博物館の一室では、人だかりがしていました。
人々がお祈りをしながら見ているのは仏舎利です。この仏舎利は、インドとネパールの国境付近のピブラーワーで発掘されたものです。
釈迦入滅の地クシナガラの統治部族マッラ族は、当初仏舎利の専有を表明し、仏教を国教とする周辺国との間に仏舎利を巡って争いが発生する事態となりました。結果として8等分され、それに、容器と残った灰を加えて周辺内外の10か所の寺院に奉納されました。
200年の後、インドの敬虔な仏教徒であったマウリヤ朝のアショーカ王は、インド統一を果たした後、全国8か所に奉納されていた仏舎利のうち7か所の仏舎利を発掘し、遺骨は細かく粉砕し、一粒一粒に分け、灰燼は微量ずつに小分けする作業を行って、最終的に周辺国も含めて8万余の膨大な寺院に再配布しました。
仏教が後年に伝来する中国では、多くの僧が仏舎利の奉納されたインドやタイに赴き、仏舎利の収められたストゥーパの前で供養した宝石類を「仏舎利の代替品」として持ち帰り、それを自寺の仏塔に納めました。この宝石を仏舎利の代用として奉納する手法は、日本にも伝わりました。
不信心者には、そんなに釈迦の骨があるのかと疑問に思っていたのですが、代替品可ということなら無限増殖できますね。
この部屋には、仏像が並べられていました。
チベット仏教の仏画でしょうか。
次の部屋からは、インド細密画が展示されていました。
インドにおける絵画の歴史は、紀元前から既に始まっていましたが、ムガル王朝時代(16~19世紀)に制作されたものが有名です。ムガル王朝時代の細密画は、イスラム文化圏で発達したムガル絵画と、ヒンドゥー文化圏のラージプト絵画に大別でき、その主題は、『マハーバーラタ』、『ラーマヤーナ』といったインド古来の神話、シヴァ神やヴィシュヌ神などのヒンドゥー教世界、諸々の王の肖像や歴史的なエピソード、男女の恋の様相、動物の図などに加え、音楽を図像化したラーガ・マーラと呼ばれるインド独特のテーマなど多岐にわたっています。
この細密画も、詳しく眺めていくには、展示物が多すぎました。
これらの絵を見ていくと、デンマークの挿絵画家カイ・ニールセンと似ているなと感じました。
続いて工芸品のコーナー。
肖像画付きのついたて。
男女の肖像画が飾られています。
藩主の王座。
宝石。
世界破壊のため踊る「舞踊の神ナタラージャ」の姿のシヴァ神。
一階を一周したのですが、脇に部屋があって、鋳造物の展示品を見落とすところでした。これは、この博物館でも重要な作品のようです。
石を彫ったものよりも、動きのある造形が施されています。
蛇王カーリヤの頭上で踊るクリシュナ。
インドラ神像。
二階はインド海軍の展示などで興味ある展示物もないため、一階に戻って最後に中庭を見学しました。
ヴィシュヌ神像。
見学を終えて玄関に出ると、校外学習の女学生の団体に出会いました。
ほとんどのインド・ツアーでデリーを訪れますが、この国立博物館が含まれているものはほとんどありません。ヒンドゥー教や仏教関連の像は、さすがに本国ということで充実しており、見ごたえがありました。エローラ、アジャンタ、サンチー遺跡見学の旅の最後の見学場所としてはふさわしいものでした。
また、ここの仏像を見て感じたことですが、東京の国立博物館・東洋館に展示されているガンダーラ仏は、数は少ないですが、名品揃えです。また、インド細密画も展示されています。東洋美術に関心を持つ人は、機会があったら訪れることを勧めます。
人々がお祈りをしながら見ているのは仏舎利です。この仏舎利は、インドとネパールの国境付近のピブラーワーで発掘されたものです。
釈迦入滅の地クシナガラの統治部族マッラ族は、当初仏舎利の専有を表明し、仏教を国教とする周辺国との間に仏舎利を巡って争いが発生する事態となりました。結果として8等分され、それに、容器と残った灰を加えて周辺内外の10か所の寺院に奉納されました。
200年の後、インドの敬虔な仏教徒であったマウリヤ朝のアショーカ王は、インド統一を果たした後、全国8か所に奉納されていた仏舎利のうち7か所の仏舎利を発掘し、遺骨は細かく粉砕し、一粒一粒に分け、灰燼は微量ずつに小分けする作業を行って、最終的に周辺国も含めて8万余の膨大な寺院に再配布しました。
仏教が後年に伝来する中国では、多くの僧が仏舎利の奉納されたインドやタイに赴き、仏舎利の収められたストゥーパの前で供養した宝石類を「仏舎利の代替品」として持ち帰り、それを自寺の仏塔に納めました。この宝石を仏舎利の代用として奉納する手法は、日本にも伝わりました。
不信心者には、そんなに釈迦の骨があるのかと疑問に思っていたのですが、代替品可ということなら無限増殖できますね。
この部屋には、仏像が並べられていました。
チベット仏教の仏画でしょうか。
次の部屋からは、インド細密画が展示されていました。
インドにおける絵画の歴史は、紀元前から既に始まっていましたが、ムガル王朝時代(16~19世紀)に制作されたものが有名です。ムガル王朝時代の細密画は、イスラム文化圏で発達したムガル絵画と、ヒンドゥー文化圏のラージプト絵画に大別でき、その主題は、『マハーバーラタ』、『ラーマヤーナ』といったインド古来の神話、シヴァ神やヴィシュヌ神などのヒンドゥー教世界、諸々の王の肖像や歴史的なエピソード、男女の恋の様相、動物の図などに加え、音楽を図像化したラーガ・マーラと呼ばれるインド独特のテーマなど多岐にわたっています。
この細密画も、詳しく眺めていくには、展示物が多すぎました。
これらの絵を見ていくと、デンマークの挿絵画家カイ・ニールセンと似ているなと感じました。
続いて工芸品のコーナー。
肖像画付きのついたて。
男女の肖像画が飾られています。
藩主の王座。
宝石。
世界破壊のため踊る「舞踊の神ナタラージャ」の姿のシヴァ神。
一階を一周したのですが、脇に部屋があって、鋳造物の展示品を見落とすところでした。これは、この博物館でも重要な作品のようです。
石を彫ったものよりも、動きのある造形が施されています。
蛇王カーリヤの頭上で踊るクリシュナ。
インドラ神像。
二階はインド海軍の展示などで興味ある展示物もないため、一階に戻って最後に中庭を見学しました。
ヴィシュヌ神像。
見学を終えて玄関に出ると、校外学習の女学生の団体に出会いました。
ほとんどのインド・ツアーでデリーを訪れますが、この国立博物館が含まれているものはほとんどありません。ヒンドゥー教や仏教関連の像は、さすがに本国ということで充実しており、見ごたえがありました。エローラ、アジャンタ、サンチー遺跡見学の旅の最後の見学場所としてはふさわしいものでした。
また、ここの仏像を見て感じたことですが、東京の国立博物館・東洋館に展示されているガンダーラ仏は、数は少ないですが、名品揃えです。また、インド細密画も展示されています。東洋美術に関心を持つ人は、機会があったら訪れることを勧めます。