イシス神殿のある島へは船で渡りますが、その桟橋ではヌビア人が土産物を並べていました。
土産物は戻ってきてから見ることにして、船に向かいました。
船の乗り場からは、アスワンダムの堰堤を眺めることができました。
湖畔にはヌビア人の住居が並んでいました。
こちらはホテル。
ヌビア人の船員が、手作りのアクセサリーを床に並べて商売を始めました。あまり売れなかったですが。
イシス神殿のあるアギルキア島(フィラエ島)が近づいてきました。
立派な塔門が見えて期待が高まります。
イシス神殿のあったフィエラ島は、イシス神がホルス神を生んだ聖なる島とされて、プトレマイオス朝時代からローマ支配時代にかけて様々な神殿が建てられました。アスワン・ダムの建設により、半水没状態になってしまいましたが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機に、ユネスコにより1980年、フィラエ島から隣のアギルキア島に移築、保存されることとなりました。現在はアギルキア島がフィラエ島と呼ばれています。
アスワン・ハイ・ダムの建設による水没の危機から救われたアブ・シンベル神殿のことは良く知られていますが、このイシス神殿も「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として同じ項目に含まれています。
10分ほどの乗船で、島の船着場に到着。
桟橋から階段を上がるとイシス神殿が見えてきました。
巨大な第一塔門に目が引き付けられます。
プトレマイオス1世がいけにえ達の髪をつかんで捧げる姿が大きく描かれています。
ホルス神とイシス女神が描かれています。
第一塔門前の広場の左右には、大列柱廊が設けられています。
柱や壁には、くまなくレリーフが施されています。
描かれている神々の名前は判らないものも多いのですが、右はライオン頭のセクメト神だと思います。
オシリス神とイシス神でしょう。
オシリス神、イシス神、ホルスト神。オシリス神とイシス神は夫婦で、ホルスト神は、その息子です。
第一塔門の入口の両脇には、狛犬のような石像が置かれています。
頭が壊されているのは残念ですが、ライオン像のようです。
土産物は戻ってきてから見ることにして、船に向かいました。
船の乗り場からは、アスワンダムの堰堤を眺めることができました。
湖畔にはヌビア人の住居が並んでいました。
こちらはホテル。
ヌビア人の船員が、手作りのアクセサリーを床に並べて商売を始めました。あまり売れなかったですが。
イシス神殿のあるアギルキア島(フィラエ島)が近づいてきました。
立派な塔門が見えて期待が高まります。
イシス神殿のあったフィエラ島は、イシス神がホルス神を生んだ聖なる島とされて、プトレマイオス朝時代からローマ支配時代にかけて様々な神殿が建てられました。アスワン・ダムの建設により、半水没状態になってしまいましたが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機に、ユネスコにより1980年、フィラエ島から隣のアギルキア島に移築、保存されることとなりました。現在はアギルキア島がフィラエ島と呼ばれています。
アスワン・ハイ・ダムの建設による水没の危機から救われたアブ・シンベル神殿のことは良く知られていますが、このイシス神殿も「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として同じ項目に含まれています。
10分ほどの乗船で、島の船着場に到着。
桟橋から階段を上がるとイシス神殿が見えてきました。
巨大な第一塔門に目が引き付けられます。
プトレマイオス1世がいけにえ達の髪をつかんで捧げる姿が大きく描かれています。
ホルス神とイシス女神が描かれています。
第一塔門前の広場の左右には、大列柱廊が設けられています。
柱や壁には、くまなくレリーフが施されています。
描かれている神々の名前は判らないものも多いのですが、右はライオン頭のセクメト神だと思います。
オシリス神とイシス神でしょう。
オシリス神、イシス神、ホルスト神。オシリス神とイシス神は夫婦で、ホルスト神は、その息子です。
第一塔門の入口の両脇には、狛犬のような石像が置かれています。
頭が壊されているのは残念ですが、ライオン像のようです。