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さすらいの風景 クリスマスマーケット その1

ウィーンに到着した時間が予定より1時間早かったので、ホテルに入った後、一番規模の大きな市庁舎広場のクリスマスマーケットの見学に出かけました。

ホテルを出ると、すぐにマリアテレジア広場のクリスマスマーケットの裏手に出ました。

ウィーンでは、街の各所にクリスマスマーケットが開かれていますが、このマリアテレジア広場のクリスマスマーケットも代表的なものになっています。広場には、クリスマス用品や食べ物を得る小屋が並んでいました。

広場の両脇には、美術史博物館と自然史博物館が向かい合っています。写真は、昼間は絵を見るために多くの観光客が訪れる美術史博物館ですが、ライトアップされて美しい姿を見せていました。

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広場の真ん中に立つマリア・テレジア像。

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クリスマスマーケットとは、ドイツやオーストリアの都市の広場でアドベント(イエス・キリストの降誕を待ち望む期間のこと)に行われる市のことを言います。日本でいうなら歳の市といったところですね。

夜が長く天気の悪い冬の北ヨーロッパの呼び物として定着して、これを目的にする観光客も多くなっています。最近では、日本でもクリスマスマーケットを訪れるツアーが人気になっています。

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クリスマスグッズを得る店がずらりと並んでいました。

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それぞれの店が美しく飾られていました。

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白い人形で埋め尽くされた店。

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土産に白熊を買ってしまいました。

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キャンドル。

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木製の飾り。

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目移りするような様々なオーナメントが売られていました。

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夜店の灯りで、クリスマスの飾りも輝いていました。

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寒い中でのクリスマスマーケットの見学なので、アルコール飲料は欠かせません。

飲み物を得る屋台も多数出ていました。この店の看板には、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリーザベス皇妃(シシー)の絵が描かれていました。

代表的な飲み物は、グリューワインとプンシュです。グリューワインは、焦がしたザラメの砂糖と赤ワインをお鍋に注ぎ、オレンジピールやシナモン、クローブ等のスパイスと共に沸騰させない程度まで温めたものです。またプンシュはパンチとも呼ばれ、水(もしくは紅茶)、砂糖、お酒(ラム酒など)、ライム果汁、スパイスをベースに、ラズベリーやオレンジなどのフルーツやチョコレート等で味付けされたカクテルです。

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この後に訪れた市庁舎広場のクリスマスマーケットでグリューワインを飲みましたが、ここのカップも欲しかったので、かみさん用にキンダープンシュを頼みました。キンダープンシュとは、子供用のノンアルコールタイプのプンシュです。飲んでみると、色々の果汁が混じって複雑な味になっています。アルコールの入った普通のプンシュの方が体の中から温まって良いですね。

なお、このカップはワイーンで開催されているクリスマスマーケット毎にことなっており、良い記念品になります。カップを返せばカップ代金(2.5ユーロだったか)は戻ってきます。

ただ、飲み終わったカップはベトベトしているので、ホテルまで持ち帰るまで入れておくビニール袋を用意しておく必要があります。その後、日本まで壊さないように持ち帰るための梱包が重要になってきます。

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食べ物屋も並んでいます。料金はお祭り価格で高めです。

これはカップケーキの店。

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クリスマスのクッキー、レープクーヘンの店もありました。

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食べるためというよりは、クリスマスツリーの飾りとして使われるようです。

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ワッフルの店。これも二日目の晩に食べました。

マリア・テレジア広場のクリスマスマーケットはホテルに近かったことから、毎晩、この中を抜けてホテルに戻っていました。

また、マリア・テレジア広場の前の通りは、観光バスが停車できるスペースがあるため、ここと市庁舎の間は観光客の団体が行き来して大賑わいになっていました。

さすらいの風景 クリスマスマーケット その2

マリア・テレジア広場からリンク沿いに歩いていくと、国会議事堂前に出ます。1883年に完成したギリシャ神殿風の建物で、正面にアテネ像が立っています。

市庁舎の塔が見えてきて、期待が高まりました。

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市庁舎脇の公園の木々も飾りがぶる下げられていました。

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公園内に通じる小路の入り口もアーチ型の飾りがとり付けれれていました。

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市庁舎広場に到着しました。大層な賑わいです。

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クリスマスマーケトの全体の雰囲気をつかむため、道路向かいのブルク劇場側から眺めました。

左に、「Frohe Weihnachten」(クリスマスおめでとう)と書かれています。

また右には、「Wiener Christkindlmarkt」 ウィーン・クリストキントマーケットと書かれています。

このChristkindとは、「幼児キリスト」を現しており、クリスマスのプレゼント主になっています。

クリスマスのプレゼント主というとサンタクロースが思い浮かぶと思いますが、歴史的に複雑な経緯をたどっています。

サンタクロースが、聖ニコラウスに由来することは知られるようになっていると思います。4世紀のミラ「ローマ帝国リュキア属州、現在はトルコ」の司教聖ニコラウスは、特に貧しい人や子供たちの世話をしたと伝えられており、そのため子供の守護聖人として崇められるようになりました。聖ニコラウスの祝日12月6日に子供へのプレゼントが行われるようになって、ヨーロッパにこの風習が広まりました。

ところが、16世紀のマルティン・ルターのプロテスタント改革の結果、ローマ・カトリック教会の聖人崇拝が否定され、聖ニコラウス崇拝も拒絶されるようになりました。その代わりのプレゼント主として登場したのが、聖キリスト(幼児キリスト)で、贈り物をする習慣は12月6日から12月24日に移動しました。このプロテスタントの習慣は、ヨーロッパ内のドイツ語圏のカトリック教徒の間にも流れ込み、聖キリストはそれ以降、金色の巻き髪の天使に似た姿にさらに変わって行きました。今日ではクリストキントがプレゼント主となる習慣は、意外なことにむしろカトリックの伝統が強い西部ドイツと南部ドイツ、オーストリアに広まっています。

一方、聖ニコラウスは、オランダ版のニコラウスである「ジンタ・クラースSinterklaas」を介してアメリカへと渡り、そこで赤いコートと帽子姿のサンタクロースに発展しました。トナカイの引くソリや煙突から家へ入るサンタクロースに関する逸話や北極のサンタクロースの仕事場が考え出され、現在のサンタクロースの姿は、コカ・コーラのコマーシャルで商業的に利用された事で定着しました。

なお、ウィーンの伝統では、聖ニコラウスは12月6日にプレゼントを持ってきますが、従者のクランプス(Krampus)と呼ばれる鬼が一緒にやってきて、悪い子にはお仕置きをするそうです。残念ながら、今回の旅では時期が遅れており、クランプスには出会うことはできませんでした。

日本でクリストキントが全く知られていないのは、クリスマスの習慣がアメリカ経由で伝わったことによるのでしょうね。

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市庁舎広場周辺には、一見すると蝶々かと思ってしまう飾りが取り付けられています。

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実は、これはクリストキントを現しています。良く見れば、羽を背負った天使が手を広げています。

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これもクリストキントの飾りですね。

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市庁舎は、1872~1873年にかけて、ネオゴシック様式で建築されました。中央の塔の高さは98m。近くのヴァティーブ教会の高さが89mであることから、皇帝の命でこの高さを超えることは許されませんでしたが、建築家シュミットは塔のてっぺんに騎士像を載せて反抗したといいます。

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塔の前には大きなクリスマスツリーが置かれていました。意外に質素な飾り付けです。また、よく見られるてっぺんに付ける星は見られません。

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煌びやかなキリスマス飾りが売られています。

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ただ、これらの飾りは一個がかなりの値段がするので、クリスマスツリー全体を飾るよりは、気に入った飾りを一つ加えるといった感じで購入するのでしょうか。

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色とりどりの飾りを見ると、何を買えば良いのか判らなくなってしまいます。

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お馴染みのくるみ割り人形の店を発見。クリスマス関係の飾りとして知られていますが、ドイツのものなので、この店しかみつけられませんでした。

また、蝋燭の火の上昇気流でプロペラを回すクリスマスタワーのミニチュア版もこの店では売られていますが、ドイツのクリスマスマーケットの中心部に飾られるような巨大なクリスマスタワーはウィーンでは見られませんでした。さらにミニチュアの馬小屋にマリアや幼児キリスト、三博士の人形を飾る馬小屋降誕セット(クリッペ)も売られていませんでした。国によって、クリスマスマーケットの内容も変わってくるようです。

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マリアテレジア広場で見かけた真っ白人形の店が、市庁舎広場にもありました。複数のクリスマスマーケットに出店している店もあれば、ここだけというものもあるようです。

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マペットの店。子供に実演していました。

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店の数が多いため、後で気に入ったものを買おうとして同じ店に戻ってくるのはかなり難しいです。

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皇妃エリザベート(シシー)のオーナメント。

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変わったものとしては、この赤い帽子。裾のところの星が光ります。

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お菓子の家も飾られていました。今回のウィーン訪問では、このお菓子の家が登場するオペラ「ヘンゼルとグレーテル」を見る予定になっています。

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クリスマスのクッキー、レープクーヘンの店。

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お菓子を売る店も多く並んでいました。

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小さなバケツに入って売られているのは、綿あめのようです。日本のようにその場で作っている様子は見られませんでした。

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モーツァルトチョコをずらりと並べたチョコレート屋。

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ドライフルーツの店。

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チョコレートフォンジュ屋。

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青蛙やハリネズミのお菓子が並んでいました。

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お待ちかねのグリューワイン。体があたたまります。

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ハムやソーセージを売る店がありました。

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グリューワインのつまみにソーセージ。食べやすいように細かく切ってくれました。

クリスマスマーケットでの買い食いは、二人で一皿を分け合って、足りなければ別なものを買うようにするのが良いでしょう。

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菓子パンを売る店もあったので、ホテルに戻ってからの夜食用に買いました。

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無事にクリスマスマーケットの見学と買い食いを行い、ホテルに戻ることにしました。

正面に見えるのはブルク劇場ですが、その屋上にライブカメラが設置されており、市庁舎やクリスマスマーケットの様子が映し出されてネットにアップされているので、旅の準備の役に立ちました。

雪が積もったりマイナス気温ではクリスマスマーケットの見学も辛いものになると危惧していたのですが、雪は無く、気温も4度ほどで、ユニクロのヒートテックの下着にフリース、ダウンのジャケットで余裕で過ごせました。

さすらいの風景 クリスマスマーケット その3

マリア・テレジア広場と市庁舎広場のクリスマスマーケットを見てホテルに戻ってきましたが、もうひと頑張りして、すぐ近くのシュピッテルベルク通りのクリスマスマーケットも見物することにしました。

シュピッテルベルクは、小高い所にあり、17世紀後半のトルコ軍や、1809年のナポレオン軍のウィーン攻撃時には、この地域から中心に向けて攻撃をしました。現在見られる建物の多くはバロック時代に建てられました。

シュピッテルベルク通りを中心とした小路でクリスマスマーケットが開催されています。

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市庁舎広場のクリスマスマーケットの喧騒とは違った静かな雰囲気です。

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石畳の小路が続いています。

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売られているものも、手造りの手芸品が中心です。

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派手さはありませんが、これが本来のクリスマスマーケットの姿だといいます。

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工芸品の店もありました。

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編み物をする人形が飾られていました。

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小広場に出ると、飲み物を売る店が並んでおり、ここまでの静かな小路とは違い、酔っぱらいで賑わっていました。

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シュピッテルベルクのクリスマスマーケットは、アルコール飲料を飲むことを一番の目的としてやってくる地元の人が多い感じです。

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クリスマスとは関係なさそうな手芸品が売られていますが、クリスマスプレゼントと考えればよいのでしょうか。

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店をのぞきながら、周囲の小路を歩きました。

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10時過ぎになって、店も閉まり始めたのでホテルに戻ることにしました。

この日は、三つのクリスマスマーケットを訪れましたが、それぞれ雰囲気が違っていました。この後の滞在中も、他のクリスマスマーケットを見学することになりました。

さすらいの風景 クリスマスマーケット その4

ウィーンの街角で出会ったクリスマスマーケットを続けて掲載していきます。

二日目、シシー博物館と皇帝の部屋の見学を終えてミヒャエル広場にでると、ここでもクルスマスマーケットが開催されていました。

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ミヒャエル広場のクリスマスマーケットは、今年(2014年)から開催されるようになったようで、白で統一された小屋はおしゃれな感じです。

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小屋は、背後の王宮の建物と調和するように考えられているようです。

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お菓子の家が飾られていました。

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この種の飾りは、他のクリスマスマーケットでは見かけなかったようです。

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このミヒャエル広場は、繁華街であるコールマルクト通りの突き当りにあり、ケーキで有名なデーメルもすぐ近くにあることから夜になって再び訪れました。

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昼間とはまた違った雰囲気です。

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市庁舎広場で売られていた飾りと同じなのかもしれませんが、照明が違っていて、別な雰囲気になっています。

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ミヒャエル広場のクリスマスマーケットは規模も小さくて比較的すいていましたが、コールマルクト通りに進むと大賑わいになっていました。

さすらいの風景 クリスマスマーケット その5

ミヒャエル広場からコールマルクト通りに進みます。

クリスマスの飾り付けが通りを幻想的に飾っていました。

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小さな灯りを連ねただけですが、センスを感じさせる飾り付けです。

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クリスマスの時期しか見ることのできない眺めです。

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グラーベン通りに出ると、飾り付けが変わりました。シャンデリアを模した飾りでしょうか。

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グラーベン通りには、クリスマスマーケットの店はありませんでしたが、グリューワインやプンシュを売る飲み屋の小屋が出店していました。

この季節は、街全体が飲み屋街になっていました。

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観光スポットになっているペスト記念柱もクリスマスのイルミネーションに彩られていました。

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昼間の観光で足は疲労の限界に近づいてきていますが、歩かないわけにはいかない風景です。

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脇道は、別な飾り付けがされていました。ハブスブルガー・ガッセということで王冠の飾りなのでしょうか。

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これは別な通り。

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シュテファン寺院が見えてきました。

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シュテファン寺院を取り巻くシュテファン広場でもクリスマスマーケットが開催されていました。

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ここのクリスマスツリーのてっぺんには、星飾りが取り付けられていました。

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とりあえず、シュテファン寺院の中をのぞきましたが、外のクリスマスマーケットのにぎわいに反してひっそりとしていました。

シュテファン寺院の内部の見学は後日改めてということにしました。

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クリスマスマーケットを見るついでに、シュテファン寺院の入り口と反対側近くにあるクルツィフィクス礼拝堂を見学しました。

マリア・テレジア女帝の時代、シュテファン大聖堂をはじめとする教会の脇には墓地があり、土葬が行われていました。衛生上よくないということで、マリア・テレジア女帝は城壁内の遺体埋葬を禁止させ、長男のヨーゼフ2世が城壁内の墓地を取り払って外側に移させました。中心から外側の墓地までは距離があるので、当時の人々はこのシュテファン大聖堂のクルツィフィクス礼拝堂で最後のお別れをし、城門まで歩いてそこで見送りました。

モーツァルトは、シュテファン寺院でコンスタンツェとの結婚式を行っていますが、彼の葬儀の際には、当時の習慣通りに聖別もここで行われ、参列者は城門で見送りました。その後、彼の遺体は聖マルクス墓地に送られ、モーツァルトの埋葬場所は不明になってしまいました。ザンクト・マルクス墓地にあるモーツァルトの墓も推定の場所に置かれたもので、遺体は納められていません。

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モーツァルトのはっきりした足跡の記念として、「1791年12月6日、不滅のモーツァルトの最後の別れの式が行われた 1931年シューベルト連盟より」と書かれたプレートがキリスト像の下に置かれています。

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シュテファン広場のクリスマスマーケットも場所が良いため賑わっていました。

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ここの飾りも他とは異なっており、独特の雰囲気になっています。

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クリスマスのクッキー、レープクーヘンの店。

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木彫り人形の店。

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ロウソクの飾り。

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お土産用のモーツァルトチョコレート。

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シュテファン広場から北に延びる通りは、別な飾り付けがされていました。

すっかり歩き疲れても、地下鉄のシュテファンプラッツ駅からホテルのもより駅であるフォルクステアター駅までは、ひと駅と近いので助かりました。フォルクステアター駅を下りてからマリア・テレジア広場のクリスマス・マーケットに寄り道することにはなるのですが。

さすらいの風景 クリスマスマーケット その6

ウィーンのメインロードとしては、ケルトナー通りが挙げられます。ここもクリスマスイルミネーションに飾られていました。

入り口の国立オペラ座から歩き出しましょう。

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国立オペラ座の脇を抜けると、ケルトナー通りが始まります。

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ケルトナー通りでは、星の飾りが取り付けられていました。

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通りの星飾りからは、エリーザベト皇妃(シシー)の肖像画で有名な星飾りを思い出します。

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クリスマスの時期でなければ見られない、華やかな眺めです。

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王室御用達カフェのゲルストナーのショーウィンドーに飾られたクリスマスツリー。

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クリスタルガラスのスワロフスキーのショーウィンドー。意外に地味です。

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ケルトナー通りからグラーベン通りに入り、小路をアム・ホーフ広場に向かいました。

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アム・ホーフ広場でもクリスマスマーケットが開催されています。

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骨アム・ホーフ広場のクリスマスマーケットは、董品や美術工芸品などの店が多いといいますが、食べ物に目がいってしまいます。

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ここのクリスマスマーケットは、地元の人が主に集まるようです。

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手造りアクセサリーの店。

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夜も更けて、買い物客よりも、飲み屋の前に人が多く集まっています。

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続いて、近くのフライウング広場のクリスマスマーケットに向かいました。

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フライウング広場のクリスマスマーケットは、旧市街でもっとも伝統的な市とのことです。

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工芸品の店が並んでいますが、時間が遅くなって店じまいしはじめていました。

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別な通りを歩いて、地下鉄に乗るためにシュテファン広場に向かいました。

さすらいの風景 クリスマスマーケット その7

ウィーンの代表的観光地として、シェ-ンベルン宮殿とベルヴェデーレ宮殿が挙げられますが、ここでもクリスマスマーケットが開催されています。

リンク内の観光を行った二日目に続いて、三日目は郊外を回ることになって、まずシェーンブルン宮殿を訪れました。

王宮の入り口からは、クリスマスツリーがまず目について、目立たなくなっていますが、宮殿前にクリスマスマーケットがの小屋が並んでいました。景観を配慮してか、小屋は暗い色に塗られています。

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シェーンブルン宮殿には開館と同時に入場し、その後、庭と馬車博物館を回った後に、クリスマスマーケットを見物しました。

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ここでは、クリスマスマーケットの立ち食いで昼食を済ます予定でした。

クリスマス飾りを売る店は広場の周囲を囲むように並んでおり、中央部にこのような食べ物を売る店が並んでいました。

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まずは、つぶしたジャガイモを焼いて、クリームとハムを載せたものを食べました。ここのカップも欲しかったので、プンシュも飲みました。

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少し物足りなかったので、続けてパスタ。これで腹いっぱいになってしまいました。

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腹ごなしも兼ねて、クリスマスマーケットをひと回りしました。

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シェーンブルン宮殿のクリスマスマーケットでは、少し高級そうな工芸品が並んでいました。

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ベルヴェデーレ宮殿の見学を終えたのは、夕方近くになっていました。

上宮の池側にクリスマスマーケットが開催されていました。

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子供用の簡単な乗り物も置かれていました。

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サンタクロースのソリも回っていました。

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宮殿を背景にしたクリスマスマーケットは優雅な雰囲気がします。

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肉屋。

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チーズ屋。体力が尽きかかっていますが、食欲がそそられます。

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定番とも言える池越しのベルヴェデール宮殿の風景です。いつもと違ってクリスマスマーケットの小屋が並んでいますが、目立たなくなっています。

さすらいの風景 クリスマスマーケット その8

ベルヴェデーレ宮殿の見学後にカールス広場の見学を行う予定でしたが、疲れていたので一旦ホテルに戻り、夜になってから再び出かけました。

カールスプラッツ駅は地下鉄が集まる交通の要所であるため、地下街からカールプラッツ広場に向かって人の流れができていました。

広場の脇にはカールス教会が美しい姿を見せていました。

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ここのクリスマスマーケットの特徴は工芸品とのことです。

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時間の関係もあるのか、広場は大賑わいでした。

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カールス教会は、マリア・テレジアの父カール6世が、ペストの鎮静を祈願して造らせたバロック様式の建物です。1716年に建築が始まり、1739年に完成しました。

ローマのトラヤヌス帝記念柱にヒントを得たと言われる二本の大円柱が建てられています。

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クリスマスマーケットでは、ロウソクを立てたクリスマスリースを見かけなかったのは意外でしたが、花屋で売られていました。これは、ケルントナー通りにあった花屋。

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これは、ナッシュマルクトの花屋にて。

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マリア・テレジア広場の向かいは、複数の美術館が集まったミュージアムクオーターがあります。ここの入り口ではプロジェクションマッピングが行われていました。

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ミュージアムクオーターの広場に進むと、内部でもプロジェクションマッピングが行われていました。

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ここの特徴は、クリスマスグッズを売る店はなく、並んでいるのは、飲み屋だけということです。観光客よりも若者が主な参加者でした。ここでの催し物の名前もクリスマスマーケットではなく、ウィンターフェスティバルといったもののようです。

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シロクマのキャラクターがここのシンボルのようです。

以上、クリスマスマーケットをまとめてきましたが、これでも見落としたものもあります。クリスマスマーケット見物を行うウィーンを含むツアーでは、代表的な市庁舎広場で短時間を過ごして終わりというのが普通のようなので、じっくりと見物するには、自由旅行を行う必要があります。

さすらいの風景 ウィーン その1

ウィーン旅行の二日目は、王宮を中心とした旧市街地の見学を行うことにしました。

まずは、ホテルを出てからリンク沿いに歩き、ブルク公園に向かいました。

春から秋にかけてはト音記号の花壇で飾られたモーツァルト像も、冬枯れの中で寒々としていました。

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ここで見たかったのは、フランツ・ヨーゼフ1世皇帝の像でした。

フランツ・ヨーゼフ1世は、18才の若さで皇帝に即位し、68年に及ぶ長い在位と、国民からの絶大な敬愛から晩年はオーストリア帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の「国父」とも称され、しばしばオーストリア帝国の実質的な「最後の」皇帝と呼ばれています。皇后は美貌で知られるエリーザベト(シシー)です。

エリーザベトが肖像画などで若い姿で描かれるのに対し、フランツ・ヨーゼフ1世はこの像に代表される年老いた姿で現されることが多いようです。エリーザベトの現在の人気に反して、フランツ・ヨーゼフ1世は不幸であった結婚の相手方という扱い方で、この像もガイドブックには掲載されていない不遇の扱いで、ネットの情報で知ることができました。

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フランツ・ヨーゼフ1世が見つめる先には、アウグスティーナ教会の尖塔が見えています。

続けてアウグスティーナ教会に向かいました。

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1854年4月、黄昏時のアウグスティーナ教会にて、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世はエリザベートと結婚しました。

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栄華を誇るハプスブルグ家の皇帝の結婚式を行う教会としては、質素な造りで、陰気な感じがぬぐえません。

14世紀前半に宮廷付属の教会として造られ、マリア・テレジアとフランツ1世、マリー・アントワネットとルイ16世(代理人)、マリー・ルイーズとナポレオン(代理人)の結婚式もここで行われています。

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アウグスティーナ教会の主祭壇。

地下には、ハプスブルグ家の心臓安置所も設けられ、ミュージカル「エリザベート」の結婚式の場面のように、こここにはトート(死神)の影が垂れ込めている感じがします。

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堂内には、マリア・テレジアの娘のマリー・クリスティーナの墓碑が置かれています。

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アウグスティーナ教会を出て、王宮に向かう途中、ヨーゼフ2世像の置かれたヨーゼフ広場に出ました。背後は、国立図書館プルンクザール。午後に見学することになりました。

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ヨーゼフ2世は、神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの長男で、マリー・アントワネットの兄にあたります。啓蒙専制君主の代表的人物で、富国強兵・王権強化を図りましたが、フラス革命が激化する中で病死しました。

なお、モーツァルトは、このフランツ1世に宮廷音楽家として仕え、映画「アマデウス」でもご機嫌取りに苦労する様子が描かれています。なお、モーツァルトの墓が判らなくなったのも、ヨーゼフ1世の葬儀簡素令のためであるようです。

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このヨーゼフ広場に面して、パラヴィッチーニ宮があります。

ここは、映画「第三の男」で、ハリー・ライムの家として使われています。

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このアパートの前でハリー・ライムは自動車に引かれ、ヨーゼフ2世の象の下に運ばれましたが、そこには第三の男がいたというのが、物語の発端になっています。

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ビデオよりハリー・ライムの家の場面。

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「第三の男」の代表的場面も出しておきましょう。

プラターの大観覧車の場面。

以前訪問したプラターの大観覧車

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中央墓地での最後の場面。

以前訪問した中央墓地

見所の多いウィーンのため、しばしば足が止まってしまいます。

さすらいの風景 ウィーン その2

ウィーンの個人観光では、ウィーン・カードが役にたちます。このウィーン・カードは、ウィーンの主な観光施設が割引になり、また地下鉄や路面電車の乗り放題切符がついています。

到着時にホテルの受付でさっそく購入しました。割引の効く施設についての分厚いパンフレットが渡されますが、全部を把握するのは難しいため、チケットの購入の際にウィーン・カードを提示してみるという使い方になりました。

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また、ウィーン・カードの裏面は、地下鉄と路面電車のフリーパスになっており、使用開始時に時刻の印字をして使うことになります。予定も不確かなところもあるので、72時間チケットを購入しました。

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シシー・ミュージアムに入場するためにミヒャエル広場に面するアーチ状の入り口に向かいましたが、工事中で入り口が変わっていました。

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フランツ2世像のある広場に臨時の切符売り場が設けられており、この広場から入場することになりました。

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様々な組み合わせの切符があるのですが、翌日のシェーンブルン宮殿見学のために、「シシー・チケット」を購入しました。シシー・チケットは、王宮とシェーンブルン宮殿、王宮家具博物館の入場含まれていますが、シェーンブルン宮殿のグランドツアーが、自由な時間で入場できるという利点があります。

シシー博物館と王宮については写真撮影禁止であり、2011年の訪問の際にガイドブックからまとめているので、そちらをご覧ください。

2011年のシシー博物館の記録

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入場すると、銀器コレクションから始まります。ここは撮影可能ですが、延々と食器類が並んでいるという感じです。

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ガイドフォンの説明をいちいち聞いていると、時間がかかるので、ざっと眺めるだけにしました。

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エリザベートが用いた肉汁を絞るための調理器具。エリーザベトは、身長172cm、ウェスト50cm、体重50kgの体型を維持するため、肉汁をとっていたといいます。

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二つ並んでおり使用頻度が高かったことがうかがわれます。

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王宮へ続く階段に置かれていた、フランツ・ヨーゼフ1世皇帝の胸像。この皇帝は、年老いた姿でばかり像が作られています。

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エリーザベトのパネル。

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シシー博物館の新しい展示物として、ギリシャのコルフ島で着ていたドレスが展示されていました。

「ルドルフ皇太子の自殺以後、エリーザベトは、常に黒い喪服を着るようになりました。」と言われているのですが、人目を気にする必要のないコルフ島では明るい色のドレスを着ていたことが、この展示物から明らかになりました。

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こちらもコルフ島で着ていたエリーザベトのドレス。ウェストの細さはさすがです。

エリザベートの真の姿については、後世に伝説として付け加えられたところもあって、謎が多いようです。

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シシー博物館の見学を終えてからフォルクス庭園のエリーザベト像に会いにいきました。

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若く美しい姿のエリザベート像が置かれています。

皇妃エリーザベト(シシー)については、さらに見学していくことになります。

さすらいの風景 ウィーン その3

シシー博物館と王宮を見学した後、ザッハーでケーキを食べてひと息いれた後に、カプツィーナ皇帝納骨堂を訪れました。

ここには、1633年以降のハプスブルク家の皇帝及びゆかりの人物の棺が納められています。

ここに安置されている人から、ハプスブルク家の栄光と没落の歴史を振り返ることにしましょう。

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地下に入ると、創設者納骨堂と呼ばれる奥まった小部屋があります。ここには、納骨堂の建設を命じたマティアス皇帝とアンナ皇后の棺が収まられています。

マティアス皇帝の時代に宗教戦争である三十年戦争がはじまりました。

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皇帝レオポルド1世の棺。

三十年戦争で衰退した領土を受け継ぎ、全盛期のフランスとオスマン帝国に圧迫されて苦戦を強いられましたが、やがてオスマン帝国からハンガリー・トランシルヴァニアを奪取して東に領土を拡大し、ハプスブルク家の大国復興の足がかりを築きました。

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皇帝レオポルド1世の最初の妻であった皇后マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャの棺。 Mのマークが記されています。

マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャは、スペイン王フェリペ4世の王女で、スペインからウィーンの王宮に婚約者の肖像画として贈られたベラスケスの肖像画が有名です。

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名作が集まったウィーン美術史博物館においても、マルガリータの肖像画は代表作になっています。今回の訪問では、ウィーン美術史博物館でベラスケス展が開催されて他の国からの作品も一堂に集められて展示されていました。特別展示室では撮影禁止になっていたので、2011年訪問時の通常展示の写真を掲示します。

ベラスケスの作品が並んでいます。

一番左は、マルガリータの弟の「王子フェリペ・プロスペロ」の肖像画で、左から3歳の時の「バラ色のドレスのマルガリータ王女」、5歳のころの「白いドレスのマルガリータ王女」、8歳のときの「青いドレスのマルガリータ王女」の絵が並んでいます。

15歳のときに結婚式が挙行されましたが、スペインからの随行員がウィーンの宮廷内で打ち解けなかったために、その悪感情はそのままマルガリータに向けられ、何度にも及ぶ妊娠の影響で21歳で亡くなってしまいました。

名門出の皇后にもかかわらず質素な棺は、マルガリータの宮殿内での待遇が反映されたような気がします。

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皇帝ヨーゼフ1世の棺。

皇帝ヨーゼフ1世は、レオポルト1世の長男で、弟のカールをスペイン王にするべく、父の時代から続いていたスペイン継承戦争を継続。長男が早世したためにカールが皇帝カール6世として即位し、スペインの王位を断念することとなりました。

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皇帝カール6世の棺。

スペイン王カルロス2世が病死してスペイン・ハプスブルク家が断絶したことによって、ウィーンハプスブルグ家のカールとフランス王ルイ14世の孫アンジュー公フィリップ(フェリペ5世として即位)の間でスペイン継承戦争が起こりました。ヨーゼフ1世の病死に伴い、カールはカール6世としてオーストリア・神聖ローマ帝国の帝位を継ぐことになり、スペインの継承は諦めることになりました。皇帝即位後は対外戦争に力を注ぎ、オスマン帝国からベオグラードを奪い、ハプスブルク帝国の最大版図を築き上げました。

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皇后エリーザベト・クリスティーネ(愛称白き肌のリースル)の棺。皇帝カール6世との間になかなか子に恵まれず、唯一の男児レオポルトが誕生するも1歳に満たずに夭折し、その後は女児しか誕生せず、長女のマリア・テレジアを後継者にするしかなくなりました。

カール6世は、ハプスブルク家の領地は分割されてはならないこと、継承権のある男子がいない場合は直系の女子に継承権があることを定めましたが、のちにこの詔書によって長女マリア・テレジアが家領の正式な相続者となると、オーストリア継承戦争が引き起こされるました。

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女帝マリア・テレジアと皇帝フランツ1世の巨大な棺。

フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲンは、マリア・テレジアと結婚し、1740年にカール6世が亡くなると、マリア・テレジアがオーストリア大公に即位し、彼女の決定によりフランツは共同統治者になりました。しかし、列国はカール6世の生前に交わした取り決めを無視してハプスブルク家領を侵略し、オーストリア継承戦争が勃発しました。

プロイセン王フリードリヒ2世との間の第一次シュレージエン戦争やバイエルン選帝侯カール・アルブレヒトの神聖ローマ皇帝・カール7世の戴冠によって窮地に立たせられますが、マリア・テレジアは、ハンガリー議会で演説を行って軍資金と兵力を獲得し、戦う態勢を整えました。カール7世の死後、夫のフランツを神聖ローマ帝国の帝位に付けることに成功し、最終的に1748年のアーヘンの和約によって戦いを終えることに成功しました。

フランツは、異例の恋愛結婚によってマリア・テレジアと結婚しましたが、その家柄から宮廷内もしきたりによって屈辱を味わわされることとなりました。、オーストリア継承戦争が勃発すると、オーストリア宮廷で主導権を握るのはマリア・テレジアで、国政から遠ざけられるようになりました。1745年に神聖ローマ皇帝に即位しましたが、名のみのもので、実権はマリア・テレジアに握られていました。しかし、フランツには財政家もしくは経営者としての手腕があり、七年戦争のための国債の発行の際には、保証人になるほどの財を蓄えていました。

フランツの遺産として、シェーンブルン宮殿の一角にある植物園や動物園、ウィーン自然史博物館に所蔵されている昆虫や鉱石のコレクションが残されています。

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女帝マリア・テレジアと皇帝フランツ1世の棺の前には、ヨーゼフ2世の棺が置かれています。

女帝マリア・テレジアと皇帝フランツ1世の間には、5男11女の計16人が生まれていますが、ヨーゼフ2世は四番目に生まれた待望の長男でした。なお、フランス国王ルイ16世の王妃になったマリー・アントワネットは、15番目の子供になります。

ヨーゼフ2世は、父フランツ1世の死後、母マリア・テレジアとともに共同統治を行いました。啓蒙思想の影響を受けながら絶対主義の君主であろうともした啓蒙専制君主の代表的人物でした。

文化の発展にも力を注ぎ、特にイタリア人が占めていた音楽の分野で、ドイツ音楽を意識してモーツァルトを宮廷音楽家として雇っていたことでも知られます。映画「アマデウス」においても、モーツァルトの天才を理解しきれぬさまが描かれています。

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マリー・ルイーズの棺。

マリー・ルイーズは、フランツ2世の長女として生まれました。フランツ2世は、伯父のヨーゼフ2世に子供が無かったことから王位をつぎました。王位を継いだのはフランス革命のさなかで、ナポレオン戦争に巻き込まれて、神聖ローマ皇帝の地位を失うことになりました。

イギリスとロシアを除く全ヨーロッパを勢力下に置いたナポレオンは、、皇后ジョゼフィーヌを後嗣を生めないと言う理由で離別して、1810年にオーストリア皇女マリー・ルイーズと再婚しました。この結婚に際しては、オーストリア宰相メッテルニヒの働きがあったといいます。

1811年に王子ナポレオン2世が誕生すると、ナポレオンはこの乳児をローマ王の地位に就けました。1814年4月6日にナポレオン1世がフォンテーヌブロー宮殿で退位すると、母マリー・ルイーズと共に、5月21日にオーストリアに帰国しました。ナポレオンは、マリー・ルイーズとナポレオン2世がわが身の元に戻ってくることを待ち望んでいましたが、マリー・ルイーズは、護衛についていたナイペルク伯と恋におちてしまい、パルマに二人で去ってしまい、しかもナポレオンの在命中に子供をもうけてしまいました。さらにナイペルク伯の死亡後には、パルマ統治の補佐役としてやってきたシャルル・ルネ・ド・ボンベルと結婚してしまいます。

一方残されたナポレオン2世は、ナポレオンの残党による誘拐を恐れたメッテルニヒによって、ほとんど監禁同然の身になり、後にライヒシュタット公爵の地位を得ました。

ナポレオンの遺骸は、1840年パリのアンヴァリッド(廃兵院)に埋葬されましたが、その100年後に、ヒットラーがフランスを占領した際、ライヒシュタット公爵の遺体をカプツィーナ皇帝納骨堂からアンヴァリッドのナポレオンの傍らに移しました。

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皇帝フェルディナント1世の棺。

オーストリア皇帝フランツ1世の死後に帝位につきましたが、癲癇の持病を持つ病弱で、結婚しても後継をもうけることができないと医師から診断されていました。

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フランツ・カール・フォン・エスターライヒ(左)とゾフィーの棺。間には、死産であった男児の棺が置かれています。

フェルディナント1世が1848年に退位した際は、弟のフランツ・カール・フォン・エスターライヒが帝位継承権第1位でしたが、政治的野心とは無縁の人物であったため、長男のフランツ・ヨーゼフに帝位をゆずりました。

ゾフィーは、お見合いで出会ったフランツ・カールが鈍重で魅力のない男だと知りましたが、オーストリア皇帝フランツ1世が世継ぎを望めないことから弟のフランツ・カールに帝位が回ってくると判断して、結婚に同意しました。フランツ・カールは帝位にはつかなかったものの、長男のフランツ・ヨーゼフに帝位が譲られて、ゾフィーは保守主義の庇護者として、オーストリア帝国の政治に絶大な影響力を及ぼすことになりました。

ミュージカル「エリザベート」でも、ゾフィーはエリザベート(シシー)を宮廷内でいびり倒す「宮廷内のただ一人の本物の男」として演じられていますが、若い時は美人として知られており、異母兄ルートヴィヒ1世がニンフェンブルク宮殿内に作った美人画廊に肖像画が飾られていたほどです。

ニンフェンブルク宮殿内の美人画廊

ゾフィーvsシシーの確執も、政治的立場の違いに加えて、新旧の美貌対決が大きな原因だったのではないですかね。

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メキシコ皇帝マクシミリアンの棺。

フランツ・カール・フォン・エスターライヒとゾフィーの間に生まれた、フランツ・ヨーゼフ1世の弟です。フランスのナポレオン3世と帝政復活を望むメキシコの王党派の支援の下、傀儡政権であるメキソコ帝国の皇帝に即位しましたが、フランス軍が撤退すると、マクシミリアンは捕らえられて処刑されてしまいました。

マクシミリアンの死は、ハプスブルグ家の没落の象徴的事件の一つになっていますね。

なお、マクシミリアンは、ゾフィーとライヒシュタット公(ナポレオン2世)の子供であるという噂もありましたが、歴史家の研究によって退けられています。

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カプツィーナ皇帝納骨堂で最も注目されているフランツ・ヨーゼフ1世の棺。左には皇妃エリザーベト、右にはオーストリア皇太子・ルドルフの棺が並んで置かれています。

フランツ・ヨーゼフ1世は、フランツ・カール大公とバイエルン王女であるゾフィー大公妃の長男として生まれました。18歳の若さで即位し、在位期間は68年にも及び、その間には、ハプスブルク帝国をオーストリア帝国領とハンガリー王国領に分割したり、帝国内の民族問題や汎スラブ主義の展開への対応に苦慮し、ハプスブルグ家の悲劇といえるルドルフの自殺、皇妃エリザーベトの暗殺、皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の暗殺などにあって、第一次大戦中に亡くなりました。

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皇妃エリザーベトの棺。多くの花が飾られていて、人気のほどがうかがわれます。

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オーストリア皇太子・ルドルフの棺。

ルドルフはベルギー王レオポルド2世の次女ステファニーと1881年に結婚しましたが、16歳のマリー・ヴェッツェラと出会って、1889年1月30日にマイヤーリンクで情死事件を起こしてしまいます。今回の旅では、情死の現場になったマイヤーリンクを訪れることになりました。

なお、ステファニーの棺も皇太子妃として、ルドルフの脇でなくともカプツィーナ皇帝納骨堂に収められていても良さそうなものですが、ここには無いようです。夫のスキャンダラスな死に方のせいでウィーン宮廷から遠ざかることになり、さらに、後にハンガリー貴族と身分違いの結婚をしてしまいました。二人は幸せな生活をおくり、ハンガリーのパンノンハルマの大修道院で亡くなったようです。

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カール1世の胸像。

皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の甥で皇位継承者に指名されていたフランツ・フェルディナント大公は、ベーメンの伯爵令嬢ゾフィー・ホテクと結婚したため、貴賤結婚を認めないハプスブルク家の家法により、その子孫の皇位継承権をすでに放棄していました。そのため、早い時期からカールが皇位継承者として考えられていましたが、、1914年にサラエボ事件でフランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺されると、正式に皇位継承者に指名されました。

なお、サラエボ事件で二人同時に亡くなったフランツ・フェルディナント大公夫妻は、貴賤結婚のためにカプツィーナ皇帝納骨堂には入れないことから、居城であったアルトシュテッテン城内の納骨堂に埋葬されました。

1916年、第一次世界大戦中にフランツ・ヨーゼフ1世が86歳で死去し、カールは29歳で皇帝に即位しました。秘密裏に連合国側との平和交渉に着手しましたが、独墺間の離反を謀ったフランス側によって暴露され、ドイツの信用も失う結果となってしまいました。同盟国側の戦線崩壊と共に各民族が相次いで離反し、1918年11月11日には、シェーンブルン宮殿内の「青磁の間」において、退位表明である国事不関与の声明を出した後、宮殿を去りました。ここに700年余りに及ぶハプスブルク家のオーストリア支配は終焉を迎えました。

ハンガリー王国における主権を取り戻そうとしたカール1世の復帰運動が失敗に終わった後は、ポルトガル領マデイラ島に亡命し、1922年4月に肺炎のため死去しました。

カール1世の遺体はマデイラ島に埋葬されているため、カプツィーナ皇帝納骨堂には胸像だけが置かれています。

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ツィタ・フォン・ブルボン=パルマの棺。

ツィタは、オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世の皇后です。帝位継承者フランツ・フェルディナント大公とゾフィー・ホテクの間に貴賎結婚の問題が生じたため、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、フランツ・フェルディナント大公の次の帝位継承者と目されていたカール大公に身分相応の相手と結婚することを望み、スペイン・フランスの両ブルボン家の末裔である名門出のツィタとの結婚が押し進められました。

1916年、皇帝フランツ・ヨーゼフの崩御とそれに伴うカール1世の即位で皇后となりました。しかし1918年にはオーストリアは第一次世界大戦に敗北し、帝国は解体され、カール1世も退位に追い込まれてしまいます。ツィタは、貴族特有の選民思想が強く、夫が退位を決意した際にも最後まで反対し続け、いつの日かハプスブルク家に再び君主の座が戻ってくると信じて疑わなかったといいます。

1989年にスイスで亡くなった後、オーストリア国内の反対論を押し切る形で、ウィーン市内のシュテファン大聖堂で葬儀が行われ、カプツィーナー納骨堂に皇族として葬られました。

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オットー・フォン・ハプスブルクの棺

オットーは、カール大公・ツィタ夫妻の長男で、ハプスブルク家の最後の皇太子になりました。カール1世が皇帝の地位を失って亡くなった後は、ハプスブルク家の当主になりました。ヒトラーがオーストリアを併合しようとする動きに対し、ヒトラーをウィーンから遠ざけておくにはハプスブルク家の再興しかないとして運動を行いましたが、第二次世界大戦中、オーストリアはナチス・ドイツに併合されてしまいました。ナチス体制はオットーを死刑にすることを宣告したため、オットーはポルトガルを経てアメリカに亡命することになりました。

大戦後には、オーストリア共和国への敵対行為を行わないこと、帝位継承権を放棄することを誓約して、国外追放処分を解除されました。その際に、オーストリア帝位継承権は放棄したものの、その他のハンガリー国王などの継承権は保持し続けました。戦後はヨーロッパの統合を提唱し、欧州議会議員や国際汎ヨーロッパ連合国際会長を務めるなど、政治家として活動を続けました。

2011年7月4日にドイツにて98歳で死去すると、故国オーストリア・ウィーンのシュテファン大聖堂において葬儀が行われ、遺体は同市のカプツィーナー納骨堂に安置されました。この葬儀の様子は、軍楽隊員の列が続き、王宮騎士団やドイツ騎士団、軽騎兵が従って、時代絵巻のような光景だったようです。

現在のハプスブルク家の当主は、オーストリアの政治家になっているカール・ハプスブルク=ロートリンゲンで、名目上はオーストリア皇帝、ハンガリー国王などの君主位の請求者を引き継いでいます。

今後、カプツィーナー納骨堂の空いたスペースがうめられていくのかには興味が持たれます。

カプツィーナー納骨堂は、歴史を振り返る上で興味深い所ですが、死の臭いが漂っています。ミュージカル「エリザベート」のトート(黄泉の帝王)も、このカプツィーナー納骨堂からインスピレーションを得ているような気がしてなりません。

さすらいの風景 ウィーン その4

カプツィーナ皇帝納骨堂の見学を終えて、次は王宮の宝物館に向かうことにしましたが、その前にすぐ近くのノイアー・マルクト広場にある宝石店のケッヒャートのショーウィンドーを見ていくことにしました。

ケッヒャート宝石店は、ウィーン会議の開かれた1814年の設立。1868年には皇帝フランツ・ヨーゼフによって宮中御用達宝石商に指名されました。

買い物の対象にはならないお高い宝石が並んでいますが、右下の星形髪飾りが見たかったものです。

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エリザベート(シシー)の肖像画としては、1865年にヴィンター・ハルターによって描かれたこの絵が最も有名になっています。髪には、27個の星の髪飾りが取り付けられています。

(写真は、王宮家具博物館でのもの。)

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星の髪飾りには、ダイヤモンドがちりばめられています。

オリジナルは、皇帝夫妻の最初の結婚記念日に、ケッヒャートによって制作され、これは2004年にフランツ・ヨーゼフとエリザベートの成婚150年を記念して作られた復刻版です。

復刻版の価格は、13,800ユーロ(およそ200万円)とも言われています。宝飾品としてはべらぼうな値段ではありませんが、これが27個となるとたいへんですね。

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私らには、このスワロフスキー・クリスタルを素材とした「シシィの星」シリーズが手に届く範囲の土産物品になります。それでも数千円はしますがね。

ケッヒャートのものと比べると、形が違っています。

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ミュージカル「エリザベート」でも、第一幕の大詰めにおいて、この星のドレスを着たシシーの登場がクライマックスになっています。

これは、「エリザベート ― オリジナル・ウィーン・キャスト」より。

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こちらは、「エリザベート スペシャル ガラ・コンサート」より

いずれにせよ、この衣装を着たシシーの登場だけで拍手が湧きあがるということになります。

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スイス門をくぐって、王宮宝物館に向かいます。

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王宮博物館には、ハプスブルク家ゆかりの宝物がおさめられています。

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オーストリア帝国の王冠・王笏・宝珠。

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皇帝の衣装も展示されています。時間に限りもあるので、ひとつずつの説明の確認は行いませんでした。

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ナポレオンとマリー・ルイーズとの間にできたナポレオン2世のベビーベッド。

ナポレオン2世は、ナポレオン失脚後はマリー・ルイーズの実家であるハプスブルグ家で育てられました。

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神聖ローマ帝国の王冠。

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1641年に作成された2680カラットのエメラルドの器。

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黄金でできた洗礼式の水差しと水盤。

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オーストリア=ハンガリー二重帝国の王冠。

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ハプスブルク朝の王と皇帝の家系樹。

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興味深い展示品が並んでいるのですが、数も多いので、足早に通り過ぎるだけになってしまいました。

登ってきました

マレーシア・ボルネオ島のキナバル山(4095m)に登ってきました。晴天に恵まれて、登山を楽しみました。

報告は少々お待ちください。

さすらいの風景 ウィーン その5

宝物館に続いて、新王宮にやってきました。新宮殿は、 フランツ・ヨーゼフ1世によって建築が命じられましたが、工事が完了したのは 1923年で、すでにハプスブルク帝国は1918年に終焉を迎えていました。

1938年3月15日に、アドルフ・ヒトラーは、この新王宮のバルコニーに立ち、広場を埋め尽くす民衆に向かって「ドイツによるオーストリア併合」の演説を行ったとのことです。

現在、新宮殿には、エフェソス博物館、古楽器コレクション、狩猟・武器コレクションといった三部門の博物館が置かれています。

今回の訪問は、これらのコレクションを見るというよりは、実際の目的で使われることなく終わった建物の内部を見てみたいというのが目的でした。

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新王宮に入ると、まずエフェソス博物館の展示コーナーになりました。

博物館特有の冷え冷えとした雰囲気が漂っていました。

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エフェソスは、紀元前11世紀頃につくられた古代ギリシャの都市で、トルコ旅行の際に必ず訪れる遺跡になっています。オーストリアの考古学者が発掘を手掛けていたことから、エフェソス遺跡の出土品がウィーンで展示されるに至っています。

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エフェソスにおけるシンボルにもなっている壮麗なケルスス図書館のファサードの4体の女性像のオリジナルが、ここに展示されていました。

エフェソス・ケルスス図書館はこちら

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ローマ帝国の時代に造られた、五賢帝の後半を彩ったローマ皇帝のレリーフ。

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古代ローマ帝国と、現在のアルメニア、グルジア周辺の領土を巡って争ったパルティアとの戦争を描いたレリーフ。 

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貴重な彫刻やレリーフを博物館に収めるのは判るのですが、現地から離してしまうと、生気が抜けてしまう感じがします。

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豪華な階段が設けられていますが、使われずに終わった宮殿のためか、人の気配が感じられません。

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まずは、古楽器コレクション。銀器コレクションや家具博物館と同じく、歴代のハプスブルグ家で使った楽器が倉庫よろしくずらりと並んでいます。

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作曲家に対応した古楽器がまとめられているような展示方法がされていれば、もう少し興味が湧いてくるのでしょうが、見ながら通り過ぎていくことになりました。

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これは、リヒャルト・ワーグナーとゆかりのあるハンマーフリューゲルのようです。

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弦楽器なども展示されていました。

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見学客も僅かで、寒々とした感じでした。

さすらいの風景 ウィーン その6

新宮殿の古楽器コレクションのあるフロアーの半分が狩猟・武器コレクションの展示場になっています。

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回廊部には、馬上槍試合の展示が置かれており、目が引き付けられます。

馬上槍試合は、中世からルネサンス(12世紀 - 16世紀)にかけて西欧で流行した、騎士の技量を争う競技会または模擬戦争です。馬上槍試合では、団体戦のトゥルネイと個人戦のジョストが行われていました。スポーツ競技で一般的に使われるトーナメントという言葉は、馬上槍試合が語源になっています。

初期のものは、いくつかの形式や制限がある点以外は、ほとんど実際の戦闘と変わらず、倒した相手の武具、馬を奪うのはもちろん、捕虜にして身代金を取ることも行われていました。初期はトゥルネイが主流でしたが、14世紀までには、貴族の危険な娯楽としてジョストが主流になりました。

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馬上試合では、当初は実際の戦争で用いられた武器や防具が使われていましたが、次第に独自の装備に発達していきました。

主要な武器としては、ランス(長槍)が用いられました。ランスは、先が丸められ、当たった際に折れるように木製のものが用いられるようになりました。防具としては、槍が当たった際の衝撃を受け止めて守るために、厚い金属板を重ねたプレートアーマーが用いられ、馬上試合では運動性はそれ程必要とせず、視界の確保も前方だけ見えれば良いということで、特有の重装備な防具に発達していきました。

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展示室に入ると、コンピューターゲームのRPGに出てくる防具の店よろしく、鎧が並んでいました。もっとも、プレートアーマーばかりで皮の鎧や踊り子の服はないので、相当経験値を上げないと買えそうもありません。

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壁に掛けられた家系図の下に鎧が並べられていました。プレートアーマーは特注品で高価なため、代々受け継いで、合わせ直して使ったようです。

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剣での戦い。一方には、フレイルやモーニングスターを持って欲しかったですね。

プレートアーマーの重量は、兜や武器を含めると35kgを超えたといいます。ただ、重量配分が考慮されているので、運動性は確保されていたようです。16世紀に板金加工技術が進んで、より薄い厚みで強度を確保した20kg程の鎧も開発されるようになりましたが、これは当時の最先端技術でもあることから、非常に高価で、ごく限られた裕福な王族・貴族にのみ利用されたとのことです。

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歩兵を従えた騎士の姿は堂々としています。

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中には、異様に見える鎧もありました。

スカートを履いて、胸も膨らんでおり、サイズも小さ目なことから、女性用でしょうか。

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真ん丸ヘルメット。宇宙服のヘルメットのようですね。

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防具も、銃や大砲の開発によって変化し、防御力よりも運動性が重視されるようになっていきました。

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プレートアーマーの実用性は無くなりましたが、パレードなどの儀礼用に使われ現在でも人気は高いようです。

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このようなプレートアーマーでの戦いを実際に見てみたいという興味が湧いてきますが、現在でも、ショー的なスポーツとして行われているようです。「Battle of the Nations」あるいは「アーマード・バトル」で検索すると、動画で見ることができます。ただぶん殴っているだけで、わざがあまり見られないのが残念です。

時間も限られているので、興味深いですが切り上げて、新王宮を後にしました。

さすらいの風景 ウィーン その7

新王宮を出て、次は国立図書館プルンクザールを訪れました。入り口は、朝方通ったヨーゼフ広場に面しており、道順としては無駄な歩きになりました。

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入り口から入って古びた階段を上がっていくと、国立図書館プルンクザールのホールに出ました。

思わず見とれて、足が止まってしまう空間です。

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18世紀前半に建設されたバロック建築の傑作で、かつては国立図書館として用いられ、プルンクザール(豪華なホール)と呼ばれています。

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壁一面に本が収められています。20万冊以上の本が収蔵されているといいます。

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大理石の柱や天井画が、優美な空間を形作っています。

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ドーム部の天井画。

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収蔵されている貴重な写本や初期の印刷物も展示されていました。

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映画には出てきませんが、ハリー・ポッターのホグワーツ魔法魔術学校の図書館は、このような感じだろうなと思いました。

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国立図書館プルンクザールの見学にはそれ程時間がかからないので、機会があったらのぞいてみることをお勧めします。

さすらいの風景 ウィーン その8

二日目の終わりに、ようやく美術史博物館にやってきました。

入り口のテレジア広場は、クリスマスマーケットで賑わっていました。

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美術史博物館の中も大賑わいでした。

一般的には、正面の階段を上がって、二階に展示されている絵画部門を見るのですが、今回は、一階部分も見学することにしました。美術史博物館には、これまで二回訪れてはいるのですが、一階部分は見学しないでいました。

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一階部分には、エジプトの出土品、ギリシャ・ローマの彫刻、美術工芸品などが展示されています。正面階段右手のドアから入ります。

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中には、エジプトの出土品がびっしりと並んでいました。

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ミイラを収めた棺。

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ひとつずつ解説に目を通していくわけにもいかないので、ざっと眺めながら進んでいきました。

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柱やアーチも美しく、建物自体も見学に値します。

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展示品も、ギリシャ・ローマ時代の彫刻に変わってきました。

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見事なレリーフですが、どこかの遺跡を飾っていたものでしょうね。「アマゾネスの石棺」ということで、女性軍が戦っています。

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モザイクの床も展示されていました。

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三面の顔を持つ女性像。スフィンクスでしょうかね。

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ギリシャの壺も沢山並んでいました。

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美術工芸品の展示場に入ってきました。

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アウグストゥスの家宝・2層のサードニクス(紅縞瑪瑙)

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二階の絵画部門とは異なり、一階は静かな雰囲気の中に展示品が並んでいました。

さすらいの風景 ウィーン その9

美術史博物館の一階部の見学を終え、続いて二階に向かいました。

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階段の踊り場に置かれているのは、イタリアの彫刻家アントニオ・カノーヴァ製作(1782年)の「ケンタウロスを殺害するテセウス」像です。ラピタイ族の王ぺイリトオスの結婚式で、花嫁に襲いかかったケンタロウスをテセウスが殺害する場面です。

ルーブル美術館の階段に置かれたサモトラケのニケと同じ感じですが、美術史博物館では豪華な建物自体にも目が引き付けられます。

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特に壁面に飾られたクリムトの壁画は、見所の一つのため、探して四方を見上げ回すことになります。

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クリムトの壁画を見つけることができました。先回訪れた時は、日が陰って良く見えない部分があったのですが、今回は光も充分でした。

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中央部の左には、「古代ギリシャの美術」と題し、アテナ像が描かれています。右側は「古代エジプトの美術」という題で、少女が描かれています。

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左のアーチには、「聖女・ローマ」(左)と「総督・ヴェネツィア」が描かれています。

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柱の間に描かれているのは、「タナグラの乙女・古代ギリシャ」、その右手には」「パラスアテネ・古代ギリシャ」が描かれています。

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右のアーチ部分。

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「エジプトの裸像・エジプト」、「ミイラ・エジプト」、「青年・フィレンツェ」と並んでいます。

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一番右には、「若い娘と幼児・ルネサンス」、「ダンテと幼児・ルネサンス」が描かれています。

この壁画は、クリムトの初期の作品ですが、ファム・ファタル(宿命の女・魔性の女)的表情の女性や金箔装飾など、クリムトの代表作の特徴が出ています。

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続いて絵画部門の見学と思ったところ、大混雑になっていました。

2014年10月から2015年2月にかけて、美術史博物館では「ベラスケス展」が開催されており、マドリードのプラド美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリー、ボストン美術館など著名な美術館からの貸出しによって、主要な作品が一堂に会していました。

この「バルタサール・カルロス王子騎馬像」(プラド美術館所蔵)が、展示会のシンボルの絵として使われていました。この時期、プラド美術館を訪れた人は、重要な作品を見落としたことになります。さすがに門外不出といわれる「ラス・メニーナス(女官たち)」は、写真だけが置かれていましたが。

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この特別展には、美術史博物館に収められている「マルガリータ王女」の一連の作品も加えられていましたが、特別展では写真撮影禁止になっていました。前回に撮影しているので、私は良かったですけどね。

2011年の一般展示はこちら

ここで気になったのは、ブダペスト国立西洋美術館所蔵の「緑色の衣装のマルガリータ王女」の絵でした。(ネット上の所蔵品紹介画像より)

有名な「青いドレスのマルガリータ女王」とポーズや服装は同じで、ただ服の色だけが違っています。

この絵は、ベラスケスではなく、弟子でベラスケスの娘婿でもあるデル・マーソによって描かれました。

「赤いドレスのマルガリータ女王」(1960年)はベラスケスの絶筆になり、王女の顔はデル・マーソによって仕上げられたとも言われています。それならば、デル・マーソが、その前の作品である「青いドレスのマルガリータ女王」(1959年)を模して、ドレスの色以外は同じに描いたのはなぜだろうという疑問が湧いてきます。

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常設展示室に移動すると、静かに絵を見ることができるようになりました。

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先回は取り上げなかった絵を載せていきましょう。

ティントレット作「スザンナの水浴」

この絵は、旧訳聖書中のダニエル書に基づいています。

庭で水浴する美しいスザンナを2人の好色な長老たちが密かに覗き見している場面が描かれています。関係を求めるも拒絶したため、逮捕されて処刑されようとする時、青年ダニエルが現れて、証言の矛盾を明らかにし、不正な告発者は処刑され、美徳が勝利を収めたという話です。

聖書に基づく場面を描いていますが、描きたかったものは、女性の裸体です。裸体を描くのは禁止されていましたが、神話や聖書に基づいた話なら許されたというのもおかしな話ですね。

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カラヴァッジオ作「ゴリアテの頭を持つダビデ」

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カラヴァッジオ作「ロザリオの聖母」

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歩き疲れて、ソファーでひと休み。

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ホルバイン作「ジェーン・シーモア」

突如、イギリスの歴史が登場してきました。ジェーン・シーモアは、アン・ブーリンの刑死後、ヘンリー8世の三番目の妻として結婚し、エドワード6世を生みましたが、産褥で亡くなってしまいました。

ドイツ生まれのホルバインは、イギリスに渡ってヘンリー8世の宮廷画家として活躍しましたので、ジェーン・シーモアの肖像画を描いたのは判るのですが、その絵がなぜウィーンにあるのでしょうね。

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デューラー作「 切った梨を持つ聖母子 」

美術史博物館では、ラファエロ作「草原の聖母」が有名ですが、この絵も良い表情をしています。

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デューラー作「 ヴェネチアの若い婦人 」

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デューラー作の男性の肖像画ですが。

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裏面には、老婆の絵が描かれています。女はこんなものという寓話のようです。

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ルーベンス作「扇をもつ女性(旗をもつ女性)」

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ルーベンス作「メドゥーサの頭部」

豊満な女性像というイメージのルーベンスとしては異色の作品ですね。

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ブリューゲル作「バベルの塔」

美術史博物館の代表的作品としては、ベラスケスと並んで、このブリューゲルの作品群が挙げられますね。

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ブリューゲル作「子供の遊戯」

先回の訪問時の記録でもブリューゲルの作品を掲載していますが、もう少々。

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ブリューゲル作「牛群の帰り」

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レンブラント作「自画像」

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クラナッハの作品。

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アルチンボンドの作品には興味が引かれますが、「四季・夏」(左)と「四大元素・火」(右)の真ん中に、先回は無かった絵が掲げられていました。

「Flora meretrix」と題する絵のようです。「Flora」と対になる絵のようです。

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歩き疲れて、美術館内のカフェにも気が引かれましたが、クリスマスマーケットへ向かいました。

さすらいの風景 ウィーン その10

旅の三日目は、リンク外の見学を行うことにして、8時半の開館に合わせて地下鉄でシェーンブルン宮殿に向かいました。

12月のオフ・シーズンということで、シェーンブルン宮殿の前庭も人影はまばらでした。

宮殿前には、目立たないような色に塗られたクリスマスマーケットの小屋が並んでいました。

シシィ・チケットを持っていたため、時間指定の制限無しで入場できましたが、時間も早かったため見学者も僅かしかいませんでした。

宮殿内は撮影禁止のため、2011年のガイドブックの写真からまとめた記録をご覧ください。

2011年のシェーンブルン宮殿の記録

驚いたことに、一番の見どころといえる大ギャラリーでは、他に誰もおらず、しばらく貸切状態で見学することができました。日本人の団体もいましたが、インペリアルコースの短縮コースのために途中で出て行ってしまい、グランドツアー部分では個人客がちらほらという状態でゆっくりと見ることができました。

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宮殿内の見学を終えて、庭に出てきました。冬とあって庭に花が無く、ちょっと寂しい眺めでした。

丘の上のグロリエッテまで足を延ばすことにしました。

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グロリエッテに向かって左手に泉があるのが見えたので近寄ってみると、オベリスクの泉ということでした。

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オベリスクの泉から坂道を上っていくと、グロリエッテの前に出ました。

グロリエッテは、1757年、女帝マリア・テレジアがプロイセン軍を退けた記念碑と戦死者の慰霊のために建てさせたものです。

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グロリエッテの置かれた丘の上からは、両翼を広げたシェーンブルン宮殿を見下ろすことができ、遠くにはウィーンの中心に建つシュテファン教会の尖塔を眺めることができます。

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グロリエッテの屋根には、ハプスブルク家の象徴である鷲の像が置かれています。

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宮殿に向かって坂道を下っていきますが、結構な急坂です。

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坂を下った所にあるのは、ネプチューンの泉。冬のため噴水の水が停められているのは残念でした。

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宮殿まで庭をつっきるのも結構距離があります。

なお、シェーンブルン宮殿は、あらゆる部屋を合計すると1441室あるといわれ、一部は賃貸住宅として、一般に貸し出されています。家賃は、2LDKで4万7千円程と言われています。

なお、テレビ番組で見たものですが、ミュージカル「エリザベート」の作曲を行ったシルヴェスター・リーヴァイは、宮殿の向かって左手最上階に住んでいます。番組の中で家賃はと聞かれると、「結構しますが、作曲のインスピレーションの元になっています」といった内容のことを言っておりました。

また、2014年4月からシェーンブルン宮殿の4階にスイート一室限定でホテルができ、1泊一人699ユーロ(10万円ほど)からといいます。室内でのディナーや朝食を含むインペリアルスイートパッケージが4900ユーロ(75万円ほど)。世界の高級リゾートホテルの料金と比べて、ほうがいというわけではないようです。私には手が届きませんが。

さすらいの風景 ウィーン その11

シェーンブルン宮殿の庭を歩いた後、今回のウィーン訪問で是非とも見たかった馬車博物館を訪れました。

馬車博物館は、正面入り口から見て、宮殿の右手にあります。

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馬車博物館は、規模は小さいですが、皇妃エリーザベト(シシィ)関連の展示物が並んでいます。

これは、シシィお輿入れの馬車。馬車の前に飾ってあるのは、エリーザベトのマントのようです。

バートイシュルにおいて、姉ヘレーネと母方の従兄である皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のお見合いが行われましたが、見初められて求婚されたのは、同席していたエリーザベトの方でした。

1854年4月、アウグスティーナ教会において、エリーザベトは16歳で結婚し、オーストリア皇后になりました。

ミュージカルでは、黄泉の帝王トートも同席していたということになりますが、このお輿入れの馬車も、これからの宮廷内の不幸を予感させるように陰気な感じがします。

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皇帝夫妻の衣装。

エリーザベトのウェストは、驚くほどの細さですね。

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皇妃エリーザベトの街中用の二人乗り馬車。

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皇帝夫妻用の四人乗り馬車。

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皇帝夫妻の衣装。

皇太子ルドルフの自殺以降、皇妃エリーザベトは黒服しか着ませんでした。(実際には、ウィーンの関係者の目が無いギリシャのコルフ島では明るいドレスを着ていたことが、今回のシシィ博物館の展示から知ることができました。)

年を経ても、ウェストの細さは維持されています。

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皇太子ルドルフ用の馬車。二頭のポニーが引いたようです。

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馬車博物館の奥に、ひと際豪華な馬車が置かれています。

これは、フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトが、ブダペストにおいてハンガリー王国の戴冠式で乗った馬車です。

ミュージカルでは、「エーヤンエーヤン(万歳)」という歓声が起こる場面ですね。

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フランツ・ヨーゼフ1世の後を継いだカール1世のハンガリー王戴冠式が、この馬車が使われた最後になりました。

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二階に上がると、この白馬を連ねた馬車を見下ろすことができます。

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こちらは、二階から入り口方面を眺めたところ。

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エリーザベト(シシィ)の乗馬用の鞍。

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エリーザベト(シシィ)は、若い時は写真を撮られることは好きだったようですが、ある時を境に、美貌にも衰えが生じたと感じて避けるようになりました。これは、瞬間的に扇で顔を隠したもので、有名な写真です。

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冬用のソリも展示されていました。

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エリーザベト(シシィ)の最後の旅になったジュネーヴで使った馬車。

エリーザベト(シシィ)は、1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに鋭く研ぎ澄まされたヤスリで心臓を刺されて殺害され、その生涯を閉じました。、

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皇帝一家の葬儀用馬車。黒馬によって引かれました。

皇太子ルドルフ、皇妃エリーザベト(シシィ)、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝になったカール1世の皇后ツィタの葬儀に、この馬車が使われました。

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この馬車博物館の展示を見ると、ミュージカル「エリザベート」における舞台装置も、これらの展示物からインスピレーションを得たのではと思ってしまいます。

これは、ハンガリー王国の戴冠式の場面(ウィーン版より)。

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これは、ルドルフと黄泉の帝王トートの二重奏「闇が広がる」の場面(ウィーン版より)

ミュージカル「エリザベート」ファンには、馬車博物館は必見です。ただ、ツアーで、ここまで案内してくれることはないでしょうけど。
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