メルセー教会の見学を終えて、アルコ通り(アベニーダ5ノルテ)に進みました。
時計台は、アンティグアの街のシンボルになっています。背後のアグア火山と一体になって美しい姿を見せています。
時計台は、昔、通りの両脇に修道女の建物があって、人に姿を見られずに行き来するための橋が起源であったといいます。
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石畳のアルコ通り(アベニーダ5ノルテ)は、歩行者専用通りになっており、両脇にはレストランや土産物屋が並んで観光客で賑わっていました。
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通りにあるレストランで昼食をとりました。
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レストランには美しい中庭がありました。一通りの見学後に自由時間になりましたが、再集合場所は、この中庭となりました。トイレも使えてベンチもあり、待合場所にはうってつけのところでした。
海外旅行では、トイレ・チップのために現地通貨の小銭が必要になるのですが、今回のグアテマラ・ホンジュラス旅行では、遺跡、レストラン、ガソリンスタンドのトイレを使うことができて、トイレ・チップは必要ありませんでした。飲み物や土産物は、ドルで払ったため、現地通貨は交換せずに終わりました。
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レストランでは、マリンバの演奏が行われました。
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音楽とともに、踊りも行われました。
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素朴な踊りです。
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踊り手は帽子を持っていたので、最後にチップを集めに回るのかと思ったら、そのまま退場してしまいました。メキシコと違って、グアテマラは観光ずれしていないようです。
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昼食後、アルコ通り(アベニーダ5ノルテ)をさらに進みました。
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カテドラルの午後の開館を待つ間、チョコレート博物館に入りました。
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カカオの実。
カカオは、中央アメリカから南アメリカの熱帯地域を原産地とします。
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マヤ神話の最高神ククルカン。それまで神々だけの食べ物であった、カカオとトウモロコシを人類に与えたとされています。アステカ文明では、ケツァルコアトルが同じ役割を果たします。
当時は、カカオ豆は乾燥させたものを炒り、殻をとり除いたのち、カカオの粉を少しずつ水で溶かし、とうもろこしの粉やトウガラシ、アチョテ(食紅)を加えて泡立てて飲んでいました。16世紀にアステカ人のもとを訪れたスペイン人には、口に合わなかったようです。
カカオに初めて出会ったヨーロッパ人はコロンブスでしたが、彼はカカオの価値を見出せず持ち帰りませんでした。その後の16世紀、メキシコに遠征してアステカを征服したスペインの将軍コルテスは、カカオの薬としての効用や金銭的価値に気づき、1528年にスペイン国王カルロス1世に献上し、その後の修道院の紹介もあって、カカオのヨーロッパへの輸出が始まりました。当時のカカオは、大変高価で薬として飲まれました。カカオの苦みを打ち消すため、砂糖やバニラなどが加えられるようになり、「ショコラトル」と呼ばれる飲物に発展しました。この飲物は、スペインン王室からヨーロッパの王侯貴族に広まりました。
現在の固形のチョコレートが出現するまでの開発史には、オランダのクーンラート・ヨハネス・ファン・ハウテン(バンホーテンの創業者)やスイスのアンリ・ネスレ(ネスレ創業者)といった、現在の大企業の創始者の名前が挙げられます。
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カカオの実からカカオ豆への精製過程。
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カカオ博物館といっても、展示品は少なく、カフェと売店が主になっていました。土産にカカオパウダーを買いました。
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アルコ通りを歩いて、中央公園に出ました。メキシコでソカロと呼ばれる広場と同じ構造を持っています。
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中央には噴水が置かれ、憩いの場所になっています。
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ここの噴水では、女性像の乳から水が出るようになっています。残念ながらこの日は水が停まっていました。
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広場の周囲には重要な建物が並んでおり、これはカテドラル。
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市庁舎。この中にはサンティアゴ博物館や古書博物館があります。
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総督府。
時計台は、アンティグアの街のシンボルになっています。背後のアグア火山と一体になって美しい姿を見せています。
時計台は、昔、通りの両脇に修道女の建物があって、人に姿を見られずに行き来するための橋が起源であったといいます。

石畳のアルコ通り(アベニーダ5ノルテ)は、歩行者専用通りになっており、両脇にはレストランや土産物屋が並んで観光客で賑わっていました。

通りにあるレストランで昼食をとりました。

レストランには美しい中庭がありました。一通りの見学後に自由時間になりましたが、再集合場所は、この中庭となりました。トイレも使えてベンチもあり、待合場所にはうってつけのところでした。
海外旅行では、トイレ・チップのために現地通貨の小銭が必要になるのですが、今回のグアテマラ・ホンジュラス旅行では、遺跡、レストラン、ガソリンスタンドのトイレを使うことができて、トイレ・チップは必要ありませんでした。飲み物や土産物は、ドルで払ったため、現地通貨は交換せずに終わりました。

レストランでは、マリンバの演奏が行われました。

音楽とともに、踊りも行われました。

素朴な踊りです。



踊り手は帽子を持っていたので、最後にチップを集めに回るのかと思ったら、そのまま退場してしまいました。メキシコと違って、グアテマラは観光ずれしていないようです。

昼食後、アルコ通り(アベニーダ5ノルテ)をさらに進みました。

カテドラルの午後の開館を待つ間、チョコレート博物館に入りました。

カカオの実。
カカオは、中央アメリカから南アメリカの熱帯地域を原産地とします。

マヤ神話の最高神ククルカン。それまで神々だけの食べ物であった、カカオとトウモロコシを人類に与えたとされています。アステカ文明では、ケツァルコアトルが同じ役割を果たします。
当時は、カカオ豆は乾燥させたものを炒り、殻をとり除いたのち、カカオの粉を少しずつ水で溶かし、とうもろこしの粉やトウガラシ、アチョテ(食紅)を加えて泡立てて飲んでいました。16世紀にアステカ人のもとを訪れたスペイン人には、口に合わなかったようです。
カカオに初めて出会ったヨーロッパ人はコロンブスでしたが、彼はカカオの価値を見出せず持ち帰りませんでした。その後の16世紀、メキシコに遠征してアステカを征服したスペインの将軍コルテスは、カカオの薬としての効用や金銭的価値に気づき、1528年にスペイン国王カルロス1世に献上し、その後の修道院の紹介もあって、カカオのヨーロッパへの輸出が始まりました。当時のカカオは、大変高価で薬として飲まれました。カカオの苦みを打ち消すため、砂糖やバニラなどが加えられるようになり、「ショコラトル」と呼ばれる飲物に発展しました。この飲物は、スペインン王室からヨーロッパの王侯貴族に広まりました。
現在の固形のチョコレートが出現するまでの開発史には、オランダのクーンラート・ヨハネス・ファン・ハウテン(バンホーテンの創業者)やスイスのアンリ・ネスレ(ネスレ創業者)といった、現在の大企業の創始者の名前が挙げられます。

カカオの実からカカオ豆への精製過程。

カカオ博物館といっても、展示品は少なく、カフェと売店が主になっていました。土産にカカオパウダーを買いました。

アルコ通りを歩いて、中央公園に出ました。メキシコでソカロと呼ばれる広場と同じ構造を持っています。

中央には噴水が置かれ、憩いの場所になっています。

ここの噴水では、女性像の乳から水が出るようになっています。残念ながらこの日は水が停まっていました。

広場の周囲には重要な建物が並んでおり、これはカテドラル。

市庁舎。この中にはサンティアゴ博物館や古書博物館があります。

総督府。