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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 アイスフィールド・パークウェイ その2

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アイスフィールド・パークウェイのドライブでは、次から次に新しい山が現れてきました。

サーバック山(3154m)とカモメ氷河。



この一帯では、少し高い山は3000m級になるようです。6000m級になってようやく山扱いになるヒマラヤに比べれば標高は劣りますが、緯度が高い分、3000m級の山でも氷河が見られます。



二つ耳はカフマンピークス。



サスカチワンバレーを横断するクロッシングが近づくと、山火事の煙が目に入ってきました。この時は、それほどの大事でもないと思って通過したのですが、帰りはひどい様になっていました。



ハイウェイ脇のノースサスカチュワン川沿いの風景もボー川沿いとは違ってきました。





アメリー山。



サスカチュワン山。



槍の穂先のように尖った岩峰がありました。



すすり鳴く壁。雪融け水が大岩壁を流れ落ちることから名前が付けられています。夏になって水量は減っているようですが、岩が濡れていました。



アサパスカ山(3493m)が見えてきました。目指すコロンビア氷河はこの裏手にあります。



ハイウェイは Big Bend(大曲り)と呼ばれる大きなカーブを描いて峠へと上がっていきます。



ここはサンワプタ峠と呼ばれ、ノースサスカチュワン川の谷間の眺めが広がっています。



展望のための駐車帯も設けられていましたが、残念ながらそのまま通過でした。

このサンワプタ峠は、マリリン・モンロー主演の「帰らざる河」のオープニングに使われて
いることからも有名になっています。



ビデオを見てみると、木の生え具合は別にして、谷の風景は確かに一緒ですね。

映画では、男性歌手による「リバーオブノーリターン」の歌がバックに流れて、一気に引き込まれます。



この「帰らざる河」の舞台としては、バンフのボー滝でもう一度触れることになります。

さらにカナダでもう一か所訪問したナイアガラ・フォールズは、映画「ナイアガラ」の舞台になっており、これもマリリン・モンローの代表作になっています。今回の旅行では、予習としてマリリン・モンローの映画を二本見ていくことになりました。

マリリン・モンローの作品は結構見ていますが、その中では、B級映画かもしれませんが、「帰らざる河」が一番好きです。



サンワプタ峠を越すと、バーカーリッジが見えてきました。車道脇ということで、バックカントリースキーで入山する者が多いとのことです。



アサパスカ山(3493m)が再び見えてきました。





いよいよ、コロンビア大氷原が見えてきました。



コロンビア大氷原へのバス乗り場であるアイスフィールド・センターに到着しました。

さすらいの風景 コロンビア大氷原

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コロンビア大氷河原は、カナディアン・ロッキー観光のハイライトになっています。

コロンビア大氷河原への乗り場のアイスフィールドセンターの展望台からは、氷河を一望することができます。



展望図が置かれているので、それに従って見ていきましょう。



左のピークが、アサバスカ山。写真の右端がアンドロメダ山。



アサバスカ氷河。標高2700mで、コロンビア大氷原の一部です。日本の山の感覚からすると、標高3000m以下で氷河が広がっていることに驚かされます。



スノードームにドーム氷河。



ドーム氷河のアップ。



アイスフィールドセンターには土産物屋もあり、観光客でごったがえしていました。この置物の写真を撮るのにも、人がいなくなるタイミングをしばらく待つことになりました。

また、コロンビア大氷原の見学後、ここのレストランで昼食をとることになりました。ビュッフェでしたが、美味しくはありませんでした。



まずはシャトルバスで、氷河下のスノーコーチ乗り場に向かいました。



このスノーコーチに乗り換えて、氷河に向かいます。32度の傾斜でも上がれる特殊車両です。



我々だけの貸切だったので、窓から身を乗り出して、外の見学をしました。



しばらくは、土道を進み、急坂を下って氷河に降り立ちます。



写真では判りませんが、かなりの急坂です。



坂を下りきって氷河に乗る手前には池が設けられて、泥を氷河上に持ち込まないようにしてあります。





氷河の中の通路を進みました。何台ものスノーコーチが停まっているのが視界に入ってきました。



アイスフォール手前の広場でスノーコーチを下ります。

氷河の上は締まっていましたが、所々水溜りができていました。



目の前に氷河のアイスフォールが荒々しい姿を見せていました。



エベレスト登山の難所としてアイスフォールが話題に上がりますが、このアイスフォールを歩いて突破するのは、確かに難しいですね。



脇のアンドロメダ山にも目が引かれてしまいます。





事前の説明では、氷河上の温度は予想がつかず、ひどく寒くて自由時間が終わる前にスノーコーチに戻ってきてしまうこともあるということでしたが、この日は暖かく、時間一杯氷河の見学を楽しみました。



スノーコーチに戻って、下っていきます。



氷河の末端が見えていますが、昔は道路脇まで延びていたようです。地球温暖化で氷河の消失が著しいようで、このコロンビア大氷原観光も、近い将来には自然保護のために中止になる可能性が高いようです。



アイスフィールドセンターに展示されていた昔の雪上車。氷河の保護のためにキャタピラ車からゴムタイヤのスノーコーチに代えられました。



アイスフィールドセンター脇の草地でも花を見ることができました。

インディアンペイントブラシ。





ノーザンスウィートベッチ。



ブルーアイドグラス。



ヨツバシオガマに似ていますね。

昼食をとった後の午後は、来た道を戻り、ボウ・サミット・ルックアウトのハイキングを行うことになりました。

さすらいの風景 ボウ湖

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コロンビア大氷原の見学を終えてから、まずアイスフィールド・パークウェイをボウ湖まで戻りました。クロッシングが近づくと、サスカチワンバレーの山火事の煙が目に入ってきました。



山火事は、朝よりもひどくなっていました。



消火のためにヘリコプターも飛び回っていました。



しばらくは車窓からの山火事見学になってしまいました。



現場に向かう消防車にもすれ違いました。

アメリカのヨセミテでは山火事は自然鎮火を待つようですが、カナダでは消火にあたるようです。気候が厳しく樹木の生長が遅いことが影響しているのかもしれません。



無事に火災現場を通過することができました。

後で知ったことですが、我々の車の通過15分後に道路は閉鎖になってしまったとのこと。現地ガイドの所属するツアー会社のグループの中で閉鎖にあったものもいて、道路を大回りしてバンフに戻ったのは夜中の12時で、ツアー客は夕食もとれないことになったといいます。



バスを降りて、ボウ湖を見学しました。

ボウ湖は、標高1920mにあり、長さ約3.2km、幅約1.2kmの比較的小さな湖です。

水が二色に分かれているのは、水深の違いによるもののようです。



カナディアン・ロッキーの魅力は、このような湖と山の取り合わせのように思えます。



奥に見えているボウ氷河が、この湖の源で、ここから流れ出るボウ川はボウバレイの景勝地を形作っています。



月並みの表現ですが、絵のような風景です。



湖の畔には赤い屋根のナムタイジャロッジ(先住民の言葉で貂のこと)が建っています。100年ほど前に腕のいいハンターだったジミー・シンプソンによってこのロッジは建てられました。国立公園ができる前から住んでいたことからカナダの国立公園内で唯一認められている私有地になっているといいます。



ボウ湖の畔の草原でも多くの花が咲いていました。

トールパープルフリーベン。日本でいうところのアズマギクですね。







トールホワイトボグオーキッド。



黄色のインディアンペイントブラシ。



エレファントヘッド。







湖の脇に広がる水溜りには魚も泳いでいました。

さすらいの風景 スターリング その1

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2014年9月18日は、スコットランド独立についての住民投票が行われ、その結果にかかわらず、スコットランドの歴史の上で忘れない日になることでしょう。

スコットランドとイングランドの抗争は、遥か昔に遡りますが、13世紀から14世紀にかけて行われたスコッチランド独立戦争は、スコットランド人の心の底に現在でも秘められています。

そのスコットランド独立運動の舞台になったのがスターリングです。

スターリングは、エジンバラの北西60kmに位置するスコットランドで最も小さい市で、ハイランドの入り口とも言われます。かつてのスコットランド王国の首都であり、この周辺で行われたウィリアム・ウォリスやロバート・ザ・ブルースのイングランド軍との戦いや、スターリング城でのメアリー女王の戴冠式など、スコットランドの歴史において重要なできごとが起こりました。



歴史を感じさせる古い建物が並んでいます。



今はホテルになっている旧ハイスクール。



スターリング城に向かう途中の民家の庭。人形が置かれていますが、スコットランド伝承の妖精でしょうか。スコットランドの妖精では、ピクシーあたりが有名ですね。



スターリング城は、岩山の上にあるので、坂を上っていきます。



スターリング城の入り口に到着。



小ぶりながら堅固な城壁に守られています。



ロバート・ザ・ブルース(スコットランド王ロバート1世 在位1306–1329)の像。

スコットランド王ロバート1世誕生までの歴史を振り返ってみましょう。

1289年の女王マーガレットの死によって、スコットランドのアサル王家は断絶します。その後継者争いは、候補者が13人も出て収拾がつかなくなりました。混乱に乗じたのが、ウェールズを征服したイングランド王エドワード1世でした。イングランドにも土地を持っていたスコットランドの貴族はイングランド王に逆らえず、エドワード1世はスコットランドの支配者として振る舞い、スコットランドはイングランドから派遣された総督によって統治されることになりました。

1297年5月、地方豪族のウィリアム・ウォレス率いる民衆軍による大反乱が起きます。反乱軍は、スターリング・ブリッジの戦いで、エドワード1世不在のイングランド軍を徹底的に打ち負かし勢いづきますが、翌年の、エドワード1世率いるイングランド軍とのフォールカークの戦いでは、貴族軍の非協力によって大敗し、スコットランド人によるこの大反乱は失敗に終わりました。ウォレスはその後も7年間にわたってゲリラ戦を行ってイングランドに抵抗し続けたが、1305年に捕らえられ、反逆者として八つ裂きの刑に処せられました。

13人の王位請求者の一人の孫のロバート・ドゥ・ブルースは、ウィリアム・ウォレス率いる一連の反乱への協力には終始曖昧な態度を取り続けましたが、最大のライバルであったジョン・カミンを殺害し、権力闘争に打ち勝ち、スコットランド王位につきます。

イングランド王エドワード1世さらにその後継者エドワード2世との間で行われた戦いも一進一退でしたが、1314年のスターリング近くの、バノックバーンの戦いでロバートは大勝し、スコットランドはイングランドからの独立を果たしました。

その後、スコットランド王家とイングランド王家は姻戚関係を結びながらも抗争を繰り返すことになりますが、スコットランド発祥のスチュアート朝は、1603年以後はイングランド国王を兼ねて同君連合体制となり、1707年にグレートブリテン王国を成立させました。

スコットランド王室はイングランドに寄り添ってしまいましたが、民族意識はウィリアム・ウォレスの反乱の記憶を未だ留め、21世紀になってのスコットランド独立運動の独立の背景になっていると思われます。



ロバート・ザ・ブルースは、スターリング・ブリッジの戦いをどのように思って眺めていたのでしょうか。



スターリング城の入り口。





スターリング城は城壁に囲まれて、後世のものでしょうが、大砲も置かれていました。

13世紀にイングランド王エドワード1世がスターリング城を包囲したときは、巨大な投石機が用いられて威力を発揮したと言われています。



城壁の内側は、昔は兵士溜りだったのでしょうが、庭園になっています。





内側の城門をくぐると王宮が現れます。



スターリング城からは、スターリングをとりまく原野を見下ろすことができました。



城の下には、チャールズ1世が整えようとした庭園跡のキングス・ノットが見えています。

スターリング城の見学の次はスコットランド独立戦争のもう一人の主役のウィリアム・ウォレスに会いに行きました。

さすらいの風景 スターリング その2

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2014年9月18日に行われたスコットランド独立の住民投票は、独立賛成45%、独立反対55%の結果に終わり、これまで通りの連合王国が継続されることになりました。経済問題などの現実路線を考えれば独立反対の結果が妥当なところですが、45%の独立賛成は、スコットランドの民族意識の根深さがうかがわれます。

スコットランドで現在に至るまで英雄として崇拝され、「スコットランド愛国精神の発明者」と評価されるウィリアム・ウォレスゆかりの場所を見学しましょう。

スターリング城の見学を終えて、街に戻りました。

アーガイルズ・ロッジング。17世紀の貴族のお屋敷とのこと。



時計塔のある古い家が並んでいます。







木枠組の家もありました。



市街地を抜けて郊外に出ていきます。



目的の一つは、このオールドブリッジ。右奥にこれから訪れるナショナル・ウォレス・モニュメントが丘の上に立つのが見えています。



スコットランド独立戦争におけるスターリングブリッジの戦いでは、イングランド軍騎士隊750人、歩兵18000人に対しスコットランド軍は騎士隊150人、歩兵7000人で、質・数ともイングランドが圧倒的優勢でした。しかし、スコットランド軍を率いるサリー伯は、甘く見て、幅が二人しか通れないスターリングブリッジを通っての進撃を命じてしまいました。

ウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍は、イングランド軍の先鋒が橋を渡るのを待った上で、長槍で攻撃し、敵の先鋒と後続の連絡を遮断して多大な損害を与えることに成功します。サリー伯の本隊は無傷でしたが、以後の戦いをあきらめて撤退してしまいました。

この勝利により平民出身のウィリアム・ウォレスの名声は高まり、まもなくナイトに叙任され、「スコットランド王国の守護者及び王国軍指揮官」に任じられました。

この戦い以降、イングランドに味方していたスコットランド貴族の多くが反乱側につき、イングランドは支配地の多くを失いました。

イングランド王エドワード1世はフランスとのフランドルの戦いを中止してスコットランド攻略に向かい、フォールカークの戦いが起こりました。

この戦いでは、イングランド軍の騎兵隊2000人、歩兵12000人に対しスコットランド軍は騎兵隊500人、歩兵9500人だったといわれ、やはりイングランド軍の兵力の方が優勢でした。この戦いでは、スコットランド軍は長槍隊の間を短弓隊が埋める配置で待ち構えました。まず、イングランド軍の騎兵隊が突撃しますが長槍隊を崩すことができませんでした。エドワード1世は、騎兵隊を呼び戻してロングボウ隊の一斉射撃を加えると、スコットランド軍は総崩れになりました。

ウォレスは、かろうじて脱出し、その後はゲリラ戦を行いますが、後に味方の裏切りによって捕らえられて処刑されてしまいました。



スターリングブリッジの戦いが行われたのは、実際にはこの橋ではなかったようですが、戦いを思い起こすのに十分な風格のある姿をしています。





橋を渡って歩いていくとナショナル・ウォレス・モニュメントが見えてきました。



ウィリアム・ウォレスを記念するナショナル・ウォレス・モニュメントは、1869年にスコットランド人の民族意識の高まりを背景として、広く一般から募った寄付金によって建てられました。

塔は、高さ約67メートルで、ヴィクトリアン・ゴシック様式で建てられています。

アビー・クレイグの丘の上に建設されることになったのは、スターリング・ブリッジの戦いの直前に、ウィリアム・ウォレスがその高みからイングランドの軍勢を偵察したことに由来します。



塔の中ほどには、ウィリアム・ウォレスの像が飾られています。





塔の上に登ると、オールドブリッジのかかるフォース川を見下ろすことができ、その奥にはスターリング城も見えていました。



堂々とした姿のスターリング城ですが、ウィリアム・ウォレス率いる民衆軍は、城に籠る貴族たちの助けを得られずに、平原での戦いを行うことになりました。



ウィリアム・ウォレスの生涯を描いた作品としては、メル・ギブソン主演・監督の「ブレイブハート」があります。五つものアカデミー賞を受賞した作品ですが、主人公に馴染みがないせいか、日本ではあまり話題にならなかったような気がします。メル・ギブソンというと、「マッドマックス」をまず思い出してしまいますね。メル・ギブソンは、デビュー作の「マッドマックス」によってオーストリア人と思ってしまいますが、アイルランド系のアメリカ生まれです。

なお、ブレイブハートとは、「勇敢な心」という意味。



ウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍。民衆軍ということで、粗末な装備です。

メル・ギブソン演ずるウィリアム・ウォレスは、中央右寄りの顔を青くペイントした人物。



こちらはスコットランド軍。ロングボー隊や騎兵隊を含む装備もきらびやかな大軍です。

なお、この映画では、スターリングブリッジの戦いは、残念なことに、平原での戦いに変えられています。橋を作る予算がなかったとのこと。



ロングボーの攻撃に続いて騎兵隊の突撃。スコットランド軍の運命やいかに。



イングランド軍の騎兵隊を充分引き付けたところで、槍衾をめぐらして、騎兵隊の殲滅に成功し、スコットランド軍が勝利しました。

史実では、エドワード1世が率いた次のフォルカークの戦いでは、騎兵隊が長槍隊を崩せないとみると、ロングボーの攻撃に変えて勝利したというので、映画では逆の戦術になっています。

「ブレイブハート」では、スターリングブリッジの戦いとフォルカークの戦いがまぜこぜになっています。この映画では、エドワード1世やフランス王女イザベラの扱いなど、史実と異なっているところも多いですが、スコットランド独立運動に影響を与えたともいえます。

スコットランドに興味を持った人は、是非「ブレイブハート」を見てください。できたらスターリングも訪れてみてくださいといいたいところですが、イギリスツアーにも含まれておらず、一般的ではないですね。

さすらいの風景 ボウ・サミット・ルックアウト その1

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ボウ湖の見学を終えてからボウ・サミット・ルックアウトのハイキングを行いました。登山口は、コロンビア大氷原方面に少し戻ってから脇道に入り、ひと登りします。

登山口からは、観光客向きのペイトー湖の展望台への遊歩道も始まっていますが、我々のグループはさらに高みへの道に進みました。



未舗装の林道歩きといった道が続いたので、道端の花を眺めながら歩きました。

お馴染みになったインディアンペイントブラシ。



ワイルドヘリオトロープ。鹿の子草の仲間です。



ひと登りすると、展望が開けました。



草地には、ホワイトドライドアドの花が広がっていました。

このホワイトドライドアドは、日本のチョウノスケソウの母種とのこと。



途中で脇道に入って、手前に見える丘を目指すことになりました。残念ながら、奥の鋭鋒が目的地というわけではありません。



アルパインスピードウェル。クワガタソウ属です。



ペイトー湖が見えてきました。



登るにつれて、大きく広がってきました。





足場の悪いザレ場を登って丘の上に出ました。コバルトブルーの水を湛えたペイトー湖の眺めが広がりました。ひと汗かいて登って見る価値のある風景です。

ペイトー湖は、1890年から1943年に亡くなるまでこの地に身をおいた公園の管理人の名前からとったものとのことです。



ペイトー湖の源の山。



ザレ場に咲くモスジェンティアン。竜胆属の小さな花です。





分岐に戻り、再び幅広の登山道を進みました。



モスキャンピオン。マンテマ属です。



ウェスタンスプリングビューティー。



ウェスタンアネモネ。イチリンソウ属です。



アルパインバターカップ。



ホワイトグローブフラワー。



ノーザンローレル。ツツジの仲間です。



マウンテンマーシュマリゴールド。リュウキンカ属です。



黄色のインディアンペイントブラシ。

このコースは、日本の山の感覚で、高山植物らしい花を数多く見ることができました。

さすらいの風景 ボウ・サミット・ルックアウト その2

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ペイトー湖の眺めを楽しんだ後、幅広の登山道に戻り、先に進みました。



しばらく歩くと、氷河から流れ出た水溜りが現れました。



透き通った水に山の影が浮かんでいました。



小さな沢が流れ出ていました。



周辺には多くの花が見られました。

アルパインバターカップ。



ホワイトドライドアド



丘の上に出ると、展望が広がり始めました。



ゴールも間近に迫りました。



ボウ・サミット・ルックアウトの丘の上に出ると、ボー・レイクの眺めが広がりました。



ボウ峠を挟んだ反対側には、ミスタヤ・バレーが広がっています。



台地の上には、ホワイトドライドアドのお花畑が広がっていました。



ホワイトマウンテンヘザーの群落も見られました。日本でいうところのイワヒゲですね。







ミスタヤ・バレーを通過するアイスフィールド・パークウェイを見下ろすことができましたが、車が走っていないことに気が付きました。15分の差で山火事による通行止めを免れたことはこの時は知りませんでした。



展望と花を楽しんだ後で下る途中、岩場にマーモットがいました。



立ち止まって写真を撮っていると、ひと回り大きいもう一匹が脇からダッシュしてきて、岩の隙間につれて入っていきました。どうやら、子供が母親が帰ってくるのを待っていたようです。



車に戻ると、山火事の煙がキノコ雲のように立ち上がっていました。



バスがアイスフィールド・パークウェイに戻ると間もなく、道路脇の草むらにグリズリーが歩いているのに出会いました。

ボウ・サミット・ルックアウトからの下山中、疲れている人が多いようなので、「森のくまさん」を詠えば元気が出るのではといって口すさんだところでした。



発信機が取り付けられていました。襲われたら助かりませんね。

通行止めで車が通らなくなったので道路脇に出てきたのでしょうか。それとも人間を気にしていないのか。



国道一号線に戻ると、再び車の往来は多くなりました。

道路にかかる橋は、アニマル・パスと呼ばれる動物用のものです。このようなオーバー・パスとは別に、地下を好む動物用にアンダー・パスと呼ばれる連絡路も設けられています。



キャッスルマウンテンを再び見て、この日の宿泊地のバンフに向かいました。

さすらいの風景 バンフ その1

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ボウ・サミット・ルックアウトのハイキングの後、バンフに移動しました。

泊まったホテルのインズ・オブ・バンフは、日本の団体が多く利用するようで、日本食レストランも併設されていました。

部屋の空調が利かず、扇風機を回しても暑く、窓を開け放って寝る必要があるなど、設備の方は良いとはいえませんでしたが、日本の山小屋と比べれば天国です。

ホテルは、バンフのメイストリートの一番はずれにあるので、中心地まで距離がありました。市内バスの乗車カードが渡されましたが、見物がてら歩くことになりました。中心地までは20分ほどの歩きだったので、我慢の範囲でした。



ホテル内の日本食レストランで夕食の後、街に出かけました。時間はすでに9時になっていましたが、緯度が高いため、ようやく灯りがつき始めたところでした。



カスケード山(2998m)が、夕日に染まっていました。



中心地が近づいてきました。



バンフは、カナディアン・ロッキー観光の拠点になっている街です。ホテルやレストラン土産物店が並んでいます。

バンフは、1883年に大陸横断鉄道を建設中に温泉が発見されて、湯治場が造られたことが始まりです。1885年に保護区に指定され、1887年にはアメリカのイエローストーン、オーストラリアのロイヤルに次ぐ3番目の国立公園の指定を受けて、リゾートタウンとして開発されることになりました。ボー川の南側には高級リゾートホテルのフェアモント・バンフ・スプリングス、北側には庶民向けのダウンタウンが建設されました。

我々の宿は、ボー川北側のダウンタウンの、しかも街外れにあります。



小さな教会もありました。



10時近くになっていましたが、街は観光客で賑わっていました。



通りで見かけた「パイカ(ナキウサギ」の看板。



山岳リゾートということで、ノースフェースなどの登山用品の店も並んでいました。



これはランドル山(2949m)。バンフの街は山々に囲まれています。





バンフの街のメンストリート沿いの建物は高さ制限が行われているようで、歩いていて開放感があります。





振り返ると、メンストリートの奥にカスケード山が聳えていました。



ボー川の河畔にあるこの建物は、バンフ公園博物館のようです。1903年に建てられたカナダ西部では最古の木造建築とのこと。



ボー川に架かる橋の上に出ました。



下流側には、歩行者専用の橋が架かっていました。



通りの反対側を歩いてホテルに戻ることにしました。







方角指示の飾りの頭にはエルクが飾られていました。



通りにあった記念碑。1885年はバンフが保護区に指定された年で、世界遺産のマークも記載されています。



教会には、ランドル山のステンドグラスが飾られていました。

さすらいの風景 ヤムナスカ・ショルダー その1

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4日目のハイキングは、「サンシャイン・メドウ・ロックアイル・トレイル」か「ヤムナスカ・ショルダー」のどちらかという予定でした。「サンシャイン・メドウ・ロックアイル・トレイル」は地球の歩き方にも掲載されており、こちらの方が良いかなと思っていたのですが、登山道の状態などの条件で「ヤムナスカ・ショルダー」になりました。

「ヤムナスカ・ショルダー」は、カナナスキス・カントリー&Mt.アシニポイン州立公園内にあり、カルガリー方面に進んだキャンモアで国道から分かれます。

キャンモア付近では、スリーシスターズが、朝日を浴びて輝いていました。



近づいてきたヤムナスカ山。



登山口の駐車場に到着。到着直前には、バスの前をクーガー(ピューマ)が横切りました。ただ、一瞬のできごとで、茶色の動物の影が横切るのを見て、鹿かと思ったただけでした。

カルガリーにも近いことからか人気のハイキングコースのようで、ハイカーやクライマーの車が並んでいました。



さっそく花が出迎えてくれました。

ブラウンアイドスーザン。



スムーズフリーベン。



駐車場脇の草地に出ると、ヤムナスカ山の眺めが広がっていました。

我々の登るのは、右手の緑に覆われた肩部までのようです。



登山道の周辺には数多くの花が咲いていました。

コモンヘアベル。



ホワイトジェラニウム。



スティッキーパープルジェラニウム。



広葉樹の疎林の下生えとして草原が広がっていました。



特にインディアンペイントブラシは、群落状に咲いていました。





色の薄い物もありました。



レッドクローバー。



カウパースニップ。



ウェスタンウッドリリー。

サスカチュワン州の州花になっているとのこと。目立つ花なので盗掘も行われて減ってきているとのことですが、この山では多くの花を見ることができました。



花の形からすると日本でいうところのスカシユリです。以前飯豊連峰で、ニッコウキスゲに混じって咲いていたヤマスカシユリを見たことがありました。

ヤマスカシユリは斑点が花弁一面に広がっているのに対し、ウェスタンウッドリリーは基部に斑点がまとまっています。





サワギクの仲間。



ブルークレマチス。





スプレンッディングドッグベン。





コモンヤロー。



緩やかな登りを続けていくと、分岐に出ました。直進するとクライミングの岩場。トレッキングルートは右に進めとのことです。



この分岐を左に曲がると、すぐ先で第一展望地と呼ばれる露岩の広場に出ました。

山岳地帯との境界の平野部に広がる森を見下ろすことができました。



この日は少しもやっていましたが、山岳地帯も見えていました。

歩きは超スローペースでしたが、そのおかげで花の写真撮りもしっかりとできました。

さすらいの風景 ヤムナスカ・ショルダー その2

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第一展望地での休憩後、再び花を眺めながら歩き出しました。



スポッティッドコーラルルート。葉緑素を持たないランです。



ホワイトカマス。



コモンピンクウィンターグリーン。





プリックリーローズ。



トゥイニングハニーサックル。



バンチベリー。この山では、少し標高を上げたところで現れました。



ハートリーフアーニカ。



ワェスタンカナダバイオレット。



ワンフラワードウィンターグリーン。



マウンテンチックウィード。



花を眺めながら歩いていると、第二展望地に到着しました。



眼下にハート型の池を眺めることができました。



ヤムナスカ山の岩壁も良く眺めることができました。クライミングに良さそうな垂直の岩壁です。



この先の登りは少しきつくなりました。

イエローマウンテンサクサフリッジ。





マウンテンメドウシンクフォイル。



マウンテンフリーベン。





ブルーアイドブラス。



ノーザンスウィートベッチ。



ようやく目的地のショルダーに到着しました。台地状になっており、崖際の岩場からは高度感のある眺めが広がっていました。



ヤムナスカ山までは、緩やかな稜線を辿った後に、岩場を登って山頂に出ることができるようです。登攀器具は用いないで登ることのできるスクランブルと呼ばれる、日本でいうところの槍・穂高の岩場のようなレベルのようです。ただ、一般的なハイカーは、このショルダーが最終到着地になるようです。



各自思い思いの所に腰を下ろして昼食になりましたが、アツモリソウの仲間のイエローレディーススリッパーがあるというので、食事もそこそこに撮影を行うことになりました。

そのおかげで、おにぎり詰め合わせのランチボックスの写真を撮るのを忘れてしまいました。



ここまでの登りの途中にも、イエローレディーススリッパーの花はあったのですが、すでにしおれており、ようやく盛りの花を見ることができました。



イエローレディーススリッパーの名前は先住民族(インディアン)の伝説に由来します。

昔々、先住民族の酋長の娘が森の中で一人で遊んでいると、傷ついて泣いているウサギを見つけました。可哀そうに思った娘は、履いていたモカシンをウサギにあげました。日暮れになって家に帰ろうとして、裸足になった娘は歩き出しましたが、裸足の足には傷ができて、歩くうちに気を失ってしまいました。小鳥がこの娘を見つけ、この心優しい娘を助けてくれるようにと森の精霊にお願いしました。娘が目を覚ますと、目の前の木に美しい黄色のモカシンが吊るされていました。娘は血の流れる足にこのモカシンを履いて家に戻ることができました。その名残りで、花の中には娘の血の跡の赤い斑点が見られます。



日本のキバナアツモリソウと違って、黄一色のすっきりした美しさを持っています。



イエローレディーススリッパーを探して木立の中を歩きまわっているとグリーニッシュフラワードウィンターグリーンを見つけることができました。



イエローコロンバイン。



マウンテンチックウィード。



色の濃いインディアンペイントブラシも咲いていました。



ショルダーの岩場にもシマリスが餌をねだりに出没していました。

午後になって気温も上がり、下山のために歩いているうちに喉が渇くようになりました。

これにて、ツアーに含まれるハイキングは終了。一般的な旅行会社のツアーで催されるハイキングなので、歩き足りなかったり、ペースが遅すぎてかえって疲れるという点もありましたが、バスで移動して僅かな時間の下車観光を繰り返すというよりは、じっくりと風景や花を見ることができました。

さすらいの風景 バンフ その2

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ヤムナスカ・ショルダーのハイキングからバンフに戻ったのは4時前で、この日の夕食は各自でとるため、まとまった自由時間ができました。さっそくバンフの街歩きに出かけました。

カスケード山も、まだ午後の日差しの中に輝いていました。



バンフの街で訪れたい所が幾つかありましたが、まずトンネル・マウンテンを登ることにしました。地球の歩き方にも掲載してあるのですが、街中から登山口までの地図が判り難く、Wolf St.からSt.Julien Rd.に入れば良いだろうと判断して歩き出しました。途中で、このようなTonnnel Mountainの案内標識があったのでこれに従うと、あらぬ方向に向かってしまいました。これはTonnnel Mountainのキャンプ場を示したもので、登山口を示したものではありませんでした。



トンネル・マウンテンは、市街地の脇にあります。



少々迷いましたが、なんとか登山口に到着しました。個人旅行では、迷うのも面白さの一つです。



トレイルヘッド(登山口)には、案内板も置かれていました。





九十九折りの幅広の登山道が設けられていました。おまけの山として登り始めましたが、疲れも出てきており、汗を流しながらの登りになりました。



登るにつれて、バンフの街を見下ろすようになってきました。



ひと汗かくと、車道の横断部に出ました。車で上がってきて、ここから歩き出す者も多いようです。



案内図で、登山道のおおよそを理解することができました。



この先も九十九折の登りが続きました。



ボウ川の眺めが広がりました。



街に隣接した山のためか、花は少なかったですが、ブラウンアイドスーザンの花を見ることができました。



露岩帯が現れると、登りの傾斜も緩やかになりました。



崖際に手すりの設けられた展望台が設けられていました。



汗ばんだ体に吹き抜ける風が心地よく感じました。トンネル山を大きく迂回して蛇行するボー川を見下ろすことができましたが、ゴルフ場が見えるのは残念です。



またランドル山の岸壁がそそり立つのを間近に眺めることができました。



展望台からもう少し頑張ると、トンネル山の頂上に到着しました。

最高点の下には、コングラチュレーションと書かれた看板が置かれていました。トンネル山は、1690mの標高であることが判りました。

登山口から山頂までは45分の登りでした。久しぶりに頑張って歩いた気分でした。

トンネル山は、かつて大陸横断鉄道を通すためにこの山にトンネルを掘る計画が持ちあがり、結局実現はしなかったものの、山の名前として残されました。



トンネル山の頂上は一枚岩に覆われて、幾つもの石積みが置かれていました。



バンフの街からかなり上がってきました。



ボー川に架かる橋も良く見えていました。この後は、この橋を渡って、ボー滝に行く予定です。



バンフの街の中心部。

時間も遅くなっており、誰もいない山頂でゆっくりと休みました。この日最後の登山者かと思ったのですが、下山途中、何人もの登山者に出会いました。



下りの途中で見るフェアモント・バンフ・スプリングス。バンフを代表する高級ホテルです。



登山口に戻った所で、先を歩く人が小路を下っていくのを見てついていくと、民家の間を抜けて通りに出た所に、トレッキングコースの案内が立っていました。



Caribou St.とGrizzly St.の交差点に出ていました。中心地からCaribou St.を直進して小路に進むのが、登山口への近道でした。



Caribou St.からトンネル山を振り返ったところ。

トンネル山は、おまけの山としては楽しめました。

出かけてきます

戻ってきました

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今回は、ラオスを訪れてきました。
ラオス観光というと、仏教寺院がメインですが、ハイキングも組み込まれているツアーを選んで、ラオスの自然に接することができました。

カナダ旅行記が少し残っているので、少々お待ちください。

さすらいの風景 バンフ その3

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トンネル・マウンテン登山を終えて、バンフの街中に戻ってきました。

バンフでは、もう一か所どうしても見たい所が残っていました。それは、マリリンモンロー主演の「帰らざる河」のロケ地になったボウ滝です。



街を眺めながらボウ川に向かいました。



どこか、スイスの山岳リゾート地といった雰囲気があります。



ボウ川にかかる橋に出ると、ランドル山の眺めが広がりました。



橋のたもとにはカスケード公園があり、ゴシック様式の公園管理事務所が見えています。



川岸の遊歩道を歩いていきます。



緩やかだった側の流れに白波が立ってきました。



遊歩道は、川岸の高台に登ってから下るように続いていました。階段の登り下りは、歩き疲れた足に辛いものでした。



見下ろすボウ川は、急流に変わってきました。





いよいよ滝の落ち口が見えてきました。



滝を上から眺めたところ。



帰りの登り返しが気になる階段を下っていくと、滝の下流に出ました。

高さ9.1m、30.5mで、想像していたよりもこじんまりとした滝でした。



ただ7月ということでか水量は豊富で、水音は大きく響いていました。



滝の下流で、ボウ川は再び穏やかな流れに戻りました。

このボウ滝は、やはり映画「帰らざる河」を見ていないと、面白さも半減といったところでしょうね。

それでは、映画でのボウ滝の場面を見てみましょう。



川下りの途中、インディアンに見つかって襲われます。



インディアンの襲撃から逃れたと思うと、川は急流に変わってしまいます。



必死に櫂をあやつるロバート・ミッチャム。



急流に翻弄される筏。



ロバートミッチャムが筏から落ちてしまい、必死に櫂を操るマリリン・モンロー。



そして滝への落下。



なんとか滝を乗り切って、川下りを続けます。

この場面を考えると、ボウ滝は場面に良く合っていると思います。これ以上の大滝だと、インディ・ジョーンズの世界になってしまいます。



街にたどり着き、酒場の歌い手に戻ったマリリン・モンローが歌うのは、主題歌の「帰らざる河」。

この映画のマリリンモンローは実に魅力的ですね。

映画は、「帰らざる河」の男性による歌声によって終わります。



坂を登り返して、再びバンフの街に戻ってきました。今度は、歩行者専用の橋を渡ることにしました。



橋の上から、ランドル山の美しい姿を眺めました。



バンフのメインストリートに戻ってきました。



この日の夕食は、個人でとることになっていました。バスの中で現地ガイドが、レストランのクーポン発行や予約の世話をしてくれていましたが、歩いた後の時間が不明であったので、その時になってから考えることにしました。

1日の歩きで体力も限界に達しており、レストランで食事する気力は残っていませんでした。テイクアウトできるもの調達してホテルに戻り、シャワーを浴びてさっぱりしてから食事をすることにしました。

マクドナルドがありましたが、目的は、その左にある「茶屋」です。気軽に入れる日本食堂で、テイクアウトも行っています。かつ丼を調達しました。



なお、ここのマクドナルドのマークには、カナダ国旗の赤いカエデが加えられています。



カスケード山を眺めながらホテルに戻りました。



夕食時とあって、街は賑わっていました。



ランドル山も赤く染まってきました。

明日は、バンフを離れてナイアガラ・フォールズに向かうので、カナディアン・ロッキー観光もこれで終わりになりました。

カナディアン・ロッキーは、ヨーロッパアルプスやヒマラヤとも違った魅力を持っていました。再び訪れる機会があるのならば、バンフを基地にして、トレッキング三昧といきたいですね。

さすらいの風景 ナイアガラ・フォールズ その1

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カナディアン・ロッキーの次はナイアガラの滝を見学するために、カルガリーからトロントに移動することになりました。北米大陸を横断するカナダは、国内の時差は最大で4時間半あります。山岳部標準時間のカルガリーと東部標準時間のトロントの間は、2時間の時差となります。

カナダ国内の移動といっても、4時間10分のフライトを我慢することになりました。



カルガリーの空港の売店。土産物はまだ買っていないので、ナイアガラ・フォールズで買い物をすることにしました。



飛行機は、広大な平原の上を進んでいきました。



4時間にも及ぶフライトにもかかわらず、食事の提供は無し。中国の国内線の食事がお粗末と文句を言ったのは、謝らないと。



ジュースのみが提供されました。



結局、出発前の空港で買ったスターバックスのサンドイッチとミネラルウォーターでの昼食になりました。





トロントが近づいたところで、海と見間違うような大きな湖が現れました。ヒューロン湖のようです。



何事もなくトロントに到着してナイアガラ・フォールズに向かいました。車も多く、カナディアンロッキーの山奥から大都市に戻ってきた感じです。



時折り、オンタリオ湖を眺めることができました。



ブドウ畑も広がっていました。



ナイアガラ・フォールズに到着すると、タワーや大観覧車が目に飛び込んできました。

ナイアガラの滝に自然景観を期待していると、この後の観光で大きなギャップを感じることになります。



ザ・オークスホテル・オーバールッキングザフォールに二泊することになります。



ホテルの名前にもある通り、ホテルは、滝を見下ろすことのできる位置にあります。ただ、ツアー料金の問題で、下層階が割り当てられているため、部屋からは滝の水煙しか見えませんでした。

なお、右手の横断幕の掲げられている所が、テーブルロックへ下りるためのインクラインレイルウェイ乗り場です。



最上階に展望室が設けられており、ここからはナイアガラの滝を良く眺めることができました。

ホテルの下にあるのが、ナイアガラの滝のうちカナダ滝です。滝の縁にある建物付近が、滝の展望台として有名なテーブルロック。



また、左にはアメリカ滝が見えていました。その脇の橋が、カナダとアメリカ合衆国を結ぶレインボー橋です。



アメリカ滝には、虹がかかっていました。なお、アマリカ滝の右手に細い滝が見えますが、これはブライダルベールの滝と呼ばれます。



ホテルの脇のレストランで夕食をとった後に、街歩きに出かけました。

宿泊したザ・オークスホテル・オーバールッキングザフォール。



世界的観光地とあって、カジノもありました。



夜になって、滝のライトアップが始まりました。



緑地帯をテーブルロック方面に下りる道を探しながら歩いていくと、スカイロン・タワーの下に出たので、上がることにしました。

スカイロン・タワーは、地上160mの展望塔です。入場者の列もできていましたが、大型エレベーターのおかげですぐに上がることができました。



スカイロン・タワーからは、ナイアガラ・フォールズの街やナイアガラの滝の眺めを楽しむことができました。

これはカナダ滝。この晩は、翌日と比べて水煙が高く上がっていました。



ライトアップの色が次々に変わっていくので、足を停めて眺めることになりました。







こちらはアメリカ滝。対岸はアメリア合衆国です。









ナイアガラの滝の風景のアクセントになるのが、霧の乙女号として有名な滝壺への遊覧船です。夜になって、船もライトアップされていました。





北側には、繁華街のクリフトン・ヒルがあり、大観覧車のナイアガラ・スカイホイールが見えていました。



スカイロン・タワーでの見学を終えて、川沿いの遊歩道に進んで滝の眺めを楽しみましたが、水煙の関係で翌晩の方が良く見えましたので、写真はそちらを出すことにします。

夜の街の見学を終えてホテルの部屋に戻ったのは11時過ぎ。街はまだ賑わっており、夜歩きの危険性は感じませんでした。

さすらいの風景 ナイアガラ・フォールズ その2

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六日目は、午前にナイアガラの滝観光を行い、午後は自由行動ということになります。

ホテルから歩いて、ナイアガラ川に沿って延びる遊歩道に向かいました。まずアメリカ滝が目に飛び込んできました。 アメリカ滝は、落差21mから34m、幅260mあります。



こちらは、カナダ滝。 落差53m、幅670m、滝壺の深さ56m。



遊覧船が滝壺の水煙へと突入していくのが見えました。我々もこれから体験することになります。



滝壺への遊覧船のホーンブロワー・ナイアガラ・クルーズの乗り場が見えてきました。



遊歩道に東屋が設けられていましたが、これはマリリンモンロー出演の映画「ナイアガラ」で、宿泊したコテージの一部として用いられています。



ホーンブロワー・ナイアガラ・クルーズの乗り場の上には展望台が設けられていました。ナイアガラの滝一番のアトラクションとあって、乗り場には土産物屋が並んでいました。



アメリカ滝が正面に見えていました。



赤いビニール合羽を着た観光客を乗せた船が出発していきました。



ホーンブロワー・ナイアガラ・クルーズの船は、アメリカ滝の下を通過した後にカナダ滝の滝壺まで進んでから引き返すことになります。



このナイアガラの滝の遊覧船は、846年に開始され霧の乙女号として人気のアトラクションになってきましたが、2013年に運営が変わって、アメリカ側は霧の乙女号として継続されていますが、カナダ側はホーンブロワー・ナイアガラ・クルーズと変わりました。

なお、ホーンブロワー・ナイアガラ・クルーズでは赤い合羽、霧の乙女号は青の合羽が使われています。



エレベーターで船着き場まで下りて、ビニール合羽を着て、乗船となりました。

あいにくとにわか雨が襲ってきましたが、いずれにしてもこの後、水しぶきを被ることになりました。なお、一眼レフはしまいこんで、防水性のあるコンデジに変えました。



一階部の船頭部に陣取りました。



アメリカ滝の下を通過。



アメリカ滝とブライダル・ベール滝。脇の岩場には、「風の洞窟ツアー」と呼ばれる遊歩道が設けられています。



カモメが飛び交っていますが、滝に巻き込まれて落ちてしまい、のびてしまって浮かんだ魚を狙っているようです。



テーブルロックの下に近づいてきました。崖の下には、ジャーニー・ビハインド・ザ・フォールズと呼ばれる展望台が設けられています。



高く上がる水煙の中に入っていきます。



水面も波立ってきました。



滝の目の前に迫ってきました。



風圧もかなりのもので、カメラのレンズをぬぐいながらの撮影になりました。防水カメラでないと撮影は無理ですね。



しばらくは、水煙に包まれて、近くの水面しか見えない状態が続きました。



船はいつの間にかユーターンしたようで、アメリカ滝が正面に見えてきました。



ホーンブロワー・ナイアガラ・クルーズを終えて、次はテーブルロックに向かいました。

テーブルロックは、カナダ滝を望む展望台です。



天気も回復してきて、水しぶきが輝くようになってきました。



カナダ滝の落ち口を間近に眺めることができました。



上流部に進むと、かなりの幅のある川が一気に落ち込んでいるのが判ります。





ナイアガラの滝として有名なテーブルロック。



テーブルロックは、かなりの広さがあるので、滝の撮影や記念写真の場所取りに苦労することはありませんでした。



アメリカ側の展望地のテラピン・ポイントが見えています。



テーブルロック脇の建物内で昼食をとりましたが、そこのベランダからも展望が広がっていました。



昼食を終えて、インクライン・レイルウェイを使ってホテルに戻りました。



インクライン・レイルウェイの上部乗り場からカナダ滝を振り返ったところ。

半日観光の終わりにホテル近くの土産物屋で買い物をし、後は自由行動になりました。

さすらいの風景 ナイアガラ・フォールズ その3

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午後の自由行動では、幾つかのプランを考えていましたが、まずはカナダとアメリカ合衆国の国境になるレインボー・ブリッジめざすことにして街歩きを開始しました。

幸い、午後になって、青空が広がり暑いほどの陽気になってきました。



道順でもあるクリフトン・ヒルに向かいました。





クリフトン・ヒル一帯は、ナイアガラ・フォールズ随一の繁華街で、見世物小屋が立ち並んでいます。



バーガーキングの屋上にはフランケンシュタインの怪物が寝そべっています。



こちらには、倒れ掛かった建物の上にキングコング。





ナイアガラ・スカイホイールと呼ばれる大観覧車。



アメリカン・コミック風な、原色たっぷり、けばけばしい飾り付けの店が続いています。

こういった雰囲気、嫌いではないですけどね。でも、自然景観を堪能したカナディアン・ロッキーの旅の最後に眺める風景としては、ちょっとミスマッチな感じがします。



映画館の飾り付けは、MGMのパクリでしょうか。



レディー・ガガかな。



パイレーツ・オブ・カリビアン。



川岸の遊歩道に出ると、レインボーブリッジが見えてきました。



レインボーブリッジ近くのクラウンプラザ・ホテルは、ナイアガラ最古の由緒あるホテルで、マリリンモンローが撮影の際に泊まったといいます。



脇には、チョコレートのハーシーの看板が見えています。



レインボーブリッジのたもとには、税関の塔があります。

マリリンモンロー出演の「ナイアガラ」では、ベルタワーとして登場し、ここでリクエスト受付けで奏でられる「キス」の曲が大きな役割を果たし、重要な場面の舞台になりました。実際は税関の建物のようです。



レインボーブリッジの上は、国境の緩衝帯になるため、パスポートを持って進む必要があります。カナダ側から橋の上へは、50セントのコインを入れて無人の扉を押すだけですが、再入国時にパスポート検査があります。アメリカ側に入国するには、入国税と入国書類が必要になります。私がカナダに再入国するとき、前のカップルがなにやらもめて、別室につれていかれていましたが、パスオートを持たずに橋の上に出てしまったのでしょうかね。



橋の上には歩道が設けられているので、ゆっくりと景色を楽しむことができます。



橋の上から見たアメリカ滝(左)カナダ滝(正面)。



橋の中央部には、カナダとアメリカの国境を示すプレートが取り付けられています。





車道にも国境の白線が記されています。



少しアメリカ側に入って写真撮影。



青い合羽を着た観光客を乗せた霧の乙女号が通過していきました。



アメリカ側に進んで観光をする準備として、入国書類の下書きもしてあったのですが、人工的なアトラクション観光は十分な気持ちになっていたので、少し郊外に出ることにして、カナダ側に戻りました。

さすらいの風景 ナイアガラ・フォールズ その4

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ナイアガラ・フォールズの街なかの観光にも疲れたので、郊外に出てナイアガラ渓谷を歩いてみることにしました。

旅行会社から直前にナイアガラ渓谷ハイキングの案内が送られてきましたが、個人でもバスで行けることと、値段も1万円ほどと高いことから、このオプショナルへの申し込みはしませんでした。

ナイアラガ・フォールズの街には、ウィーゴーという観光客用のバスが走っています。色分けされた5路線がありますが、ナイアガラ川沿いに走るグリーンラインが利用価値があります。

レインボーブリッジ近くのClifuton Hillから乗って、Niagara Glenで下車しました。路線図は、テーブルロック付近の案内所で手に入りますが、事前にウェブで調べることもできます。



バスカードは、デイパスのみで7ドルなので、郊外を往復して夜にもう一度街中で乗れば、元はとれる勘定でしょう。

車内で次のバス停の表示もされるので、安心して乗れるのですが、一つ戸惑ったのはドアの開け方でした。周辺を見渡してもボタンがなく、結局、ドアにタッチすれば開くことを近くの乗客から教えてもらうことになりました。



バス停前に公園事務所がありました。



道路脇の公園からは、ナイアガラ渓谷を見下ろすことができました。



ハイキングコース入り口に、案内図が置かれていました。コースの案内図を持っていないので、デジカメで撮影してメモ代わりにしました。要は半時計周り回って行けばよいようです。川と崖の間の狭い範囲なので、迷子になることもないでしょう。



ここがハイキングコースの入り口。



見下ろすと崖下に道が続いています。



いきなり螺旋状の階段で崖下まで一気に下りました。



案内図にはコースの名前が書いてあったのですが、途中には案内板は無く、メインと思われるコースを下っていくことになりました。



ナイアガラ川の畔まで下ると、ゴムボート下りが通過するのを見ることができました。



川岸まで下ったものの、溪谷の展望が大きく広がるような展望地は無く、緑の濃い森を抜けていく道が続きました。



ようやく、ナイアガラ川の展望が開けた所に出ました。



再び、緑の濃い森の歩きになりました。どうもこのハイキングコースは紅葉の時期が一番楽しめるようです。



川岸の道の終点にたどり着きました。ここから上に向かう道があるはずなのですが、見当たらず戻ることになりました。



少し戻った所で、山側に向かう道があったので、そちらに向かいました。

ここで気が付いたのですが、木にマークしてあるのが、コース表示のようです。ただ、入り口にあった案内図にもこのマークが記載されていなかったので、どのコースを歩いているのかは全く判りませんでした。



緩やかに登っていくと、岩が目立つようになってきました。





途中には、岩の間を潜り抜けるような所もありました。







途中で見かけた花。ナスの花に似ていますね。



崖下まで戻ってひと安心。最後に階段を上がって、ハイキング終了になりました。



街に戻るバスはNiagara Glenには停車しないので、次のButterfly Conservatoryまで進んでから引き返すことになりました。

Butterfly Conservatoryには、ボタニカルガーデンがあるので見学しました。

ボタニカルガーデンは、1936年にナイアガラ園芸学校として設立され、園内の手入れは学生が行っています。



園内はかなりの広さがあるようなので、その入り口付近だけをみることになりました。



ここも紅葉の季節が美しそうです。



日本では見かけない花が色々咲いていました。











これは入場しませんでしたが、蝶観察館のようです。







ニッコウキスゲに似ていますね。



日本でいうなら、アカバナシモツケソウといったところですね。

ボタニカルガーデンの見学を終えて、街に戻りました。

ナイアガラ渓谷は、紅葉のシーズンではないことから、オプショナルツアー料金の1万円は高過ぎ。個人観光のバス代出費7ドルなら妥当といったところでした。

さすらいの風景 ナイアガラ・フォールズ その5

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ナイアガラ渓谷から戻り、Hormblower Niagara Cruisesのバス停で下りると、ナイアガラの滝に虹が掛かっていました。しばらく滝と虹の眺めを楽しむことにしました。



虹もアメリカ滝の水しぶきの一部のように見えます。



虹は、半円状に続いていました。



カナダ滝には二重に虹が掛かっていました。



虹の中を進む遊覧船。

歩き疲れたこともあって、一旦ホテルに戻って休んでから、夜の街の散策に出かけることにしました。

この日の夕食も、レストランでとるのも面倒になって、シャワーを浴びた後に、サブウェイのサンドイッチとビールで簡単に済ますことになりました。サブウェイのサンドイッチは、パンやらメインの具、ドレッシングやらピクルスなど英語で選ぶのは難しいですが、なんとか注文できました。



日が暮れてから、再びクリフトンヒルに出かけました。ネオンが灯って、昼とも違う風景が広がり始めました。





お化け屋敷のようなものが好きなようです。



キングコングにライトが当たっていないのが残念。





見世物小屋ばかりです。



ファミレスもありました。



ナイアガラ・スカイホイールが、ボーリングのピンを倒すように見えました。



原色の世界です。





ライトアップされたスカイロンタワー。



河畔の遊歩道に出て、ライトアップされた滝を見学しました。これはアメリカ滝



色が変わっていくので、しばらく見続けることになります。





ライトアップされた遊覧船が進んでいきます。





遊覧船と共に、カナダ滝へと移動しました。



人工的ですが、美しい眺めです。







遊覧船は、アメリカ滝の方へ戻っていきました。





カナダ滝の落ち口の眺め。







滝のライトアップは、このようなサーチライトを用いた照明装置によって行われています。現在では、コンピューター制御で色を変えています。

世界三大瀑布というと、イグアスの滝、ビクトリアの滝と並んで、このナイアガラの滝があげられますが、世界遺産に前二者が選ばれているのに対し、ナイアガラの滝は世界遺産にはなっていません。周囲の観光施設やライトアップを考えれば、当然とも考えられますが、面白い観光地であることは確かです。

これでカナダの観光は終わりになり、翌日は帰国日になりました。

さすらいの風景 トロントから成田

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充分楽しんだカナダ旅行でしたが、帰国日になりました。帰りは、トロントから成田へのフライトです。



大西洋側まで移動してきたため、帰りは余計に時間が掛かるかと心配しましたが、飛行コースはアラスカを通過するため、11時間50分で済み、成田―カルガリー(9時間45分)+カルガリー―トロント(4時間10分)よりは短くなりました。



空席が目立ち、窓側三席を独占することができて、窓からの眺めも楽しむことができました。



お待ちかねのビール。



一回目の食事。エア・カナダは、味は悪くはないですが、量が少ないですね。



アラスカが近づいてきました。



湾が大きく入りこんでいました。



地図で白く表記された山岳地帯の上空に出ました。



真っ白な山並みが広がっていました。



歩いてみたいと思わせる雪稜ですね。



雪の付かない急峻な岩壁も見られます。



氷河らしきものも。



山の名前が判らないのが残念です。







再び、地図で白く塗られた山塊の上空にやってきました。



緯度が高いため、山の標高はそれほどないようですが、氷河が発達しています。





カナディアン・ロッキーの旅を締めくくるのにふさわしい眺めです。



夜食として、カップヌードルとチーズ・サンドイッチ、ビスケットが配られました。残すわけにいかないカップヌードルを食べて、後は持ち帰りになりました。この夜食だけは量が多いですね。



カップ麺とくればビール。カナディアンビールの飲み納めです。



到着前の朝食。オムレツにポテト。早朝で食欲はありませんでしたが、完食できる量でした。

今回のカナダ旅行は、途中、山火事による道路閉鎖にあわや遭遇というところもありましたが、トラブルも無しに無事に終えることができました。
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