アルマトイで宿泊したホテルのOTRARは、ソ連時代の国営旅行社直営ということで、少々古びてきていました。地球の歩き方には4つ星ホテルと紹介されています。もっとも他に5つ星が超高級ホテルと紹介されているので、少し良いホテルといったところになります。
場所的には、28人のパンフィロフ公園前で中央市場にも近いので、立地条件は最上ということになります。ツアーの最後に戻ってきて、アルトマイの市内観光を行う際には、ここのホテルにバスをおいて、トイレも使わせてもらった後に、徒歩で出かけることになりました。
割り振られた部屋からは、28人のパンフィロフ公園側と逆でしたが、ホテル付属の不思議な建物が見えていました。
翌朝、朝食会場に入ると、部屋から見えていたのは、ドーム状の天井を持ったホールであることが判りました。これは、遊牧民の住居のユルタを模したもののようです。
ホテルからの展望を確かめるために最上階のエレベーターホール前のテラスに出ると、雪を頂いた山の眺めとゼンコフ正教会の塔を眺めることができました。雪山を見て、旅の期待が高まりました。
せっかく泊まったアルマトイですが、市内観光は戻ってきた最終日に行うことにして、キルギスの首都のビシュケクに向かいました。今回の二つの訪問国のうちでは、キルギス観光がほとんどで、カザフスタン観光は付けたしといった状態になっています。これは、キルギスに入るためには、カザフスタンのアルマトイへの航空機を利用するのが一番便利という理由からです。
アルマトイの街を抜けると、雪山が街の背後に広がっていることが判りました。
2022年の冬季オリンピックは、北京とアルマトイの一騎打ちになり、2015年7月31日の投票で北京に決まりました。この雪山を見ると、雪山があるのかと疑問のわく北京よりも、アルマトイに決まって欲しかったと思います。
見えているのは天山山脈の支脈で、カザフスタンとキルギスの国境にもなっています。まずはこの山脈に沿って西に向かい、高度を落とした丘陵地を超えてキルギスに入ることになります。
アルマトイは、ソ連時代に計画的に造られた都市で、朝のラッシュ時には郊外の団地から市内に向かう車で渋滞状態になっていました。
郊外に出ると、カザフスタンの民族英雄らしい銅像が立っていました。ガイドのエリーさんの説明では、ケンサリとのことでしたが、ネットで調べてもどんな人物だったのかは不明でした。
白き峰々の眺めに、車窓から目をはなせなくなりました。
二人連れの銅像。カザフハン国の創立者のケレイとジャニベクでしょうか。
丘の上にモスクが見えていました。
村のように見えますが、お墓の集まりです。
山も次第に低くなってきました。
途中で、トイレ休憩。有料トイレでしたが、カザフスタンのお金を持っていないこともあり、ツアー会社の方でまとめて払ってくれました。キルギスから戻ってきた際には、ここの食堂で昼食になりました。立派な道路ができていますが、ドライブインといったものは、まだ少ししかありません。
広大な牧草地が広がっていました。
馬や羊の放牧も各所で見ることができました。
行きは、山を見たかったので南側の席に座りましたが、帰りは北側に座りました。北側には、遥かまでさえぎるもののない平原が広がっていました。光線の関係で、風景の色調が違っています。
アルマトイから4時間ほど走って、国境の街のカルダイに到着しました。
国境は撮影禁止のため、車内から国境に向かう人を撮影。
ここで荷物を全部持って、出国審査を行うことになりました。通路の舗装ががたがたで、スーツケースを転がして運ぶのに苦労しました。出国審査場は大混雑で、割り込んでくる者を後ろに追いやるのに苦労しました。カザフスタン人なのかキルギス人なのかは判りませんが、「列を作って順番を待つという習慣がない」と再びいらつこくとになりました。
なんとか、カザフスタンの出国を終え、国境のチュー川を渡ると、今度はキルギスの入国審査になります。これはパスポートをまとめて事務所にもっていき、スタンプを押してもらったパスポートを受け取って、審査は簡単に終了しました。
キルギス側に入って、車内の検査を終えて国境を通過してくるバスを待ちました。
この国境越えが、この日一番の大仕事になりました。
出入国審査が手間取ることもあって、路肩には飲み物や食べ物を売る店が並んでいました。同じような大型のスーツケースを引きずっていて団体だと判りそうな我々にも、タクシーの客引きが声をかけてきました。
少し走った先の両替所で、ドルをキルギスのソムに交換しました。プレハブ小屋で、これが両替所かと思ってしまいますが、ガイドが言うのなら大丈夫でしょう。中国だったら、偽札をつかまされそうですが。
ビールと土産のためと思って100ドルを交換しましたが、使いでがありました。日本でのドルの交換レートも関係しますが、1ソム=2円程と考えれば良いようです。
一つ失敗したのは、1000ソム札をメインで受け取ったことでした。少額の紙幣を混ぜてもらうべきでした。2000円ほどのお札ですが、ビールの支払いの際につりがないため、添乗員さんに1000ソム札を渡しっぱなしにして、足りなくなったら言ってということになってしまいました。こちらとしては、いちいち支払う必要がなくて楽でしたが、添乗員さんは余計な仕事が増えてしまいました。毎食時に飲める所ではビールを頼みましたが、キルギス内ではこの1000ソム札ですんでしまいました。
また、逆にカザフスタンに再入国した際、その日の昼と夜のビール代と思って、数ドルを交換しようとしたら、1ドル札は受け取ってもらえず、10ドルの交換になってしまいました。また、キルギスのソムは硬貨を含めた小銭でも交換可能だったので、僅かな金額でしたが交換してしまいました。最終日のビール代は、キルギス・ソムを少し残してカザフスタン・テンゲに交換した方が、余計な両替をしなくてすんだことになります。
一応、レートはしっかりと書いてあります。キルギスでは、大金は交換する必要はないので、レートの変動は気にする必要はないでしょう。
キルギスの旅を終えるまでに、ソムの硬貨をひと通り揃えることができました。ソムの下にティンという補助単位があり、50、10ティン硬貨が発行されているようですが、それは見かけませんでした。
1、3、5、10ソムの硬貨がありますが、3という硬貨は珍しいですね。
仮定として、9ソムと9円の支払い方を、それぞれ考えてみましょう。キルギスでは、支払いの際に、どのような硬貨を組み合わせるかを、財布の中の硬貨を見て迷うことになりそうです。
硬貨の裏面には、いずれもキルギスの国章が用いられています。
旭日マークが描かれていますが、これにはいちゃもんをつけないのかな、某反日国家。
ビシュケクが近づくと、再び雪山が見えるようになりました。
国境からビシュケクへは、30分ほどの距離ですが、ビシュケクの街に入る直前で道路工事のためにバスが通過できない状態になっていました。引き返した上に大回りをすることになって到着は少し遅れました。
昼食のレストランは、ウズベキスタンのイスラム建築を思わせる装飾の門が設けられていました。
食事の内容は、最後にまとめることにします。
昼食の後に、ビシュケクの市内観光を行うことになりました。
場所的には、28人のパンフィロフ公園前で中央市場にも近いので、立地条件は最上ということになります。ツアーの最後に戻ってきて、アルトマイの市内観光を行う際には、ここのホテルにバスをおいて、トイレも使わせてもらった後に、徒歩で出かけることになりました。
割り振られた部屋からは、28人のパンフィロフ公園側と逆でしたが、ホテル付属の不思議な建物が見えていました。
翌朝、朝食会場に入ると、部屋から見えていたのは、ドーム状の天井を持ったホールであることが判りました。これは、遊牧民の住居のユルタを模したもののようです。
ホテルからの展望を確かめるために最上階のエレベーターホール前のテラスに出ると、雪を頂いた山の眺めとゼンコフ正教会の塔を眺めることができました。雪山を見て、旅の期待が高まりました。
せっかく泊まったアルマトイですが、市内観光は戻ってきた最終日に行うことにして、キルギスの首都のビシュケクに向かいました。今回の二つの訪問国のうちでは、キルギス観光がほとんどで、カザフスタン観光は付けたしといった状態になっています。これは、キルギスに入るためには、カザフスタンのアルマトイへの航空機を利用するのが一番便利という理由からです。
アルマトイの街を抜けると、雪山が街の背後に広がっていることが判りました。
2022年の冬季オリンピックは、北京とアルマトイの一騎打ちになり、2015年7月31日の投票で北京に決まりました。この雪山を見ると、雪山があるのかと疑問のわく北京よりも、アルマトイに決まって欲しかったと思います。
見えているのは天山山脈の支脈で、カザフスタンとキルギスの国境にもなっています。まずはこの山脈に沿って西に向かい、高度を落とした丘陵地を超えてキルギスに入ることになります。
アルマトイは、ソ連時代に計画的に造られた都市で、朝のラッシュ時には郊外の団地から市内に向かう車で渋滞状態になっていました。
郊外に出ると、カザフスタンの民族英雄らしい銅像が立っていました。ガイドのエリーさんの説明では、ケンサリとのことでしたが、ネットで調べてもどんな人物だったのかは不明でした。
白き峰々の眺めに、車窓から目をはなせなくなりました。
二人連れの銅像。カザフハン国の創立者のケレイとジャニベクでしょうか。
丘の上にモスクが見えていました。
村のように見えますが、お墓の集まりです。
山も次第に低くなってきました。
途中で、トイレ休憩。有料トイレでしたが、カザフスタンのお金を持っていないこともあり、ツアー会社の方でまとめて払ってくれました。キルギスから戻ってきた際には、ここの食堂で昼食になりました。立派な道路ができていますが、ドライブインといったものは、まだ少ししかありません。
広大な牧草地が広がっていました。
馬や羊の放牧も各所で見ることができました。
行きは、山を見たかったので南側の席に座りましたが、帰りは北側に座りました。北側には、遥かまでさえぎるもののない平原が広がっていました。光線の関係で、風景の色調が違っています。
アルマトイから4時間ほど走って、国境の街のカルダイに到着しました。
国境は撮影禁止のため、車内から国境に向かう人を撮影。
ここで荷物を全部持って、出国審査を行うことになりました。通路の舗装ががたがたで、スーツケースを転がして運ぶのに苦労しました。出国審査場は大混雑で、割り込んでくる者を後ろに追いやるのに苦労しました。カザフスタン人なのかキルギス人なのかは判りませんが、「列を作って順番を待つという習慣がない」と再びいらつこくとになりました。
なんとか、カザフスタンの出国を終え、国境のチュー川を渡ると、今度はキルギスの入国審査になります。これはパスポートをまとめて事務所にもっていき、スタンプを押してもらったパスポートを受け取って、審査は簡単に終了しました。
キルギス側に入って、車内の検査を終えて国境を通過してくるバスを待ちました。
この国境越えが、この日一番の大仕事になりました。
出入国審査が手間取ることもあって、路肩には飲み物や食べ物を売る店が並んでいました。同じような大型のスーツケースを引きずっていて団体だと判りそうな我々にも、タクシーの客引きが声をかけてきました。
少し走った先の両替所で、ドルをキルギスのソムに交換しました。プレハブ小屋で、これが両替所かと思ってしまいますが、ガイドが言うのなら大丈夫でしょう。中国だったら、偽札をつかまされそうですが。
ビールと土産のためと思って100ドルを交換しましたが、使いでがありました。日本でのドルの交換レートも関係しますが、1ソム=2円程と考えれば良いようです。
一つ失敗したのは、1000ソム札をメインで受け取ったことでした。少額の紙幣を混ぜてもらうべきでした。2000円ほどのお札ですが、ビールの支払いの際につりがないため、添乗員さんに1000ソム札を渡しっぱなしにして、足りなくなったら言ってということになってしまいました。こちらとしては、いちいち支払う必要がなくて楽でしたが、添乗員さんは余計な仕事が増えてしまいました。毎食時に飲める所ではビールを頼みましたが、キルギス内ではこの1000ソム札ですんでしまいました。
また、逆にカザフスタンに再入国した際、その日の昼と夜のビール代と思って、数ドルを交換しようとしたら、1ドル札は受け取ってもらえず、10ドルの交換になってしまいました。また、キルギスのソムは硬貨を含めた小銭でも交換可能だったので、僅かな金額でしたが交換してしまいました。最終日のビール代は、キルギス・ソムを少し残してカザフスタン・テンゲに交換した方が、余計な両替をしなくてすんだことになります。
一応、レートはしっかりと書いてあります。キルギスでは、大金は交換する必要はないので、レートの変動は気にする必要はないでしょう。
キルギスの旅を終えるまでに、ソムの硬貨をひと通り揃えることができました。ソムの下にティンという補助単位があり、50、10ティン硬貨が発行されているようですが、それは見かけませんでした。
1、3、5、10ソムの硬貨がありますが、3という硬貨は珍しいですね。
仮定として、9ソムと9円の支払い方を、それぞれ考えてみましょう。キルギスでは、支払いの際に、どのような硬貨を組み合わせるかを、財布の中の硬貨を見て迷うことになりそうです。
硬貨の裏面には、いずれもキルギスの国章が用いられています。
旭日マークが描かれていますが、これにはいちゃもんをつけないのかな、某反日国家。
ビシュケクが近づくと、再び雪山が見えるようになりました。
国境からビシュケクへは、30分ほどの距離ですが、ビシュケクの街に入る直前で道路工事のためにバスが通過できない状態になっていました。引き返した上に大回りをすることになって到着は少し遅れました。
昼食のレストランは、ウズベキスタンのイスラム建築を思わせる装飾の門が設けられていました。
食事の内容は、最後にまとめることにします。
昼食の後に、ビシュケクの市内観光を行うことになりました。