2日目はメキシコシ・ティの東に位置するウエホツィンゴのフランシスコ修道院とプエブラの観光を行いました。
メキシコ・シティの標高は2250mで、これは富士山五合目に相当するので、結構な高地ということになります。
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メキシコシティは、湖を埋め立てた跡に造られたため、現在では盆地の底に広がっています。そのため、メキシコシティからプエブラまでは峠越えになりますが、その標高は富士山の山頂とほぼ同じな標高3800mもあります。
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峠超えを行っていると、雪をまとった山が見えてきました。
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峠超えを行って平地に出たところで、ガソリンスタンドでトイレ休憩を行いました。
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ガソリンスタンド脇の空き地からは、山の眺めが広がっていました。
左が5426mのポポカテペトル山で、右は5286mのイスタクシワトル山。
このガソリンスタンドは、峠越えをしてからそれほど走っていないので、標高はおそらく3000m程度あるようで、吹き抜ける風は冷たく感じました。メキシコシティ発でプエブラ見学を行う際には、寒さ対策の厚着をする必要があります。
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ポポカテペトル山(5426m)は、活火山で噴煙が上がっています。山名は、ナワトル語で「煙を出す山」「煙を吐く山」といった意味です。
なお、超常現象専門誌の「ムー」によれば、ポポカテペトル山はUFO多発地帯として世界的にもよく知られており、ポポカテペトルの火口の底には、UFO基地や地底世界が存在しているのではないかと指摘されているとのこと。
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イスタクシワトル山(5286m)の山名は、ナワ語で〈白い女〉を意味します。
日本の登山では、3000m級の山といって特別視しますが、海外旅行では、通常の観光旅行でもそれくらいの高度は体験することになります。日本の山の魅力は、その標高ではないと理解する必要があります。
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ガソリンスタンド前の歩道橋からみたハイウェイ。立派な道が整備されています。
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ウエホツィンゴの村に到着。小さな村です。世界遺産に認定されている「ポポカテペトラ山麓の修道院」の14の修道院のうちのサン・ミゲル修道院が、ここでの訪問の目的になります。
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サン・ミゲル修道院は、小さな塔をそなえた強固な石壁で囲まれていました。建設当時には、要塞という役割も持っていたようです。
サン・ミゲル修道院が完成したのは1570年頃で、ウエホツィンゴの村も修道院を中心として発達したものです。
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修道院には前庭が設けられていました。
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四方からの道が合わさる中央には、十字架が立てられていました。
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この十字架は、16世紀に造られたものです。
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庭の奥に教会の建物が見えています。
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教会の入口は閉まっており、外観だけの見学になりました。
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サン・ミゲル修道院は、スペイン人侵略後にキリスト教布教のために派遣されたフラシスコ会によって建てられました。サン・ミゲルは、スペイン語で大天使ミカエルに由来します。
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窓の脇に紋章が置かれていました。この紋章の由来は確かめることができませんでしたが、周囲を囲む縄は、フランシスコ会の修道院がベルトとして使った縄を現しているのだろうと思います。また、中央に配された五個の穴の開いたマークは、聖フランチェスコの身体に十字架刑に処せられたキリストの5か所の傷と同じものが現れたという奇跡、すなわち聖痕を現しているように思えます。
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脇の回廊は、レコンキスタの後に残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルであるムデハル様式の影響が見られます。
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中庭を囲む四隅には、小さな礼拝堂が設けられていました。
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礼拝堂の屋根に飾られた髑髏と骨に目が留まります。何を現しているのかは不明。
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天使が持つのは、壺のように見えますが、香油でも入っているのでしょうか。
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礼拝堂の内部には、フレスコ画の跡が僅かに残されていました。
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入口脇の礼拝堂。
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背景にイスタクシワトル山が見えていました。世界遺産の名前は、「ポポカテペトラ山麓の修道院」ではなく、「イスタクシワトル山麓の修道院」の方がふさわしいと思うのですが、他にある13の修道院の分布はどうなっているのでしょうか。
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この礼拝堂に描かれた天使はトランペットを吹いていました。
サン・ミゲル修道院の見学を終えて、プエブラに向かいました。
メキシコ・シティの標高は2250mで、これは富士山五合目に相当するので、結構な高地ということになります。

メキシコシティは、湖を埋め立てた跡に造られたため、現在では盆地の底に広がっています。そのため、メキシコシティからプエブラまでは峠越えになりますが、その標高は富士山の山頂とほぼ同じな標高3800mもあります。

峠超えを行っていると、雪をまとった山が見えてきました。

峠超えを行って平地に出たところで、ガソリンスタンドでトイレ休憩を行いました。

ガソリンスタンド脇の空き地からは、山の眺めが広がっていました。
左が5426mのポポカテペトル山で、右は5286mのイスタクシワトル山。
このガソリンスタンドは、峠越えをしてからそれほど走っていないので、標高はおそらく3000m程度あるようで、吹き抜ける風は冷たく感じました。メキシコシティ発でプエブラ見学を行う際には、寒さ対策の厚着をする必要があります。

ポポカテペトル山(5426m)は、活火山で噴煙が上がっています。山名は、ナワトル語で「煙を出す山」「煙を吐く山」といった意味です。
なお、超常現象専門誌の「ムー」によれば、ポポカテペトル山はUFO多発地帯として世界的にもよく知られており、ポポカテペトルの火口の底には、UFO基地や地底世界が存在しているのではないかと指摘されているとのこと。

イスタクシワトル山(5286m)の山名は、ナワ語で〈白い女〉を意味します。
日本の登山では、3000m級の山といって特別視しますが、海外旅行では、通常の観光旅行でもそれくらいの高度は体験することになります。日本の山の魅力は、その標高ではないと理解する必要があります。

ガソリンスタンド前の歩道橋からみたハイウェイ。立派な道が整備されています。

ウエホツィンゴの村に到着。小さな村です。世界遺産に認定されている「ポポカテペトラ山麓の修道院」の14の修道院のうちのサン・ミゲル修道院が、ここでの訪問の目的になります。

サン・ミゲル修道院は、小さな塔をそなえた強固な石壁で囲まれていました。建設当時には、要塞という役割も持っていたようです。
サン・ミゲル修道院が完成したのは1570年頃で、ウエホツィンゴの村も修道院を中心として発達したものです。

修道院には前庭が設けられていました。

四方からの道が合わさる中央には、十字架が立てられていました。

この十字架は、16世紀に造られたものです。

庭の奥に教会の建物が見えています。

教会の入口は閉まっており、外観だけの見学になりました。

サン・ミゲル修道院は、スペイン人侵略後にキリスト教布教のために派遣されたフラシスコ会によって建てられました。サン・ミゲルは、スペイン語で大天使ミカエルに由来します。

窓の脇に紋章が置かれていました。この紋章の由来は確かめることができませんでしたが、周囲を囲む縄は、フランシスコ会の修道院がベルトとして使った縄を現しているのだろうと思います。また、中央に配された五個の穴の開いたマークは、聖フランチェスコの身体に十字架刑に処せられたキリストの5か所の傷と同じものが現れたという奇跡、すなわち聖痕を現しているように思えます。

脇の回廊は、レコンキスタの後に残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルであるムデハル様式の影響が見られます。


中庭を囲む四隅には、小さな礼拝堂が設けられていました。

礼拝堂の屋根に飾られた髑髏と骨に目が留まります。何を現しているのかは不明。


天使が持つのは、壺のように見えますが、香油でも入っているのでしょうか。

礼拝堂の内部には、フレスコ画の跡が僅かに残されていました。

入口脇の礼拝堂。

背景にイスタクシワトル山が見えていました。世界遺産の名前は、「ポポカテペトラ山麓の修道院」ではなく、「イスタクシワトル山麓の修道院」の方がふさわしいと思うのですが、他にある13の修道院の分布はどうなっているのでしょうか。

この礼拝堂に描かれた天使はトランペットを吹いていました。
サン・ミゲル修道院の見学を終えて、プエブラに向かいました。