長旅を終えてエストニアの首都のタリンに到着しましたが、旅の第二日目はバスでタルトゥへと移動しました。タリンへは第六日目の夜に戻ってきて、第七日目に観光を行うことになります。タリンではいずれの日もメリトングランドコンファレンス&スパホテルタリンに泊まりましたが、ホテルの外観などは後日に掲載します。
バスは田園地帯と進んでいきましたが、民家の脇の高い場所にコウノトリが巣を造っているのを度々みかけました。
昼にタルトゥに到着。まずは昼食をとってから観光を行うことになりました。
タルトゥは、エストニア第二の都市で、エストニア最古の大学があることから「エストニアの精神的首都」と言われています。
タルトゥは、ロシアとドイツ騎士団の間で支配権が争われましたが、1280年代には、ハンザ同盟に加盟し、ドイツ人中心の都市となりました。リトアニア大公国、ポーランド・リトアニア共和国領、スウェーデン王国領を経て、1700年より始まった大北方戦争のロシアの勝利によってロシア帝国の統治下に入ってしまいました。
エストニアの歴史については、タリン観光の際に詳しく触れるとしましょう。
通りにあったKalevは、エストニアの1806年創業の老舗チョコレート店です。フィンランドやラトビアでも、その国で有名なチョコレート店があり、土産にそれぞれ買ったため重い荷物になりました。
ラエコヤ広場にやってきました。
ラエコヤとは市庁舎ということで、広場には市庁舎が美しい姿を見せていました。
市庁舎の前には、男女が抱き合ってキスをしている「キスの噴水」が置かれています。由緒あるものかと思ったら、1998年設置の比較的新しいもののようです。エストニアでも相合傘という風習があるのでしょうか。
ロシア支配のタルトゥでは木造以外の建築は認められていませんでしたが、1775年の大火で町の大半を焼失してしまいました。その後方針が変わって石造りで街は再建され、バロック建築や新古典主義の建築が整然と並ぶようになりました。
広場には、レストランの屋外席が並んでいるおり、天気も良いのでビールを飲んだら気持ちが良いでしょうね。残念ながら観光を進めていかなくてはいけません。
土産物屋の店先にあった顔出し看板。外国ではあまり見かけない気もするのですが。
同じく土産物屋の装飾。民族衣装はロシアの影響を受けているようです。
子供の一団と遭遇しました。
路面が赤く染められているのはかつて建物があった部分で、黒味を帯びた部分はかつての道路部分だといいます。
聖ヨハネ教会にやってきました。
聖ヨハネ教会は、14世紀後半にリューベックの商人によって建てられました。塔の形など、リューベックなどの北ドイツの雰囲気があります。
この教会は、度重なる戦争で破壊されて、修復がかなり進んできたところです。
煉瓦造りですが、木で補修されているところもあります。
教会内部は多数の素焼きの塑像で装飾されていましたが、多くは失われてしまっています。
修復作業が行われていました。
素焼きの塑像が棚に並べられていました。
教会の外に出て、尖塔を見上げました。塔には登れるようですが、時間がありませんでした。
バスは田園地帯と進んでいきましたが、民家の脇の高い場所にコウノトリが巣を造っているのを度々みかけました。
昼にタルトゥに到着。まずは昼食をとってから観光を行うことになりました。
タルトゥは、エストニア第二の都市で、エストニア最古の大学があることから「エストニアの精神的首都」と言われています。
タルトゥは、ロシアとドイツ騎士団の間で支配権が争われましたが、1280年代には、ハンザ同盟に加盟し、ドイツ人中心の都市となりました。リトアニア大公国、ポーランド・リトアニア共和国領、スウェーデン王国領を経て、1700年より始まった大北方戦争のロシアの勝利によってロシア帝国の統治下に入ってしまいました。
エストニアの歴史については、タリン観光の際に詳しく触れるとしましょう。
通りにあったKalevは、エストニアの1806年創業の老舗チョコレート店です。フィンランドやラトビアでも、その国で有名なチョコレート店があり、土産にそれぞれ買ったため重い荷物になりました。
ラエコヤ広場にやってきました。
ラエコヤとは市庁舎ということで、広場には市庁舎が美しい姿を見せていました。
市庁舎の前には、男女が抱き合ってキスをしている「キスの噴水」が置かれています。由緒あるものかと思ったら、1998年設置の比較的新しいもののようです。エストニアでも相合傘という風習があるのでしょうか。
ロシア支配のタルトゥでは木造以外の建築は認められていませんでしたが、1775年の大火で町の大半を焼失してしまいました。その後方針が変わって石造りで街は再建され、バロック建築や新古典主義の建築が整然と並ぶようになりました。
広場には、レストランの屋外席が並んでいるおり、天気も良いのでビールを飲んだら気持ちが良いでしょうね。残念ながら観光を進めていかなくてはいけません。
土産物屋の店先にあった顔出し看板。外国ではあまり見かけない気もするのですが。
同じく土産物屋の装飾。民族衣装はロシアの影響を受けているようです。
子供の一団と遭遇しました。
路面が赤く染められているのはかつて建物があった部分で、黒味を帯びた部分はかつての道路部分だといいます。
聖ヨハネ教会にやってきました。
聖ヨハネ教会は、14世紀後半にリューベックの商人によって建てられました。塔の形など、リューベックなどの北ドイツの雰囲気があります。
この教会は、度重なる戦争で破壊されて、修復がかなり進んできたところです。
煉瓦造りですが、木で補修されているところもあります。
教会内部は多数の素焼きの塑像で装飾されていましたが、多くは失われてしまっています。
修復作業が行われていました。
素焼きの塑像が棚に並べられていました。
教会の外に出て、尖塔を見上げました。塔には登れるようですが、時間がありませんでした。