下の城から高い城へと移動します。高い城は、修道院として使われていたようです。
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下の城から高い城へは、堀に架かる木橋を渡る必要があります。
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下の城と高い城の間は深い壕が設けられていました。
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攻撃の際に、この壕を超えることは難しそうです。
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門の内側ですが、仕掛けが施されているようです。
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錘が吊るされているので、落とし戸が隠されているのでしょうか。
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入口の奥は、長いトンネルになっていました。
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通路を抜けると、建物に囲まれた中庭に出ました。中庭の中央には井戸が設けてありました。
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車輪を回して水を汲み上げるようです。
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井戸の上の屋根にはペリカンの像が飾られていました。
ペリカンは「食べ物が無いときには、自分の肉を子どもに与える」と言われ、このことを騎士達に示したものといいます。
博愛の教えなら良いですが、籠城の際の飢餓に対する教えだとすると怖いですね。
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高い塔が見下ろしていました。
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周囲の建物も堅固な造りです。
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建物内部の通路の窓にはステンドグラスが飾られていました。
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これは、騎士団の会議場として使われていたチャプターハウス。
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下の城の食堂と同じ造りで、柱の上からアーチが延びていました。
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中央は、騎士団総長の席です。意外に質素な造りです。この椅子には見学者が座りたがるため、写真を撮るのもしばらく待つ必要がありました。
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チャプターハウスの窓。
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聖母子像のステンドグラスが飾られていました。
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十字架上のキリスト像。
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聖母子像。
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聖人でしょうか。
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ここでもセントラルヒーティング施設が設けられていました。

下の城から高い城へは、堀に架かる木橋を渡る必要があります。

下の城と高い城の間は深い壕が設けられていました。

攻撃の際に、この壕を超えることは難しそうです。

門の内側ですが、仕掛けが施されているようです。

錘が吊るされているので、落とし戸が隠されているのでしょうか。

入口の奥は、長いトンネルになっていました。

通路を抜けると、建物に囲まれた中庭に出ました。中庭の中央には井戸が設けてありました。

車輪を回して水を汲み上げるようです。

井戸の上の屋根にはペリカンの像が飾られていました。
ペリカンは「食べ物が無いときには、自分の肉を子どもに与える」と言われ、このことを騎士達に示したものといいます。
博愛の教えなら良いですが、籠城の際の飢餓に対する教えだとすると怖いですね。

高い塔が見下ろしていました。

周囲の建物も堅固な造りです。

建物内部の通路の窓にはステンドグラスが飾られていました。

これは、騎士団の会議場として使われていたチャプターハウス。

下の城の食堂と同じ造りで、柱の上からアーチが延びていました。

中央は、騎士団総長の席です。意外に質素な造りです。この椅子には見学者が座りたがるため、写真を撮るのもしばらく待つ必要がありました。

チャプターハウスの窓。

聖母子像のステンドグラスが飾られていました。

十字架上のキリスト像。

聖母子像。

聖人でしょうか。

ここでもセントラルヒーティング施設が設けられていました。