マトマタの次の目的地として、エルジェムの円形闘技場に向かいました。
岩山地帯を下って北に向かいました。
海岸部に出ると高速道に乗ることができました。
地中海が見えてきましたが、この付近は海岸線が湾曲しておりガベス湾と呼ばれています。
オリーブの林が彼方まで広がっていました。
このチュニジア中部はサヘル(アラビア語で沿岸部と呼ばれ、農作物の産地であると輸送のための港が整備されて、重要地点として栄え、城塞都市が発達しました。
オリーブは、ローマ人が持ち込んだもので、現在、オリーブオイルはチュニジアの重要な輸出品になっています。日本ではあまり知られていませんが、チュニジアはスペインやイタリアと並ぶオリーブオイルの産地です。これまでは、バレルに入ったまま大量にイタリアやスペインに売られて、そこで他の製品と混ぜられて瓶詰めされていましたが、最近は、チュニジア内で製品化され、「チュニジア産」がブランド化されつつあります。
途中のサービスエリアで休憩。
売店のお菓子も充実していました。海外の高速のサービスエリアの売店では、現地の人気商品が並んでいるので、一見の価値があります。
エル・ジェムの街に到着。少し内陸部に位置します。
バスを降りると、巨大なコロセウム(円形闘技場)が家並みの向こうに姿を現しました。
エル・ジェムは古代都市シスドラスが栄えた所で、オリーブ交易地として、ローマ帝国の中で最も豊かな街の一つでした。このコロセウムは、2世紀にローマ帝国のゴルディアン皇帝のもとに建設が始まりました。資金不足のために完成までいきませんでしたが、チュニジアにある25ほどあるコロセウムのうちで最も保存状態が良く、イタリアに残されているものと匹敵するとされています。
外壁は見上げる高さです。
入場しました。
サイズは縦149m、横124m、高さは36m、アリーナの直径は65mの巨大なものです。
7世紀末に東からチュニジアに攻め込んできたイスラム・アラブ軍と先住ベルベル人の最後の決戦はエル・ジェムで行われ、ベルベル人を率いていた女王カヒナは、追い詰められてコロッセウムに籠り、最後はこの中で炎に身を投じて命を絶ちました。
地下室が設けられており、地面に開いている穴は明かり採りです。
このコロセウムは、現在でも数万人を収容でき、毎年夏にはフェスティバルが行われています。
地下室を見学しました。
猛獣を閉じ込めたと思われる小部屋もありました。
映画「スパルタカス」あるいは「グラディエーター」でコロセウムで行われた闘技会の様子を知ることができますが、剣闘士試合の余興や前座として猛獣との戦いが行われました。剣闘士が出場した際は武装しているため命を落とすものも多くはありませんでしたが、重罪人の場合は公開処刑に他なりませんでした。
トンネルには、陰惨な気分のするところもありました。
人力エレベーターの跡で、競技場で待ち構える剣闘士のもとに猛獣を挙げるのに使われました。
地下室の見学を終えて、コロセウムの上階に向かいました。
階段は一直線ではなく、各階の回廊で少しずれた状態で続いていました。
最上部まで上がるのには息が切れました。
最上部まで上がって、ようやくコロセウムの全体像を眺めることができました。
壁が崩れてアーチ状に残っているのも、美しい装飾に見えます。
少し位置を変えての眺め。
中段の見学席に出ました。
近い距離で見学でき、おそらく貴賓席だったのでしょう。
良く戦ったものの負けた剣闘士に対し、親指を上に立てて生を。みっともない戦いをした敗者には親指を下に向けて、死を命じた皇帝の姿が目に浮かんできます。
一旦地上部に下りてから反対側の客席に上がりました。こちらは、フェスティバル会場に使われていることもあり、ベンチ部は完全に修復されていました。
このコロセウムで開催されるエルジェム国際フェスティバルは、クラシック音楽の演奏会のようです。2017年にはウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏も行われたようですが、野外オペラの公演までとはいかないようです。
最後にもうひと眺め。
入場時とは別な方向に向かいました。土産物屋も並んでいました。団体客が我々しかいないので、商売は厳しいでしょうね。
土産用のモザイクが並んでいました。この店ではありませんが、小さなものを買いました。
別な方向からのコロセウムの眺め。石材が転がっているのは、未修復部のパーツでしょうか。
外壁が一部崩れているのも、内部をのぞくのに都合が良くなっています。
コロセウムの見学を終えて、歴史のある古都であるとともにビーチリゾートとして人気の高いスースに向かいました。
岩山地帯を下って北に向かいました。
海岸部に出ると高速道に乗ることができました。
地中海が見えてきましたが、この付近は海岸線が湾曲しておりガベス湾と呼ばれています。
オリーブの林が彼方まで広がっていました。
このチュニジア中部はサヘル(アラビア語で沿岸部と呼ばれ、農作物の産地であると輸送のための港が整備されて、重要地点として栄え、城塞都市が発達しました。
オリーブは、ローマ人が持ち込んだもので、現在、オリーブオイルはチュニジアの重要な輸出品になっています。日本ではあまり知られていませんが、チュニジアはスペインやイタリアと並ぶオリーブオイルの産地です。これまでは、バレルに入ったまま大量にイタリアやスペインに売られて、そこで他の製品と混ぜられて瓶詰めされていましたが、最近は、チュニジア内で製品化され、「チュニジア産」がブランド化されつつあります。
途中のサービスエリアで休憩。
売店のお菓子も充実していました。海外の高速のサービスエリアの売店では、現地の人気商品が並んでいるので、一見の価値があります。
エル・ジェムの街に到着。少し内陸部に位置します。
バスを降りると、巨大なコロセウム(円形闘技場)が家並みの向こうに姿を現しました。
エル・ジェムは古代都市シスドラスが栄えた所で、オリーブ交易地として、ローマ帝国の中で最も豊かな街の一つでした。このコロセウムは、2世紀にローマ帝国のゴルディアン皇帝のもとに建設が始まりました。資金不足のために完成までいきませんでしたが、チュニジアにある25ほどあるコロセウムのうちで最も保存状態が良く、イタリアに残されているものと匹敵するとされています。
外壁は見上げる高さです。
入場しました。
サイズは縦149m、横124m、高さは36m、アリーナの直径は65mの巨大なものです。
7世紀末に東からチュニジアに攻め込んできたイスラム・アラブ軍と先住ベルベル人の最後の決戦はエル・ジェムで行われ、ベルベル人を率いていた女王カヒナは、追い詰められてコロッセウムに籠り、最後はこの中で炎に身を投じて命を絶ちました。
地下室が設けられており、地面に開いている穴は明かり採りです。
このコロセウムは、現在でも数万人を収容でき、毎年夏にはフェスティバルが行われています。
地下室を見学しました。
猛獣を閉じ込めたと思われる小部屋もありました。
映画「スパルタカス」あるいは「グラディエーター」でコロセウムで行われた闘技会の様子を知ることができますが、剣闘士試合の余興や前座として猛獣との戦いが行われました。剣闘士が出場した際は武装しているため命を落とすものも多くはありませんでしたが、重罪人の場合は公開処刑に他なりませんでした。
トンネルには、陰惨な気分のするところもありました。
人力エレベーターの跡で、競技場で待ち構える剣闘士のもとに猛獣を挙げるのに使われました。
地下室の見学を終えて、コロセウムの上階に向かいました。
階段は一直線ではなく、各階の回廊で少しずれた状態で続いていました。
最上部まで上がるのには息が切れました。
最上部まで上がって、ようやくコロセウムの全体像を眺めることができました。
壁が崩れてアーチ状に残っているのも、美しい装飾に見えます。
少し位置を変えての眺め。
中段の見学席に出ました。
近い距離で見学でき、おそらく貴賓席だったのでしょう。
良く戦ったものの負けた剣闘士に対し、親指を上に立てて生を。みっともない戦いをした敗者には親指を下に向けて、死を命じた皇帝の姿が目に浮かんできます。
一旦地上部に下りてから反対側の客席に上がりました。こちらは、フェスティバル会場に使われていることもあり、ベンチ部は完全に修復されていました。
このコロセウムで開催されるエルジェム国際フェスティバルは、クラシック音楽の演奏会のようです。2017年にはウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏も行われたようですが、野外オペラの公演までとはいかないようです。
最後にもうひと眺め。
入場時とは別な方向に向かいました。土産物屋も並んでいました。団体客が我々しかいないので、商売は厳しいでしょうね。
土産用のモザイクが並んでいました。この店ではありませんが、小さなものを買いました。
別な方向からのコロセウムの眺め。石材が転がっているのは、未修復部のパーツでしょうか。
外壁が一部崩れているのも、内部をのぞくのに都合が良くなっています。
コロセウムの見学を終えて、歴史のある古都であるとともにビーチリゾートとして人気の高いスースに向かいました。