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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 クアラルンプール その1

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蛍見学を行った後にクアラルンプールに到着したため、ホテルに入ったのは遅くなり、そのまま眠りました。

泊まったのは、セリ・パシフィック泊。写真は、翌朝に撮影したもの。



きれいな部屋でした。



このホテルでもメッカの方角を示すキブラシールが付けられていました。



部屋からの眺め。このホテルは、中心部からは外れていましたが、通りをはさんで大きなショッピングモールがあり、スーパーでの買い物に便利でした。



部屋からはショッピングモールが邪魔をしていましたが、エレベーターの中からは、クアラルンプールのシンボルであるツインタワーを望むことができました。こうしてみると、クアラルンプールは、高層ビルが林立して、大都市ですね。



クアラルンプール到着日は、そのままジョージタウンに移動してしまったため、改めてクアラルンプールの市内観光を行いました。

まずは、市街地南部の丘の上に建つ王宮(イスタナ ネガラ)の見学を行いました。駐車場には多くの観光バスが停まっていました。

マレーシアには州ごとにスルタンと呼ばれる王がいて、5年交代でアゴンと呼ばれる国王の役目を担います。これは、このマレーシア国王の王宮です。



この王宮は、2011年に完成したばかりです。



柵の間からのぞくと、黄色いドームの王宮を見ることができました。イスラム風です。



門の両脇には衛兵が立っていました。



体が降れるほど近寄って記念写真を撮る者が多く、迷惑そうでした。



なお、これは車で前を通りかかった王宮博物館。旧王宮で、新王宮の完成した後、博物館として一般開放されています。



続いて、レイク・ガーデンにある国歌記念碑を訪れました。

バスを降りると、柱状のモニュメントが置かれていました。



「我々の栄光ある死へ」と掛かれた下に、第一次大戦、第二次大戦、イギリス連邦がマラヤ連邦を認めた後の共産ゲリラとの内戦の日付が記されていました。



モニュメントの門に取り付けられていた国家紋章。



国家記念碑の裏手から近づいていきました。



正面から見た国歌記念碑。校外学習の子供の団体が訪れていました。



国歌記念碑は、共産ゲリラとの内戦で命を失った兵士の功績を称えたものです。ただ、この像は、アメリカ兵士のように見えてしまいます。背後のマレーシアの旗が重なって赤白のストライブしか見えておらず、アメリカ合衆国の旗と見分けがつかなくなっています。



この像は、アメリカ人彫刻家フェリックス・デ・ウェルドンの作品ですが、他の作品としては、ワシントンの硫黄島記念碑とも呼ばれる海兵隊戦争記念碑が有名です。フェリックス・デ・ウェルドンは、芸術家というよりは、銅像造りの専門家のようです。



どう見てもアメリカ兵。



レイク・ガーデンということで、周囲には緑地が広がっていました。



レイク・ガーデン近くのマスジット・ヌガラ(国立モスク)を訪れました。1963年に建てられ、傘のような屋根は最近の流行りのようです。ドーム型でないとモスクのように見えませんが。



ミナレットの高さは73m。信者でないと入場できないので、見学はこれだけ。



続いて、ムルデカ・フクエア(独立広場)を訪れました。イギリス統治時代に建てられた歴史的建物に囲まれた広場なのですが、残念ながら8月31日の国家記念日の準備で中には入れず。



1898年に建てられた英国コロニアル形式の印刷会社の建物で、現在は、クアラルンプール・シティ・ギャラリーになっています。



国立織物博物館。1905年に建てられた旧鉄道事務局が博物館になっています。



赤レンガと石膏の縞模様はイギリス、上部のタマネギ型のドームは、インド・ムガール様式の影響がうかがえます。



新旧の建物の組み合わせが印象的です。



クアラルンプール・歴史的トレイルの起点を示すプらしいレートが埋め込まれていました。



プレートにも描かれていますが、赤いハイビスカスがマレーシアの国花になっています。・ハイビスカスの5つの花びらは、マレーシアの5つの国是(1:神への信仰、2:国王及び国家への忠誠、3:憲法の遵守 4:法による統治 5:良識ある行動と徳性)を表し、赤い色は勇気を表しているといいます。



広場に立てられた国旗掲揚台。



スルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦事務局ビル)。

1894~1897年にかけてイギリス人建築家によって建てられました。現在は、最高裁判所になっています。



上部の銅製のキューポラが印象的で、イギリスのビクトリア様式、スペインのイスラム・ムーア様式、インドのムガール様式が癒合しています。



兵士が熱心に行進の練習をしていました。広場の中央や反対側に進めなかったのは残念でした。



この後は、クアラルンプール市内の見学で残った国立博物館はこの日の最後に回して、ひとまずクアラルンプール鉄道駅からバトゥ洞窟に向かうことになりました。

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