スプリット見学の後に、この日の宿泊地のトロギールに向かいました。
トロギールは、スプリットから27kmのそう遠くない距離にあり、城壁に囲まれた小さな街で、世界遺産に選ばれています。ツアーの見学地には含まれていないので仕方のないことですが、ホテルはチオヴォ島の北海岸にあって旧市街地からは離れており、歩いていける距離ではありません。
それでも、夕暮れ近くなってトロギールの旧市街地をかすめて通り過ぎる時、街を垣間見ることができました。
これは、旧市街地へ入るための北門。
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通りの奥に見える聖ロヴロ大聖堂の鐘楼。
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宿泊したセベティクリツ・ホテルでは最上階の部屋が割り当てられました。三角屋根の関係で、天井が斜めになっているところもありましたが、ベランダがあったので満足でした。
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ホテルのあるチオヴォ島は、トロギールの旧市街のある小さな島を介して橋で本土とつながっています。ベランダからは本土の海岸線を眺めることができました。
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夜になると、海峡の向こうに連なる街灯りを眺めることができました。
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ホテルの外に出てみましたが、周辺は真っ暗なため早々に部屋に戻ることになりました。
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5日目、この日はトロギールを出発し、260kmを移動して午後にドブロヴニク観光を行うことになります。クロアチア旅行では、バス移動が長くなり、居眠りをしないで目を開けている努力が必要になります。
一旦、トロギールの旧市街地のある島に戻ります。
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中世から続くトロギールの中心部は城壁で囲まれ、城、塔、住居、宮殿など、ロマネスクからゴシック、ルネサンス、バロックといったさまざまな時代の建物を見学できるとのことです。
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聖ロヴロ大聖堂の鐘楼は、14世紀の初頭に造られ、高さは47mあります。
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再び北門の前にやってきました。17世紀中ごろに建てられたバロック様式の門で、18世紀に改修されました。門の上に立つのは、町の守護聖人の聖イヴァンウルスィ二像です。
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トロギールはドブロヴニクに向かう行程上では、スプリットから逆方向に移動した位置にあるので、再びスプリット近くに戻りました。
スプリット郊外にある水道橋を再び眺めることになりました。
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アドリア海に沿ってのドライブが続きました。
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途中、小さな街を通過していきました。
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アドリア海の海辺までディナル・アルプス山脈の岩山が迫っています。ディナル・アルプスは、石灰岩質山地から成り立っており、カルストとして知られる地形がつくられています。
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海峡の向こうにはブラチ島が広がっています。石切り場が、海岸部に見えています。
ブラチ島産の大理石は、古くからの特産品になっており、スプリットのディオクレティアヌス宮殿、ドゥブロヴニクのスポンサ宮殿や総督邸、イスタンブールのアヤ・ソフィア寺院、ヴェネチアのドゥカーレ宮殿、さらにはアメリカのホワイトハウスの建材にも使われてきたといいいます。
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変わりやすい天気でしたが、穏やかな海が広がっていました。
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島が海岸線と平行に延びているため、海峡状の地形が続きます。
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険しい山が海辺に迫っています。
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ドライブ・インでトイレストップ。丁度、青空も出てきて、海岸線の眺めを楽しむことができました。ここはBrelaの手前のようです。
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バスでの長距離移動でしたが、トイレストップの際の名も無い街の風景も楽しめました。
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ブラチ島も終わって、次はフヴァル島が見えてきました。
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山側の狭い耕作地には葡萄畑が広がっていました。
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沖合に見えてきたのは、ペリャシャツ半島のようです。
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バスは、一旦海岸線を離れて内陸部に進みました。車窓からは、湖沼地帯の眺めが広がりました。
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ネレトヴァ川の河口部に形成された湿地帯のようです。
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ネレトヴァ川の河畔に出てきました。
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平和な眺めを楽しんでいると、突如トーチカが現れて、心がクロアチア紛争の時代に戻されます。
ネレトヴァ川の上流部はボスニア・ヘルツェゴヴィナで、戦略的にも重要な地点であったと思われます。
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ネレトヴァ川を渡りました。
ネレトヴァ川というものがどこにあるのか知らなかったのですが、ひと昔前の映画の「ネレトヴァの戦い」で、名前だけは知っていました。
ネレトヴァの戦いは、1943年、ユーゴスラビアのパルチザンに対して、ドイツ・イタリア・クロアチアの枢軸側が合同で行った戦略的な掃討作戦の中で起きました。避難民も含むパルチザン部隊は、ネレトヴァ川の西側の谷間に追い詰められました。枢軸側は、パルチザンをネレトヴァ川の両岸から攻撃する態勢を取っていましたが、パルチザンは自ら東岸に渡る橋を爆破してしまいます。これを、西岸の敵への玉砕攻撃の前兆と判断した枢軸側は兵力を集中すべく大規模な配置換えを開始します。この間隙をぬって、パルチザンは仮橋を架けて修理し、手薄になった東側に渡ってしまいます。再び橋を破壊してしまって追撃を絶ち、パルチザンは包囲網から脱出するのに成功しました。
映画のロケに使われた落ちてしまった橋は、サラエボの南西部に位置するヤブラニツァJablanicaにあるようです。
史記に登場する韓信の行った「背水の陣」の故事を知った上でのもうひとひねりした作戦と思ってしまいます。銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーなら立てそうな作戦です。
映画「ネレトヴァの戦い」のことは、題名だけしか覚えていないので、再び見てみたいと思っています。
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ネレトヴァ川の畔には美しい街並みが点在していました。
第7日目には、このネレトヴァ川を遡って、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルを訪れますが、その際には、別な戦いの記憶に出会うことになります。
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ネレトヴァ川の河口近くの平野部にはタンジェリンが名産になっています。この時期はオレンジが出荷されており、道路沿いに売店が出ていました。
添乗員さんが買ってくれたので、夜にホテルで美味しく食べました。
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尾根を乗り越すことになって、眼下に河口部の平野の眺めが広がりました。
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アドリア海の海岸部も望むことができました。ネレトヴァ川の河口部には、プロチャの港町がありますが、この後通過するボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムの街とのからみで名前が出てくることになります。
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尾根を越して、再びアドリア海沿岸部に戻ってきました。
トロギールは、スプリットから27kmのそう遠くない距離にあり、城壁に囲まれた小さな街で、世界遺産に選ばれています。ツアーの見学地には含まれていないので仕方のないことですが、ホテルはチオヴォ島の北海岸にあって旧市街地からは離れており、歩いていける距離ではありません。
それでも、夕暮れ近くなってトロギールの旧市街地をかすめて通り過ぎる時、街を垣間見ることができました。
これは、旧市街地へ入るための北門。

通りの奥に見える聖ロヴロ大聖堂の鐘楼。

宿泊したセベティクリツ・ホテルでは最上階の部屋が割り当てられました。三角屋根の関係で、天井が斜めになっているところもありましたが、ベランダがあったので満足でした。

ホテルのあるチオヴォ島は、トロギールの旧市街のある小さな島を介して橋で本土とつながっています。ベランダからは本土の海岸線を眺めることができました。

夜になると、海峡の向こうに連なる街灯りを眺めることができました。

ホテルの外に出てみましたが、周辺は真っ暗なため早々に部屋に戻ることになりました。

5日目、この日はトロギールを出発し、260kmを移動して午後にドブロヴニク観光を行うことになります。クロアチア旅行では、バス移動が長くなり、居眠りをしないで目を開けている努力が必要になります。
一旦、トロギールの旧市街地のある島に戻ります。

中世から続くトロギールの中心部は城壁で囲まれ、城、塔、住居、宮殿など、ロマネスクからゴシック、ルネサンス、バロックといったさまざまな時代の建物を見学できるとのことです。


聖ロヴロ大聖堂の鐘楼は、14世紀の初頭に造られ、高さは47mあります。

再び北門の前にやってきました。17世紀中ごろに建てられたバロック様式の門で、18世紀に改修されました。門の上に立つのは、町の守護聖人の聖イヴァンウルスィ二像です。

トロギールはドブロヴニクに向かう行程上では、スプリットから逆方向に移動した位置にあるので、再びスプリット近くに戻りました。
スプリット郊外にある水道橋を再び眺めることになりました。

アドリア海に沿ってのドライブが続きました。

途中、小さな街を通過していきました。

アドリア海の海辺までディナル・アルプス山脈の岩山が迫っています。ディナル・アルプスは、石灰岩質山地から成り立っており、カルストとして知られる地形がつくられています。

海峡の向こうにはブラチ島が広がっています。石切り場が、海岸部に見えています。
ブラチ島産の大理石は、古くからの特産品になっており、スプリットのディオクレティアヌス宮殿、ドゥブロヴニクのスポンサ宮殿や総督邸、イスタンブールのアヤ・ソフィア寺院、ヴェネチアのドゥカーレ宮殿、さらにはアメリカのホワイトハウスの建材にも使われてきたといいいます。

変わりやすい天気でしたが、穏やかな海が広がっていました。

島が海岸線と平行に延びているため、海峡状の地形が続きます。

険しい山が海辺に迫っています。

ドライブ・インでトイレストップ。丁度、青空も出てきて、海岸線の眺めを楽しむことができました。ここはBrelaの手前のようです。

バスでの長距離移動でしたが、トイレストップの際の名も無い街の風景も楽しめました。

ブラチ島も終わって、次はフヴァル島が見えてきました。

山側の狭い耕作地には葡萄畑が広がっていました。


沖合に見えてきたのは、ペリャシャツ半島のようです。

バスは、一旦海岸線を離れて内陸部に進みました。車窓からは、湖沼地帯の眺めが広がりました。

ネレトヴァ川の河口部に形成された湿地帯のようです。


ネレトヴァ川の河畔に出てきました。

平和な眺めを楽しんでいると、突如トーチカが現れて、心がクロアチア紛争の時代に戻されます。
ネレトヴァ川の上流部はボスニア・ヘルツェゴヴィナで、戦略的にも重要な地点であったと思われます。

ネレトヴァ川を渡りました。
ネレトヴァ川というものがどこにあるのか知らなかったのですが、ひと昔前の映画の「ネレトヴァの戦い」で、名前だけは知っていました。
ネレトヴァの戦いは、1943年、ユーゴスラビアのパルチザンに対して、ドイツ・イタリア・クロアチアの枢軸側が合同で行った戦略的な掃討作戦の中で起きました。避難民も含むパルチザン部隊は、ネレトヴァ川の西側の谷間に追い詰められました。枢軸側は、パルチザンをネレトヴァ川の両岸から攻撃する態勢を取っていましたが、パルチザンは自ら東岸に渡る橋を爆破してしまいます。これを、西岸の敵への玉砕攻撃の前兆と判断した枢軸側は兵力を集中すべく大規模な配置換えを開始します。この間隙をぬって、パルチザンは仮橋を架けて修理し、手薄になった東側に渡ってしまいます。再び橋を破壊してしまって追撃を絶ち、パルチザンは包囲網から脱出するのに成功しました。
映画のロケに使われた落ちてしまった橋は、サラエボの南西部に位置するヤブラニツァJablanicaにあるようです。
史記に登場する韓信の行った「背水の陣」の故事を知った上でのもうひとひねりした作戦と思ってしまいます。銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーなら立てそうな作戦です。
映画「ネレトヴァの戦い」のことは、題名だけしか覚えていないので、再び見てみたいと思っています。

ネレトヴァ川の畔には美しい街並みが点在していました。
第7日目には、このネレトヴァ川を遡って、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルを訪れますが、その際には、別な戦いの記憶に出会うことになります。

ネレトヴァ川の河口近くの平野部にはタンジェリンが名産になっています。この時期はオレンジが出荷されており、道路沿いに売店が出ていました。
添乗員さんが買ってくれたので、夜にホテルで美味しく食べました。

尾根を乗り越すことになって、眼下に河口部の平野の眺めが広がりました。

アドリア海の海岸部も望むことができました。ネレトヴァ川の河口部には、プロチャの港町がありますが、この後通過するボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムの街とのからみで名前が出てくることになります。

尾根を越して、再びアドリア海沿岸部に戻ってきました。