クワトラングルからガル・ヴィハーラへ移動する道路沿いには、商店跡の遺跡が続きました。ポロンナルワが繁栄した都であったことがうかがわれます。
ガル・ヴィハーラの駐車場でバスを下りると、林の奥に白い仏塔が見えていましたが、これはキリ・ヴィハーラのようです。パラークラマ・バーフ1世の妻の一人のサバドラ女王が建てたものとされています。
実際に見学したのは、このガル・ヴィハーラのほうです。
巨大な花崗岩に仏像が彫られています。左から順に見ていきましょう。
左の瞑想しているブッダ座像の高さは4.6m。日本人にも受け入れやすいお顔をしています。
蔵像の右上には、小さな仏像が隠しアイテムよろしく彫られています。
また、右下には炎に包まれたライオンが彫られており、これは強い動物、すなわちどんな人も死ぬということを現しているといいます。
座像の右手には僧院窟があります。
中の仏像。猿避けの金網とガラスで見にくい状態になっていました。
続いて立像。高さは7m。悟りを開いて7日目、瞑想中に影を作ってくれた菩提樹に祈りをささげているとか、弟子のアーナンダの像などと諸説あるようです。
右端には涅槃像が置かれています。前長15m。
全体を眺めるため、脇の岩に上がりました。
両足の親指が揃っていないので涅槃像であることが判ります。スリランカの寝釈迦像見学では、生前のものか死後のものかを見分けるため、足の親指を見る癖がついてしまいました。
涅槃像の顔。
枕に描かれた像。炎を吐き出したようなライオンの像、あるいは太陽との説があるとガイドブックに書かれていましたが、スリランカの寺院のいたるところで見られる、ヒンドゥー教の動物神カーラ由来ではないのかなと思ってしまいます。カーラは、建物の入口を守る働きをするとされている他に死の神でヤマ(閻魔大王)の別名であるともいいます。
ガル・ヴィハーラの周りにも猿が沢山いました。大中小と並んでいますが、どういった関係なのでしょうね。
遺跡見物は猛暑でバテ気味になって、駐車場の脇の売店でキングココナッツを飲みましたが、量もあって美味しかったです。
午前中はシーギリヤロックの登山で、午後はポロンナルワ観光を行って、ハードナスケジュールになっており、喉も乾いていました。ツアーでは、ここでココナッツを飲むのが定番になっているようです。
ポロンナルワの町外れには、陸軍の基地があり、入口には機関砲が飾られていました。
平和に見えるスリランカですが、このような軍隊施設を見ると、スリランカ内戦が終わってからさほど時間が経っていないことを思い出さずにはいられません。
スリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) による内戦は、1983年から2009年の26年にわたって続きました。スリランカでは、総人口のうち7割を仏教徒で多数派民族であるシンハラ人が、2割弱をヒンドゥー教徒のタミル人が占めており、タミル人は主に島の北部・東部を中心に居住しています。イギリス植民地時代にタミル人を重用する分割統治政策がとられましたが、独立後にはその反動として、1956年のシンハラ語公用語化を始めとするシンハラ人優遇政策がとられたことにより、民族間の対立が高まっていきました。
民族対立が深まる中、1972年にはヴェルピライ・プラバカランによって武力を用いてスリランカからの分離独立を目指すタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) が結成されました。LTTEのテロに対し反タミル人暴動も勃発し、政府軍とLTTEの間で内戦状態になりました。インドの武力介入やノルウェー政府の仲介などよって何度か停戦が実現しましたが、それも長くは続かず交戦状態に陥りました。
LTTEは、陸軍の他に海軍・空軍も用い、さらに自爆攻撃も行って、双方の総力戦になりましたが、LTTEの幹部の殺害によって、スリランカ内戦は終わりました。
現地ガイドの話では、ほとんどの人が近い親族に戦スリランカ内戦による死者がいるという話でした。
タミル国独立運動の拠点であったスリランカ東部・北部地域は、内戦中は外国人の立ち入りが困難でしたが、現在では観光整備が進められて注目スポットになってきているようです。
ガル・ヴィハーラの駐車場でバスを下りると、林の奥に白い仏塔が見えていましたが、これはキリ・ヴィハーラのようです。パラークラマ・バーフ1世の妻の一人のサバドラ女王が建てたものとされています。
実際に見学したのは、このガル・ヴィハーラのほうです。
巨大な花崗岩に仏像が彫られています。左から順に見ていきましょう。
左の瞑想しているブッダ座像の高さは4.6m。日本人にも受け入れやすいお顔をしています。
蔵像の右上には、小さな仏像が隠しアイテムよろしく彫られています。
また、右下には炎に包まれたライオンが彫られており、これは強い動物、すなわちどんな人も死ぬということを現しているといいます。
座像の右手には僧院窟があります。
中の仏像。猿避けの金網とガラスで見にくい状態になっていました。
続いて立像。高さは7m。悟りを開いて7日目、瞑想中に影を作ってくれた菩提樹に祈りをささげているとか、弟子のアーナンダの像などと諸説あるようです。
右端には涅槃像が置かれています。前長15m。
全体を眺めるため、脇の岩に上がりました。
両足の親指が揃っていないので涅槃像であることが判ります。スリランカの寝釈迦像見学では、生前のものか死後のものかを見分けるため、足の親指を見る癖がついてしまいました。
涅槃像の顔。
枕に描かれた像。炎を吐き出したようなライオンの像、あるいは太陽との説があるとガイドブックに書かれていましたが、スリランカの寺院のいたるところで見られる、ヒンドゥー教の動物神カーラ由来ではないのかなと思ってしまいます。カーラは、建物の入口を守る働きをするとされている他に死の神でヤマ(閻魔大王)の別名であるともいいます。
ガル・ヴィハーラの周りにも猿が沢山いました。大中小と並んでいますが、どういった関係なのでしょうね。
遺跡見物は猛暑でバテ気味になって、駐車場の脇の売店でキングココナッツを飲みましたが、量もあって美味しかったです。
午前中はシーギリヤロックの登山で、午後はポロンナルワ観光を行って、ハードナスケジュールになっており、喉も乾いていました。ツアーでは、ここでココナッツを飲むのが定番になっているようです。
ポロンナルワの町外れには、陸軍の基地があり、入口には機関砲が飾られていました。
平和に見えるスリランカですが、このような軍隊施設を見ると、スリランカ内戦が終わってからさほど時間が経っていないことを思い出さずにはいられません。
スリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) による内戦は、1983年から2009年の26年にわたって続きました。スリランカでは、総人口のうち7割を仏教徒で多数派民族であるシンハラ人が、2割弱をヒンドゥー教徒のタミル人が占めており、タミル人は主に島の北部・東部を中心に居住しています。イギリス植民地時代にタミル人を重用する分割統治政策がとられましたが、独立後にはその反動として、1956年のシンハラ語公用語化を始めとするシンハラ人優遇政策がとられたことにより、民族間の対立が高まっていきました。
民族対立が深まる中、1972年にはヴェルピライ・プラバカランによって武力を用いてスリランカからの分離独立を目指すタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) が結成されました。LTTEのテロに対し反タミル人暴動も勃発し、政府軍とLTTEの間で内戦状態になりました。インドの武力介入やノルウェー政府の仲介などよって何度か停戦が実現しましたが、それも長くは続かず交戦状態に陥りました。
LTTEは、陸軍の他に海軍・空軍も用い、さらに自爆攻撃も行って、双方の総力戦になりましたが、LTTEの幹部の殺害によって、スリランカ内戦は終わりました。
現地ガイドの話では、ほとんどの人が近い親族に戦スリランカ内戦による死者がいるという話でした。
タミル国独立運動の拠点であったスリランカ東部・北部地域は、内戦中は外国人の立ち入りが困難でしたが、現在では観光整備が進められて注目スポットになってきているようです。