リガの観光を終えてヴィリニウスに向かいますが、その途中、パウスカの街近くにあるルンダーレ宮殿を観光することになりました。
リガからは、約70kmの移動でパウスカに到着しました。
バウスカは三つの川の合流点にあり、15世紀にリヴォニア騎士団はこの地の丘に巨大な城を建設しました。その後は、リトアニアとの貿易の中継地として発展しました。
現在のバウスカは小さな街で、それに見合ってバ、ウスカ市庁舎もこじんまりしたものでした。
ロシア正教会。
ムーサ川を渡る時に、バウスカ城が見えました。バウスカ城は、15世紀の城址部分と16世紀後半にクールランド公が建てた宮殿部に分かれています。城址部分は、1706年の大北方戦争時代にロシア軍によって破壊されて廃墟になっています。見えているのは現在は博物館になっている宮殿部です。
パウスカの街の郊外にルンダーレ宮殿があります。駐車場の脇には、タンポポ満開の草原が広がっていました。
駐車場からは、しばらく並木道を歩いていくことになりました。
ルンダーレ宮殿の入り口に到着。
「バルトのヴェルサイユ」と呼ばれるバロック様式の宮殿です。
ヴェルサイユ宮殿と似ていますが、閑散としているのは大違いです。リガとヴィリニュスの間には、ルンダーレ宮殿と十字架の丘があり、一般的なツアーでは十字架の丘を訪れてルンダーレ宮殿は省かれることが多くなっています。今回のツアーを選んだのも、ルンダーレ宮殿が含まれていることからでした。
門の上に置かれたライオン像。
ルンダーレ宮殿は、ロシアの女帝アンナの愛人になって、貧しい貴族からクールランド大公に上りつめたビロン公の夏の宮殿として、1736年に建築が開始されました。
この宮殿はイタリア人建築家ラストゥレリによって設計され、彼は エカテリーナ宮殿やサンクト・ペテルブルグのエルミタージュ美術館本館になっている冬の宮殿を手がけました。
女帝アンナが死亡した後の1741年に、宮廷で憎まれていたビロン公は、財産を全て没収されてシベリア流刑になってしまい、宮殿の建築も中断されてしまいます。失脚してから22年間のあいだ、歴史の表舞台から姿を消していましたが、1762年に親ドイツ派のピョートル3世が即位すると、ビロンは宮廷に呼び戻されました。さらに、1763年にはエカチェリーナ2世が彼をクールラント公に復帰させました。工事は再会され、ルンダーレ宮殿は、1768年に完成しました。
建物に掲げられた紋章。上にある双頭の鷲はロマノフ王朝のものでしょう。下にはユニコーンとグリフィンが置かれています。クールランド大公の紋章を調べると、鹿とライオンが描かれているので、コンピューターゲームのRPGよろしくユニコーンとグリフィンにクラスチェンジしたのなら面白いですね。
宮殿内では、保護のために靴にカバーを付ける必要があります。
いかにも宮殿といった階段。
まずは緑の間。陶器製の暖炉が置かれています。
続いて、宮殿で最も豪華な黄金の間。公の戴冠式が行われたといいます。
天井には、イタリア人画家によって、知恵、力、知恵のテーマが寓話的に描かれています。
窓際の柱も美しく飾られています。
金箔が張られた漆喰像も飾られています。
黄金の間に隣接する小部屋には、陶器が飾られていました。
ヨーロッパの宮殿を訪れると、角の小部屋には中国や日本から運ばれた陶器が飾られていることが多いですが、ここでもその形にならっています。
黄金の間からは、グランド・ギャラリーが続いています。
ここの壁にもフレスコ画が描かれています。
奥からグランド・ギャラリーを振り返ったところ。
グランド・ギャラリーの先には白の広間があります。ここでは舞踏会が行われ、白の色は女性のドレスの色を引き立てるためといいます。
白の広間の壁は、農村風景や動物、神話を描いた漆喰彫刻で飾られています。
白の広間の脇には、楕円形の磁器の間があります。
滝をイメージしてツリー状に置かれた台に陶器が置かれています。
ルンダーレ宮殿は小ぶりながら趣のある宮殿です。
リガからは、約70kmの移動でパウスカに到着しました。
バウスカは三つの川の合流点にあり、15世紀にリヴォニア騎士団はこの地の丘に巨大な城を建設しました。その後は、リトアニアとの貿易の中継地として発展しました。
現在のバウスカは小さな街で、それに見合ってバ、ウスカ市庁舎もこじんまりしたものでした。
ロシア正教会。
ムーサ川を渡る時に、バウスカ城が見えました。バウスカ城は、15世紀の城址部分と16世紀後半にクールランド公が建てた宮殿部に分かれています。城址部分は、1706年の大北方戦争時代にロシア軍によって破壊されて廃墟になっています。見えているのは現在は博物館になっている宮殿部です。
パウスカの街の郊外にルンダーレ宮殿があります。駐車場の脇には、タンポポ満開の草原が広がっていました。
駐車場からは、しばらく並木道を歩いていくことになりました。
ルンダーレ宮殿の入り口に到着。
「バルトのヴェルサイユ」と呼ばれるバロック様式の宮殿です。
ヴェルサイユ宮殿と似ていますが、閑散としているのは大違いです。リガとヴィリニュスの間には、ルンダーレ宮殿と十字架の丘があり、一般的なツアーでは十字架の丘を訪れてルンダーレ宮殿は省かれることが多くなっています。今回のツアーを選んだのも、ルンダーレ宮殿が含まれていることからでした。
門の上に置かれたライオン像。
ルンダーレ宮殿は、ロシアの女帝アンナの愛人になって、貧しい貴族からクールランド大公に上りつめたビロン公の夏の宮殿として、1736年に建築が開始されました。
この宮殿はイタリア人建築家ラストゥレリによって設計され、彼は エカテリーナ宮殿やサンクト・ペテルブルグのエルミタージュ美術館本館になっている冬の宮殿を手がけました。
女帝アンナが死亡した後の1741年に、宮廷で憎まれていたビロン公は、財産を全て没収されてシベリア流刑になってしまい、宮殿の建築も中断されてしまいます。失脚してから22年間のあいだ、歴史の表舞台から姿を消していましたが、1762年に親ドイツ派のピョートル3世が即位すると、ビロンは宮廷に呼び戻されました。さらに、1763年にはエカチェリーナ2世が彼をクールラント公に復帰させました。工事は再会され、ルンダーレ宮殿は、1768年に完成しました。
建物に掲げられた紋章。上にある双頭の鷲はロマノフ王朝のものでしょう。下にはユニコーンとグリフィンが置かれています。クールランド大公の紋章を調べると、鹿とライオンが描かれているので、コンピューターゲームのRPGよろしくユニコーンとグリフィンにクラスチェンジしたのなら面白いですね。
宮殿内では、保護のために靴にカバーを付ける必要があります。
いかにも宮殿といった階段。
まずは緑の間。陶器製の暖炉が置かれています。
続いて、宮殿で最も豪華な黄金の間。公の戴冠式が行われたといいます。
天井には、イタリア人画家によって、知恵、力、知恵のテーマが寓話的に描かれています。
窓際の柱も美しく飾られています。
金箔が張られた漆喰像も飾られています。
黄金の間に隣接する小部屋には、陶器が飾られていました。
ヨーロッパの宮殿を訪れると、角の小部屋には中国や日本から運ばれた陶器が飾られていることが多いですが、ここでもその形にならっています。
黄金の間からは、グランド・ギャラリーが続いています。
ここの壁にもフレスコ画が描かれています。
奥からグランド・ギャラリーを振り返ったところ。
グランド・ギャラリーの先には白の広間があります。ここでは舞踏会が行われ、白の色は女性のドレスの色を引き立てるためといいます。
白の広間の壁は、農村風景や動物、神話を描いた漆喰彫刻で飾られています。
白の広間の脇には、楕円形の磁器の間があります。
滝をイメージしてツリー状に置かれた台に陶器が置かれています。
ルンダーレ宮殿は小ぶりながら趣のある宮殿です。