ニダプク石窟建学の後、インダス川沿いにレーに向かい、途中から北に方向を変えました。高原を進んでいくと、幾層にも建物が重なったリキール僧院が見えてきました。チベット仏教独特の造りです。
展望の良い所で写真ストップしました。絵になる風景です。
リキール僧院は、ラダック、ザンスカール一帯のゲルク派の総本山で、ラダックではヘミス僧院に次ぐ権威を有しているといいます。ダライ・ラマ14世の実弟が座主を務めていたといいます。
創建は11世紀と言われていますが、現在の建物は火災による消失後の18世紀に再建されたものです。また建物の左手には巨大な弥勒菩薩像を眺めることができます。
砂礫地の中に花が咲いていました。
リキール僧院が近づくと、建物が頭上にそそり立つように見えてきました。
車を降りると高さ20mの巨大な弥勒菩薩像が目に飛び込んできました。、
黄金に輝く弥勒菩薩像は、日本人の趣味には合わないと思いますが、1997年に完成したもので、地元の人々の厚い信仰心によって造られたものです。
階段を上がっていきますが、富士山の山頂よりも高い3800標高のため、息が切れます。
階段を上がって小広場に出ると、バカン(経堂)の建物が現れました。
先に脇のドゥカン(勤行堂)から見学することになりました。
ドゥカン(勤行堂)の入口には、お決まりの四天王と六道輪廻図が描かれていました。
左は、剣を持つ増長天。右は琵琶を持つ持国天。
左は蛇を持つ広目天。右はマングースを持つ多聞天(毘沙門天)。
六道輪廻図。
ドゥカン(勤行堂)に入りました。
正面には、ダライ・ラマ14世の写真が飾られていました。電飾で飾るのは、日本人の感覚では似合わないと感じてしまいますが。
壁には経典が納められていました。
黄金の仏塔と仏像が並んでいました。
弥勒菩薩のようです。
高僧の像。
壁も絵で埋めつくされていました。ヤブユム(男女合体尊)も描かれていました。
護法神でしょう。
天井近くまで絵が描かれていました。
展望の良い所で写真ストップしました。絵になる風景です。
リキール僧院は、ラダック、ザンスカール一帯のゲルク派の総本山で、ラダックではヘミス僧院に次ぐ権威を有しているといいます。ダライ・ラマ14世の実弟が座主を務めていたといいます。
創建は11世紀と言われていますが、現在の建物は火災による消失後の18世紀に再建されたものです。また建物の左手には巨大な弥勒菩薩像を眺めることができます。
砂礫地の中に花が咲いていました。
リキール僧院が近づくと、建物が頭上にそそり立つように見えてきました。
車を降りると高さ20mの巨大な弥勒菩薩像が目に飛び込んできました。、
黄金に輝く弥勒菩薩像は、日本人の趣味には合わないと思いますが、1997年に完成したもので、地元の人々の厚い信仰心によって造られたものです。
階段を上がっていきますが、富士山の山頂よりも高い3800標高のため、息が切れます。
階段を上がって小広場に出ると、バカン(経堂)の建物が現れました。
先に脇のドゥカン(勤行堂)から見学することになりました。
ドゥカン(勤行堂)の入口には、お決まりの四天王と六道輪廻図が描かれていました。
左は、剣を持つ増長天。右は琵琶を持つ持国天。
左は蛇を持つ広目天。右はマングースを持つ多聞天(毘沙門天)。
六道輪廻図。
ドゥカン(勤行堂)に入りました。
正面には、ダライ・ラマ14世の写真が飾られていました。電飾で飾るのは、日本人の感覚では似合わないと感じてしまいますが。
壁には経典が納められていました。
黄金の仏塔と仏像が並んでいました。
弥勒菩薩のようです。
高僧の像。
壁も絵で埋めつくされていました。ヤブユム(男女合体尊)も描かれていました。
護法神でしょう。
天井近くまで絵が描かれていました。