ようやくバンゴン・ツォに到着しました。青い湖面が広がっていました。バンゴン・ツォは、標高4250mのラダック東部からチベットにかけて広がる全長130kmに及ぶ細長い湖です。
かつての中華民国と長年イギリスの植民地であったインドは、途中にネパールとブータンを挟んで長く国境を接していたものの、ほぼ全域がヒマラヤ山脈といった高山地帯であるため正確な国境はあいまいでした。また、独立したダライラマ政権の統治下にあったチベットには中華民国の実効支配が及ばなかったこともあり、両国間の国境紛争は未解決のままになりました。
中華民国に代わり中国大陸を支配した中華人民共和国は、1950年にチベット侵攻を行って勢力の拡大を行っていきました。1962年に中印紛争と呼ばれる軍事衝突が起こり、バンゴン・ツォが事実上の国境となり、湖の東側3分の2は中国、西側の3分の1はインドになっています。
湖畔に沿って走っていくと、食堂や茶屋が並んでおり、観光客が湖畔で散策していました。
昼食のための集合時間が決められて、自由散策になりました。
湖畔に砂州ができていました。
高地にあるため、空や湖面の青色が鮮やかでした。
湖面までは距離があるため、坂を下ることになりました。幸い高度順化も進んでおり、標高4250mの高地にもかかわらず、少し息が切れる程度で歩き回ることができました。、
透明度の高い水でした。不思議なことに、インド境界内は塩湖で、中国内は淡水湖になっています。、
砂州に囲まれた水溜まりには、空が映っていました。
西側の眺め。
水際を歩きました。
秘境にもかかわらず観光客はそれなりにいましたが、湖畔が広いため、静かに眺めを楽しむことができました。
真っ白な雪山も見えていました。
集合場所の食堂。ここで昼食をとりました。暖かい麺料理はここで作ったものでしたが、チキン他のおかずやご飯は、レーから持ってきたものでした。
ところで、湖畔にはお尻形の椅子が置かれていました。
これは、バンゴン・ツォがインド映画「きっとうまくいく」のロケ地であることによります。この後、実際のロケ地に移動しましたので、この映画については後ほど。
かつての中華民国と長年イギリスの植民地であったインドは、途中にネパールとブータンを挟んで長く国境を接していたものの、ほぼ全域がヒマラヤ山脈といった高山地帯であるため正確な国境はあいまいでした。また、独立したダライラマ政権の統治下にあったチベットには中華民国の実効支配が及ばなかったこともあり、両国間の国境紛争は未解決のままになりました。
中華民国に代わり中国大陸を支配した中華人民共和国は、1950年にチベット侵攻を行って勢力の拡大を行っていきました。1962年に中印紛争と呼ばれる軍事衝突が起こり、バンゴン・ツォが事実上の国境となり、湖の東側3分の2は中国、西側の3分の1はインドになっています。
湖畔に沿って走っていくと、食堂や茶屋が並んでおり、観光客が湖畔で散策していました。
昼食のための集合時間が決められて、自由散策になりました。
湖畔に砂州ができていました。
高地にあるため、空や湖面の青色が鮮やかでした。
湖面までは距離があるため、坂を下ることになりました。幸い高度順化も進んでおり、標高4250mの高地にもかかわらず、少し息が切れる程度で歩き回ることができました。、
透明度の高い水でした。不思議なことに、インド境界内は塩湖で、中国内は淡水湖になっています。、
砂州に囲まれた水溜まりには、空が映っていました。
西側の眺め。
水際を歩きました。
秘境にもかかわらず観光客はそれなりにいましたが、湖畔が広いため、静かに眺めを楽しむことができました。
真っ白な雪山も見えていました。
集合場所の食堂。ここで昼食をとりました。暖かい麺料理はここで作ったものでしたが、チキン他のおかずやご飯は、レーから持ってきたものでした。
ところで、湖畔にはお尻形の椅子が置かれていました。
これは、バンゴン・ツォがインド映画「きっとうまくいく」のロケ地であることによります。この後、実際のロケ地に移動しましたので、この映画については後ほど。