平山湖大峡谷の見学後、張掖市内に戻って昼食をとり、午後になってから氷溝丹霞に向かいました。
幸い天気も回復してきました。
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氷溝丹霞の入り口に到着。観光客は少なく、広い駐車場は閑散としていました。
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ここもゲートからはシャトルバスの利用になります。
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岩山の中にわけ行っていきました。
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バスを降りると、氷溝丹霞と書かれた石碑が置かれていました。
日本で「丹霞(たんか)」といえば、夕焼け雲などの意味ですが、中国では赤い堆積岩が織り成す地形をさす地理用語として使われます。中国南部に見られる丹霞地形は、世界遺産にも選ばれていますが、張掖周辺で見られる平山湖大峡谷、氷溝丹霞、七彩丹霞は、一般に知られるようになったのが最近のためか、世界遺産には含まれていません。
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氷溝丹霞の地図ですが、観光用に公開されているのは一部のようで、遊歩道沿いに見られる奇岩には名前が付けられています。
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まずは、岩山の間に続く谷間に進みました。
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岩は赤味を帯びています。
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これはラクダ岩。
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想像すると、カタツムリのツノのように見えます。
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これは、三国志の「桃園の誓い」の場面とのこと。
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看板の絵によれば、このように見えるとのこと。中央が劉備で、右が関羽、左が張飛といったところでしょうか。
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赤い岩山が削られて様々な姿を見せていました。
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立派な木道が整備されていました。
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玄武門と呼ばれるようです。右が亀の部分で、左が蛇の部分です。
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岩山の上へと遊歩道が続きました。
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階段登りで尾根上に出ると、さらに小ピークへと遊歩道が続いていました。
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小ピークの上の展望台から登ってきた遊歩道を振り返ったところ。ここまで登るのには、結構体力が必要でした。
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周囲には、赤い岩山がかなたまで広がっていました。
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細い石柱が並んでいました。
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展望台からの下り。
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この岩は「望帰岩」と呼ばれ、妻と子供が夫が帰るのを待っている姿を現しているようです。
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この岩山は、次の展望地でより近くから眺めることになります。
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右手の岩が、七女峰と呼ばれるようです。
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陰陽柱。説明は必要ないですね。
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谷間に下りてシャトルバス乗り場に戻り、次の展望地へ移動しました。
幸い天気も回復してきました。

氷溝丹霞の入り口に到着。観光客は少なく、広い駐車場は閑散としていました。

ここもゲートからはシャトルバスの利用になります。

岩山の中にわけ行っていきました。

バスを降りると、氷溝丹霞と書かれた石碑が置かれていました。
日本で「丹霞(たんか)」といえば、夕焼け雲などの意味ですが、中国では赤い堆積岩が織り成す地形をさす地理用語として使われます。中国南部に見られる丹霞地形は、世界遺産にも選ばれていますが、張掖周辺で見られる平山湖大峡谷、氷溝丹霞、七彩丹霞は、一般に知られるようになったのが最近のためか、世界遺産には含まれていません。

氷溝丹霞の地図ですが、観光用に公開されているのは一部のようで、遊歩道沿いに見られる奇岩には名前が付けられています。

まずは、岩山の間に続く谷間に進みました。

岩は赤味を帯びています。


これはラクダ岩。

想像すると、カタツムリのツノのように見えます。

これは、三国志の「桃園の誓い」の場面とのこと。

看板の絵によれば、このように見えるとのこと。中央が劉備で、右が関羽、左が張飛といったところでしょうか。


赤い岩山が削られて様々な姿を見せていました。

立派な木道が整備されていました。


玄武門と呼ばれるようです。右が亀の部分で、左が蛇の部分です。


岩山の上へと遊歩道が続きました。

階段登りで尾根上に出ると、さらに小ピークへと遊歩道が続いていました。

小ピークの上の展望台から登ってきた遊歩道を振り返ったところ。ここまで登るのには、結構体力が必要でした。

周囲には、赤い岩山がかなたまで広がっていました。

細い石柱が並んでいました。

展望台からの下り。

この岩は「望帰岩」と呼ばれ、妻と子供が夫が帰るのを待っている姿を現しているようです。

この岩山は、次の展望地でより近くから眺めることになります。



右手の岩が、七女峰と呼ばれるようです。

陰陽柱。説明は必要ないですね。

谷間に下りてシャトルバス乗り場に戻り、次の展望地へ移動しました。