空港の駐車場から白き峰々が見えていました。レーから見える山としては、ストック・カンリ(6153m)が有名ですが、写真の右側に頭を出している山かもしれません。この山は、後日はっきりと眺めることができました。
6台の車に分乗して出発しました。1台の車には3人が乗ることになったため、いずれも窓際となって風景を楽しみながら移動することができました。
三角形の美しい姿をしています。名前があるのかどうか知りませんが、ストック・カンリと見間違いやすいので、偽ストック・カンリとよびましょうか。
空港の滑走路から離れようとすると、岩山の上に寺院が見えてきました。ここは訪問しませんでしたが、スピトク・ゴンパのようです。
アルチへは、インダス川沿いに下っていくことになります。
インダス川はインド亜大陸ではガンジス川と並ぶ大河です。長さは3180kmで、本流の93%はパキスタン、5%がインド、2%が中国領内を流れています。上流部のラダック付近では、日本でも見られるような川幅になっています。
インダス川の川岸を離れると、草も生えていない砂礫地が広がっていました。
インダス川から離れて丘に上がっていきました。
流れは濁っていますが、これは氷河によって削られた砂が混じっているためでしょう。
台地の上に出ると、砂漠状の原野が広がりました。樹林限界を越して、水が乏しいためでしょうか。
再びインダス川に向かって高度を下げていきました。
インダス川とザンスカール川の合流点で、写真ストップ。
上から合流してくるのがザンスカール川。インダス川と比べると、水の色が違っています。
インダス川の上流部の眺め。
橋が渡るとザンスカール川沿いの道路に出ます。
ザンスカル沿いの道は、工事中で途中までになっています。現在レーからザンスカールへは2日がかりでたどり着くことになりますが、この道路が開通すると一気にアクセスが短縮されることになります。未開通の区間は35kmで、2020年開通を目標にしているようです。
ザンスカールは、冬の間は外界をつなぐ峠道は積雪のために閉ざされ、その代わりに凍結したザンスカール川を道として使うことになります。これを「氷の回廊」、ザンスカールの人は「チャダル」と呼んでいます。一般的に、ラダック側からザンスカールの中心地までは1週間から10日程度かかり、途中には村や集落のない区間も多く、川べりの洞窟で寝泊まりしながら、この過酷な旅を行うことになります。
インダス川沿いに広がった平野部に向かって下っていきます。
道路脇には、仏塔が多く見られました。
ニモ村で小休憩。重要な休憩スポットのようで、茶屋が並んでいました。
プーリー。チャパティと違って焼くのではなく、小麦粉の練り物を油で揚げます。
チャイの他にプーリーを味見。プーリーに豆のカレーを付けて食べます。
通りを見ていると、派手なデコレーションのトラックが走っていました。
これは、乗り合いバス。
デコトラは、頻繁に通り過ぎていました。パキスタンの旅でもこのデコトラを数多く見ました。
藁を山積みにしたトラック。
村のはずれに置かれていた仏塔。
道路の先には、軍隊の基地が広がっており、写真撮影はひかえました。国境が近いことから、インダス川沿いに現れるまとまった平地には、軍隊の基地が度々見られました。
再び車が走り出すと、丘の上にバスゴー村の城跡とお寺が見えてきました。
ここは、4日目にアルチからレーに戻る途中で見学します。
再び台地に上がっていきました。
オフロードバイクの一団が砂煙を揚げて走り回っていました。
再びインダス川に向かって下降。
山の斜面に仏像とお堂が置かれていました。
インダス川に架かる橋が現れました。
レー周辺では、一般的に集落はインダス川の北側(右岸)に発達していますが、アルチ村へは、この橋を渡って南側の左岸に移ります。
ここまでは一般の観光バスでも問題の無い道幅でしたが、枝道に入ると急に道が細くなりました。
インダス川左岸からの眺め。
丘の上に進むと、インダス川対岸に緑の木々が広がるサスポル村が見えていました。ここにあるニダプク石窟は、4日目に見学することになります。
アルチ村に到着しました。ここまでの車窓からの眺めでも、今後の見学の期待が高まりまし
た。
ところで、車の中で気になったことは、カーステレオで呪文のように同じ曲がかけ続けられたことです。この後、他の車に乗っても同じ曲がかけられており、すっかり頭に刷り込まれました。
後で調べると「オンマニペメフン」と唱える六字大明呪を曲にしたものでした。この曲のCDは、レーのメイン・ザバールの本屋で買うことができました。ラダックの旅の気分を味わうことのできる土産になりました。この記録も「オンマニペメフン」を聞きながらまとめています。
6台の車に分乗して出発しました。1台の車には3人が乗ることになったため、いずれも窓際となって風景を楽しみながら移動することができました。
三角形の美しい姿をしています。名前があるのかどうか知りませんが、ストック・カンリと見間違いやすいので、偽ストック・カンリとよびましょうか。
空港の滑走路から離れようとすると、岩山の上に寺院が見えてきました。ここは訪問しませんでしたが、スピトク・ゴンパのようです。
アルチへは、インダス川沿いに下っていくことになります。
インダス川はインド亜大陸ではガンジス川と並ぶ大河です。長さは3180kmで、本流の93%はパキスタン、5%がインド、2%が中国領内を流れています。上流部のラダック付近では、日本でも見られるような川幅になっています。
インダス川の川岸を離れると、草も生えていない砂礫地が広がっていました。
インダス川から離れて丘に上がっていきました。
流れは濁っていますが、これは氷河によって削られた砂が混じっているためでしょう。
台地の上に出ると、砂漠状の原野が広がりました。樹林限界を越して、水が乏しいためでしょうか。
再びインダス川に向かって高度を下げていきました。
インダス川とザンスカール川の合流点で、写真ストップ。
上から合流してくるのがザンスカール川。インダス川と比べると、水の色が違っています。
インダス川の上流部の眺め。
橋が渡るとザンスカール川沿いの道路に出ます。
ザンスカル沿いの道は、工事中で途中までになっています。現在レーからザンスカールへは2日がかりでたどり着くことになりますが、この道路が開通すると一気にアクセスが短縮されることになります。未開通の区間は35kmで、2020年開通を目標にしているようです。
ザンスカールは、冬の間は外界をつなぐ峠道は積雪のために閉ざされ、その代わりに凍結したザンスカール川を道として使うことになります。これを「氷の回廊」、ザンスカールの人は「チャダル」と呼んでいます。一般的に、ラダック側からザンスカールの中心地までは1週間から10日程度かかり、途中には村や集落のない区間も多く、川べりの洞窟で寝泊まりしながら、この過酷な旅を行うことになります。
インダス川沿いに広がった平野部に向かって下っていきます。
道路脇には、仏塔が多く見られました。
ニモ村で小休憩。重要な休憩スポットのようで、茶屋が並んでいました。
プーリー。チャパティと違って焼くのではなく、小麦粉の練り物を油で揚げます。
チャイの他にプーリーを味見。プーリーに豆のカレーを付けて食べます。
通りを見ていると、派手なデコレーションのトラックが走っていました。
これは、乗り合いバス。
デコトラは、頻繁に通り過ぎていました。パキスタンの旅でもこのデコトラを数多く見ました。
藁を山積みにしたトラック。
村のはずれに置かれていた仏塔。
道路の先には、軍隊の基地が広がっており、写真撮影はひかえました。国境が近いことから、インダス川沿いに現れるまとまった平地には、軍隊の基地が度々見られました。
再び車が走り出すと、丘の上にバスゴー村の城跡とお寺が見えてきました。
ここは、4日目にアルチからレーに戻る途中で見学します。
再び台地に上がっていきました。
オフロードバイクの一団が砂煙を揚げて走り回っていました。
再びインダス川に向かって下降。
山の斜面に仏像とお堂が置かれていました。
インダス川に架かる橋が現れました。
レー周辺では、一般的に集落はインダス川の北側(右岸)に発達していますが、アルチ村へは、この橋を渡って南側の左岸に移ります。
ここまでは一般の観光バスでも問題の無い道幅でしたが、枝道に入ると急に道が細くなりました。
インダス川左岸からの眺め。
丘の上に進むと、インダス川対岸に緑の木々が広がるサスポル村が見えていました。ここにあるニダプク石窟は、4日目に見学することになります。
アルチ村に到着しました。ここまでの車窓からの眺めでも、今後の見学の期待が高まりまし
た。
ところで、車の中で気になったことは、カーステレオで呪文のように同じ曲がかけ続けられたことです。この後、他の車に乗っても同じ曲がかけられており、すっかり頭に刷り込まれました。
後で調べると「オンマニペメフン」と唱える六字大明呪を曲にしたものでした。この曲のCDは、レーのメイン・ザバールの本屋で買うことができました。ラダックの旅の気分を味わうことのできる土産になりました。この記録も「オンマニペメフン」を聞きながらまとめています。