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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 モスタル その2

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スターリ・モストを渡った先は、アラブ世界に迷い込んだようなバザールが続きます。



石畳の道が続きます。



川に沿って延びる道は、起伏もあって、それが眺めを良くしています。



眺めの開けたところで、スターリ・モストを振り返りました。





通りを進んでいくと、コスキ・メフメド・パシャ・モスクの前の広場に出ました。



モスクの前には、礼拝前に手足を洗う泉も設けられていました。



有料ですが、モスクに入ることができました。メッカの方向を示すミフラーブや説教壇のミンバルも設けられていました。



礼拝堂はドームに覆われていました。



簡素ですが、美しい造りです。



ミナレットに登ると、モスタルの街の眺めが広がりました。スターリ・モストの展望台です。



川に沿って延びるバザール。



モスクの脇にも展望台が設けられていました。有料ですが、モスクの入場料はここも含んでいます。スターリ・モストを目の高さで眺めることができました。



土産物屋をのぞきながら引き返しました。



土産物屋の内容は、トルコ旅行で見たものとほとんど同じです。トルコから運んできているようです。





象嵌細工の店がありました。



ここで、トレーを買いました。スペインのトレドでも同じようなものを売っていましたが、そこでは買う暇がありませんでした。





スターリ・モストのたもとには、ボスニア紛争時の写真の展示室が設けてありました。中では紛争時に撮影されたビデオも上映されており、スターリ・モストが砲撃によって崩れ落ちるさまには、思わずああというため息が出てきてしまいました。



そこで購入した写真集より。

1993年10月。砲撃から守るため、橋の中央にはタイヤがつるされています。



1993年11月。砲撃によって橋は完全に崩れ落ちてしまっています。

写真集には、他にも砲撃にさらされて破壊された橋の写真が載っているので、モスタルを訪れた際には、是非購入してください。



スターリ・モストのたもとには、「1993年を忘れるな」と書かれた石が置かれていました。



土産物屋では、銃弾を加工したボールペンを売っていました。



これは銃弾を組み合わせて造った戦車の模型。

日本人の感覚ではどうなのだろうと思ってしまい、買えませんでした。商魂のたくましさと思ってあげるべきなのでしょうね。



スターリ・モストは、バスに戻って昼食のレストランへの移動時にもう一度眺めることができました。



モスタルの街中には、廃墟になった美術館がそのまま残されていました。



街なかで見かけた途切れた線路。昔は路面電車が走っていたのでしょうね。



モスタルの今は、銃弾が撃ち込まれた壁の前に花が飾られているこの写真が良く現しているように思えます。

紛争によって破壊された街もようやく復旧し、観光客もアラブ風の異国情緒を味わうために訪れるようになってきています。この銃痕を残すのかどうかは判りませんが、観光地として発展していくことを願います。

さすらいの風景 プリトヴィッツェ その1

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モスタルで昼食をとった後は、クロアチア最後の見学地のプリトヴィッツェに向かって、長いバスの旅が始まりました。

内陸部の高速道路に乗ると周囲にカルスト地形が広がるようになりました。途中のパーキングでの休憩時でも、登山意欲をそそる岩山が目に入ってきました。



黒々とした岩山が広がっています。



バスが進んでシベニク付近を通過すると、遠くにアドリア海を見ることができました。



アドリア海の眺めはお別れと思っていたのですが、その先でも内陸部に深く入り込んだ湾を横断することになりました。





これで本当に、アドリア海ともお別れ。



登頂意欲がそそられますね。



高速を降りて地方道路に進むと、緑で覆われた高原地帯が広がるようになってきました。



羊も放牧されていました。



湿原地帯かと思ったら、大雨によって牧場が水浸しになってものでした。



山の上を見ると、白く染まっていました。



石灰岩が光っているのかと最初は思ったのですが、新雪でした。プリトヴィッツェ周囲の山は標高1000m程のようなので、寒い日が続いていたといっても、雪が降っていたとは意外でした。



夕方のまだ明るいうちに、プリトヴィッツェのホテル・ベルビューに到着しました。

プリトヴィッツェの国立公園内には、三軒ほどのホテルしかないようです。



ホテル・ベルビューの客室は、テレビも無くただ寝るだけというものでした。山小屋と思えば、充分すぎる設備といえますが。



ホテルの周囲には、ブナなのか大木の森が広がっていました。



夕食を終えてから、外に出てみましたが、街灯も無く真っ暗でした。



滝の落ちる音なのか、水音は聞こえているのですが、どこに湖があるのか判らない状態でした。星空を眺めただけでホテルに戻りました。



朝になったところで、周辺を散策すると、山腹に滝がかかるのが見えました。





湖までは、かなり下りる必要があるようです。

クロアチア観光は、ドブロヴニクとこのプリトヴィッツェの二つが最大の人気スポットになっているようです。期待が高まりました。

さすらいの風景 プリトヴィッツェ その2

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プリトヴィッツェ湖群国立公園は、大小16の湖と92ヵ所の滝を有し、世界遺産にも登録されています。

二つの入り口がありますが、下流側の入り口1から入場しました。



プリトヴィッツェ湖群国立公園のシンボルマークのようです。



入り口の先の展望台からは、さっそく滝の眺めが広がりました。左手の岩場の中間部に遊歩道が横断しているのが見えます。滝までは、かなり下る必要があるようです。



公園内最大のヴェリキ・スラップに虹がかかっていました。



展望の開けた所で写真撮影に足を停めながら、九十九折の道を下りました。



湖まで下ってきました。この一帯は下湖群と呼ばれ、上流部はカルジェロヴァツ湖です。



遊歩道は増水によって水が流れ込んできていましたが、追加の板を敷いてくれたので、ヴェリキ・スラップに向かって下ることができました。



遊歩道の脇は滝が流れ落ちていました。



しぶきもかかり中々スリリングです。



ヴェリキ・スラップの下の広場にやってきました。ベンチも設けられていましたが、しぶきが襲いかかるため、写真を急いで撮ってから距離をおきました。



滝近くにベンチが設けられているところを見ると、いつもはしぶきはこれほどではないようです。



少し離れてからゆっくりと滝を眺めました。

ここ最近の雨で、公園内の遊歩道も閉鎖になっている所も出てきていましたが、そのおかげでいつも以上に迫力のある滝を楽しむことができました。



遊歩道を戻りました。



この水量を見ると、ぎりぎりの所で通過できたことが判ります。



滝の落ち口をこれほど近くから見るのもめったに無いですね。



カルジェロヴァツ湖から上流のカヴァノヴァツ湖に向かう遊歩道は通行止めになっていました。



カヴァノヴァツ湖から流れ出る滝の下を通過する遊歩道は見どころの一つになっていたので、通行止めは残念なことでした。



一旦、来た道を登り返すことになりました。



谷の上部を通過する遊歩道からは、カヴァノヴァツ湖から落ちる滝を良く眺めることができました。



遊歩道には何か所も展望台が設けられていました。





歩くうちにカヴァノヴァツ湖の上に出てきました。





遊歩道を見下ろすことができましたが、水があふれている所もあるようです。



さらに上流に向かって歩いていきます。



上流部のミラノヴァツ湖からカヴァノヴァツ湖に向かって、ミルカ・トルニナ・スラップがかかっています。ミルカ・トルニナ・スラップは、この自然を愛した世紀末から20世紀に活躍したクロアチア出身のソプラノ・オペラ歌手の名前をとった滝です。



コズィヤク湖が見えてきました。



コズィヤク湖とカヴァノヴァツ湖の間にも、ミラノヴァチュキ・スラップがかかっていました。



遊歩道は谷に向かって下りになって、コズィヤク湖の畔に出ました。



コズィヤク湖の東岸には、休憩広場になっており、カフェや土産物屋も設けられていました。



ここのP3船着き場から、連絡船に乗って上流部に向かいました。



コズィヤク湖は、公園の中心にある大きな湖です。



ただ、このコズィヤク湖の周囲に滝が無いのは残念でした。



コズィヤク湖を行き交う船は、自然保護のために電動ボートが使われています。



コズィヤク湖上流部の上湖群が近づくと、小さな滝が連続する眺めが開けました。



この上湖群は、午後に見学することになりました。







一般的には、上湖群入り口のP2を経由してP1に移動するようですが、ダイレクトにP1に到着しました。



木々の緑に染まった静かな湖面が広がっていました。



一旦坂を登ってレストランで昼食になりました。午後からは上湖群の見学になりましたが、坂を上り下りする必要があるため、歩きたくない者は、この連絡バスを使って上湖群上流部の展望地を訪れるということになりました。

さすらいの風景 プリトヴィッツェ その3

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プリトヴィッツェ湖群国立公園での午後は、上湖群の見学を行いました。昼食をとったホテルから公園内に入場し、再び坂を下ってP1の船着き場にやってきました。一般の人には辛い上り下りになったでしょうね。



湖面は木々の緑に染まっていました。



水の中をのぞくと、魚が沢山泳いでいました。釣りは禁止されているようです。



船に乗って、P1から対岸のブルゲティにあるP2の船着き場に移動しました。



上湖群でも増水のために通行止めの区間があったようでしたが、なんとか見所を周回することができました。



上湖群では、遊歩道脇に小さな滝が連続していました。日本では見られない風景です。



カルスト地帯にあるため、湖に沈んだ倒木には、石灰華が沈着していました。



ひと登りするとグラディンスコ湖に出ました。





青空も広がって、湖見物のためには良い天気に恵まれました。



大雨の後のため、小さな滝も迫力のある眺めを見せていました。





小さな湖と滝が次々に現れてきました。





少し大きな滝が現れました。





このレリーフは、プリトヴィッツェ湖群の研究者で、1920年代に既にその自然保護の重要性を説いていたイヴォ・ぺヴァレク博士の功績を称えたものです。



ガロヴァチュキ・ブク。大きな滝が次々に現れてきました。





看板によれば、マリ・プルスタバク。







ヴェリキ・プルシュタヴツィ。水煙が襲ってきて、視界が霞んでいます。



滝の脇の登りになりました。





ガロヴァツ湖が現れました。



ここで戻ることになって、船着き場への道に進みました。上流には、さらに湖沼地帯が広がっているのですが、時間の制約があります。



行きに歩いた道に戻ってきました。



船に乗って、P1の船着き場へ。最後に坂道の登りにもうひと汗かくことになりました。

なお、プリトヴィッツェ湖群国立公園内では多くの花を見ることができましたが、これは別項目にて。

これでクロアチアの観光は終わりとなりました。この後は、翌日日本への飛行機に乗るため、オーストリアのグラーツへ移動することになりました。

さすらいの風景 グラーツ その1

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プリトヴィッツェを出発してからは、クロアチアからスロヴェニアを通り抜けてオーストリアに入ることになりました。移動距離は約307kmで、昨日に次ぐ長距離移動になりました。スロヴェニアとオーストリアの間は、区別のつかない同じ風景が広がっていました。



オーストリアに入ると、集落に教会が建つのと同時にメイポールが立っているのが目に入りました。



葡萄畑も見かけました。



日の長い五月とあって、まだ明るいうちにグラーツに到着しました。街並みは、これまで見てきたオーストリアの街と同じ雰囲気です。



グラーツでは、メルキュール・グラーツ・メッセに泊まりました。



移動の関係で泊まるホテルでしたが、可もなく不可もないといったところでした。

翌日のホテル発の予定は10時過ぎのため、グラーツの観光を行いたいと思い、ガイドブックのコピーとホテルの位置を記した地図を持参しました。ホテルから中心地までは4km程のようなので、歩くか現地で交通機関を確認しようと考えていました。朝グラーツは一般的には訪れない街なので、食を抜いてでもグラーツの観光を行いたいと思っていました。

ホテルに到着して翌日の打ち合わせを聞くと、希望者にはグラーツの簡単な市内観光に案内するということになって、自由行動は行う必要が無くなりました。



グラーツでは、路面電車が運行しており、乗り場の名前と路線番号を記した標識が設けてあり、使いやすい状態でした。



ハウプト広場で下車しました。降りた電車を見送ったところ。



ハウプト広場は、グラーツ旧市街地の中心になっており、市庁舎をはじめとする17〜18世紀の古い建物が周囲を囲み、飲み物や花を得るスタンドが並んでいました。



広場の中央に立つのは、ヨハン大公の像です。



ヨハン大公は、女帝マリア・テレジアの三男であるトスカーナ大公レオポルドの13番目の子として生まれました。皇帝となった長男のフランツ2世よりも、有能な軍人であるカール大公に一般の広人の親近感や憧れが寄せられたといいます。ヨハン大公は、戦場で多くの兵士を死なせたことに傷つき、宮廷から身を引き、貴族社会よりも山岳を愛するようになりました。スイス出身の芸術家の影響でスイスに傾倒しますが、やがて同様の美しい風景の広がる自国のチロル地方を愛するようになります。非常に活動的でまた庶民的な人柄であり、グラーツのあるシュタイアーマルク州の農業、鉱工業、林業を繁栄へと導きました。

ヨハン大公は、長らく結婚することがありませんでしたが、平民の娘のアンナと知り合い結婚を決意しますが、皇族・貴族等の猛反発に合いました。後に、皇帝からの正式な許可が下り、身分差と22歳の年齢差を越えて結婚することができました。

ヨハン大公の死後、地元の人たちが大公を偲んでいつともなく歌いだしたといわれているのが、日本でも知られている「ヨハン大公のヨーデル」です。

ヨハン大公の身分違いの結婚はハッピーエンドに終わりましたが、グラーツ出身のオーストリア皇位継承者のフランツ・フェルディナントは、同じような身分違いの結婚をし、こちらは悲劇的な生涯を閉じることになりました。彼の生涯については、別の項で触れることにしましょう。



広場には、メイポールが建てられていました。



市庁舎は、19世紀末に建てられたもののようです。



入り口の上には像が置かれていました。



市庁舎には、ドーム状の天井と尖塔が設けられていました。



広場の周囲の建物にも目が引き付けられました。



壁にフレスコ画が描かれていました。



広場を通過している道は、ヘレン通りといい、グラーツ一の繁華街になっています。



ヘレン通りにある装飾の施された建物は、スワロフスキーの店でした。日本でも人気の高いクリスタルガラスのスワロフスキーは、同じオーストリアのインスブルックに本店があります。



ハウプト広場から離れ、ムーア川に架かる橋を渡りました。



橋には錠が取り付けられていました。最近は、いろいろな所で見かけますが、昔からの言い伝えに基づくものなのかどうかは疑問です。



橋の上からは、シュロスベルクとその上にある時計台を望むことができました。



この時計台は、グラーツの街のシンボルになっています。

この後で、シュロスベルクに登り、時計台を間近にみることになりました。

さすらいの風景 グラーツ その2

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ムーア川を渡ると、繭のような不思議な姿の建物が現れました。これはクンストハウスといい、2003年に欧州文化首都になったことを記念して建設された芸術文化施設です。

古いグラーツの街並みに似合っているとは思えないのですがね。



その隣には古い教会が並んでいました。



こちらの方が、古都グラーツの景観に似合っていると思うのですが。



再び橋を渡ると、中州には、なにやら新し建造物がありました。

「グラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城 」ということで世界遺産に認定されているのですが、この建物やクンストハウスを造ることが良く許されたなと感じます。



橋を渡って、シュロスベルクに向かいました。



ここにも目をひく教会がありました。



鳩を飾った噴水が置かれていました。



シュロスベルクへは、歩道もありましたが、エレベーターを利用しました。



岩山をくり貫いた洞窟の奥に進んでいくとエレベーターがありました。脇の線路は、子供用のアトラクションのミニ機関車のもののようです。



エレベーターで一気に高さ473のシュロスベルクに上がると、目の前に時計台が現れました。



このシュロスベルクには、ハプスブルク家所有の難攻不落の城が建っていたのですが、1809年のナポレオンによるグラーツ占領時に取り壊されました。

最初に小さな城が置かれていたことから、スロベニア語で小さな城を意味する「グラデツ」から「グラーツ」の地名が生まれたといわれています。



グラーツのシンボルともいえる時計塔は、1265年に要塞の一部として建設され、その後1560年頃に現在の形になって1712年に時計が取り付けられました。

この時計塔の針は長針と短針が逆になっており、長針が分、短針が時間を指しています。これは元々、この時計が街から見やすいよう、時間を指す長い針のみが取り付けられていたところに、後からそれより短い分針を取り付けたためと言われています。



従って、現在は8時55分です。どうしても、習慣で11時45分と見てしまいますね。



時計塔のある広場からは、グラーツの市街地を見下ろすことができました。



ハウプト広場にある市庁舎。



クンストハウスも目だっています。イボイボもあって、ナマコのように見えますね。



王宮跡でしょうか。



遠足なのか、子供たちが歩いて登ってきました。皆、草臥れているようです。



エレベーターで市街地に下りました。

レストランの看板。この凝った看板は、ザルツブルグのゲトライドガッセを思いださせます。



ハウプト広場に戻ってきて、路面電車に乗ってホテルに戻りました。

短い時間でしたが、グラーツの雰囲気を知ることができました。

グラーツは、日本人にはあまり馴染みがないかもしれないかもしれませんが、オーストリア有数の文化都市として有名人が生まれています。

まずは、指揮者のカール・ベーム。グラーツ大学で法律を学び、グラーツ市立歌劇場でデビューしています。ドイツ正統派を代表する音楽家にとって、この街の雰囲気はふさわしいように思います。

続いて、アーノルド・シュワルツェネッガー。アメリカ生まれかと思っていましたが、グラーツ近郊の生まれです。ボディビルをするために渡米し、後にアメリカ国籍を得ました。生家は、現在、シュワルツェネッガー博物館になっているようです。

グラーツ出身者で忘れてならないのは、フランツ・フェルディナント大公ですね。フランツ・フェルディナントは、オーストリア皇族でしたが、従兄のルードルフ皇太子がいたため、皇位継承の圏外にありました。しかし、ルードルフ皇太子がマイヤーリンクで情死すると、にわかに皇位継承者となりました。ここで問題になったのは、チェコ人の女官であるゾフィーを恋人にしていたことでした。皇室は二人の結婚に大反対し、これに対し、二人は意思を変えませんでした。結局、ゾフィーが皇族としての特権をすべて放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に結婚が承認されました。しかしゾフィーは冷遇され、公的行事ではすべての皇族の末席に座らされ、それ以外の劇場などの公の場でも同席は許されませんでした。このような複雑な経緯もあって、フランツ・フェルディナントは「皇太子」とは呼ばれず、「皇位継承者」と遠回しな呼ばれ方をされるようになりました。

フランツ・フェルディナントは、チェコ人と結婚しただけあって、親スラブ的な傾向があり、1914年6月に共同統治国ボスニア・ヘルツェゴヴィナの軍事演習に出かけることになりました。一方、ボスニア・ヘルツェゴビナに住むセルビア人にとっては、オーストリア=ハンガリーによって侵略されたという恨みがありました。大公夫妻はサラエヴォで暗殺され、このサラエヴォ事件によって第一次対戦が勃発してしまいます。

大公夫妻の遺体は、貴賤結婚のために、ハプスブルク=ロートリンゲン家の人々が埋葬されるカプツィーナー納骨堂には入れず、居城であったアルトシュテッテン城内の納骨堂に埋葬されました。

本来計画に含まれていなかったグラーツ訪問ですが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを訪れてきた今回の旅と関係があったようです。

さすらいの風景 グラーツから成田へ

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グラーツの観光も終えて、帰国のためにグラーツ空港に向かいました。グラーツ空港は国内線空港のため、出国手続きは乗換地のフランクフルトで行うことになります。



オーストリアの空港とあって、売店にはモーツァルトチョコが売られていました。普通なら買うところでしたが、ここまでの旅でチョコレートを大量に買い込んでいたため、今回はパスとなりました。



行きはフランクフルト乗り換えでしたが、帰りはミュンヘン乗り換えになりました。



グラーツからミュンヘンへは、2+2の座席配列の小さなジェット機でした。



窓際の席であったので、眺めを楽しむことができました。



雲の間から雪山が見えてきました。



グラーツからミュンヘンへは、地図をみるかぎりでは、ザルツブルグ南部のザルツカンマグートとインスブルックを中心とするチロルの東端の間を飛行するように思えました。



飛行機の窓に張りついて外を眺め続ける状態になりました。





ピラミッド型の立派な山も見えてきました。





短時間のフライトですが、飲み物サービスがあり、ビールを飲むことができました。飛行機の機内では珍しく瓶ビールでした。



ビールを飲みながら、雪を頂いた山を眺めるのは最高の気分ですね。







ミュンヘンのある平野部に出てきました。



ミュンヘン空港で出国手続きを行いました。





売店をのぞくと、ビアマグが並んでいました。



くるみ割り人形も。ミュンヘンらしい眺めです。



東京行きの乗継も問題なくできました。



帰りもルフトハンザです。



離陸してほどなく飲み物サービス。もちろんビール。



夕食。ルフトハンザはメニューを配ってくれるので、それによればメインは「鶏のピカタミラネーゼ、スパゲッティ、ラタトゥイユ」とのことです。なんのことだか良くは判りません。選択のもう一品は、牛丼。

ワインも飲んで、美味しく頂きました。



シベリア北部を経由して日本に向かいました。



到着前の朝食は、スクランブルエッグにポテト、ホウレンソウのソテーでした。

ルフトハンザの食事は、他の航空会社のものと比べて、美味しいと思います。

今回の帰国は、特に問題なく終わることができました。

さすらいの風景 クロアチアの花

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今回の旅で見た花のまとめです。いろいろの花を見ることができましたが、名前は判りません。

スロベニアのブレッドで見たシャクナゲ。



同じくブレッドにて。日本で見られるシモツケソウの仲間です。



クロアチアのアドリア海沿岸部のセニの街の空き地にて。















ガソリンスタンド脇の空き地ですが、色々な花が咲いていました。



クルカ国立公園手前の高原地帯のドライブイン脇の空き地にて。



クルカ国立公園入り口のスクラディンにて。ヤナギランの仲間でしょうか。



クルカ国立公園にて。日本のミズバショウよりほっそりとしています。



キショウブでしょうか。



アドリア海沿岸部にて。日本でも帰化植物として見られるビロードモウズイカの仲間。葉が少し違っています。



ドブロヴニクのスルジ山にて。



モンテネグロ・コトルにて。





以下は、クロアチア・プリトヴィッツェ湖群国立公園にて。

白花のカワラナデシコ。



マンテマの仲間。







アマドコロの仲間。











ミヤマクワガタの仲間でしょうか。





キンポウゲの仲間。



ギンランといって良いかな。

















ツバメオモトに似ています。





色々な花を見ることができましたが、図鑑も無いので、日本の花で相当するものを思い出すのがやっとでした。

さすらいの風景 クロアチアのネコ

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今回は、温暖なアドリア海沿岸部の旅ということで、多くのネコに会うことができました。

ポレッチにて。



ロヴィニにて。





オパティアにて。





スクラディンにて。





ドブロヴニクにて。

城壁巡りの間に、多くのネコを見ました。



屋根の上のお昼寝。









ジャンプ。



「名に見ているん?」と見上げてきました。



混雑した旧市街地の小路にて。





食事中。



そのお隣で。



モンテネグロのコトルにて。







ボスニアヘルツェゴビナのモスタルにて。



イスラム教領域では、ネコが多く見られます。





海外の路上で見かけるネコは、日本で見られるネコと変わりがありませんね。

さすらいの風景 クロアチアの食と飲み物 その1

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今回の旅行の食事のまとめです。

スロヴェニア・ブレッド クリムホテルでの朝食。ビュッフェスタイルのため、いつものパターンになっています。



クロアチア・オパティア オパティアホテルでの朝食。



クロアチア・オパティア オパティアホテルの朝食。

朝食は、このホテルが一番充実していました。



オーストリア・グラーツ メルキュール・グラーツ・メッセホテルでの朝食。

スロヴェニア、クロアチア、オーストリアのホテルに泊まって朝食をとったわけですが、これらの国では内容はほとんど違いが見られませんでした。



昼食と夕食については、違いが見られました。

スロヴェニア・ブレッドにおける昼食。

まず、サラダ。



ソーセージにポテトと赤キャベツ添え。



デザート。



クロアチア・オパティアでの夕食。

サラダ。



白身魚のフィレ。



パラチンケ(クロアチア風クレープ)



クロアチア・ボレッティでの昼食。

フィッシュパテ



シーフード・フロデット(クロアチア風ブイヤベース)とポレンタ(トウモロコシパン)。



ムース。



クロアチア・オパティアでの夕食。

ホテルのレストランでビュッフェスタイルの食事でした。



デザートにシュトゥルドゥラ。



クロアチア・スクラディンでの昼食。

フィッシュ・スープ。



ツナ・ステーキ。



揚げパン。



クロアチア・トロギールでの夕食。

ビーフコンソメスープ。



チキンカツレツにポテト、温野菜。



ロールケーキ。



クロアチア・ストンでの昼食。

コンソメスープ。



生ガキ。ストンはカキの養殖が盛んということで、別注文で食べてみました。日本のカキとは違って小ぶりで丸みを帯びていました。磯の香りが強く感じる味でした。



イカのグリルとポテト、モロヘイヤ。



リンゴのコンポート。



クロアチア・ドブロヴニクでの夕食。

グリーン・サラダ。



チキン・ポーク・ハンバーグのミックスグリルに温野菜。



アイスクリーム。



クロアチア・ドブロヴニクでの昼食。

ミックスサラダ。



シーフードリゾット。



アイスクリーム。

さすらいの風景 クロアチアの食と飲み物 その2

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クロアチア・スラノでのホテルでの夕食。

ビュッフェスタイルでした。



デザートにフルーツ。



ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルでの昼食。

プリック(ホウレン草のパイ)。



チャヴァプチチ(小ぶりのソーセージ)



バクラヴァ トルコなどの中東方面で良く食べられるデザート。はちみつ入りシロップをかけて激甘。



クロアチア・プリトヴィッツェでの夕食。

スープ。



トラウトのムニエルとサラダ。



ケーキ。



クロアチア・プリトヴィッツェでの昼食。

ビーフスープ。



ポークステーキ。



アイスクリーム。



オーストリア・グラーツでの夕食。

パンケーキ入りスープ。



ウィンナーシュニッツェル。



デザートにムース。

今回の食事では、魚料理も多く、変化に富んでいました。



家に戻って食べるため、グラーツの空港のカフェで、プレッツェルと甘い具を挟んだパンを買いました。本当はグラーツのパン屋で買いたいところでしたが、時間がありませんでした。



食事の際にはビールかワインを飲みました。

ラシュコは、スロヴェニアの代表的メーカーです。



ラシュコの缶ビール



イストラ半島の地ビールのようです。



カルロヴァチコとオジェイスコ。クロアチアを代表するビールです。寝酒のためにスーパーで買いました。



オジェイスコの瓶ビール。



オジェイスコの生ビール。



カルロヴァチコの瓶ビール。



ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルのレストランのビール。



プリトヴィッツェ湖群国立公園のレストランのビール。



オーストリア・グラーツのホテルで飲んだビール。

ゲッサー・シュティフツブロイ(黒ビール)と、ヴァイスビール。



左は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのサラエスコ。右は、モンテネグロの ニクシィツィコと。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナのストンのスーパーマーケットで買いました。

今回の訪問各国のビールを飲むことができました。



寒い日が多かったので、昼食にはワインを飲むことも多かったです。



クロアチアは、ワインの産地でもあります。グラスワインしか飲んでいないのですが、若目でさっぱりした味でした。



プリトヴィッツェ湖群国立公園の売店で、クロアチア通貨のクーナを使いきるのに買いました。プリトヴィッツェ湖群国立公園の風景を描いたビンが目的のようなものでしたが、中身はラキアという蒸留酒です。

ラキウは、バルカン半島諸国で一般的に生産・飲用されている発酵させた果実から作られるアルコール度数40%程度の蒸留酒です。

スモモ、ブドウ、モモ、アンズ、リンゴ、ナシ、サクランボ、イチジク、マルメロなどの果実が用いられるようです。

買ったものは、字が読めないのですが、ラベルの絵から判断すると洋ナシを使ったもののようです。味の方は、度数が高いためか、臭いは少なく、純粋なアルコールといった感じです。



ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルで見たコクタの看板。



コクタは、ユーゴスラビア時代に、社会主義国ゆえに資本主義圏から物品輸入ができないため、スロヴェニアにおいて発明されたコーラ風飲料です。、

スロヴェニアのドライブインでコーラよりも安く売っていたので飲んでみました。

飲んでみると、香料が強く、周囲に臭いが漂うほどでした。半分も飲めず、植木にかけてあげることになりました。

昔、サイダーに慣れていた子供の頃、初めてコーラを飲んだ時もこのような感じであったのかもしれません。リコリス菓子と並んで、日本人の口に合わないでしょうね。

これにて、今回の旅行の報告も終わりです。

さすらいの風景 成田からカルガリー

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登山愛好者にとって、カナディアン・ロッキーは憧れの地です。最近は、紅葉の季節のカナダの人気が高くなっていますが、標高の高いカナディアン・ロッキーは針葉樹林帯のため紅葉は期待できないようなので、花が期待できる夏に出かけることにしました。

一般的な観光でなく、ハイキングの含まれている下記のツアーを選びました。

阪急旅行社「ベストシーズンのカナダハイキング8日間」 2014年7月10日〜17日

1日目 7月10日(木)
 成田発 16:00 (AK0010)カルガリー着 10:45
 (190kmバス移動)
 キャッスルマウンテン・ビューポイント
 16:00 ホテル着
 (レイクルイーズ泊 レイクルイーズ・イン)

2日目 7月11日(金)
 9:00 ホテル発
 モレーンレイク観光
 レイクアグネス&ビーハイブストレッキング
 18:00 ホテル着
 (レイクルイーズ泊 レイクルイーズ・イン)

3日目 7月12日(土)
 9:00 ホテル発
 コロンビア大雪渓
 ボウ・サミット・ルックアウトハイキング
 19:00 ホテル着
 (バンフ泊 インズ・オブ・バンフ)

4日目 7月13日(日)
 8:00 ホテル発
 ヤムナスカ・ショルダー・ハイキング
 17:00 ホテル着
 (バンフ泊 インズ・オブ・バンフ)

5日目 7月14日(月)
 7:00 バンフ発
 (190kmバス移動)
 カルガリー発 10:15 (AK0110)トロント着 15:53
 (125kmバス移動)
 19:00 ホテル着
 (ナイアガラ泊 ザ・オークスホテル・オーバールッキングザフォール)

6日目 7月15日(火)
 9:00 ホテル発
 ナイアガラの滝観光(テーブルロック、ホーンブロワーナイアガラクルーズ)
 自由行動
 (ナイアガラ泊 ザ・オークスホテル・オーバールッキングザフォール)

7日目 7月16日(水)
 10:00 ホテル発
 (125kmバス移動)
 トロント発 14:05 (AK0001)

8日目 7月17日(木)
 15:55 成田着

ナイヤガラを外して、カナディアンロッキーでもっとハイキングとも思いますが、一般的にはすべてハイキングでは体力的に厳しくなるのでしょうね。

この時期のカナダでは、日没が10時頃と遅いため、夜になっても街歩きができて、ツアーに含まれない場所の見学ができました。

夕方の成田出発のため、新潟の家を朝出ることにしました。台風が沖縄付近に接近中で前線が活発化し、出発前日の新潟周辺の鉄道は大混乱になってしまいました。出発当日、新幹線の影響は無いはずでしたが、安全のため早朝の列車で東京に向かいました。

出発日の成田空港は、天候も安定していましたが、翌日は台風が関東を通過するようで、そのために旅行を前倒しにした旅行者も多かったのか、飛行機は満席になっていました。



カナダ行きということで、今回が初めてのカナディアン・エアーを使うことになりました。

夕食相当の、ビーフシチュー。



ビールは、モルソン・カナディアン。癖の無い味でした。

ただ、食事を配った後にドリンクのカートが回ってくるのに時間がかかり、サービスのだんどりは良くありません。



コ−ヒーカップにも大きくメープルリーフ・マーク。



太平洋北部を横断してカルガリーに向かいました。



朝食のお粥。

カナダエアーの機内食は、量が少ないので、カナダ人は足りなくて腹が減って困るのでは思ってしまいます。



カルガリーが近づくと、カナディアン・ロッキーの雪山が見えてきて期待が高まりました。



無事にカルガリーに到着し、バスに乗ってレイクルイーズに向かいました。

カルガリーは、カナダアルバータ州最大の都市で、西にカナディアン・ロッキー、東に広大な大平原に挟まれた高原地帯にあります。カルガリーは、1885年の大陸横断鉄道の開通によって、世界中から入植者が集まり、牧畜に最適の地であったことからカウボーイが活躍する牧場が発展しました。1910年代の石油の発見を経て近代都市に発展し、現在では、広大な中部高原地帯の経済の中心地、さらにカナディアン・ロッキーの観光の玄関口になっています。



牛も放牧されていました。アルバータ牛としてブランド名にもなっています。



高原地帯を進んでいくと、カナディアン・ロッキーの山並みが近づいてきました。

さすらいの風景 カルガリーからレイクルイーズ

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カルガリーからレイクルイーズまでは、トランスカナダハイウェイ(国道1号線)を使って西に向かいます。



高原地帯から山岳地帯に入ると、岩山の眺めが広がるようになりました。



四日目のハイキングでは、このヤムナスカ山(2240m)の肩部まで歩くことになりました。ヤムナスカ山は、ロッククライミングやトレッキングで人気の高い山になっています。



昼食として、カルガリー空港のスターバックスで買ったサンドイッチをバスの中で食べてました。普通は、機内食でお腹いっぱいになって、到着後の食事はとる気が起きないのが普通のため、昼食を日本で調達していませんでした。カナディアン航空の機内食の量が少ないのは想定外でした。



車道はボー川沿いに続いており、湖も所々で現れるようになりました。







ガソリンスタンドでトイレ休憩になりました。



ガソリンスタンドの前にはモーテルがありましたが、近くにはキャンプ場もあるようです。大型のキャンピンカーを牽引した車が行き交っていました。



国道脇にそそり立つ岩山に目が引き付けられます。



これから4日間お世話になったバス。カナディアン・ロッキー開発ゆかりの大陸横断鉄道がペイントされていました。



休憩の間にガソリンスタンドの脇の空き地を見ると、様々な花が咲いていました。路肩の草地だけでも花の観察を充分行うことができました。バンフで標高1500mあり、また緯度は樺太に相当するので、高山植物が路肩の空き地に咲いていても不思議はないことになります。

さっそくカナディアン・ロッキーを代表するインディアン・ペイントブラシ(オレンジの花)を見ることができました。



インディアン・ペイントブラシは、ゴマノハグサの多年草(一種を除く)で、色のついているのは包葉です。北米では100種、カナディアンロッキーでも10種以上も生え、しかも交配種を作りやすいという特徴があります。ピンク、オレンジ、白、クリーム色の花が見られ、今回の旅でも各所で見ることができました。



山野草に属するのか、こちらは図鑑を見ても判りませんでした。マメ科の花でしょうか。



コモンヤロー(セイヨウノコギリソウ)





オックスアイデイジー



コモンヘアベル



バスに戻り、ドライブを続けました。



キャンモアの街が近づいてくると、スリーシスターズが見えてきました。



スリーシズターズは、キャンモアの町のシンボルにもなっており、Big (2936m)、Middle (2769m)、 Little (2694m)と名前が付いています。別名「Three Nuns(三人の修道女)」と呼ばれることもあり、これは「Faith(信仰)」、「Hope(希望)」、「Charity(奉仕)」という宗教的な意味が込められています。



山の眺めが広がり、目が離せなくなりました。



バンフ国立公園入口にはゲートが置かれていました。団体旅行はツアー料金から支払われるため、バスはそのまま通過でした。



山肌にも雪渓が見られるようになってきました。





バンフが近づくと、ランドル山(2949m)が見えてきました。



ボー川と岩山が美しい風景を形づくっています。



キャッスル山の展望地で、写真ストップになりました。

キャッスル山の名前は、1858年にエジンバラ出身の探検家ジェームス・ヘクターが故郷の城を思い出してつけた名前です。



山塊は、 セントヘレナ峰(2862m)、スチュワートノブ(2850m)、テレビ峰(2970m)などの峰からなりたちます。テレビ峰は、テレビ番組のリポーターがヘリコプターを使って最初に降り立ったことからそう呼ばれています。

山頂への道は裏側から付けられているようです。



展望地前のボー川の眺め。



バスで走っていくうちにもキャッスル山の眺めは変わっていきました。



ホテルのチェックインの時間待ちということで、キャッスル山の麓で再度停車になりました。



休憩所脇の草地では、ジリスが歩き回っていました。ジリスは、ここばかりでなく、レイクルイーズ・ジャンクションのホテルの庭でも沢山動き回っていました。

この後は、そう遠くない距離でレイクルイーズのホテルに到着しました。

旅の始まりで、すでに山と花に圧倒されました。



今回の旅行の目的の一つに、カナダの花を見ることがあったので、レイクルイーズ・ジャンクションの本屋で、カナディアン・ロッキーの植物図鑑を買いました。日本語版があることからも、カナディアン・ロッキーが日本人に人気のあることが判ります。



もう一冊購入したのは、カナディアン・ロッキーのハイキングガイド。3コースしか歩きませんでしたが、他にも歩いてみたいコースが沢山載っていました。

この本は、二日目に合流した現地ガイドからの紹介で、バスの中で購入しました。植物図鑑も紹介があり、バスの中で購入することができました。

さすらいの風景 レイク・ルイーズ・ジャンクション その1

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第一日目の宿はレイクルイーズ泊となっていますが、レイクルイーズの湖畔にはフェアモント・シャトー・レイク・ルイーズという高級ホテルしかないので、一般的には麓のハイウェイ沿いのレイクルイーズ・ジャンクションにある幾つかのホテルに泊まることになります。私たちの宿は、レイクルイーズ・インでした。

これは、レセプションと食堂、室内プールのある建物です。



客室用に、二階あるいは三階建ての棟が設けられていました。



部屋は、最低限の設備で、窓の外が通路のため少々うっとおしいところがありましたが、日本の山小屋泊りと比べれば天国と地獄の差があります。



ホテルの前の通りに出ると、山の眺めが広がっていました。



ホテルのテラスに展望図が置かれていましたが、その場所からは木立に邪魔されて展望は閉ざされていました。



良い場所を探してうろつくと、敷地の奥からハイウェイ脇の土手に出ることができ、そこから山の展望を楽しむことができました。



南に向かって左から、テンプル山(3547m)。山頂にかかるのはマクドナルド氷河。左の一段下の三角ピークは、リトルテンプル(2660m)。



その右手の山塊で一番高く見えるのは、フェアビュー山(2744m)。フェアビュー山から左に尾根を下った先のピークがサドル山(2420m)。釣り尾根の奥にシェオール山(2779m)。



フェアビュー山の右手には、氷河で覆われたヴィクトリア山(3464m)が広がっています。



翌日訪れるレイクルイーズは、ヴィクトリア山の下にあります。



ヴィクトリア山の右に広がる山塊は、左がホワイト山(2983m)、右がニブロック山(2976m)。ニブロック山の手前に広がるのは、セント・ピラン山(2649m)です。



同じ写真の拡大ですが、翌日歩くレイク・アグネスとビッグ・ビーハイブ関係の展望です。

左の赤点がビッグ・ビーハイブ(2270m)で、右の赤点がリトル・ビーハイブ(2240m)です。リトル・ビーハイブしか登りませんでしたが、2000m級ピークまで登ったので良しとしましょう。



ハイウェイが西に延びる先にも山々が広がっていました。



この土手からの展望は気に入って、朝や日没時に度々訪れました。

朝日に輝くテンプル山。



茜色に染まるテンプル山。



日暮れは11時近くになったため、第一日目は待ちきれずに眠りに落ち、二日目にようやく月が昇るのを眺めることができました。東に谷間が広がっているため、月が山にかからなかったのは残念なことでした。



この土手でも花を見ることができました。

ホワイ・トティッスル。白いアザミが普通のようです。





プリックリー・ローズ。タカネバラの一種ですね。



アルバータ州の州花になっており、車のナンバーにも花の図が加えられ、Wild Rose Countryとも書かれています。(なお、車のナンバーは上半分を消してあります。)









レッド・クローバー



ピンクプッシートーズ。ピンク色したネコの手という意味のようです。



ホテルの庭には、沢山の巣穴があり、ジリスを見ることができました。





子供のジリスも巣穴から出て遊んでいました。この後、親が飛んできて、巣穴に追い返されていました。

さすらいの風景 レイク・ルイーズ・ジャンクション その2

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一日目の夕食はレイクルイーズ駅跡に設けられたレストランでとることになりました。

現在のカナディアンロッキー観光の中心地であるバンフやこのレイクルイーズは、カナダ横断鉄道であるカナディアン・パシフィック鉄道によって、観光開発が進められました。

現在では貨物列車が通過するだけで、人の輸送路線としては廃線になっています。プラットホームや線路は残されていますが、駅舎はレストランに変わってしまっています。



プラットホームからは、レイクルイーズの東側の展望が広がっていました。



レイクルイーズの東には、レイクルイーズスキー場が開発されていました。



プラットホーム脇の空き地は、花壇になっていました。一部園芸植物も混じっているのかもしれませんが、多くの花を見ることができました。

パープルオニオン アサツキですね。







山小屋風の駅舎の入り口



レスラン内には、昔の写真や電信装置が残されていました。



プラットホーム脇には、昔使われていた車両が展示されていました。



中をのぞくと、食堂車だったようです。



駅前広場にも花を見ることができました。

スティッキーパープルジェラニウム。 フウロソウの仲間ですね。



トウダイグサの仲間かな。



ニッコウキスゲとは、花の形が少し違いますね。





ヤナギランの仲間でしょうか。









駅前広場の脇にはボウ川が流れており、その両岸に遊歩道が設けられていたので、食後の散歩として右岸の遊歩道を歩いてみました。

時間は、8時。まだ明るく歩き回れます。



ボウ氷河から流れ出るボウ川は、マリリン・モンロウ主演の映画「帰らざる河」でイカダ下りをする舞台になっています。



遊歩道脇に、多くの花が咲いていました。





バンチベリー。 ゴゼンタチバナですね。日本では、亜高山帯〜高山帯の花ですが、街の遊歩道に咲いていました。



ノーザンスウィートベッチ。



コモンラプラドールティー。イソツツジの仲間です。

ラプラドールはカナダ東部の半島の名前で、日本でも有名な犬のラブラドール・レトリバーの故郷です。



インディアンペイントブラシ。



サワギクの一種。





コモンピンクウィンターグリーン。ベニバナイチヤクソウですね。



ところどころでボウ川の眺めが広がりました。



プリックリーローズ。







ヤナギラン。



ボウ川の遊歩道を歩いて、ショッピングモールにやってきました。食料品や土産物屋の他に、酒店や本屋もあって、ひと通りの買い物ができます。というか、レイクルイーズで買い物ができるのは、ここだけです。高山植物のガイドブック、ビール、翌日のハイキングのためにミネラルヲーターを買い込んでホテルに戻りました。



ショッピングモール脇にビジターセンターがありましたが、すでに閉まっていました。



ビジターセンターの塀には、クマの飾りが施されていました。



二日目の夕食後、今度はボウ川左岸の遊歩道を歩いてみました。



インディアンペイントブラシはいたるところでみることができました。



イエローコロンバイン。オダマキの仲間ですね。





ホワイトカマス。リシリソウ属とのこと。



オミナエシの仲間でしょうか。









夕食後の散歩でも花を充分見ることができました。

さすらいの風景 モレーン湖

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旅の二日目は、まずモレーン湖の見学を行いました。モレーン湖は、すぐに駐車場が満杯になることと、午前中の眺めが良いということで、朝一番に訪れました。

駐車場脇のロック・パイルと呼ばれる岩が積み重なった丘の上が展望台になっています。



丘の上までは遊歩道が設けられています。



モレーン湖から流れ出る小川を渡ります。



岩場を登る途中、ピカと呼ばれるナキウサギを発見しました。チキチキと甲高い声で鳴いていました。日本では大雪山でようやく会える動物ですが、カナディアンロッキーでは観光客が行き交う遊歩道脇で姿を現していました。



丘の上に出ると、ここまで隠されていたモレーン湖の展望が一気に広がりました。

まさに絵葉書的な美しい風景ですね。

モレーン湖は、標高1884mに位置する氷河湖です。モレイン湖を囲むように広がるのはテン・ピークと呼ばれる山々です。この風景は、カナダの旧20ドル札の図案に用いられていたといいます。





丘は二ヵ所のピークを持ち、それぞれの場所で写真撮影を繰り返すことになりました。



背後を見ると、テンプル山が聳え、駐車場を見下ろすことができました。



シマリスも遊んでいました。



モレーン湖は氷河の雪解け水を集めたもので、ターコイズブルーの色は氷河によって削り取られた微細な土砂が湖水を浮遊し光が屈折するためと言われています。

モレーンとは、氷河が谷を削りながら時間をかけて流れる時、削り取られた岩石・岩屑や土砂などが土手のように堆積した地形をいいますが、このモレーン湖は南岸の岸壁が崩壊して溜まったもので、正しくはモレーンではないようです。



テンプル山の山頂に雲が流れていました。





展望台への遊歩道の途中から「コンソレイションレイクス」他のトレッキングコースが始まっていましたが、その入り口には熊警告の看板が置かれていました。

熊情報は毎日変わっていますが、出没情報があると、この奥には4人以上でないと歩いてはいけないことになっています。小人数の場合には、ここで待って即席パーティーを作ることになります。この日は、グループ必須の所にチェックが入っていました。



駐車場に戻って、湖の畔に進んでみました。流出口には流木がたまっていました。



湖の畔に出ました。カナディアン・ロッキーというイメージに相応しい眺めですね。

いつまでも眺めていたいところですが、この後のハイキングのためにレイク・ルイーズに向かいました。

さすらいの風景 レイク・アグネス&ビーハイブス その1

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モレーン湖見学の後、レイク・ルイーズにやってきました。レイク・ルイーズは、モレーン湖と並んで、カナディアン・ロッキーの代表的観光スポットになっています。

レイク・ルイーズは、標高1536mに広がる、長さ2.4km、幅550m、深さ90mの湖です。奥に広がるヴィクトリア山(3464m)の氷河から流れ出る水を集め、神秘的なターコイズ・ブルーの湖面を広げています。



レイク・ルイーズの名前は、ヴィクトリア女王の四女でありカナダ総督ジョン・キャンベル夫人であったルイーズ・キャロライン・アルバータに由来しています。なお、アルバータ州の名前も彼女に由来しています。背後のヴィクトリア山もヴィクトリア女王に由来しており、親子の名前が揃っていることになります。



青空が広がっていますが、風があるため、鏡のように山の姿を映していないのは少し残念でした。



一般的なツアーでは、この眺めをしばらく楽しんだ後は、他の観光地へ移動となる所ですが、今回のツアーでは「レイク・アグネス&ビーハイブス」のトレッキングコースを歩くことになりました。

釣鐘状のビッグ・ビーハイブが見えており、その右手の基部にレイク・アグネスが隠されています。我々のツアーでは、右手のリトル・ビーハイブまで登ってからレイク・アグネスを回って下山してくることになりました。



レイク・ルイーズの東岸には、シャトー・レイク・ルイーズという4つ星ホテルがあります。

このホテルは19世紀末から20世紀初頭にカナダ太平洋鉄道が建設したもので、同じロッキー山中のバンフ・スプリングス・ホテル、ケベックのシャトー・フロンテナック等とともにフェアモント・ホテルズ系列で、カナダィアン・ロッキーの観光開発の起点となりました。

私が参加するような財布にやさしいツアーでは、このホテルに泊まることはありません。



湖畔の遊歩道沿いに、クラシックなスタイルの登山者の銅像が置かれています。

カナダ太平洋鉄道がカナディアン・ロッキーを観光地として開発する際の1899年から50年に渡って、多くのスイス人ガイドを雇い入れて、登山ルートの整備や安全の確保を行いました。この像は、スイス・ガイド100年記念として1999年に置かれたものです。



多くの観光客が歩いている湖畔の遊歩道から別れて、トレッキングコーに向かいます。



トレッキングコースの案内はしっかりしています。

トレッキングコースは、歩行者専用と乗馬専用、その兼用コースに分かれています。兼用コースでは、馬の落し物を踏まないように足元に注意する必要があります。



最初は、針葉樹に囲まれた直線的に延びる道を緩やかに登っていきます。

登山専門の旅行会社募集のツアーなので、日常的に登山を行っていない参加者も多いようで、やたらゆっくりペースの歩きになりました。



ゆっくりペースはかえって疲れるところもありましたが、その分、花の写真を撮る時間的余裕がありました。

バンチベリー。日本でいうところのゴゼンタチバナ。



イエローコロンバン。日本でいうならキバナオダマキということになりますね。



黄色味の強いイエローコロンバン。



一部赤みを帯びたイエローコロンバン。







バッファローベリー。グミ科の落葉樹で、実は小鳥や動物の好物。特にクマの大好物だといいます。



登山道の直線部が終わって折り返すところでは、レイク・ルイーズの眺めが広がりました。高度もかなり上がってきました。



湖面に浮かぶボートも小さく見えています。



ワンフラワードウィンターグリ−ン。同族のイチゲイチヤクソウは、日本では北海道でのみ見られたようですが、現在ではほとんど絶滅状態のようです。



ゴールデンアスター。



エバーグリーンバイオレット。



山道を登っていくと、ミラー・レイクの畔に出ました。奥に聳えるのはビッグ・ビーハイブです。



山に囲まれた小さな湖で、名前のように山の影を湖面に映していました。



湖畔ではシマリスが餌をねだっていました。カナダの国立公園内では、野生動物に餌を与えることは禁止されているのですが、与える者がいるため、観光客の休憩スポットでは、餌をおねだりするリスが必ずいました。

さすらいの風景 レイク・アグネス&ビーハイブス その2

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九十九折で高度を上げていくと、周囲の山の展望も広がってきました。

マクドナルド氷河をまとったテンプル山も良く見えました。



我々日本人グループは、しっかりした登山装備をしていましたが、現地の人の多くは、手ぶらで軽装で歩いていました。



草原も広がるようになって、花の種類も変わってきました。

ウメバチソウの仲間のようです。



ビッグ・ビーハイブも目の高さに迫ってきました。





ビッグ・ビーハイブの右手の基部から滝が落ち込んでいます。これはレイクア・グネスから流れ出る滝です。





レッドマウンテンヘザー。ツガザクラですね。



アルパインスピードウェル。



スターフラワードソロモンズシール。ユキザサ属です。



眼下にミラーレイクが見えました。



イエローヘザー。アオノツガザクラといったところです。



ホワイトグローブフラワー。



レイクルイーズも眼下に見えてきました。



インディアンペイントブラシ。



ハートリーフアーニカ。



ヒューフラワードアネモネ。



ドワーフバターカップ。





ホワイトドライアド。





コモンバターウォート。ムシトリスミレです。





台地状になったビッグ・ビーハイブの頂上も見えるようになりました。ビッグ・ビーハイブの山頂には東屋が置かれています。



レイクルイーズとミラーレイク、周辺の山々の眺めが広がりました。



ビッグ・ビーハイブの山頂越しに見たテンプル山。



リトル・ビーハイブの肩部に登りつくと、レイクルイーズの眺めが広がりました。



シャトー・レイク・ルイーズが堂々とした姿を見せていました。現在では、湖の畔にこのような大型のホテルを建てれることは、国立公園の規制によってできないようですが、このホテルは国立公園ができる前に造られていたので例外になっています。

さすらいの風景 レイク・アグネス&ビーハイブス その3

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レイク・ルイーズの展望が開けた肩部からはひと歩きで、台地状のリトル・ビーハイブ(2240m)の山頂に到着しました。

山頂には展望図が置かれ、観測所跡なのかコンクリート製の土台が残されていました。



ここで昼食になりました。サンドイッチにゆで卵、野菜スティックなど大量の食料でした。重いので、リンゴはおいてきてしまっています。



ひと汗かいた後のお待ちかねのビールです。

カナダの法律では、公園や列車などの公共の場での飲酒は禁止ということのようです。現地ガイドに確認すると、山の中でもダメ、私の見ているところではね。ということでした。

皆山頂付近でバラバラになって昼食をとっているので、隠れて飲むことはできたのですが、現地の法律に従うことにしました。ヨーロッパの昼食なら信じられない決めごとです。

残念ながら、ビールは記念写真だけで終わりました。



山頂からは、東面の展望が広がっていました。

山頂に置かれた展望図に従って、山を眺めていきましょう。



左は Ricyardson(3086m)、右奥 Ptarmingan(3059m)、右手前 Whitehorn(2637m)。



左は Hector(3394m)、右手の雪に覆われたピークの右に尖った頭だけがのぞいているのが Molar(3022m)。



左奥に Cataract(3333m)、右手奥は Cyclone(3041m)、右手の鋭鋒は Merlin Castle(2840m)。



左は Lipalian(2713m)、右手の黒い山稜のうち左は Protection(2786m)、右は Pulsatilla(3035m)。



山頂の左手に少し位置を変えて見えるのは、左が Daly(3152m)、その下にBath Gracier。右手に Waputik(2755m)。



山頂右手に少し位置を変えて見えるのは、ボーバレーの左に Castle(2766m)、谷の右に Pilot(2935m)。

レイクルイーズの周辺には、3000m級の山が数多くならんでいます。



キャッスル山の拡大。初日にレイクルイーズにやってくる途中で見た姿と変わっています。



レイクルイーズの展望は、リトルビーハイブからは木立に阻まれていました。



リトルビーハイブの山頂部も多くの花が咲いていました。

レッドマウンテンヘザー。



ホワイトマウンテンヘザー。イワヒゲの仲間ですね。



ハートリーフアーニカ。



ウーリープッシートーズ。エゾノチチコグサの仲間のようです。



昼食休憩を終えて再び歩き出しました。ミラーレイクが再び見えてきました。





レッドステムドサクサフフリッジ。



ホワイトドライアド。



緩やかに下っていくと、今回のトレッキングコースの名前にも用いられているレイク・アグネスに到着しました。

レイク・アグネスは、山に囲まれた標高2135mにある湖です。



湖畔には、ティーハウスがあり、大勢が休んでいました。



レイク・アグネスの対岸に聳える鋭峰はデビルズサム(2458m)で、奥にはホワイト山(2983m)が広がっています。



レイク・アグネスからは、滝が流れ落ちていました。



レイク・アグネスからは、一気の階段下りになりました。ここを登るのはきつそうです。



ビッグ・ビーハイブの基部のガレ場を横断しながら下っていくとミラーレイクに戻りました。後は同じ道を引き返すことになりました。



途中、行きで気が付かなかった花を見つけました。

ビーナススリッパー。ホテイランの仲間です。



レイクルーズに戻ってきました。湖の表情も少し変わってきていました。



湖畔の草地には、インディアンペントブラシの花が咲いていました。



シャトー・レイク・ルイーズの前庭では、結婚式のパーティーが行われていました。日差しもかなりきつく、露出の多い女性陣の日焼けが心配になりました。

トレッキングコースを歩くことによって、下車観光では味わえない体験をすることができました。

さすらいの風景 アイスフィールド・パークウェイ その1

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三日目は、コロンビア大氷原の見学と、ボウ・サミット・ルックアウトのハイキングを行うことになりました。

バスに乗って国道1号線に乗ると、ホテル裏手の展望スポットである土手の脇を通りました。



すぐに国道1号線から別れてアイスフィールド・パークウェイに進みました。アイスフィールド・パークウェイは、ジャスパーとレイク・ルイーズ・ジャンクションを結ぶ国道93号線の別名です。ロッキー山脈の峰々に平行して通っており、美しい湖や雄大な氷河を眺めながら走っるドライブウェイで、カナディアン・ロッキー観光のゴハイライトになっています。今回は、途中のコロンビア大氷原まで進んで引き返すことになります。



道路沿いには小さな湖が点在しており、山の姿を映していました。

この日も快晴で、天候に恵まれたことに感謝しました。



左手にはワプティック連山と呼ばれる山陵が続いています。ワプティックとは山ヤギとのこと。



一瞬ですが、奥にヘクターレイクが見えました。





ボウピーク(2868m)。



モスキート・クリーク。この周辺を探検したジェームズ・ヘクターが名づけたものですが、蚊に悩まされたのでしょうかね。



クロウフット山。三本に分かれた氷河をカラスの足になぞらえて名前が付けられました。



しかし現在では、温暖化によるものか、下の一本が崩れて無くなって二本になっています。



ボウ・レイクが現れました。午後に下車観光を行うことになりますが。朝の鏡のような湖面は車窓からでも嘆声がでるほど美しいものでした。





奥に見えるのが、ボウ川の源のボウ氷河です。







シミー・シンプソン山。



パターソン山



パターソン山の中腹にはスノーバード氷河が広がっています。





左はホウスピーク(3290m)、右はシェフレン山(3307m)



シェフレン山は、ブラック・ピラミッド山とも呼ばれるようです。

シェフレン(Chephren)は、エジプトのピラミッドで有名なカフラー王の英語読みです。





ウォーターファウル湖。





奥に見えてきたのはホワイトピラミッド。黒と白のピラミッドが並んでいます。

アイスフィールド・パークウェイのドライブでは、車窓の風景から目を離すことができなくなりました。
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