス大公の肖像画が飾られていました。

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美しいパイプオルガンも設けられていました。

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主祭壇の脇の小部屋は、信者専用の礼拝室になっていました。

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ヴィリニアウス通りに面した教会の外壁部には、詩人であり神父であったマイロニスの墓がおかれています。

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古い家並みが続くヴィリニアウス通り。

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聖ペテロ&パウロ大聖堂の見学を終えて、少々の自由時間となりましたが、花祭りのパレードがやってきたので、その見物になってしまいました。

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カウナス城の前で出会った一団です。

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街も小さいためか、参加人数は多くはありませんでした。

さすらいの風景 カウナス その4

市庁舎広場周辺の建物には、年期の入った看板が掲げられていました。

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小便小僧発見と思ったら、工事中の家の窓に絵をはって、レンガに白い線を描いたものでした。だまし絵的で、アイデアに脱帽です。

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配電盤の蓋に描かれた落書き。ネコが好きですね。

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市庁舎広場を離れて歩いていくと、ベルクーナスの家が現れました。

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ベルクーナスの家は、15世紀に建てられたゴシック様式の建物です。この場所に雷神ベルクーナスを祀る神殿があったことから名前が付けられています。

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ベルクーナスの家の脇にあるのは、ヴィタウタス大公教会。これも15世紀前半に建てられたゴシック様式の教会です。ヴィタウタス大公が、タタール征伐に出かけた際に奇跡的に難を逃れたことから、感謝の印に建てられたといいます。

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ヴィタウタス大公教会の建物の脇には、1946年にカウナスを襲った洪水の水位を示す目盛りが取り付けられています。教会はネムナス川の川岸に立てられています。

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カウナスでは、多くの新婚カップルに出会いました。旧市庁舎で結婚登録を行った後に、教会で式を挙げるようです。

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ヌムナス川の対岸にバスで移動し、アレクソト橋脇の展望台に上がりました。短い距離ですが、ケーブルカーを利用しました。

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丘の上の展望台からは、カウナス市街地の眺めが広がっていました。

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アレクソト橋の左に見えるのは、ヴィタウタス大公教会。

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ヴィタウタス大公教会の奥に、イエズス教会と市庁舎の塔が重なって見えています。

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カウナス城の塔も見えていました。

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下りは、大した距離ではないので歩きました。

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アレクソト橋のたもとでバスを待ちました。

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バスに乗って、展望台を振り返ってところ。

昼食を食べた後は、シャウレイの十字架の丘経由でタトヴィアのリガに向かいました。

さすらいの風景 十字架の丘

カウナスを出発して、ラトヴィアのリガに向かいましたが、その途中、シャウレイ近くの十字架の丘を訪れました。

カウナスを出発すると、バスは平原の中を走り続けましたが、菜の花畑が広がっていました。

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民家脇には、コウノトリの巣も見かけました。

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幹線道路から集落内に通じる道の入り口には、しばしば古い十字架が建てられていました。これは、日本の道祖神のように村の守り神の役割を果たしているのかもしれません。

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カウナスから2時間20分かかって十字架の丘に到着しました。

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駐車場を下りると、奉納用の十字架を売る店が店開きしていました。

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小さなものは、数ユーロからありました。

宗教は問わないとのことなので迷いましたが、結局買いませんでした。

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駐車場から十字架の丘までは少し参道を歩く必要がありました。

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近づいてみると、かなりのボリュームです。

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丘から延びる脇道沿いにも十字架が置かれていました。

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十字架の丘の発祥についてははっきりしないようですが、初めてここに十字架が立てられたのは、1831年のロシアに対する蜂起の後と考えられています。これらの十字架は、ロシアの圧制により処刑された人たちや、シベリアへ流刑されたリトアニア人たちを悼んだ人々が、一つ一つ持ち寄ったものです。大きさは小さなロザリオから高さ数メートルもある芸術的な十字架まで実に様々です。旧ソ連時代には、KGBと軍はブルドーザーによって十字架を何度もなぎ倒し焼き払いましたが、人々は夜陰にまぎれて新たな十字架を立てて、いつしか現在のような姿になりました。すでにその数は5万にもおよび、現在も日々増え続けています。

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十字架には幾つもの種類があり、一般に知られている横木が縦木よりも短い十字架はラテン十字架と呼ばれます。横木と縦木の長さが同じで、スイス国旗や赤十字に使われているものは、ギリシャ十字。十字架に円が重ねられるものは、ケルト十字。三本の横木のがあり、最下部のものが斜めになっているものは、八端十字架(ロシア十字)と呼ばれます。

リトアニアで良く見られる十字架は、放射状の飾りが加えられ、独特の形をしています。リトアニアでは、キリスト教の象徴である十字架に現地の多神教信仰の要素が混じり、太陽やヘビをかたどった飾りが加えられています。

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十字架の丘では、様々な種類の十字架が見られますが、ロシアへの抵抗が始まりになっているため、八端十字架(ロシア十字)はほとんど無いようです。

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丘の上に階段が続いています。

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丘の上まで大小の十字架で埋め尽くされています。

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古びたものから新しいものまで、びっしりと十字架が置かれています。

この眺めからは、少し恐いものを感じてしまいます。

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新しい聖母子像。おそらく数年したら、十字架やロザリオに覆われて、違った眺めになってしまうのでしょう。

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丘の反対側にも通路が続いていました。

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丘の麓を回り込んで戻ることにしました。

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急に黒雲が湧いてきました。

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青空と黒雲の下でみる十字架の丘は、印象が違うものになりました。

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十字架の丘の見学を終えて、ラトヴィアのリガに向かいました。

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途中で雨に会いましたが長くは続かず、虹がかかるのを眺めることができました。

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19時半にラトヴィアのリガに到着。リガの見学は終わっているので、今回は寝るだけになります。

キルギス・カザフスタン旅行

9日間の日程でキルギス・カザフスタン旅行に行ってきました。

この様子は、バルト三国旅行が終わってからになりますので、少しお待ちください。

写真は、イシク・クル湖クルーズ船上から見た天山山脈の支脈であるテルスケイアラトー。

さすらいの風景 スィグルダ その1

第六日目は、リガからタリンへの移動ですが、その途中、スィグルダとパルヌを見学することになります。

小さな街のスィグルダに到着し、丘の上からガウヤ川に向かって下っていきました。

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スィグルダは、豊かな緑と渓谷で、「ラトヴィアのスイス」とも呼ばれるようです。

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スィグルダでは、まずグートゥマニャ洞穴を見学しました。

森の中の遊歩道を歩いていきます。

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ひと歩きで、目指すグートゥマニャ洞穴が現れました。

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グートゥマニャ洞穴は、高さ9m、深さ14mの、奥行きはそれほどない窪地です。

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岩壁の一面に彫りこまれているのは、恋人達の名前です。

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16世紀の古いものもあるようです。

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グートゥマニャ洞穴は、恋人の聖地とされていますが、このような伝説が残されています。

美人のマイヤには、スィグルダ城の庭師をしているヴィクトルという名の恋人がいました。二人は、グートゥマニャ洞窟でいつも会っていました。

二人の逢引きの姿を見たポーランド軍の脱走兵ヤクボフスキーは、ある日、彼女を我がものにするためにヴィクトル自筆の手紙を使って、グートゥマニャ洞窟に誘い出しました。

迫るヤクボフスキーに対して、彼女は最後の抵抗を試みました。首に巻いていたヴィクトルから贈られたスカーフを示して、「これは魔法の力を持ったスカーフです。もし私を逃がしてくれたらこれをあげます。たとえ剣のひと突きでもこのスカーフを突き通すことはできません。その力を疑うのならここで試してください」と言いました。

信じられなかったヤクボフスキーは剣で突きました。剣で刺されたマイヤは息絶え、彼女の操は守られました。

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洞穴の周囲には、美しい森が広がっていました。

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小川の岸辺には、花が咲いていました。

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これはニリンソウでしょうか。

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リュウキンカに似ています。

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スミレ。

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額縁状の記念写真用スポットが設けられていました。日本では見かけない仕掛けです。

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駐車場の回りに置かれた土産物屋をのぞいてからバスに乗り込みました。

さすらいの風景 スィグルダ その2

グートゥマニャ洞穴の後は、トゥライダ城を見学しました。

13世紀はじめ、リーブ人の城を破壊した後に騎士団の指導者のアルベルト僧正によって建てられました。

ガウヤ川を挟んで、アルベルト僧正が築いたトゥライダ城とリボニア帯剣騎士団が築いたスィグルダ城が向かい合っています。

入場すると、すぐに小さな教会が見えてきました。

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その手前に、グートゥマニャ洞穴の伝説の主人公のマイヤの墓があります。

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「Die Rose von Turaida(トゥライダのバラ) 1601~1620」と書かれています。

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教会の中に入ってみました。

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教会の管理を行っている女性のようです。

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お城の塔が見えてきました。

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赤いレンガ造りの美しい城です。崩れた部分があるのも、古城の趣を深めています。トゥライダとは、「神の庭」という意味のようです。

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城内の見学は、自由時間で行うことになりました。

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まずは、塔に登ることにしました。

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塔は、35mの高さがあり、階段を上がると広間にでました。

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塔の上からは、高度感のある眺めが広がっていました。

入場口方向の眺めです。

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城内広場の眺め。

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ガウヤ川が脇に流れていました。

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階段の途中の踊り場に置かれた燭台。

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塔の途中に設けられた窓からの眺め。

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中庭に戻って、周囲の建物をのぞいてみました。

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建物の中は、展示場になっていました。

井戸。川から水を引いているようです。

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地下牢。

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竈があるので厨房のようです。

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奥の門から振り返ったところです。

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駐車場の周りには土産物屋が並んでおり、時間までのぞいていました。

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続いて、対岸のスィグルダ城址を見学しました。

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門をくぐると、立派な館が現れました。これがスィグルダ城址かと思ったら違っていました。

ニューカッスルと呼ばれ、現在では市役所とレストランになっているいるようです。

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めざすスィグルダ城址は、ニューカッスルの背後にありました。

スィグルダ城は、13世紀初めにリボニア帯剣騎士団により建造。18世紀のロシアとスウェーデン間の起きた北方戦争で破壊され、現在は城門と城壁の一部が残っているだけです。

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入場料が必要で、内部は見るものは少ないということで、外観の見学のみになりました。

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ニューカッスルの前庭に置かれた女性の像。

これでスィグルダ城の見学は終わりになり、タリンへと向かうことになりました。

さすらいの風景 パルヌ

スィグルダを出ると、バスはリーガ湾沿いの道に進みました。

海の眺めを期待したのですが、道路は木立に遮られたり、少し内陸部を走ったりで、展望は開かれませんでした。

これは、河口部を通って、珍しく海の眺めが開けたところです。

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ラトヴィアとエストニアの国境に出ました。行きに通過した内陸部の国境は知らずに通過してしまいましたが、ここには通管のための建物は残されていました。ただ、同じEU加盟国になって建物も使われなくなっており、荒廃が進んでいました。

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エストニア側に入ったところで、トイレ休憩になりました。

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エストニア側の建物は、道路ステーションになっていました。

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売店を見ていて、面白い飲み物を見つけました。「Hello Kitty Star Drink」という名前のようで、ピンク色の炭酸飲料のようです。飲んでみるべきでした。

海外でのハローキティの人気には驚かされることがあります。

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パルヌに到着しました。パルヌは、13世紀に騎士団に占領された後はバルト海に面した重要な拠点になり、ハンザ同盟にも加盟していました。現在は、夏のリゾート地になっていますが、見所はそう多くはなく、ロング・ドライブ途中の休憩を兼ねての散策地として訪れました。

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街には、夏のシーズン前の静けさがただよっていました。

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エリザベート教会が見えてきました。

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ロシアの女帝エリザベータが資金を出して1744年に建設が始まりました。

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かつて大聖堂の火災から奇跡的に焼け残ったパルヌのシンボルの黒い十字架のレプリカが架けられるといいますが、なにか行事が行われており残念ながら内部には入れませんでした。

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先に進んでいくと、タリン門が現れました。

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門を通り抜けて振り返ったところ。

タリン門は、かつて三つあった城門の一つです。かつては、商人はタリンから船でやってきて、ここから市内に入りました。

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門を出た所にある運河は、昔は港であったのでしょう。

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イベントの後なのか、民族衣装を着た風格のある男女がいたので写真を撮らせてもらいました。

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タリン門を通って市内に戻りました。夏に備えてなのか、レストランの壁に絵を書いていました。

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歩いていくと、エカテリーナ教会が現れました。

エカテリーナ2世の命令により、1764年に建て替えられた教会です。

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通りを歩いてバスに戻りました。

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バスが走り出すと、港の眺めが広がりました。

タリンまでもうひと走りです。

さすらいの風景 タリン その1

ラトヴィア、リトアニアの見学を終えて、バルト三国のスタート地点となったエストニアの首都のタリンに戻ってきました。

タリンには夕刻に到着し、夕食のためにエストニア独立戦争戦勝記念碑の前のワバドゥセ広場でバスを降りました。

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夕食のレスランに向かって歩いていくと、市庁舎の塔が見えてきました。

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タリンの旧市街地は、石畳が広がって中世の赴きが漂っています。

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夕食後、ワバドゥセ広場に戻ってきました。写真は、聖ヨハネ教会。タリンには多くの教会がありますが、自由行動中の歩きのためには、目印になる教会を記憶しておく必要があります。バスに乗り、ホテルに向かいました。

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ホテルにチェックインしましたが、まだ明るい状態のため、散策に出かけることにしました。幸い、宿泊しているメリトングランドコンファレンス&スパホテルタリンは、トームペアの丘のすぐ下にありました。

ホテルを出て丘を登りだすと、50.2mの高さを持つ「のっぽのヘルマン」と呼ばれる塔が現れました。

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丘に上がると、アレクサンドル・ネフスキー聖堂が現れました。夕日に照らされて美しい姿を見せていました。翌日のツアー本番でも案内されて訪れましたが、観光客で大混雑であったため、この夕方の散策の方がゆっくりと眺めることができました。

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アレクサンドル・ネフスキー聖堂は、1901年に支配者の帝政ロシアによって建てられたロシア正教の教会です。

この教会だけを見ると美しいですが、タリンはルター派プロテスタントが大多数を占める街のため、異端の存在です。特に正面のトームベア城にはエストニア議会があり、ロシアが睨みを効かせているように感じられます。

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黄金のモザイク画は、ロシア正教ならではのものです。

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アレクサンドル・ネフスキー聖堂の前には、トームベア城の建物が広がっています。トームベア城は、かつてエストニア人の砦があった場所に13世紀に建てられた騎士団の城です。支配者が変わる度に増築が加えられ、現在の姿になったのは18世紀のことのようです。エカテリーナ2世が知事宮邸として使うために改築したため、宮殿風の外観になっています。

現在では議会が入っているため、外から眺めるだけになっています。もっとも、観光客は、アレクサンドル・ネフスキー聖堂を見るために、トームベア城に尻を向けている者がほとんどです。

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トームベア城の入り口には、エストニアの国章が置かれていました。

3頭の正面を向いたライオンが描かれていますが、デンマークの国章とも一部共通するデザインになっています。デンマークの国章は12世紀のクヌーズ4世の紋章までさかのぼることができます。クヌーズ4世の弟のヴァルデマー2世がバルト海沿岸地域へ進出したことから、エストニアの国章ともライオンのデザインが一部共通することになりました。

タリンでは、この他にもデンマークとの関連事項を見ることになりました。

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小路を先に進んでいくと、大聖堂(トームキリンク)の塔が見えてきました。

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大聖堂(トームキリンク)は、1219年にデンマーク人がトームペアを占領してすぐに建設したエストニア最古の教会で、創設以来タリンの中心的教会の地位をになってきました。1684年にタリンを襲った大火災によって一度は焼失しましたが、その後100年をかけて再建されました。

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内部は薄暗く古色蒼然としています。

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祭壇は、意外に質素です。

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壁には、この街の貴族の墓標や紋章が飾られています。

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幸運なことに、教会内ではオルガンコンサートが行われていました。しばらく、耳を傾けることにしました。オルガンの音が天に向かって昇っていくようで、天井の高い教会でしか聞けない音響を楽しみました。

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オルガン・コンサートが終わると、教会後方に列ができていました。オルガンの演奏台でも見学できるのかなと思ってついていくと、教会の塔の上への階段でした。塔に上がれたのも幸運でしたが、細い螺旋階段が続いており、足を滑らすと下まで転落する可能性もある危険なものでした。

塔の上からは、夕日に染まったタリン市街地の眺めが広がっていました。

アレクサンドル・ネフスキー聖堂やのっぽのヘルマンが見えています。

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アレクサンドル・ネフスキー聖堂の白い壁も茜色に染まっています。

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のっぽのヘルマンのアップ。

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北東の眺め。聖オレフ教会の塔のむこうにフェリーターミナルが見えています。

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入港しようとするフェリーも見えています。

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フェリーのアップ。

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聖ニコラウス教会の塔。

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西側を見ると、太陽が沈もうとしていました。

暗くなると階段が危険なため、急いで塔から下りました。

さすらいの風景 タリン その2

大聖堂(トームキリク)の見学を終えて、トームペアの丘周辺を見学することにしました。

旧市街地の周囲に巡らされています。城壁の向こうに見えているのは、聖ニコラス教会の塔。

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城壁には幾つもの塔が設けられていますが、この写真の手前はネイツィトルン、奥はキーク・イン・デ・キョクと名前が付けられています。

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市街地よりの広場から見た塔の眺め。手前のネイツィトルンは、中世の売春婦の牢として使われたことから「乙女の塔」という名前が付けられています。奥のキーク・イン・デ・キョクは、高さ49mで、15世紀末に街の防御のために造られました。「台所をのぞけ」という意味で、下町の台所が手に取るように見えたことから名前が付けられています。

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キーク・イン・デ・キョクから下に下る道に進むと、一段下にデンマーク王の庭がありました。これについては、後ほど詳しく。

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人について細い小路を下っていくと、聖ニコラウス教会に出ました。

とりあえず、旧市庁舎前のラエコヤ広場を目指すことにしました。

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家に灯りがつき始めました。地図を見ながら曲がりくねった細い通りを進みました。

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旧市庁舎前のラエコヤ広場に到着。

翌日のツアー本番でも訪れることにはなるのですが、まずは夜景見物。

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ラエコヤ広場の周囲にはレストランが並んでいました。観光客向けで、客引きの声も掛かってきました。絵入りのメニューも掲示してあり、注文は難しくはなさそうです。

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広場にあった方位を記した石盤。地球の歩き方には、この上に立った時のみ、タリンの最も有名な五つの塔が見えると書いてありましたが、大聖堂と聖オレフ教会の塔は判りませんでした。「地球の迷い方」として、良くあることですが。

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灯りが輝くのを、広場をうろつきながら少し待ちました。

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トームペアの丘から人について下ってきた道は、暗くなると危ない気がしました。安全な帰り道を確保するため、ハルユ通りを歩いてワバドゥセ広場まで進んでみました。ここからなら車も通る道を辿ってホテルに戻れるはずです。

昼間の市内観光前に夜の街に繰り出してきたため、街の把握が難しくなっています。

キーク・イン・デ・キョクが見えたので、リュトゥリ通りに進みました。

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再び聖ニコラス教会の前に出てきました。夜景も良い感じになってきました。

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その先でリャヒケ・ヤルク通りに進みました。

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このリャヒケ・ヤルク通りが、トームペアと下町を結ぶメイン道路のようです。坂道の途中では、おじいさんがギターを弾いており、ムード満点でした。

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リャヒケ・ヤルク通りの坂道を上から振り返ったところ。

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再びトームペアに戻ると、ライトアップされたアレクサンドル・ネフスキー聖堂が輝いてみえるようになっていました。

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大聖堂(トームキリク)。

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展望台まで進みました。

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聖オレフ教会。

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左の塔は聖霊教会、右の塔は旧市庁舎。

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聖霊教会。

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旧市庁舎。

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展望台から身を乗り出して右を見ると、聖ニコラス教会を見ることができました。

この展望台も翌日のツアー観光で訪れることにはなるのですが、まずは夜景を楽しみました。

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別な道を辿って戻ると、大聖堂(トームキリク)が見えてきました。

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最後にアレクサンドル・ネフスキー聖堂の眺めを楽しみました。

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トームペア城の眺めも忘れずに。

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キーク・イン・デ・キョク。

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のっぽのヘルマン。

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坂を下ると、すぐに宿泊場所のメリトングランドコンファレンス&スパホテルタリンに戻ることができました。

このホテルは、旧市街地の外にはなりますが、街歩きには絶好の位置を占めていました。

翌日のタリン観光の午後は自由行動になるため、夜景見物はその時でも良いと思っていたのですが、実際には夜は雨になってしまったので、この日に夜歩きをしておいたのは幸運でした。

さすらいの風景 タリン その3

第七日目のタリン観光は、午前中は案内されての団体観光で、午後は自由行動ということになります。市街地の観光ならホテルから徒歩圏内なのですが、バスに乗らされたので不思議に思ったら、郊外のカドリオルク宮殿と歌の広場に案内してくれるとのことでした。

うれしい予定変更ですが、事前の日程に含まれていなかったことが不思議です。旅行日程に含まれていると、省いた場合に裁判ざたになるため、日程が狂う可能性がある時はわざと書いておかない場合もあるようですが、この日の日程は時間的余裕があるので理由は判りません。

タリンの旧市街地の東端から西へ2kmほどの距離にカドリオルク公園があり、ここにカドリオルク宮殿があります。

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カドリオルク宮殿は、北方戦争でバルト海東岸を獲得したロシア皇帝ピョートル1世が妃エカチェリーナのために造らせた夏の離宮です。地元の人々は、ロシアの名前で呼ぶことを嫌って、エカテリーナに相当するエストニア語の女性名のカドリオルクと呼んでいます。

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カドリオルク宮殿は、1718年にイタリアの建築家によって、ピョートル1世が好んだ後期バロック様式(ピョートルバロック様式)で建てられました。

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美しい宮殿と庭ですが、ロシアのピョートル大帝夏の離宮と比べると小ぶりですね。

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宮殿に向かい合うように、ネプチューンの噴水が設けられていました。

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目から水が噴き出す噴水。

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案内されたのは、宮殿裏手の庭園側だったので、最後に正面側に回ってみました。カドリオルク宮殿は、現在は、カドリオルク美術館として用いられています。レーピン他の展示作品にも興味がありますが、宮殿内部も見てみたかったので、外観の見学だけで終わったのは残念でした。

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続いて歌の広場に向かいましたが、その途中で見た像。1893年にフィンランド湾で沈んだロシアの軍艦「ルサルカ」の慰霊碑です。

しかし、ルサルカというと、ドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」をまず思い浮かべます。

人間の王子に恋をした水の精のルサルカは、魔法使いイェジババに人間の姿に変えてもらいます。ただし、人間の姿の間はしゃべれないこと、恋人が裏切った時にはその男とともに水底に沈む、というのがその条件でした。美しい娘になったルサルカを見た王子は彼女を城に連れて帰り結婚しますが、その祝宴でも口をきかないルサルカを冷たい女だと不満に思った王子は、祝宴にやってきた外国の王女に心を移してしまいます。

逃げ去ったルサルカを探して王子が湖にやってくると、そこで彼は妖精達から理由を聞かされ、絶望的にルサルカを呼びます。王子はルサルカに抱擁と口づけを求め、それは王子に死をもたらすのだとルサルカは拒みますが、王子のさらなる求めに応じ。王子を抱いて口づけをし、暗い水底へと沈んでいきました。

第1幕中に出てくる「月に寄せる歌」のアリアは名曲ですね。

この粗筋からも判るように、ルサルカは、どう考えても船の名前にはふさわしいとは思えません。ただ、歌劇「ルサルカ」の初演は事件後の1901年なので、船の名前を付けた人は、このオペラのことは知りようがありませんね。

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続いて、歌の原を訪れました。

この野外ステージは、5年ごとに行われる歌と踊りの祭典の舞台となります。第1回「歌の祭典」は1869年に行われ、その後踊りの祭典が加えられました。

現在では、民族衣装に身を包んだ3万人以上の歌い手と、エストニア各地から聴衆が集い、その数は10万人にも及ぶといいます。2003年には、この伝統ある「歌と踊りの祭典」はユネスコの無形文化遺産に登録されました。

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会場の入り口に置かれていた説明板にあった写真です。

1988年に、ソ連統治下の中で開催された祭典では、30万人が集まり、禁じられていたエストニアの民族音楽をエストニア語で合唱しました。それが国民の機運を高め、エストニアを独立へと導きました。1991年8月20日、独立を達成。流血なしに独立を達成したこのイベントは、「歌う革命」とも呼ばれています。

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ステージを見下ろすように、エストニア第2の国歌「わが祖国、わが愛」の作曲家・指揮者グスタフ・エルネサクスの像が置かれていました。

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最初に開催された1869年から100年後の1969年に建立された記念碑が置かれていました。

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丘の上からは、タリン市街地の眺めも広がっていました。

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入り口から右側の木立の中に、開催年と参加者を記した記念碑が置かれていました。

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歌の祭典は、1869年には845人の小規模で始まったようです。

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第二次世界大戦後のソ連占領後の1947年には、25760人に膨れ上がっています。

「歌と踊りの祭典」については、YouTubeで検索すると、多くの動画が見つかります。

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歌の原の見学後、フィンランド湾の海岸線をドライブしました。

クルーズ船が入港しているのが見えました。

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バルト海クルーズも最近では人気のようです。

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ヨットハーバーもありました。モスクワオリンピーックのヨット競技は、タリンで行われたようです。

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市内観光の前に、トイレを済ますためにフェリーターミナルに寄りました。

駐車場の脇では、展望用の気球が浮かんでいました。

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この気球は、膨らんだままのものをロープで上げ下げするもののようです。時間が許せば乗ってみたかったですね。

さすらいの風景 タリン その4

タリン郊外の見学を終えて戻ってきて、バスはホテルのすぐ近くに停まり、ここから徒歩観光になりました。

実際にはアレクサンドル・ネフスキー聖堂の見学から始まったのですが、朝の散歩で見ておいたすぐ近くにあるリンダの像を、最初に載せることにします。

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エストニアの神話では、トームペアの丘は、古代の王カレフが眠る墓地とされています。妻のリンダは、彼を埋葬した後、巨大な石を集めて墓陵を造ろうと考えました。墓陵が完成する最後の石をエプロンに包み丘に登っている時、エプロンの紐が切れて石は転げ落ちてしまいました。疲れ果てた彼女はその石に腰を下ろし、悲しみの涙にくれました。彼女の涙はウレミステ湖になったといいます。

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改めてアレクサンドル・ネフスキー聖堂の見学。観光客も多く、人が入り込まないように撮影するのに苦労する状態でした。

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アレクサンドル・ネフスキー聖堂の内部にも入りましたが、内部は撮影禁止でした。他のロシア正教会と同じく、イコンがびっしりと並べられたイコノスタスも立派なものが設けられていました。

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アレクサンドル・ネフスキー聖堂の入り口から見たトームペア城。

確かに、トームペア城の中に設けられたエストニア議会を監視しているといった感じですね。

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大聖堂(トームキリク)に向かって歩いていきます。

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ツアーでは大聖堂には入場しませんでしたが、昨晩個人的に見てしまっています。

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展望台へと進みます。

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展望台からは、夜とは違った風景が広がっていました。

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聖オレフ教会。

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フェリーターミナル。

郊外にあるテレビ塔が見えています。1991年ソ連のクーデーターの際、ソ連軍の空挺隊はテレビ塔を占拠しようとしましたが、放送関係者らは、エレベーターを停めて閉じこもり、テレビ塔を守りました。

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タリン中心部の眺め。

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精霊教会の塔。

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旧市庁舎の塔。

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展望台から身を乗り出すと、聖ニコラス教会の塔が見えます。

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展望台からの見学を終えて、大聖堂の裏手に戻ってきました。

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裏手から見たアレクサンドル・ネフスキー聖堂。

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下町へと下っていきます。

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トームペアへのメイン通路になっているリュビケ・ヤルク通り。

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昼間もギターの演奏が行われていました。

さすらいの風景 タリン その5

トームペアの丘から下ってきて、まず聖ニコラス教会に向かいました。

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聖ニコラス教会では、入場観光になりました。

船乗りの聖人・聖ニコラスに奉げられ、13世紀前半にドイツ商人の居住区の中心に建てられた教会です。聖ニコラスは、サンタクロースのもとになった聖人ですね。

第二次大戦中のドイツ占領下のタリンへの反転攻撃として行われた、1944年のソ連軍の空襲で破壊され、オリジナルの内装は失われて現在では博物館とオルガンのコンサートホールとして使われています。

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聖ニコラス教会では、中世芸術の粋を集めた祭壇や絵画を見ることができました。

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聖ニコラス教会は高い天井を持っています。奥の主祭壇に進む前に、右手の小部屋に進みました。

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脇の小部屋には、「死の舞踏」の絵が置かれていました。美術品の展示場としてはライティングが考えられておらず、絵の表面が光って見にくいのは残念なことでした。

現存するのは7.5mとのことで、元はもっと長かったのかもしれません。

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死の舞踏の絵画では、主に擬人化された「死」が、様々な職業に属する人々の踊る行列を、墓場まで導く風景が描かれます。この絵画の背景には、ペスト(黒死病)のもたらした衝撃があるといいます。

絵の下の警句には、次のように書かれているようです。

みんなダンスに加わりな、法王、皇帝、すべての生けるものたちよ、貧しいものものも富めるものも、大物も小物も、さあ一歩踏み出して、自己憐憫など役にはたたぬ。おぼえておきな罪の許しを得るために、善行かさねておきなされ。さあ、おいらのバグパイプにあわせて、みなの衆、今がそのとき踊るとき

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実際の写真は光って見にくいので、付属のショップで買った印刷物からの絵を載せておきます。

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この絵は、タリン生まれのリューベックの画家、彫刻家のベルント・ノトケによる15世紀後半の作品です。法王、皇帝、皇女、枢機卿、国王がいやいやながら死とダンスを繰り広げる様子が描かれています。

中世には流行ったモチーフですが、現在で残っている作品は多くはありません。

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「死の舞踏」というと、サンサーンス及びリスト作曲の交響詩としても有名ですね。また、日本でも人気のミュージカル「エリザベート」でも、「Der letzte Tanz 最後のダンス」、「Mayerling-Walzer 死の舞踏」など、この「死の舞踏」のモチーフが背景になっています。

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続いて主祭壇を見学しました。

15世紀のリューベックの職人、ヘルメン・ローデ製の木製祭壇です。

これは扉を開いて、第一面が見えている状態です。めったに開かれることはありませんが、この後ろに第二面があります。

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背後に回ると、扉絵を見ることができます。

聖母子像は良いとして、下にデンマークの国旗が描かれているのは不思議です。

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もう一方の扉絵。

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第一面の左側には、船乗りや貧しい者を救う聖ニコラウスが描かれています。

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右側には、異教の偶像を破壊して殉教した聖ヴィクトルの生涯が描かれています。

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第二面も見たくなりますが、主祭壇の脇には、モニターが置かれて、第二面を映したビデオも流されていました。

附属のショップで買った印刷物で、この主祭壇の構造を知ることができます。

まずは、扉。

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第一面。

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第一面を開くと、第二面が現れます。第二面には、40体の聖人の像が彫られています。

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この他にも見事な祭壇画が展示されていました。

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用途は判りませんが、透かし彫りなどの彫刻が見事です。

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銀器の展示もされていました。

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夕方にこの教会でオルガンコンサートが行われると教えてもらったので、自由時間で歩き回った後に、開始時間を少し遅れましたがこの教会に戻ってきて、オルガンの音に耳を傾けました。二日続けてオルガンコンサートに出会えたのは幸運でした。

オルガンコンサートを聞いていて気が付いたのですが、この教会では、参列者が座る座席は、正面の祭壇ではなく、オルガンの方を向いていました。

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終了後に、演奏者が拍手にこたえて挨拶をしていました。

聖ニコラス教会の見学の後、午前中の団体観光として、もう少し歩くことになりました。

さすらいの風景 タリン その6

タリンの旧市街地では、道が複雑に分かれます。適当に歩いて、迷ってみるのも楽しいですね。

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精霊教会の塔が見えてきました。教会の塔は目印になりますが、似ているものも多いので注意が必要です。

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精霊教会の前には、大ギルドの会館があります。

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通りの先には、展望用のバルーンが見えていました。

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精霊教会には、午後の自由行動時に入ることにして、先に進みました。

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旧市庁舎のあるラエコヤ広場に出てきました。観光客で賑わっていました。

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旧市庁舎の塔の上には、旗を持ったタリンのシンボルである「トーマスおじさん」が飾られています。この像はレプリカで、1530年に造られたオリジナルは旧市庁舎内に保管されているとのことです。

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壁に飾られたキリスト像。

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雨樋は、ドラゴンの頭の形になっていました。

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ラエコヤ広場の周囲にはレストランが並んでいます。

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旧市庁舎脇の小路の奥には、市庁舎監獄であった建物があります。

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ヴィル通りを東に向かって歩いていきます。

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あやしげな姿の人が客引きをしていました。持っている旗を見ると、拷問博物館のようです。興味はありますが、時間がありませんでした。

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街角のヴァイオリン弾き。なかなかの腕前でした。

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ピーナッツ売りのおねえさん。

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ヴィル門が見えてきましたが、ゆっくりと見る間もなく、道を曲がってしまいました。午後の自由時間に戻ってくることにしました。

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城壁の壁沿いに、セーター売り場が並んでいました。

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ここは、セーターの壁と呼ばれています。

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カタリーナの小路に進みました。

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趣のある小路ですが、昼食の時間が気になるのか、足早に進んでいきました。

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タリンの店先の多くでは、人形が飾られていました。

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観光客用のバスも走っていました。タリンの旧市街はそう広くはなく、徒歩で充分回れますがね。

この後は昼食のホテルに案内され、午後は自由行動になりました。

さすらいの風景 タリン その7

団体の束縛から解放されて、マイペースでの街歩きができるようになりました。

タリンの地元料理のレストランで、民族音楽を演奏していました。昼食直後でなかったら、越を下ろしてビールを一杯といった気になったことでしょう。

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ヴィル通りに戻ってきました。何かの客引き。

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ゆっくりと店をのぞきながら歩いていきます。

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店先の人形も、それぞれ個性があります。

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昼食前に女性のヴァイオリン弾きのいた場所には、三人グループの演奏者に代わっていました。

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ヴィル門の前に出ました。片方の塔が工事中であったのは少し残念でした。

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ヴィル門を通り過ぎた先には、花屋が並んでいました。

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市街地の外から見たヴィル門。

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セーターの壁に戻ってきました。

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売られていた編み物をみましたが、買いたいものは見あたりませんでした。

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城壁への入り口があったので、入場しました。

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城壁の途中には、幾つもの塔が設けられていますが、ここはヘレマン塔と呼ばれています。塔の上は、小部屋になっており、窓が開いていました。

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窓から外を眺めました。

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北側の眺め。茶色の屋根が続く城壁の先に聖オレフ教会の塔が見えていました。、

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西の眺め。

左から聖ニコラウス教会、タマネギ頭のアレクサンドル・ネフスキー教会、旧市庁舎、大聖堂(トームキリク)、聖霊教会の塔が並んでいます。

ヘレマン塔は、タリン市街地の絶好の展望台といえます。

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下の通りを見下ろすと、結構高度感がありました。

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城壁もある程度の区間を歩くことができました。

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北方向の眺め。

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南方向の眺め。

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聖ニコラウス教会と旧市庁舎の塔。

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城壁から下りて、街歩きを続けました。

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もう一度、カタリーナの小路を通りました。

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カタリーナの小路は、ドミニコ修道院の南の壁沿いに走っており、タリンで最も美しい通りとも言われています。

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ドミニコ修道院の壁には、墓石が立てかけられていました。

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小広場の奥には、ドミニコ修道院が広がっています。

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ヴェネ通りに出ると、ロシア正教会らしい建物が見えていました。

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通りを歩いていくと、ラエコヤ広場に戻ってきてしまいました。広場のいっかくには、市議会薬局があります。

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市議会薬局は、現役の薬局ではヨーロッパで最も古いものの一つです。記録の残っている1422年にはすでに三代目の経営になっていたといいます。10代目店主は、ロシアのピョートル大帝の死の床にも呼ばれたといいます。

店の看板は、「ヒュギエイアの杯」ですね。

「ヒュギエイアの杯」は、ギリシア神話に登場する名医アスクレピオスの娘のヒュギエイアが持っていた杯です。アスクレピオスの持っていた蛇の巻きついた杖が「アスクレピオスの杖」として医療のシンボルとして使われているのに対し、「ヒュギエイアの杯」は、薬学のシンボルになっています。

一旦ラエコヤ広場に戻ってきてしまったので、改めて北に向かって歩きはじめました。
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