第六日目はメルズーガ大砂丘の日の出見学を終えた後、カスバ街道を通ってワルザザードへ移動することになりました。この日も長いバス移動になりました。
40分ほど移動したところで、砂漠の中に地下水路カナートが現れました。
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連続的な土盛りがあり、上につるべが置かれていました。
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土盛りの上には穴が開けられていました。
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つるべは足踏みで巻き上げるようです。カナートは、流されてきた砂で埋もれやすいため、保守のために砂を除く作業も必要だったようです。
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脇に地下水路カナートへの入り口がありました。
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観光用なので階段が設けられていました。結構深さがありました。
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現在は、実際の使用は中止されており、水は流れていませんでした。
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カナートは、カレーズあるいはフォガラとも呼ばれ、山麓の扇状地などにおける地下水を水源とし、蒸発を防ぐために地下に水路を設けた灌漑施設です。アフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタン、新疆ウイグル自治区などで設けられました。新疆ウイグル自治区トルファンでは、実際に水が流れているカレーズを見学することができます。
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土盛りの上に空いた穴を見上げることができました。
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バス移動を再開しても、しばらくはカナートの土盛りが砂漠の中に続くのを見ることができました。
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砂漠の中を西に向かいました。
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小さな街を通過していきました。
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市が開かれていました。
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砂漠の中で寒暖の差が大きいため、人々はマントをまとっていました。
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カスバが見られました。カスバとは城壁を巡らせた要塞のことです。
フェズからエルフレードへの移動中に通り過ぎたエルラシディアの街からティネリールを経てワルザザートに至るアトラス山脈の南側を東西に連ねるルートは、カスバ街道と呼ばれます。重要な交易路であったため、大小のカスバが点在していることが名前の由来になっています。
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ティネリールの街に到着すると、丘の上に建つグラウイのカスバが見えてきました。
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グラウイのカスバは、カスバ街道でも最大級の大きさで、マラケシュの司令官のグラウイの住居でした。
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モスクでしょうか。
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ティネリールの街で昼食をとり、街の入り口に戻ってからトドラ側沿いに遡って、トドラ渓谷を見学することになりました。
40分ほど移動したところで、砂漠の中に地下水路カナートが現れました。

連続的な土盛りがあり、上につるべが置かれていました。

土盛りの上には穴が開けられていました。

つるべは足踏みで巻き上げるようです。カナートは、流されてきた砂で埋もれやすいため、保守のために砂を除く作業も必要だったようです。

脇に地下水路カナートへの入り口がありました。

観光用なので階段が設けられていました。結構深さがありました。

現在は、実際の使用は中止されており、水は流れていませんでした。

カナートは、カレーズあるいはフォガラとも呼ばれ、山麓の扇状地などにおける地下水を水源とし、蒸発を防ぐために地下に水路を設けた灌漑施設です。アフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタン、新疆ウイグル自治区などで設けられました。新疆ウイグル自治区トルファンでは、実際に水が流れているカレーズを見学することができます。

土盛りの上に空いた穴を見上げることができました。

バス移動を再開しても、しばらくはカナートの土盛りが砂漠の中に続くのを見ることができました。

砂漠の中を西に向かいました。

小さな街を通過していきました。

市が開かれていました。

砂漠の中で寒暖の差が大きいため、人々はマントをまとっていました。

カスバが見られました。カスバとは城壁を巡らせた要塞のことです。
フェズからエルフレードへの移動中に通り過ぎたエルラシディアの街からティネリールを経てワルザザートに至るアトラス山脈の南側を東西に連ねるルートは、カスバ街道と呼ばれます。重要な交易路であったため、大小のカスバが点在していることが名前の由来になっています。

ティネリールの街に到着すると、丘の上に建つグラウイのカスバが見えてきました。

グラウイのカスバは、カスバ街道でも最大級の大きさで、マラケシュの司令官のグラウイの住居でした。

モスクでしょうか。

ティネリールの街で昼食をとり、街の入り口に戻ってからトドラ側沿いに遡って、トドラ渓谷を見学することになりました。