地中海の海岸線から二日目の宿のブシャーレに向かう途中、日も沈んで暗くなってきました。山のシルエットが浮かびましたが、どうも雪をまとっているようです。
ブシャーレは、ガディーシャ渓谷を遡ったところにあります。
ブシャーレでは、ホテル・シュバットに泊まりました。受付は、山小屋風の造りでした。
部屋は、寝るだけの最小限の設備でした。
夜に到着したので周囲の状況が判らなかったのですが、朝に窓から外をのぞくと、残雪に覆われた山肌が、集落のすぐ上まで迫っているのが見えました。
朝食をとる食堂の脇には、テラスが設けられて眺めを楽しむことができました。
渓谷を挟んで向かいあう集落。
ブシャーレの街は、雪をまとったレバノン山脈を背後にして、標高1450m程の山の斜面に広がっています。
出発まで少し時間があったので、散策に出かけました。
ホテル・シュバットを振り返ったところですが、山の斜面に沿って建てられており、正式な入り口は上方の背後にあるようです。屋上に見えている所が、食堂脇のテラスです。
谷向こうの眺め。
上流方向に進んでいくと、教会が見えてきました。ガディーシャ渓谷は、7世紀に迫害から逃れたマロン派の人々が移り住んだ場所です。
3083mの標高を持つサウダ山を中心とするレバノン山脈は、万年雪を持ち、麓にはスキー場やリゾート地が開発されています。
雪山を背景にした教会の眺め。この写真を見て、国名をレバノンと言い当てることは、中東、イスラム教地域という先入感があるため、最難問になるでしょうね。
、
立派な教会が幾つも建てられていました。
谷は崖になって深く切れ落ちていました。ホテル前まで戻って、今度は下流方向へ。
草地も現れました。まさにスイスの牧場風景です。
野草の花も見られました。
サクラの花、サクランボ用なのかな。
歩いていると、十字架の下に聖人の絵が掲げられていました。中央が、マロン派の創始者で4~5世紀のアンティオキアで活動した聖マールーンでしょうか。
ホテルの向かいに赤十字を掲げ、救急車も停められている建物がありました。
赤十字のマークはキリスト教を連想させるため、イスラム教の国では代わりに星と新月を組み合わせたマークをシンボルにした赤新月社が活動しています。
レバノンという国は、事前の印象とは大きく違っているようで、この先の旅の関心が高まりました。
ブシャーレは、ガディーシャ渓谷を遡ったところにあります。
ブシャーレでは、ホテル・シュバットに泊まりました。受付は、山小屋風の造りでした。
部屋は、寝るだけの最小限の設備でした。
夜に到着したので周囲の状況が判らなかったのですが、朝に窓から外をのぞくと、残雪に覆われた山肌が、集落のすぐ上まで迫っているのが見えました。
朝食をとる食堂の脇には、テラスが設けられて眺めを楽しむことができました。
渓谷を挟んで向かいあう集落。
ブシャーレの街は、雪をまとったレバノン山脈を背後にして、標高1450m程の山の斜面に広がっています。
出発まで少し時間があったので、散策に出かけました。
ホテル・シュバットを振り返ったところですが、山の斜面に沿って建てられており、正式な入り口は上方の背後にあるようです。屋上に見えている所が、食堂脇のテラスです。
谷向こうの眺め。
上流方向に進んでいくと、教会が見えてきました。ガディーシャ渓谷は、7世紀に迫害から逃れたマロン派の人々が移り住んだ場所です。
3083mの標高を持つサウダ山を中心とするレバノン山脈は、万年雪を持ち、麓にはスキー場やリゾート地が開発されています。
雪山を背景にした教会の眺め。この写真を見て、国名をレバノンと言い当てることは、中東、イスラム教地域という先入感があるため、最難問になるでしょうね。
、
立派な教会が幾つも建てられていました。
谷は崖になって深く切れ落ちていました。ホテル前まで戻って、今度は下流方向へ。
草地も現れました。まさにスイスの牧場風景です。
野草の花も見られました。
サクラの花、サクランボ用なのかな。
歩いていると、十字架の下に聖人の絵が掲げられていました。中央が、マロン派の創始者で4~5世紀のアンティオキアで活動した聖マールーンでしょうか。
ホテルの向かいに赤十字を掲げ、救急車も停められている建物がありました。
赤十字のマークはキリスト教を連想させるため、イスラム教の国では代わりに星と新月を組み合わせたマークをシンボルにした赤新月社が活動しています。
レバノンという国は、事前の印象とは大きく違っているようで、この先の旅の関心が高まりました。