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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 ハトシェプスト女王葬祭殿

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王家の谷の見学を終えて、ハトシェプスト女王葬祭殿に向かいました。

ハトシェプスト女王葬祭殿の駐車場は、前回の訪問と比べると空いていました。



駐車場から入口へは、土産物屋の中を歩いていきます。



入口の先にはビジターセンターが設けられており、葬祭殿の模型が展示してありました。

右側の大きな建物がハトシェプスト女王葬祭殿で、左側にメンチェヘテプ2世葬祭殿、左奥にトトメス3世神殿が隣接しています。



ビジターセンターからシャトルトレイン乗り場に出ると、岩山の下に設けられたハトシェプスト女王葬祭殿が見えてきます。



入口の脇にも遺跡が見えていますが、これはデイル・エル=バハリ(北の僧院)と呼ばれるコプト教の教会跡です。ハトシェプスト女王葬祭は、このことからデイル・エル=バハリ葬祭殿とも呼ばれ、ここの入場チケットにもこの名前が使われています。



シャトルトレインに乗ってハトシェプスト女王葬祭に向かいます。



現代建築と見紛う巨大建築物です。ハトシェプスト女王の在位は、B.C.1479年頃~B.C.1458年頃といわれるので、3500年前の建物ということになります。ハトシェプスト女王葬祭は、女王の側近で建築家のセンムトが設計を行いました。



目的はハトシェプスト女王葬祭ですが、デイル・エル=バハリの遺跡の方にも興味がひかれます。



シャトルトレインは、第一テラスの入口まで。

ハトシェプスト女王は、新王朝初期に女性でありながらファラの地位につき、20年間、エジプトを治めました。

ハトシェプスト女王は、夫のトトメス2世の死後、遺言では側室の子のトトメス3世に王位を継がせることになっていましたが、幼かったため共同統治者を務めました。実際には、22年間にわたり、彼女が絶対的権力を掌握し、後にファラオに即位しました。ハトシェプスト女王の治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させました。

トトメス3世は、成人になるとハトシェプスト女王から王位を奪い返し、ハトシェプスト女王の統治時代に低下した国威を周辺諸国への遠征によって回復しました。

さらに、ハトシェプストの名前や肖像を軒並み削り取りました。これには「恨みによるもの」とした説と「女王の前例を残さないよう、即位した事実を抹消する為」とした説があります。



第一テラス入口には、ハトシェプスト女王が交易を行なったプント国から持ち帰った木を植えた跡が残されています。根っこが残っていますが、日本の観光地でも見られる「〇〇お手植えの松」といったものでしょう。3500年近く生きていたのなら、大木になっていたはずです。



入口で一通りの説明を受けた後、自由時間となりましたが、なんと15分。超高速葬祭殿観光の開始になりました。 

速足で第一テラスを突破。その先には、第一傾斜路が待ち構えています。



第二テラスに出ても、さらにその先には第二傾斜路が待ち構えています。



第二傾斜路の下には、ホルス神の像が置かれていました。



第二傾斜路を息を切らせながら登りきると、第三テラスに出ます。



ハトシェプスト女王の顔を模したというオシリス神像が並んでいます。



僅かに残った顔料が、頬紅を付けたようで、女性らしさを強めています。



第三テラスの奥には、中庭があり、至誠堂が設けてあります。ここは先回と同じく立ち入り禁止になっていました。



中庭には短くなった柱が残されていました。



第三テラスの左側には、ハトホル女神の神殿があります。



柱の上には、ハトホル女神の像がおかれています。



残る時間で、壁画を見ていきます。

ホルスト女神の化身である聖なる牝牛の乳を飲むファラオの像。



これは、聖なる牝牛だけが描かれています。



急いで列柱室へ。ここにも壁画が残されています。



神々の像のようです。







供物の前に座るアヌビス神。



ホルス神に捧げものをするトトメス3世。天井には星の装飾が施されています。



残り時間僅か。急いで戻ります。



行きに見逃していたスフィンクスの写真を撮影。

制限時間15分の超高速葬祭殿観光でしたが、二度目ということで、おおよその物は見ることができました。

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