エドフの町はグレコローマン時代には、上エジプトの州都として栄え、アポリノポリス・マグナと呼ばれていました。クルーズ船がエドフに停船するのは、町外れにあるホルス神殿を観光するためです。
馬車に乗ってホルス神殿に向かいます。
町中を抜けていきます。
ホルス神殿には、馬車置き場が設けられています。おびただしい馬車がいるので、帰りに乗るため、馬車の番号を覚えておく必要があります。
土産物屋を抜けて入場すると、巨大な塔門が見えてきます。
塔門の手前には、プトレマイオス7世によって建てられたホルス神の誕生殿があります。帰りにのぞくことにしました。
幅137m、高さ36mの巨大な塔門に圧倒されます。
ホルス神殿は、BC237年にプトレマイオス3世によって建てられはじめ、約180年後のプトレマイオス12世の時代に完成しました。1860年頃からエジプト考古学者マリエットによって調査、清掃が進められて、全容が明らかになりました。
塔門には、王が神々の前で敵を打ち据えているレリーフが刻まれています。
右側にも同じ像が飾られています。
塔門の上部にも様々な神が描かれています。
門の上には、太陽とコブラのマークが見られます。
塔門の前には、ハヤブサの姿をしたホルス神の像が置かれています。これは左側の像。
こちらは右側の像。
塔門をくぐると中庭に出ます。
中庭の脇には列柱廊が設けられています。
中庭の壁のレリーフ。ハヤブサの頭を持つホルス神とトキの頭を持つトト神から祝福を受ける王を現しているようです。
ホルス神の聖船。
中庭の奥は第一列柱室になりますが、中庭に面した壁にもレリーフが施されています。
また、第一列柱室への入口脇にはホルス神像が置かれています。この像は保存状態も良く記念写真の順番待ちになっていました。
第一列柱室の内部。巨大な柱が並んでいます。
柱頭には細かい彫刻が施されていますが、それぞれ違ったデザインいなっています。
入口の上の壁画では、色が残っていました。
第二列柱室へと進んでいきますが、天井が黒くすすけているのは、キリスト教徒が台所として火を起こしていたため、あるいはエジプトを支配するために来たキリスト教信奉者による、異教とされた宗教的彫像の破壊を意図した放火によるものと考えられているようです。
至誠堂には、エジプト神話に登場するホルスとセトの戦いにまつわるレリーフで飾られています。
ホルスの聖船。
顔が削られていますが、これはキリスト教徒の仕業です。
至誠堂には、ホルス神の聖船が展示してありますが、これはレバノン杉を使って、エジプト考古学者マリエットが復元したものです。
至誠堂をとりまく回廊にもびっしりとレリーフが描かれています。
最後に塔門の手前にあるプトレマイオス7世によって建てられたホルス神の誕生殿を見学しました。
誕生殿の内部はがらんどうで、脇の列柱が並んだ壁の方が見どころでした。
列柱の奥のレリーフはまだ色が残されていました。
左には、母イシス神の父を飲む赤子のホルス神が描かれています。イシス神の顔が損なわれているのは残念です。
かなりしつこい客引きの中を、待ち合わせ駐車場に向かいました。
乗ってきた馬車が呼んでも現れず、別の馬車に乗って船に戻りました。神殿を見学している間に、もうひと働きと考えて消えてしまったようです。料金とチップをどのように支払ったのかは、添乗員まかせだったので判らずに終わりました。
馬車に乗ってホルス神殿に向かいます。
町中を抜けていきます。
ホルス神殿には、馬車置き場が設けられています。おびただしい馬車がいるので、帰りに乗るため、馬車の番号を覚えておく必要があります。
土産物屋を抜けて入場すると、巨大な塔門が見えてきます。
塔門の手前には、プトレマイオス7世によって建てられたホルス神の誕生殿があります。帰りにのぞくことにしました。
幅137m、高さ36mの巨大な塔門に圧倒されます。
ホルス神殿は、BC237年にプトレマイオス3世によって建てられはじめ、約180年後のプトレマイオス12世の時代に完成しました。1860年頃からエジプト考古学者マリエットによって調査、清掃が進められて、全容が明らかになりました。
塔門には、王が神々の前で敵を打ち据えているレリーフが刻まれています。
右側にも同じ像が飾られています。
塔門の上部にも様々な神が描かれています。
門の上には、太陽とコブラのマークが見られます。
塔門の前には、ハヤブサの姿をしたホルス神の像が置かれています。これは左側の像。
こちらは右側の像。
塔門をくぐると中庭に出ます。
中庭の脇には列柱廊が設けられています。
中庭の壁のレリーフ。ハヤブサの頭を持つホルス神とトキの頭を持つトト神から祝福を受ける王を現しているようです。
ホルス神の聖船。
中庭の奥は第一列柱室になりますが、中庭に面した壁にもレリーフが施されています。
また、第一列柱室への入口脇にはホルス神像が置かれています。この像は保存状態も良く記念写真の順番待ちになっていました。
第一列柱室の内部。巨大な柱が並んでいます。
柱頭には細かい彫刻が施されていますが、それぞれ違ったデザインいなっています。
入口の上の壁画では、色が残っていました。
第二列柱室へと進んでいきますが、天井が黒くすすけているのは、キリスト教徒が台所として火を起こしていたため、あるいはエジプトを支配するために来たキリスト教信奉者による、異教とされた宗教的彫像の破壊を意図した放火によるものと考えられているようです。
至誠堂には、エジプト神話に登場するホルスとセトの戦いにまつわるレリーフで飾られています。
ホルスの聖船。
顔が削られていますが、これはキリスト教徒の仕業です。
至誠堂には、ホルス神の聖船が展示してありますが、これはレバノン杉を使って、エジプト考古学者マリエットが復元したものです。
至誠堂をとりまく回廊にもびっしりとレリーフが描かれています。
最後に塔門の手前にあるプトレマイオス7世によって建てられたホルス神の誕生殿を見学しました。
誕生殿の内部はがらんどうで、脇の列柱が並んだ壁の方が見どころでした。
列柱の奥のレリーフはまだ色が残されていました。
左には、母イシス神の父を飲む赤子のホルス神が描かれています。イシス神の顔が損なわれているのは残念です。
かなりしつこい客引きの中を、待ち合わせ駐車場に向かいました。
乗ってきた馬車が呼んでも現れず、別の馬車に乗って船に戻りました。神殿を見学している間に、もうひと働きと考えて消えてしまったようです。料金とチップをどのように支払ったのかは、添乗員まかせだったので判らずに終わりました。