昼食を終えて、チチカステナンゴの街の見学を開始しました。
1521年にアステカを征服したエルナン・コルテスは、グアテマラ南部のマヤを征服する為に部下のペドロ・デ・ アルバラドを派遣しました。当時、グアテマラ南部では、キチェ族とカクチケル族が勢力を持っていましたが、アルバラドはカクチケル族の援助も受けて、1524年にキチェ王国の首都ウタトゥランを攻略し、キチェ族を制圧しました。ウタトゥランの街は完全に破壊され、キチェ族はウタトゥランの南10kmほどのチチカステナンゴに矯正移住され、この街はマヤ人教化の為の布教の中心となりました。
木曜と日曜日には、チチカステナンゴの中心部で露天市場が開かれ、周辺部から地元泯や観光客が集まり、市内は大変な賑わいを 見せます。
露店の他に、商品を持った女性が、観光客に売りつけようと通りで待機しています。
商品は、赤の色彩が目立っています。
キチェ族は、綿や毛織物の技術に優れているようで、布製品が目立ちます。
バック類も売っていました。
市場を見学しました。
整然と商品が並べられていました。
チチカステナンゴで見かけるキチェ族の女性は、民族衣装を着ています。
一階に下りて見学を続けました。
バナナが見えていますが、グアテマラでは、揚げたりする調理用のものをプラタノ(platano)、フルーツとしてそのまま食べられるバナナ(banano)と区別しています。ただ、同じスペインゴを使っているといっても、スペインでは両方ともフルーツをさして、生産地の差を現しているようです。
写真に写っているものがどちらかは判りません。
メロンでしょうか。
トマトも、スペイン人の新大陸征服と関係します。トマトの原産地はアンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)ですが、16世紀以前、メキシコのアステカ族がアンデス山脈からもたらされた種からトマトを栽培し始めていました。1519年にメキシコへ上陸したエルナン・コルテスが、その種を持ち帰ったことによってヨーロッパに伝わりました。
この他にも南米原産の農作物は沢山あります。サツマイモ、ジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、トウガラシ、ピーマン、インゲンマメ、ヒマワリ、ピーナツ、パイナップル、カカオ、アボカド、食べられませんが煙草。ヨーロッパ人の新大陸発見という言葉は嫌いですが、新食材の発見であったことは確かです。
トウガラシ。
乾物類。
トルティーヤ。
謎の黒い玉。
生地や糸などの手芸品の店。
刺繍に使うのか、豊富な色の糸が売られていました。
寺院に奉納するための蝋燭の店。
色とりどりの蝋燭が売られていました。
お香のようです。
市場を出ると、セント・トマス教会が現れました。セント・トマス教会は、1540年にスペイン人によってキチェ族の神殿を壊してその跡に建てられました。
入口では、祈祷師がお香を焚いていました。キリスト教会になっていますが、現在でもマヤの人々は土着信仰を捨てずにお参りしています。
この階段も、キチェ族の神殿の基壇を利用したもののようです。
入場しましたが、内部は撮影禁止でした。カトリックの教会としては簡素な内装で、床にマヤ族の礼拝のためにお香を焚くための長方形のお焚台が設けられていました。
セント・トマス教会が特に有名なのは、ここでマヤ神話を記したポポル・ヴフが発見されたことです。
スペイン人はマヤの偶像破壊と焚書を行ったため、マヤ文書は僅か数点しか現在は残されていません。一方、スペイン人はキリスト教の教化のためにスペイン語の指導を行いました。アルファベットを覚えたキチェ族は、自らの歴史や信仰をアルファベットで書き残しました。これがポポル・ブフの中身になる「チチカステナンゴ写本」の原本でした。
18世紀初頭、マヤ語に精通したサント・ドミンゴ派の修道士フランシスコ・ヒメネスは、チチカステナンゴの セント・トマスの僧院で 「チチカステナンゴ写本」の原本を初めて目にし、全文を書き写しました。この発見は 1701年から1704年の間と考えられていますが、原本はその後行方不明になって、ヒメネス神父によるキチェ語とスペイン語翻訳の「ポポル・ブフ」が後に伝わることになりました。
ヒメネス神父の死後 遺稿はチチカステナンゴの修道院に残されますがそのまま埋もれてしまい、再発見されて出版されるのは1857年になってのことになりました。1861年のブラッスール司祭によるフランス語翻訳、ついでドイツ語など各国語の翻訳が行われるようになりました。
「ポポル・ブフ」の内容ですが、ブラッスール版では、以下の四部構成にまとめられました。
第一部 創世神話、人間の創造の始め、神の冒険譚
第二部 神々の冒険譚の続き
第三部 人の創造、創世期のキチェー族の歴史
第四部 キチェー族の歴史の続き、王朝譜
日本語の翻訳も出ているので読んでみましたが、物語としてはまとまりが無いというかめちゃめちゃで、「フンアフプとイシュバランケの2人の双子の兄弟の誕生と、ブクブ・カキッシュとその子供たちを退治する話」が内容の一部であるいうのがやっとです。
マヤ神話の絵文章を、記憶によって文章にしたためにまとまりが無くなってしまったようです。
この双子の兄弟の冒険談は、マヤの出土品の模様として描かれているものが多く見られるようです。話の面白さは別にして、ポポル・ブフ」はマヤ文化を知る上で欠かせない書物になっています。
1521年にアステカを征服したエルナン・コルテスは、グアテマラ南部のマヤを征服する為に部下のペドロ・デ・ アルバラドを派遣しました。当時、グアテマラ南部では、キチェ族とカクチケル族が勢力を持っていましたが、アルバラドはカクチケル族の援助も受けて、1524年にキチェ王国の首都ウタトゥランを攻略し、キチェ族を制圧しました。ウタトゥランの街は完全に破壊され、キチェ族はウタトゥランの南10kmほどのチチカステナンゴに矯正移住され、この街はマヤ人教化の為の布教の中心となりました。
木曜と日曜日には、チチカステナンゴの中心部で露天市場が開かれ、周辺部から地元泯や観光客が集まり、市内は大変な賑わいを 見せます。
露店の他に、商品を持った女性が、観光客に売りつけようと通りで待機しています。
商品は、赤の色彩が目立っています。
キチェ族は、綿や毛織物の技術に優れているようで、布製品が目立ちます。
バック類も売っていました。
市場を見学しました。
整然と商品が並べられていました。
チチカステナンゴで見かけるキチェ族の女性は、民族衣装を着ています。
一階に下りて見学を続けました。
バナナが見えていますが、グアテマラでは、揚げたりする調理用のものをプラタノ(platano)、フルーツとしてそのまま食べられるバナナ(banano)と区別しています。ただ、同じスペインゴを使っているといっても、スペインでは両方ともフルーツをさして、生産地の差を現しているようです。
写真に写っているものがどちらかは判りません。
メロンでしょうか。
トマトも、スペイン人の新大陸征服と関係します。トマトの原産地はアンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)ですが、16世紀以前、メキシコのアステカ族がアンデス山脈からもたらされた種からトマトを栽培し始めていました。1519年にメキシコへ上陸したエルナン・コルテスが、その種を持ち帰ったことによってヨーロッパに伝わりました。
この他にも南米原産の農作物は沢山あります。サツマイモ、ジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、トウガラシ、ピーマン、インゲンマメ、ヒマワリ、ピーナツ、パイナップル、カカオ、アボカド、食べられませんが煙草。ヨーロッパ人の新大陸発見という言葉は嫌いですが、新食材の発見であったことは確かです。
トウガラシ。
乾物類。
トルティーヤ。
謎の黒い玉。
生地や糸などの手芸品の店。
刺繍に使うのか、豊富な色の糸が売られていました。
寺院に奉納するための蝋燭の店。
色とりどりの蝋燭が売られていました。
お香のようです。
市場を出ると、セント・トマス教会が現れました。セント・トマス教会は、1540年にスペイン人によってキチェ族の神殿を壊してその跡に建てられました。
入口では、祈祷師がお香を焚いていました。キリスト教会になっていますが、現在でもマヤの人々は土着信仰を捨てずにお参りしています。
この階段も、キチェ族の神殿の基壇を利用したもののようです。
入場しましたが、内部は撮影禁止でした。カトリックの教会としては簡素な内装で、床にマヤ族の礼拝のためにお香を焚くための長方形のお焚台が設けられていました。
セント・トマス教会が特に有名なのは、ここでマヤ神話を記したポポル・ヴフが発見されたことです。
スペイン人はマヤの偶像破壊と焚書を行ったため、マヤ文書は僅か数点しか現在は残されていません。一方、スペイン人はキリスト教の教化のためにスペイン語の指導を行いました。アルファベットを覚えたキチェ族は、自らの歴史や信仰をアルファベットで書き残しました。これがポポル・ブフの中身になる「チチカステナンゴ写本」の原本でした。
18世紀初頭、マヤ語に精通したサント・ドミンゴ派の修道士フランシスコ・ヒメネスは、チチカステナンゴの セント・トマスの僧院で 「チチカステナンゴ写本」の原本を初めて目にし、全文を書き写しました。この発見は 1701年から1704年の間と考えられていますが、原本はその後行方不明になって、ヒメネス神父によるキチェ語とスペイン語翻訳の「ポポル・ブフ」が後に伝わることになりました。
ヒメネス神父の死後 遺稿はチチカステナンゴの修道院に残されますがそのまま埋もれてしまい、再発見されて出版されるのは1857年になってのことになりました。1861年のブラッスール司祭によるフランス語翻訳、ついでドイツ語など各国語の翻訳が行われるようになりました。
「ポポル・ブフ」の内容ですが、ブラッスール版では、以下の四部構成にまとめられました。
第一部 創世神話、人間の創造の始め、神の冒険譚
第二部 神々の冒険譚の続き
第三部 人の創造、創世期のキチェー族の歴史
第四部 キチェー族の歴史の続き、王朝譜
日本語の翻訳も出ているので読んでみましたが、物語としてはまとまりが無いというかめちゃめちゃで、「フンアフプとイシュバランケの2人の双子の兄弟の誕生と、ブクブ・カキッシュとその子供たちを退治する話」が内容の一部であるいうのがやっとです。
マヤ神話の絵文章を、記憶によって文章にしたためにまとまりが無くなってしまったようです。
この双子の兄弟の冒険談は、マヤの出土品の模様として描かれているものが多く見られるようです。話の面白さは別にして、ポポル・ブフ」はマヤ文化を知る上で欠かせない書物になっています。