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Channel: さすらい人の独り言
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さすらいの風景 モハスタン遺跡

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ボグラの市場見学の後、仏教都市遺跡モハスタンを訪れました。バングラディシュ最古で最大の仏教遺跡で、紀元前3世紀マウリヤ朝アショカ王の時代の街のブンドナガルに相当するといいます。7世紀頃にはヒンドゥー教の興隆とともにインドでは仏教が廃れていくものの、バングラディシュではパーラ朝(8~11世紀)のもとで仏教が栄えました。

まずは付属の博物館を見学しました。



小銃を持った警察官が警備にあたってくれました。ただ、緊張感はなく、写真撮影に応じてくれたり、逆に携帯のカメラでこちらを撮影している者もいました。



前庭には、発掘された像などが展示されていました。博物館内には、仏教やヒンドゥー教の像が展示されていましたが、残念ながら撮影禁止でした。



住宅の門であったようです。



細かい彫刻が施されていました。



仏像。



シヴァ神のシンボルであるリンガ。ヒンズー教の影響も大きいようです。



博物館の前の通りをはさんで広がる、ゴヴィンダ・ビータ寺院を見学しました。



レンガ造りの建物の土台が残されていました。



コトラヤ川を見下ろす丘の上に遺跡は広がっていました。



往時の姿を想像するのには、かなり難しい状態です。



遺跡は城壁に囲まれていました。8世紀頃に造られたものです。



車に戻って少し移動し、南門から遺跡内に入りました。



城壁内には農地が広がっていました。1928年に発掘がはじまり、多くの遺物が発掘されていますが、農地になっているため発掘は進んでいないようです。



井戸がありましたが、命の井戸と呼ばれて伝説が残されています。

ヒンドゥ教の王とイスラム教の王が戦った時、ヒンドゥ教の王はこの井戸の水を使って死者を生き返らせて戦いに再投入したため、負けずに戦い続けました。これを知ったイズラム教の王は、ヒンドゥー教で神聖視されている牛の肉を井戸に投げ込んで汚染させてこの奇跡を停めてしまい、ヒンドゥ教の王を倒したといいます。



畑の奥に建物の土台が広がっていました。





土台跡は、かなりの広範囲に広がっていました。



遺跡内に残された土台跡よりも民族衣装を着た女性の方に目がいってしまいます。



モハスタン遺跡に続いてパハルプール遺跡に向かいました。

車窓からは、黄金色に色づいた田圃が目に入ってきました。

「黄金のバングラディシュ」と呼ばれることがありますが、これはタゴール作詞によるバングラディシュ国歌「我が黄金のベンガルよ」に基づきます。

詞の内容は、次のものになるようです。

わたしの黄金のベンガルよ、わたしはあなたが好きでたまりません。あなたの空、あなたの風は、わたしの胸の中にある笛をいつも鳴らしてくれます。ああ、お母さん、早春の あなたのマンゴー林が放つ香は わたしの魂を夢中にさせてしまいます。ああ、お母さん、わたしは死ぬほど幸福です。お母さん、晩秋の あなたの実り多き田畑に わたしはお母さんのすてきな笑顔を見ましたよ。美しい光と影が綾なす 愛情と慈悲にあふれた衣の裾をお母さんは、バニヤンの樹の根元や 川の土手に拡げてくださいましたね。お母さん、あなたの言葉は わたしの耳には、まるで甘露のように響きます。ああ、わたしは死ぬほど幸福です。お母さん、あなたのお顔が心配で曇れば わたしの頬は涙で濡れてしまいます。

なお、インドの国歌もタゴール作詞によるものです。



バングラディシュでは、気候的に2期作あるいは3期作が可能で、稲刈りの田の脇で緑の稲が延びている風景が見られました。



郊外では、電動自転車を利用した三輪車が多く見られました。



牛と一緒に荷台に乗る人々。乗車定員などといったものは無いようです。

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